シンデレラの罠/S.ジャプリゾ
Piege pour Cendrillon/S.Japrisot
〈探偵=証人=被害者=犯人〉の“一人四役”についてはまず、事件のすべてを知る〈証人〉ともなるはずの“わたし”が、記憶喪失によって自ら“何が起こったか”を探る〈探偵〉の役目をつとめざるを得なくなります。その中で、(ジャンヌと共謀して)ドムニカがミシェルを殺害する計画だけでなく、それを知ったミシェルがドムニカを殺害する計画までもが浮上してくることで、ミシェルでもドムニカでもあり得る“わたし”が、同時に〈被害者〉でも〈犯人〉でもある、という状況が成立しているといえるのではないでしょうか。
“わたし”がミシェルなのかドムニカなのかという謎は最後まで残りますが、物語の結末に至って、突然記憶を回復した娘が警官のオーデコロンを言い当てた上に、“若者は彼女にオーデコロンの名前を教えた。(中略)《シンデレラの罠》という名前を。”
(267頁)と、実にしゃれた形で幕が引かれています。が、しかし……。
“おそらく彼はオーデコロンの名前も、ミッキーに教えたのだろう。けれども(中略)わたしには何も言わなかった――それには名前がなかった。”
(242頁)という記述からすれば、“わたし”はオーデコロンの名前を知らないドムニカではなくミシェルだった、ということになりそうではあります。しかしながら、冒頭で“自分をシンデレラだと思っていた”
(13頁)のはドムニカの方であって、平岡敦氏の「訳者あとがき」で指摘されているように結末が“〈わたし〉の視点から語られたフィクション”
(279頁)だとすれば、“わたし”はドムニカだったということになります。そうすると本書はまさに“究極のリドルストーリー”といえるのかもしれません。
ここで本書の題名について少し考えてみますが、『シンデレラの罠』という邦題は“シンデレラ(物語)の罠”の他に“シンデレラ(人物)の罠”、すなわち作中でシンデレラになぞらえられているドムニカが(ミシェルに対して)仕掛けた罠と解釈することもでき、またそれでも本書の内容にそぐわないということはないように思います。とはいえ、原題の『Piege pour Cendrillon』の方をみると、“シンデレラのための罠”(*)であることがはっきり示されていて、他に解釈の余地はありません。
つまり、本書の題名は“シンデレラ=ドムニカが陥った罠”を指しているわけで、そうなるとドムニカこそが物語の主役=“わたし”であると考えるのが妥当ではないでしょうか。
“シンデレラを陥れる計略”と翻訳されます。
2012.06.26読了