ミステリ&SF感想vol.221

2016.04.25

撓田村事件  小川勝己

ネタバレ感想 2002年発表 (新潮文庫 お66-1)

[紹介]
 岡山県の山間にある集落・撓田。そこに住む中学三年生の阿久津智明は、奇怪な事件に遭遇する。土地の権力者・朝霧家に迎えられて東京から引っ越してきた遠縁の桑島家、その長男で智明と同級生の佳史が、両脚を切断された死体となって樹上に載せられていたのだ。さらに、一ヶ月ほど前から行方不明になっていた朝霧家の主で、智明の同級生・将晴の祖母である八千代が、下半身がちぎれた上半身だけの腐乱死体となって発見される。それはあたかも、撓田に伝わる犬使いの老婆の伝説――妖術で犬を操っていた老婆を退治した風来坊が、下半身を食いちぎられて死んだ伝説を、再現したかのようだった……。

[感想]
 第四回新潮ミステリー倶楽部賞(1999年)の最終候補作*1を原型とする小川勝己の第五作で、作中の年代こそ平成(1997年)ではあるものの、岡山県のひなびた山村を舞台に見立て殺人を扱った、横溝正史オマージュ*2となっています。と同時に、鬱屈したものを抱えながら日々を送る男子中学生を主人公に据えて、時に痛々しい青春小説の味わい――杉江松恋氏の解説では“童貞小説”とされています――も前面に出された一作です。

 文庫版で本文が700頁を超える大ボリュームとなっているあたりは、殊能将之『美濃牛』と同様に横溝正史オマージュの宿命(?)なのかもしれませんが、旧家にまつわる因縁、ドロドロした人間関係、犬使いの老婆の伝説、猟奇的な連続見立て殺人、三十年前の未解決事件に五十六年前の不審な大火事と、詰め込みすぎるほど詰め込まれた盛りだくさんの内容。事件が起きるのも180頁を過ぎてからで、それまでは主に主人公・阿久津智明の周辺を描きつつ、智明以外の人物の視点からの描写も含めて“現代の横溝風作品世界”の構築に筆が割かれている感があります。

 事件が起きてからも比較的スローペースではあるものの、現在の事件に加えて過去の事件も物語に関わってくる上に、範囲が広がった登場人物たち――終盤には、桑島家が東京にいた時の隣人にまで――にも(程度の差こそあれ)それぞれに光が当てられて、一種の年代記/群像劇のような趣になっているのが印象的で、だれることなく長い物語を読ませる力があります。加えて、思いのほか早い段階から少しずつ真相の断片が示唆され、また明かされていくことで、ミステリとしての興味もしっかり持続させる作りになっているのが実に巧妙なところです。

 その中でもとりわけ目を引くのが、二度にわたって挿入されている、事件が思わぬ様相を呈することに困惑する犯人の独白で、事件の構図の一端――別の人物の関与――を読者に明かしながらも、結果としてさらに不可解さを強めることになっているのが絶妙。具体的には、死体に施された猟奇的な装飾が、犯人ではない別人の仕業であることが示されているのが注目すべきところで、見立て殺人としてはかなりひねくれた扱いなのはもちろんのこと、(殺人と切り離されることで)“見立て犯”の目的がよりクローズアップされることになるのが面白いと思います。

 真相の一部が断片的に明かされたところで大勢に影響はなく(?)、複雑に入り組んだ真相のすべてを読者が見抜くのは困難。というわけで、事件が急転直下の決着を迎えた後の、“金田一耕助”というには型破りにすぎる探偵役*3による謎解きは圧巻です。驚くほど多くの細かい手がかりや伏線に支えられた真相は、登場人物たちの造形も相まって、長大な分量にふさわしい重みを備えています。主人公・智明も大きな打撃を受けることになりますが、それでも最終的にはそこから前に進み出している姿が描かれ、後味のいい幕切れとなっているのが印象に残ります。

*1: 本書の初刊時に副題となっていた、『iの遠近法的倒錯』という題名だったようです。
*2: 作中、『獄門島』の真相の一部に言及されている箇所があるので、そちらを先に読んでおくことをおすすめします。
*3: 撓田にやって来た経緯からして、探偵役らしからぬというか何というか。

2015.09.14読了  [小川勝己]

あなたは誰? Who's Calling?  ヘレン・マクロイ

ネタバレ感想 1942年発表 (渕上痩平訳 ちくま文庫 ま50-1)

[紹介]
 「ウィロウ・スプリングには行くな」――精神科医の卵アーチーと婚約したナイトクラブの歌手フリーダは、ウィロウ・スプリングにあるアーチーの実家を訪ねる予定だったが、その直前に匿名の電話で警告を受ける。怯えながらもそれを無視する二人だったが、到着早々のわずかな隙に、フリーダの部屋が激しく荒らされていたのだ。不穏な気配が漂う中、隣に住むリンゼイ上院議員の邸で開かれたパーティーで、殺人事件が起きてしまう。事件の捜査に加わった検事局顧問の精神科医ウィリング博士は、一連の事件にポルターガイストの行動の特徴が見られると指摘するが……。

[感想]
 精神科医ベイジル・ウィリング博士が探偵役をつとめるシリーズ第四長編*1となる本書は、男とも女ともわからない正体不明の人物からの、電話による脅迫めいた警告を発端として、緊張感が高まった中で起きる事件が描かれていきます。特筆すべきは、ミステリにおける“あるテーマ”の先駆的な作品*2である点ですが、現在ではかなり見慣れた――下手をすると“陳腐”といってもいい――テーマでありながら、本書ではなかなかユニークな扱い方をされており、むしろ新鮮にさえ感じられるのが面白いところです。

 物語は主に、アーチーの実家であるクランフォード家と隣のリンゼイ上院議員邸という、ごく狭い範囲で進んでいきます。冒頭こそ匿名の電話を受けるフリーダの視点で描かれているものの、その後はアーチーの母親イヴに視点が据えられることが多く、“そちら側”の人々の様子が――フリーダが歓迎されざる事情も含めて――しっかりと描かれ、フリーダが到着する前からすでに緊張感は十分。また、イヴが偶然手に入れた一枚の怪しいカリカチュアが、波乱の予感をさらに強めているのも見逃せないところです。

 はたして、フリーダがウィロウ・スプリングに到着するやいなや、再び匿名の警告の電話に、フリーダの部屋が荒らされる騒動が発生し、ついには殺人事件が起きることになります……が、登場人物も読者も困惑を余儀なくされる、ある種不条理な殺人となっており、その不条理さが少しずつ解き明かされていく過程はなかなかの見ごたえがあります。そして登場した探偵役ウィリング博士が、一連の事件を“ポルターガイスト”――心霊現象ではなく異常心理による行動だと指摘しているのが、精神科医の探偵ならではの大きな見どころといえるでしょう*3

 前述のようにごく狭い範囲での物語で、登場人物もさほど多くはなく、終盤にきたところで容疑者はわずか五人に絞り込まれます。その容疑者たちに対し、その中に一人“ポルターガイスト”――異常心理の持ち主がいることをウィリング博士が宣言することで、“誰がポルターガイストなのか”という一味違った犯人探しの様相を呈するのがユニーク。そこから解決へ向かう前に、あえてワンクッション置くかのように、ウィリング博士の宣言を受けて動揺する登場人物たちが眠れない一夜を過ごす様子が描かれているのが印象的です。

 そして最終章では、ゆったりとした始まりから急転直下、何とも劇的な形で意外な真相が明かされるのが鮮やか。と同時に、それを最後まで隠し通した巧妙なミスディレクションに、思わずうならされます。“最後の決め手”となる手がかりも――個人的に若干気になるところもないではないものの――実に秀逸です。テーマの問題など、好みの分かれる部分もあるかもしれませんが、これまで邦訳されていなかったことが不思議に思える快作。おすすめです。

*1: 作中、前三作の事件に言及された箇所があります(149頁)が、被害者と思しき登場人物の名前が挙げられているだけなので、本書から読んでも問題ないと思われます。
*2: 巻末の「訳者あとがき」では、途中に“本編読了後にお読みください。”と注意書きをした上で本書のテーマが解説されているのですが、その中で同テーマの別の作品にも(作品名を挙げて)言及されているので、気になる方は本編読了後にもご注意ください。
 具体的には、349頁3行目あたりから351頁2行目までが危険ですが、この部分が最も興味深い内容でもあるので難しいところです。
*3: 後の『割れたひづめ』でも“ポルターガイスト”が扱われているので、興味がおありの方は本書と読み比べてみるのも一興ではないでしょうか。

2015.09.30読了  [ヘレン・マクロイ]

その可能性はすでに考えた  井上真偽

ネタバレ感想 2015年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 人里離れた山奥に村を作って数十人で暮らしていた新宗教団体が、首を斬り落とす集団自殺を遂げた。唯一生き残った少女は十数年後、事件の謎を解くために探偵・上苙丞{うえおろじょう}のもとを訪れる。当時幼かった依頼人の記憶では、ともに暮らした少年が彼女を救うため、首を斬り落とされながら彼女を抱きかかえて運んだようだという。奇蹟の存在を証明しようとする異色の探偵・上苙は、あらゆるトリックが成立しないことを立証しようとするが、奇想天外な仮説を引っさげた“敵”が立ちはだかる。はたして、依頼人の体験はトリックによるものか、それとも本当に奇蹟だったのか……?

[感想]
 『恋と禁忌の述語論理』(講談社ノベルス・未読)で第51回メフィスト賞を受賞してデビューした作者による第二作で、デビュー作にも登場した(らしい)探偵・上苙丞と相棒の中国人フーリン(姚扶琳)が主役となっています。その主役二人をはじめ奇矯な人物が次々と登場したり、“推理対決”の中で“その可能性はすでに考えた”が決め台詞に使われたり、といったところが目を引きますが、探偵・上苙の造形――ミステリの探偵役としては特異な志向を生かして、非常にユニークな形式のミステリとなっているのが見どころです。

 これまでにも“奇蹟”を鑑定する立場の探偵役の例はありました*1が、本書の上苙は奇蹟の存在を証明することを目的としているのが異色で、直接証明するのが不可能であるため、あらゆるトリックの可能性を否定していくことで最後に“奇蹟”だけを残そうという、背理法のような手法*2をとっているのが面白いところ。もちろん、現実問題としてすべての可能性を検討することは不可能ですし、実際に作中で提示/否定されるトリックは三つにすぎず*3、“看板に偽りあり”という批判もあり得るかもしれませんが、事件の強固な不可能状況に対して想定できる可能性は多くないと思われるので、必ずしも瑕疵とはいえないように思います。

 というわけで本書は、奇蹟のような謎に対して複数の仮説が提示される“多重解決”の形式になっているのですが、仮説を示すのはあくまでも探偵・上苙の“敵”(対戦相手?)たちであって、探偵たる上苙は仮説を否定する側に立つという、転倒した図式が大きな特徴です。そして、前述のように背理法で奇蹟を証明しようとする上苙に対して、“敵”の方は可能性があることさえ示せれば十分だということもあって、披露される仮説はいずれも蓋然性をまったく度外視した、バカトリックにもほどがある(苦笑)といわざるを得ないものばかりになっているのが強烈*4で、唖然とするよりほかありません。

 かなり非常識な発想のトリックなので、読者がそれに思い至るのはまず不可能ですが、それよりもここで読者が推理すべき“謎”は、“上苙がそれぞれの仮説をどのように否定するか”。依頼人が語った事件の話の中から、細かい手がかりを拾って組み立てられる“否定の論理”は納得できるもので、十分にフェアといえます。つまるところ本書は、トリックの解明ではなく否定する手順に重きを置くことで、ロジック重視の作風とハウダニットの組み合わせにおいて生じ得る、有栖川有栖「除夜を歩く」『江神二郎の洞察』収録)で示された“別のトリック問題”*5を逆手に取ってみせた作品、ととらえることができるのではないでしょうか。

 さて、提示される三つのトリックが鮮やかに否定され、どうなることかと思っていると、そこで思わぬ方向からの“一撃”が用意されているのがお見事。その意外性もさることながら、“解決の否定”に重きを置いた“対〈多重解決〉”ともいうべき形式でしかあり得ない、本書ならではの斬新な趣向となっているのが秀逸です。ただしこの趣向、とある理由であまり好みでない――というのはおいておくとしても、冷静に考えてみるとさほど深刻な事態とはいえない上に、問題の所在も(具体的なところはともかく)おおよそは見当がついてしまうので、作中での扱いがいささか針小棒大に感じられるきらいがあります。

 さらにそこから先が問題で、作者が“そういう方向”で物語をまとめたいのは理解できますし、結末から逆算して考える限りはうまく展開されているともいえるのですが、しかしそこまでの物語との間に齟齬が生じかねない、少々難のある“決着”ではないかと思われます。ということで、終盤にきてやや好みから外れてしまった感があるのが残念ではありますが、印象的な結末も含めて――若干気になるところもあるものの――最終的にはなかなかうまくまとまっていると思いますし、一読の価値のある作品であることは間違いないでしょう。

*1: 霞流一による天倉真喜郎(『赤き死の炎馬』『屍島』『火の鶏』)や、柄刀一によるアーサー・クレメンス(『サタンの僧院』『奇蹟審問官アーサー 神の手の不可能殺人』『奇蹟審問官アーサー 死蝶天国』)など。
*2: ミステリでは、法月倫太郎「三人の女神の問題」『犯罪ホロスコープII 三人の女神の問題』収録)くらいでしょうか。他には、三津田信三『水魑の如き沈むもの』での“一人多重解決”も、背理法に近いものがあるように思います。
*3: 読者に紹介されるのは三つだけですが、上苙が他のトリックも検討していることは、分厚い報告書という形で示唆されています。
*4: しかも、それぞれのトリックにいちいち必殺技めいた名前がつけてあるのが、何ともいえないバカミス感をかもし出しています。
*5: “作中で別のトリックが使われた可能性を消去する方法がない”(『江神二郎の洞察』より)という問題。
 ちなみに 古野まほろ『絶海ジェイル Kの悲劇'94』では“別のトリック問題”を回避するため、“別のトリック”が想定できる余地をあらかじめ周到に排除しておくという“正攻法”がとられているので、興味がおありの方はぜひ。

2015.10.03読了  [井上真偽]
【関連】 『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』

東京結合人間  白井智之

ネタバレ感想 2015年発表 (角川書店)

[紹介]
 男と女が互いの身体を結合させ、四本ずつの手足に四つの眼を持つ結合人間となってから次世代の子を産む、人間だけが特殊な生殖を行う世界。その過程で時おり、一切嘘をつけない結合人間――オネストマンが生まれることになるのだった……。
 少女売春を斡旋していた“寺田ハウス”の三人組は、とある事件の影響で廃業を余儀なくされた結果、孤島でオネストマンの共同生活を撮影してドキュメンタリー映画を制作する計画を立てるが――七人のオネストマンが孤島に漂着した翌朝、島の館に住む親子が死体となって発見される。容疑者の七人は嘘がつけないはずだったが、なぜか全員が犯行を否定して混乱を極める中、新たな犠牲者が……。

[感想]
 食用のクローン人間を題材にした特殊設定ミステリ『人間の顔は食べづらい』でデビューした作者の第二作で、またしても奇怪な特殊設定を導入してグロテスクな作品世界を構築し、その中で怒濤の推理を展開する、前作以上のものすごい怪作です。正直なところ、男女が結合して結合人間となってから子供を作るという設定*1には、生物学的にツッコミどころしかないといっても過言ではない*2のですが、あくまでもミステリのための設定と作者自身が割り切っている節もありますし、設定に無理があるがゆえにグロさや残虐性が強まっている、という点で効果的ではあります。

 「プロローグ」冒頭から何とも異様な性行為の描写が強烈なので要注意(?)ですが、それに続く二部構成の物語本篇の前半――“寺田ハウス”の三人組に焦点が当てられた犯罪小説風となっている「少女を売る」も、少女売春の斡旋だけでなく拉致や変態的な性行為(?)、もはやスプラッターに近い暴行の末の殺人など胸の悪くなるような内容で、かなり読者を選ぶのは間違いないでしょう。しかしその中でも、伏線がしっかり張りめぐらされているのが油断ならないところで、やがて浮上してくる謎が、最後に登場する探偵によって唐突に解き明かされ、ミステリに変貌するのが鮮やかですし、壮絶な真相も印象的です。

 しかし、本書の眼目はやはり後半の「正直者の島」。前半とは打って変わって、登場人物たちが漂着した孤島で思わぬ殺人事件が発生し、容疑者が限定された中でフーダニットが展開される――と書いてみると一見オーソドックスではありますが、設定が設定だけに何ともユニークな“孤島もの”となっています。容疑者たちは全員が嘘をつけないはずが、揃いも揃って犯行を否定することで、オネストマンを装った“ノーマルマン”の存在が明らかとなり、一般的なクローズドサークルでのフーダニットとは一味違う、“正直者と嘘つきのパズル”*3にも通じる奇妙な論理パズルめいた状況が構築されているのが見どころです。

 かくして、当然のように“推理合戦”が展開されて“多重解決”となっている、質量ともに充実した謎解きはまさに圧巻。実際のところ、最終的に明らかになる真相にはある程度見当がつく部分もあるかと思いますが、作者もサプライズを狙っているというよりは、あくまでも“真相をどのように導き出すか”で勝負している印象で、何から何まですべて見抜くのは非常に困難といえるでしょう。矢継ぎ早に起きる出来事で読者に考える余裕を与えないよう構成されている感もありますが、さらりと読み進めて終わりにするにはもったいないほど、(読み終えてからも)考える材料がたっぷり盛り込まれているのがすごいところです。

 「エピローグ」には凄まじく壮絶な結末が用意されており、しばし呆然とさせられますが、いい意味で無茶苦茶な物語にふさわしいのは間違いないでしょう。前作と同じように(?)、視点を変えてみると辻褄の合わない部分があるのはご愛嬌というか、もはやそこまで含めて作者の持ち味といってもいいのかもしれません(苦笑)。色々な意味で前作よりパワーアップした力作であることは確かで、二作目にしてすでに独自の作風を見事に確立したといっていいでしょう。決して万人向けではないと思いますが、おすすめです。

*1: 作中に登場する奇病の“羊歯病”というネーミングからみて、シダ植物の世代交代(→「シダ植物#生活環 - Wikipedia」を参照)などを参考にしたようにも思われます。ただし、“未結者――つまり結合前の人間の身体には、男女の違いがあるよね。性染色体の構成がXYなら男、XXなら女って具合だ。”(17頁)“個々の細胞が融合するわけではなく、二人分の細胞が一個体として再構成されるわけだ。”(18頁)とあるところをみると、未結者も結合人間も核相は複相(2n)のようです。
*2: “男女が結合するには、体内器官を構成している細胞を一度ばらばらに分解して、再結着させる必要がある。”(18頁)というところからして、たとえ可能だとしても、完了までに少なくとも何日もかかりそう(作中ではせいぜい数時間のようですが)とか、免疫系がかなり怪しいことになっていそうとか、色々と引っかかるところはありますし、結合のための専用の器官がない(42頁の記述によれば“腕や足”でも可能)のはどのような進化の結果なのか気になります。また、結合人間となることによる出産時のメリットは挙げられている(17頁)ものの、受精や妊娠のメカニズムがまったく説明されておらず、どうやって子供を作るのか――おそらく自家受精でしょうが、何がきっかけで受精に至るのか、さっぱり見当もつきません。
*3: レイモンド・スマリヤン『この本の名は?: 嘘つきと正直者をめぐる不思議な論理パズル』(日本評論社)などが有名です。

2015.10.10読了  [白井智之]

ザ・リッパー 切り裂きジャックの秘密(上下) Ripped  シェリー・ディクスン・カー

2012年発表 (駒月雅子訳 扶桑社文庫 カ12-1,2)

[紹介]
 ロンドン滞在中のアメリカ人少女ケイティはある日、従兄弟のコリンとその友人トビーとともにマダム・タッソー蝋人形館を訪れ、切り裂きジャック事件の展示を目にする。蝋人形館には、願い事がかなうという“ロンドン・ストーン”も展示されていたが、切り裂きジャック事件のことを考えながらそれに触れたケイティは、切り裂きジャック事件の起きた1888年、ヴィクトリア朝のロンドンにタイムスリップしてしまった。トワイフォード公爵の孫娘ベアトリクスの従姉妹となった彼女は、未来の知識を利用して、切り裂きジャックの凶行を食い止めようと考え、コリンやトビーにそっくりな先祖たちとともに事件の謎を探り始めるが……。

[感想]
 かのジョン・ディクスン・カーの孫、シェリー・ディクスン・カーのデビュー作で、祖父の『ビロードの悪魔』などを思い起こさせるタイムスリップ冒険ミステリです。ミステリとしては(後述する事情もあって)さすがに祖父の代表作と比べるのは少々酷かもしれませんが、現代の活発な少女を主人公に据えて*1、ヴィクトリア朝ロンドンを舞台に切り裂きジャックを追いつめていく、ジュヴナイル風味の冒険譚として十分に魅力的な作品に仕上がっていると思います。

 タイムスリップの機構が、“ロンドン・ストーン”の不思議な力によるファンタジー風、しかも精神だけが時間を遡って同じような境遇の当時の人物に“憑依”する形となっているあたりは、祖父の作品に倣ったものとも受け取れますが、本書では主人公のケイティがアメリカからやってきた少女キャサリンに“憑依”するだけでなく、姉によく似たレディ・ベアトリクスやコリンとトビーの先祖*2まで配され、現代と過去の間で登場人物の共通性(?)を強めてあるのが目を引きます。ややご都合主義の感もありますが、主人公を比較的すんなりと時代に溶け込ませることができるうまい手法であることは確かでしょう。

 先祖のコリンやトビーに助けられながら*3ケイティがなじんでいく当時のロンドンの風俗は、かなり細かいところまで生き生きと描かれており、トビーが何かにつけて多用するコックニーのスラング*4とともに雰囲気を盛り上げていますし、オスカー・ワイルドやブラム・ストーカーらが登場してくるところにもニヤリとさせられます。そのような中にあって、切り裂きジャック事件の概要を歴史上の出来事として知り、テレビドラマ『CSI:科学捜査班』(→「CSI:科学捜査班 - Wikipedia」)で犯罪捜査の知識を身に付けた(!)ケイティは、切り裂きジャックの犯行を阻止しようと奮闘するものの、なかなかうまくいかないのはお約束。

 実のところ本書は、例えばジョセフィン・テイ『時の娘』などのような、歴史上の謎を史実の枠内で解き明かす類の歴史ミステリではなく、(タイムスリップ関連を除いても)かなり大胆に脚色されてはいる*5のですが、しかしあくまでも実際に起きた事件を基にしている以上、ミステリ部分にある程度の制約が課せられるのはやむを得ないわけで、祖父ジョン・ディクスン・カーばりの事件――多くの人がイメージしそうな不可能犯罪など――を期待するのはそもそも無理があります*6。むしろ、その制約の下で作者は、切り裂きジャックのそれなりに意外な正体を演出すべく健闘しているといってもいいのかもしれません*7

 切り裂きジャックの正体と並ぶ本書の大きな見どころは、そちらがついに明らかになった後、ケイティが重大な選択を迫られる終幕です。(一応伏せ字)冒頭の切り裂きジャック展の内容(ここまで)から見当がつく方もいらっしゃるでしょうし、(一応伏せ字)上で触れていない本書のタイムスリップの特徴(ここまで)を考えればある程度予想できる展開ではありますが、某有名な怪奇短編((一応伏せ字)W・W・ジェイコブズ「猿の手」(ここまで))を下敷きにしたところも含めて、よく考えられた印象深い結末といえるのではないでしょうか。ミステリとしてはやや物足りないのは否めませんが、祖父譲りの(?)ストーリーテリングが光る作品です。

*1: これは祖父の作品にはみられなかった点で、本書の独自性となっています。
*2: 容貌が似ているだけでなく名前も同じです。
*3: ケイティが“憑依”するキャサリンが、地元の人間ではなくアメリカからやってきて間もないということで、(ケイティ本人と同じように)当時のロンドン事情をよく知らなくてもおかしくないのがうまいところです。
*4: 例えば、“ラムとコーク”“ジョーク”を意味する(上巻101頁)など(→「コックニー#言い回し、語彙 - Wikipedia」)。
*5: 下巻巻末の「好事家のためのノート」には、“本書で描かれている事件は実際のものとは別物であることをお断りしておきたい。”(下巻407頁)とあります。
*6: その意味で、祖父の作品で本書と比較すべきは、歴史上の事件を扱った『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』なのかもしれません。
*7: やや地味ながら、(以下伏せ字)一連の事件が始まるきっかけが用意されている(ここまで)ところもよくできていると思います。

2015.10.16 / 10.25読了  [シェリー・ディクスン・カー]