ミステリ&SF感想vol.238

2025.02.20

魔眼の匣の殺人  今村昌弘

ネタバレ感想 2019年発表 (東京創元社)

[紹介]
 “十一月最後の二日間に、真雁で男女が二人ずつ、四人死ぬ――神紅大学ミステリ愛好会の葉村譲と剣崎比留子は、紫湛荘での事件の遠因となった〈班目機関〉の手がかりを求めて、人里離れた真雁地区にある〈班目機関〉のかつての研究施設、通称〈魔眼の匣〉を訪ねる。超能力の研究が行われていたというそこには、“予言者”と恐れられる老女が住んでいたが、彼女は目前に迫る死の予言を九人の来訪者たちに告げる。その直後、外界とつながる橋が燃え落ちて一同は真雁地区に閉じ込められ、さらに予言が成就したかのように一人が命を落としてしまった。そして……。

[感想]
 2017年のミステリ界を席巻して映画にもなった*1デビュー作『屍人荘の殺人』に続く待望のシリーズ第二弾で、前作で事件の背景として名前が出てきた〈班目機関〉の元研究施設を舞台に、不吉な予言をめぐる事件の顛末を描いた予言ミステリです。前作とはやや趣が違うところがあるものの、引き続いて“特殊設定+クローズドサークル”が大きな見どころとなっています。

 実際のところ、さすがに前作ほどの派手なインパクトこそありませんが、特殊設定とクローズドサークルを組み合わせた手際は前作に勝るとも劣らないもので、クローズドサークルができあがった経緯も、そして逃げ場がない状況で犯行に及ぶ理由もなかなかユニークです。また、前作と違って(!)誰が犠牲になるのか予断を許さないところまでは常道ですが、“予言者”に加えてもう一人の“予知者”*2が登場するのが効果的で、“四人死ぬ”という予言が事件の結果だけで具体性に乏しい*3一方、“予知者”が変事の直前に*4ある程度具体的な予知をみせることが、サスペンスを高めるのに一役買っています。

 かくして事件が起こるわけですが、それに対して、前作で語られた比留子の“資質”を踏まえたかのように、犯人の手を逃れながら犯人を追い詰めるために探偵側が仕掛ける作戦が目を引きます。その一方で、前作で獲得した幅広い読者層を意識したものか、ミステリとしてはいささか親切にすぎるきらいがなきにしもあらずではありますが、それでも“探偵vs犯人”の対決がそのまま続いて異様な緊張感をはらんだ“解決篇”では、見事な謎解きが展開されます。とりわけ、犯人特定の決め手は実に鮮やかです。

 ただし個人的な好みをいえば、予言が登場人物の行動に影響を与える“前提条件”にとどまる*5あたり、特殊設定ミステリとして前作よりもやや後退した感があるのが残念。また、近い時期に発表された未来予知/予言ミステリ――未来予知をSF的に組み立てて“不可能犯罪”まで作り出してみせた阿津川辰海『星詠師の記憶』や、逆にオカルト的な予言の成就を前面に出してホラー風味で押し切る澤村伊智『予言の島』と並べてみると、本書はあくまでも“予言の存在下でのオーソドックスなミステリ”という印象*6で、少々物足りなさも残ります。

 しかしながら、事件が解決された後に補足的な謎解きが用意されて、若干弱いように感じられた部分もしっかり補強されるなど、最後までよく考えられた作品であることは確かではないでしょうか。私見では前作には及ばないものの、期待された水準は十分にクリアしているといっていいでしょう。最後に予告(?)されている次作も楽しみです。

*1: 映画は観ていませんが……。
*2: これはカバーのあらすじでも明かされています。
*3: よく考えてみると、ミステリ的に都合がよすぎる予言のようにも思えますが、まあそこはそれ。
*4: 変事を阻止できそうにない、絶妙なタイミングで発動する設定になっているのがうまいところです。
*5: そもそも、現象としての予言が“未来の情報の提示”にすぎないので、やむを得ないところではありますが。
*6: これはこれで、裏を返せばミステリ読者には受け入れやすいということになりそうなので、決して瑕疵というわけではありません。

2019.03.14読了  [今村昌弘]

白魔{びゃくま}の塔  三津田信三

ネタバレ感想 2019年発表 (文藝春秋)

[紹介]
 敗戦に志を折られた物理波矢多は、日本の復興を支える職に就こうと決意して炭鉱夫となるも、そこで怪事件に巻き込まれた末に炭鉱を離れ、海運の要・灯台守に転身した。だが、新しい任地の轟ヶ埼灯台に向かう波矢多を待ち受けていたのは、“白もんこ”と呼ばれる怪異だった……。
 山道で怪異に脅かされて道に迷い、森の中の孤家{ひとつや}で一夜を明かし――ようやく轟ヶ埼灯台にたどり着いた波矢多は、灯台長の入佐加孝蔵に迎えられるが、波矢多の話を聞いた入佐加は過去の体験を語り始め……。

[感想]
 終戦直後の炭鉱を舞台にした『黒面の狐』に続く〈物理波矢多シリーズ〉の第二弾で、前作のラストで炭鉱を離れた物理波矢多が、今度は灯台守に転身しています……が、(もちろん灯台守としての生活に関する描写などはあるものの)前作のように灯台が舞台かといえばそうともいえなかったり*1、事件らしい事件が起こるわけでもなく、ミステリ色が強かった前作と比べてかなりホラー寄りだったりと、シリーズでありながらも前作とはだいぶ趣の違う一作となっています。

 物語は三部構成で、まず「第一部」では波矢多が新たな任地の轟ヶ埼灯台にたどり着くまでの顛末が、本書の半分近くの分量を割いて描かれています。灯台守としての責任感――“守灯精神”*2から着任の遅れを気にして焦る波矢多ですが、その灯台までの道程は安定の(?)作者らしいホラー。怪異そのものによる恐怖もさることながら、全体の流れが怪談の定型を踏襲してしまっていることによる、逃れられない絶望感*3が強烈で、波矢多が苦労の末にようやく目的地に到着しても不安は消えずに残ったまま。

 続く「第二部」は、灯台長・入佐加孝蔵が語る過去の体験談――怪異譚が主体となります。一人称の語りではなく、聞き手に回った波矢多の内心を含めた反応も時おり描かれていますが、語られる内容は怪異に遭遇した先達の体験として波矢多にとってまったく他人事ではないわけで、ただおとなしく聞いているだけではすませられないのも自然ですし、波矢多が話を聞いて抱く疑問という形で、浮かび上がってくる“謎”の要点をまとめて読者に伝えるという意味でも効果的です。

 とはいえ、「第三部」でいよいよ始まる波矢多の謎解きは、“説明のつかない怪異は放置して、合理的に説明できる部分だけを解明する”というスタンスこそ〈刀城言耶シリーズ〉と同様ですが、本書の“謎”は(普通に考えれば)あまり解明できそうな性質のものではないのが困ったところ。それに対して、少々強引ながらも大胆かつ巧妙な解釈を行うことで合理的な説明をつけてしまう“豪腕”が見事ですし、意外にして印象深い“真相”そのものもなかなかのインパクトがあります。

 そしてその後には、一読して忘れがたい結末*4が用意されており、読者を翻弄する作者の手腕にうならされます。前述のように前作とはだいぶ趣が異なるので要注意(?)ではあるかもしれませんが、“これもまた三津田信三”ということで、ぜひとも前作と読み比べてみていただきたい一作です。

*1: これだけではどういうことかわからないかもしれませんが、以降の「第一部」「第三部」に関する説明をご覧いただければ……。
*2: これが「第一部」の題名になっています。
*3: 個人的には、思わぬところから飛び出してくる(一応伏せ字)手遅れの“警告”(ここまで)が強く印象に残ります。
*4: 前作のラストと同じく波矢多が灯台を離れることだけは、明かしてもかまわないと思いますが……。

2019.04.25読了  [三津田信三]
【関連】 『黒面の狐』

悪意の夜 The Long Body ヘレン・マクロイ

ネタバレ感想 1955年発表 (駒月雅子訳 創元推理文庫168-13)

[紹介]
 外交官だった夫を転落事故で失ったアリスは、遺品を整理している最中に、机の鍵のかかった引き出しの中から“ミス・ラッシュ関連文書”と書かれた封筒を発見したが、中身は空っぽだった。夫の生前にも名前を聞いたことがない“ミス・ラッシュ”とは、一体何者なのか? そこへ息子のマルコムが、見知らぬ美女を伴い帰宅する。彼女の名前はクリスティーナ・ラッシュ……そして彼女が去った後、封筒は忽然と消えていた。アリスが緊張と疑惑を深めていく中、ついに殺人事件が……。

[感想]
 本書は、ベイジル・ウィリング博士を探偵役としたシリーズで最後の邦訳となった長編で、最後まで未訳で残っていた割には悪くない*1と思うのですが、それでも、マクロイで最初に読む作品としてはおすすめしづらいところがあります。マクロイ初心者の方であれば、他の作品――例えば、巻末の佳多山大地氏による解説*2で挙げられている『あなたは誰?』『逃げる幻』『暗い鏡の中に』あたりからお読みになることをおすすめします。

 ……ということで本書ですが、「第一部 直説法現在」「第二部 仮定法未来」「第三部 未完了過去」と題された三部構成で、それぞれの題名で示されているように、「第一部」は現在、「第二部」は(ある意味で)直近の未来、そして「第三部」は過去の物語となっています。これは、原題とされている“The Long Body”――作中でウィリングが説明している*3ヒンズー教の概念を意識したものですが、実のところ、過去を主題とした「第三部」でがらりと雰囲気が変わって、木に竹を接いだように感じられてしまうのは否めないところです。

 とはいえ、その一因は「第二部」までがサスペンスとして出来がよすぎるところにもあるのではないか*4――と思ってしまうほど、「第二部」までは文句なしの傑作といっても過言ではありません。ミステリアスな美女にまつわる疑惑が物語を引っ張る、“悪女もの”として魅力的な「第一部」もさることながら、アリスが“反撃”を試みる「第二部」が圧巻で、マクロイお得意のニューロティックなサスペンスが非常に面白い形で展開されるのが大きな見どころとなっています。

 しかして、探偵役・ウィリング博士の登場を機に、物語はサスペンスから謎解きへと舵を切っていき、過去に焦点が当てられる「第三部」は……前述のように「第二部」までとはミスマッチというか、それまでの勢いが“失速”してしまった感さえあるのは確かですが、このような見せ方になった理由は――マクロイの意図した趣向も含めて――理解できなくもないですし、これはもうある程度それまでとは“別物”として読むのが吉ではないでしょうか。事件の真相そのものはまずまずで、特にウィリングが“わたしの口からお聞きになりたいですか?”と尋ねる部分の真相はなかなかユニークです。

 本書全体としてはやはり、マクロイ作品の中ではやや落ちるといわざるを得ませんが、前述のように「第二部」までは間違いなく傑作といっていい出来ですし、個人的にはマクロイの趣向もこれはこれで“あり”、といったところで、少なくともマクロイのファンであれば一読の価値はあるでしょう。

*1: 探偵小説研究会・編著「2019本格ミステリ・ベスト10」(原書房)の海外本格ミステリ・ランキングでは、第5位の『牧神の影』と票が割れた(と思われる)にもかかわらず、第8位にランクインしています。
*2: ところで、解説中で“あの作品”と“あの作品”を並べて紹介してある(274頁)のは、一方の作品を読んだ読者にとってはネタバレになるのではないかと思うのですが……。
*3: 物語が終盤に近づいてからですが……。
*4: いいか悪いかは別として、「第二部」までがもう少し淡々と進んでいれば、「第三部」の印象もだいぶ違ったのではないか、と思われてなりません。

2019.05.17読了  [ヘレン・マクロイ]

予言の島  澤村伊智

ネタバレ感想 2019年発表 (KADOKAWA)

[紹介]
 瀬戸内海に浮かぶ霧久井{むくい}島は、かつて一世を風靡した霊能者・宇津木幽子が生涯最後の予言を遺した場所だった。彼女の死から二十年後、この島で《霊魂六つが冥府へ堕つる》という……。
 天宮淳は幼馴染たちとともに霧久井島を訪れたが、宿泊予定だった旅館は、山から怨霊が下りてくるという理由でキャンセルされていた。やむなく別の民宿に泊まった一行だったが、翌朝になると、一人が不慮の死を遂げているのが発見される。そして島民たちがおかしな態度を見せる中、幕を開ける惨劇は予言の呪いか、怨霊の仕業か……。

[感想]
 デビュー作『ぼぎわんが、来る』をはじめホラー系の作品を軸としつつ、新本格30周年記念アンソロジー『謎の館へようこそ 白』に収録された“館もの”の短編「わたしのミステリーパレス」のようなミステリも発表している作者ですが、帯によれば“初の長編ミステリ”という本書は、“初読はミステリ、二度目はホラー。”*1とされているように本格的なホラーミステリとなっています。

 発表時期が近い今村昌弘『魔眼の匣の殺人』など*2と同様に、不吉な予言をテーマとした作品ですが、“予言ミステリ”という印象がやや薄いのは、予言そのものは物語の背景に収まっているというか、それが成就していく過程の恐ろしさに重きが置かれている節があるからで、誰も止めることができないまま予言のとおりに死が積み重なっていく恐怖がじっくりと描かれているのは、ホラー系の作者らしいといえるかもしれません。

 予言よりもさらに直接的な恐怖を引き起こしているのが、島に伝わる“ヒキタの怨霊”です。予言を遺した霊能者が命を落とす原因となった怨霊によって、予言が成就に近づくことになるのは皮肉なところがありますが、島民たちは真剣に怨霊を恐れており、事情を知らされない主人公ら“よそ者”*3との対立は、“横溝テイスト”をも漂わせます。そしていよいよ怨霊が山から下りてくるという終盤は、パニックホラーにも近い様相を呈していきます。

 その中で突然、物語が“ミステリの顔”を露わにするのが鮮やか。実のところ、トリックの中核部分にはいくつかの前例があるのですが、ということはすでに、“どのようにアレンジされているか”に着目すべき段階に入っている*4といえます。その点本書は、前例とかなり違った処理がされているのが特徴的で、よく考えられた巧みなアレンジが光ります。と同時に、明らかになった真相そのものがホラー的な味わいをもたらすのが見事で、ホラーミステリとして非常によくできた作品といえるのではないでしょうか。

*1: 個人的な印象としては、どちらかといえばのような気がしないでもないのですが……。
*2: 未来予知を扱った阿津川辰海『星詠師の記憶』もありますが、そちらはかなり毛色が違っています。
*3: 主人公らが宿泊した民宿の主人も“こちら側”なので、怨霊に関する情報はつかめず、得体の知れない恐怖だけが募っていくのがうまいところです。
*4: 「占星術&異人館村に関するやりとり(暫定版) (3ページ目)」にある、MAQさん“トリックの一生理論”によれば、トリックの“バリエーションが次々生み出されると、やがてその「効果」(現象)は「テーマ」へ昇華するわけです。”――ということで、複数の類例が出てきた時点でトリックは「テーマ」に近づき、(中核部分の共通性はさておいて)“新たにどのような工夫がなされているか”が興味の中心とされていくことになる、と考えていいのではないでしょうか。

2019.05.24読了

第四の暴力  深水黎一郎

2019年発表 (光文社)

[紹介]
 集中豪雨で崩壊、全滅した山村で、妻も子も失ってただ一人生き残った男・樫原悠輔を、テレビカメラとレポーターが無遠慮に追いかけ、女性アナウンサーが無神経な質問を投げかけて樫原の感情を逆なでする。ついに樫原は怒りを爆発させて暴れまわり――。
 ――そして数年後、その女性アナウンサーと思わぬ状況で再会した樫原だったが……「生存者一名 あるいは神の手{ラ・マーノ・デ・ディオス}
 テレビのバラエティ番組で辣腕をふるうプロデューサー・子安は、ある日体調に異変を生じて……「女抛春{ジョホールバル}の歓喜」
 芸能関係の知識に疎いエリートサラリーマン・津島が、一年間の海外赴任を経て日本に帰国してみると……「童派{ドーハ}の悲劇」*1

[感想]
 以前に発表された連作短編集『言霊たちの夜』中の一篇、「情緒過多涙腺刺激性言語免疫不全症候群」で展開されたマスメディア風刺を、よりストレートに前面に出した作品で、現実のマスメディアの振る舞い*2をかなりデフォルメしたような――つまりは程度問題であって、(少なくとも本音のところでは)方向性はそんなものではないだろうかと思わされる(偏見かもしれませんが)――“第四の権力”ならぬ“第四の暴力”の猛威を徹底的に描いた、ブラックな一冊となっています。

 最初の「生存者一名 あるいは神の手」ではまず、山村でただ一人生き残った被災者を主役に、現実でもしばしば目にする無神経な“取材”に焦点が当てられ、当事者の視点で描かれていることもあって、そのえげつなさが十分に伝わってきます。さらにそこから数年後、最終的にはおそらく誰しも予想がつくだろうとはいえ、いかにも(一応伏せ字)テレビらしい(ここまで)と思わされてしまう容赦ない仕打ちが、何とも強烈です。

 目を引くのは、その過酷な顛末に対して、主人公・樫原悠輔の行動に関する二つの選択肢が用意されている点で、その選択によって読者は――ゲームブック風に――「女抛春の歓喜」「童派の悲劇」のいずれかに進むことになります。その選択が、主人公・樫原悠輔自身はもちろんのこと*3、日本社会にまで大きな影響を与える未来の分岐点となっており、“樫原事件”の有無によって分岐した二つの世界のコントラストが、本書の大きな見どころでしょう。

 “樫原事件”が起きなかった世界を舞台にした「女抛春の歓喜」は、傍若無人なテレビ業界人(バラエティ番組のプロデューサー)を主役にしたエピソードで、デフォルメされた業界人の暴力的な言動がこれでもかと描かれていきますが、世界が現実の延長線上にある上に、基本的には業界内部の話にとどまるために、最も気楽に読める一篇ともいえます。そして、樫原悠輔がどのような形で物語に再登場してくるか、にも注目です。

 一方、“樫原事件”が起きた世界を描いた「童派の悲劇」は、色々な理由で実際には“そうはならない”だろうと考えられる*4ところ、架空の極端な設定を成立させる過程を巧みに省略する*5ことで、すんなりとディストピアに移行させてあるのが秀逸。かくして、物語後半に突如として主人公を襲う強化された“第四の暴力”は凄まじく、物語は何とも理不尽な――理不尽がすぎるために悲劇を通り越して(残酷な)喜劇の様相すら呈する結末を迎えますが、ディストピア小説の幕切れとしては十分ではないでしょうか。

 個人的には、マスメディアはほぼ見限っている――総体としては(一応は)必要不可欠ではあるものの、弊害があまりにも大きすぎる上に、自浄作用が働く気配もないと考えている*6――のですが、それでも、(「童派の悲劇」で描かれたほどではないにせよ)“社会的な○○”を与えることが可能な暴力性は恐ろしく、無視できないのが困ったところで、現状を考えると笑っている場合ではないような気もしないでもないのですが、まあそこはそれ。相当に読者を選ぶ作品ではありますが、このようなテーマに関心のある方にはおすすめです。

*1: 各篇の題名は、サッカーファンにはおなじみ“神の手”(→Wikipedia)、“ジョホールバルの歓喜”(→Wikipedia)、“ドーハの悲劇”(→Wikipedia)にちなんでいますが、内容はサッカーとはまったく関係ありません(苦笑)。
*2: twitterなどでみられるマスメディア関係者個人の言動も含めて(もちろん例外的な方もいらっしゃるでしょうが)。
*3: どちらに進んでも、樫原悠輔の“その後”に言及されています。
*4: (どの程度報じられるかはともかく)世論の大きな反発は免れないのではないでしょうか。とりわけ作中での“樫原事件”の扱い(159頁~160頁)、すなわち(一応伏せ字)事件の背景が公にされている(ここまで)ところをみると、作中にあるように“一気に掌返し”(160頁)とまではいかないように思われます。
*5: このあたりは、主人公に関する設定の勝利といっていいでしょう。
*6: この部分、当初考えていたよりもかなりマイルドな表現に改めています。

2019.06.24読了  [深水黎一郎]