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  4. あなたは誰?

あなたは誰?/H.マクロイ

Who's Calling?/H.McCloy

1942年発表 渕上痩平訳 ちくま文庫 ま50-1(筑摩書房)

 まず、何度も警告を受けていたフリーダではなく、意表を突いてチョークリーが殺害されるところがよくできています。“こんな面白い人が殺されるはずがないわよ!”(138頁)というイヴの台詞*1は言いすぎ(?)としても、一見すると殺される理由が見当たらない一方で、毒殺という手口を踏まえれば“間違い殺人”の可能性も考えられるわけで、読者を惑わすプロットが巧妙。そこから、チョークリーの正体が明らかにされていく過程――拡大鏡ならぬ縮小レンズの意味が鮮やか――もよく考えられていると思います。

 さて、お読みになった方はもちろんおわかりのように、本書は“二重人格”テーマの作品となっているわけですが、二重人格をいわゆる“オチ”(に近いもの)として扱った作品が多いと思われるところ、本書ではそれが“解決”よりも前の早い段階で明かされている*2のがユニークです。これはおそらく、二重人格について具体的な症例にも触れながら事前に説明しておかなければアンフェアになりかねない、という判断によるものではないかと思われますが、結果として“二重人格の人物が存在するが、誰だかわからない”という、およそ例を見ない謎が作り出されているのが見どころ。

 かくして、五人の容疑者たちのうち“誰が二重人格なのか?”を探す、(犯人探しならぬ)“二重人格探し”が打ち出されるのが魅力的ですが、さらに、「2015-09-20 - (゜(○○)゜) プヒプヒ日記」で指摘されているように、それが当人自身も気づかない特質であるために“内面描写として何を書いてもアンフェアにならない”(「2015-09-20 - (゜(○○)゜) プヒプヒ日記」より)のが注目すべきところで、それを存分に利用して――読者を挑発(?)するかのように――“信頼できない語り手”たちの内面を描いた「第十章 誰も眠れない」には、思わずニヤリとさせられます……が、実はそれ自体が作者の罠。

 端的にいえば、本書の仕掛けは複数犯を単独犯に見せかけるというものですが、“二重人格探し”を前面に出した上で、“自分が二重人格ではないか?”と苦悩するイヴ、マーク、エリスの内面をクローズアップすることで、誰が二重人格なのか知っている人物が存在することを隠蔽してあるのが秀逸。その人物、ジュリアについて「第十章 誰も眠れない」では、マーク視点のパートに登場させることで内面描写を回避しつつ*3、マークらと同様に(本当は別の理由ですが)眠れなかったことを示す巧妙な叙述によって、他の容疑者たちと同じ立場であるかのように読者をミスリードしているのが周到です。

 また、“マキシム・ルボフ”の扱いもうまいところで、実際には最終章まで一度も登場してこないにもかかわらず、奇妙な“実在感”が備わっている――パーティーへの“来訪”もさることながら、ジュリアがルボフと面識があることが序盤から匂わされ、“著名な上院議員の妻は(中略)マキシム・ルボフと一緒になにをしていたのか?”(196頁)という“悪意の手紙”でそれがさらに補強されているのが効果的――上に、ジュリアとのつながりのみが強調されてフリーダとのつながりが隠されている*4ために、“副人格=ポルターガイスト”だとは考えにくくなっている感があります。

 もしルボフが“副人格”だと疑われると、自動的にジュリアにも疑いの目が向けられることになるので、少々危険といえば危険ではありますが、どのみち、ジュリアの犯行の動機を裏付けるために、ジュリアがマークの二重人格を知っていたことを示唆する伏線が必要になるわけで、それをマークの副人格であるルボフとのつながりという形で示しておくことでミスディレクションとしても機能させようとする、なかなか巧妙な仕掛けといえるのではないでしょうか。

 最終章では、半ば眠りに落ちたマークが描いた“ドゥードゥル”――ルボフのアパートの暖炉とまわりに貼られたタイル(241頁)――によって、実に鮮やかに“ポルターガイスト”の正体が明かされているのがお見事*5……ですが、ウィリング博士が指摘している(325頁~326頁)ように、マーク/ルボフにチョークリーを毒殺する動機と手段がある*6ことで、“ポルターガイスト=毒殺犯”というミスリードが依然として機能しているところも見逃せません。

 それを打破するのが、毒殺犯が色盲であることを示す手がかり――毒を仕込まれたショコラ・リキュールの、ローズ色のホイルとゴールドのホイルの取り違え――で、迷彩が施された大砲が思わぬ“最後の決め手”となって毒殺犯が特定されるのが秀逸です。最終章のジュリアが目にした場面では、“ハゲイトウのようにいろんな色を大砲に塗りたくったんですよ。ここからだと、藪と納屋のように見えるはずです。”(318頁)としてその意味に気づきにくくされていますが、フリーダが車で通り過ぎる場面では“病気でできたみたいなピンクとイエローの斑点が塗られていた”(220頁)としっかり書かれており、脱帽せざるを得ません。

 といいつつ、若干気になるところが一つ。というのも、“迷彩の実験をしているんですよ――第一次大戦で使ったダズル迷彩を施したんです。”(318頁)“かつて第一次大戦で使われた“ダズル迷彩”の新版だ。”(220頁)と、“ダズル迷彩”という用語が使われているのですが、「ダズル迷彩 - Wikipedia」をご覧になればおわかりのように*7、作中に登場する迷彩は、“対照色で塗装された複雑な幾何学模様”(Wikipediaより)によるダズル迷彩とはかなり異なっています。
 “実験”や“新版”とされているので、ダズル迷彩から派生したものということもできるかもしれませんが、目立たなくさせたり別のものに偽装したりするのではなく、形や大きさ、方向などを把握しづらくするというダズル迷彩の概念からは、外れているといってもいいでしょう。単純にマクロイが勘違いしていたのか、それとも本書の発表当時は何でも(?)“ダズル迷彩”と呼ばれていたのか――いずれにしても、おそらく原文でそう書かれていると考えられるので、誤訳というわけではありませんが、少なくとも現代では“ダズル迷彩”という用語はあまり適切ではないように思われます。
 つまるところ、たまたま“ダズル迷彩”という用語を知っていたためにWikipediaの画像のようなものをイメージしてしまい、それが色盲の人物をあぶり出すために使われるとは思いもよらなかった、という負け惜しみですが(苦笑)

 ……閑話休題。ウィリング博士が看過したことで、ジュリアが壮絶な事故死を遂げるという決着は、好みや意見の分かれるところかもしれませんが、忘れがたい印象を残すものではありますし、ジュリアの行為が理解できない“怪物的”なルボフの姿が、それをさらに強めています。最終的に、マークが事件の真相を知らずにすんでいるらしいのは、救いというべきなのかどうか……考えさせられる結末です。

*1: この台詞からとられた「第三章 こんな面白い人が殺されるはずがない」という章題が目次にあるので、被害者はある程度予想できるともいえますが……。
*2: 実際に“副人格”の存在が確認される前に、想定される犯人像が容疑者たちにそぐわないことを理由として“二重人格”と結論づけるのは、少々危ういような気もしますが、そこは専門家であるウィリング博士の判断を信用する、ということで。
*3: “自分が二重人格ではないか?”と疑う内面描写が、“アンフェアにならない”どころか(その人物が二重人格か否かを判断する上で)“何ら手がかりにならない”ために、内面描写があってもなくても一緒だと思わされてしまう効果もあるように思います。
*4: 「第一章」などフリーダ視点の場面で、フリーダが匿名の電話の主として真っ先にルボフのことを思い浮かべていないのが少々アンフェア気味ではありますが、“ウィロウ・スプリングには彼女の存在を快く思わない者がほかにもたくさんいたため、確信は持てなかった。”(337頁)というウィリング博士の説明で、ぎりぎりセーフといったところでしょうか。
*5: “ドゥードゥル”がチョークリーの正体を解き明かす過程ですでに使われていることで、その意味がすんなりと腑に落ちるようになっているのもうまいところです。
*6: いうまでもないかもしれませんが、これが同時に、ジュリアにも犯行の手段があったことの説明になっているのが実に巧妙です。
*7: 画像は「隠れるのではなく敵を惑わす!「ダズル迷彩」を施した世界17種の艦船」の方がわかりやすいかもしれません。

2015.09.30読了