ミステリ&SF感想vol.198 |
2012.08.19 |
『愚者のエンドロール』 『GOTH 夜の章/僕の章』 『言霊たちの夜』 『シンデレラの罠』 『絶海ジェイル Kの悲劇'94』 |
愚者のエンドロール 米澤穂信 | |
2002年発表 (角川文庫 よ23-2) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] デビュー作『氷菓』に続く、〈古典部シリーズ〉の第2弾。“日常の謎”風の小粒な謎を積み重ねてメインの謎につなげるよう構成されていた『氷菓』に対して、本書では堂々“殺人事件”が物語の中心に据えられています――ただし文化祭のための自主制作映画の中の話ですが。というわけで本書は、“殺人事件”を作中作に落とし込むことによって、あくまでも高校生の“日常”の枠内で無理なく“殺人事件”の謎解きを扱うことに成功した、ユニークな作品といえます。
物語は、印象に残る新キャラクターである“女帝”こと入須冬美の依頼で、いわば“問題篇”だけが完成したミステリー(*1)映画に“解決篇”をつけるための“結末探し”に、『氷菓』での謎解きの実績を買われた折木奉太郎をはじめ古典部の面々が協力するという展開ですが、ひとまずはオブザーバーとして、一部のスタッフたちがそれぞれに提示する“解決”が妥当かどうかを判断することになります。すなわち本書では、「あとがき」に記されているようにアントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』にならった、“多重解決”の趣向が採用されています。 “映画の結末探し/『毒チョコ』風味”という大筋は、これも「あとがき」で挙げられている我孫子武丸『探偵映画』にかなり近いのですが、本書では“探偵役”一人一人の趣味嗜好が――さらには“「ミステリー」をどうとらえるか”という「ミステリー」観が、それぞれの“解決”に色濃く反映されているのが興味深いところで、“解決”に合わせて造形されたのではないかとも思える“探偵役”たちのキャラクターも相まってより印象的なものになっていると同時に、ミステリに対する批評的な姿勢が打ち出されている感があります。 それはもちろん、奉太郎ら古典部の面々の映画に対する立ち位置――映画制作の当事者ではなく、提示される“解決”を冷静に“批評”する立場によるところも大きいでしょうが、とりわけ物語の前半においては、ミステリとしての面白さは示される“解決”そのものよりもむしろ““解決”の誤りがどのように指摘されるのか”にあり、“真相解明の決め手”ならぬ“解決否定の決め手”に工夫が凝らされているなど、思いのほかマニアックなところも見受けられます(*2)。 このように、ストレートなミステリというよりも、ミステリ(の形式)を強く意識したメタミステリの性格が強い本書ですが、やがて奉太郎に“探偵役”が回ってくるのは誰しも予想するところでしょう。省エネルギーをモットーとする奉太郎が、“探偵役”を引き受けることになる経緯も見どころですが、前例のあるネタをうまくアレンジした解決もよく考えられています……と思っていると、奉太郎以外の三人――摩耶花、里志、えるにも思わぬ形の見せ場が用意されている、一筋縄ではいかない展開が圧巻です。 (メタ)ミステリとしての面白さもさることながら、特に終盤は青春小説としてもまったく目が離せないものになっており、どちらの面でも鮮やかな印象を残す結末――「エンドロール」はお見事。(『氷菓』よりは若干長いとはいえ)250頁ほどしかない短めの長編ながら、その中で様々な趣向が凝らされている、企みに満ちた傑作というべきでしょう。
*1: 個人的には“ミステリ”表記の方が好みですが、映画に関わる箇所では作中の仮題に従って“ミステリー”と表記します。
*2: マニアックといえば、 “十戒も九命題も二十則も、守ったはずよ”(56頁)という台詞や、撮影の舞台となる劇場の見取図に “途中でかすれて「中村青」までしか読めないが設計士の名前まで載っている”(116頁)といった小ネタも。 ちなみに、 “九命題”は寡聞にして知りませんでしたが、「二十則 十戒 九つの命題 条件」で紹介されています(「『愚者のエンドロール』(米澤穂信/角川スニーカー文庫) - 三軒茶屋 別館」経由で知りました)。また、 “中村青”についてはいうまでもないかもしれませんが、こちらを。 2012.05.23再読了 [米澤穂信] | |
【関連】 『氷菓』 『クドリャフカの順番』 『遠まわりする雛』 |
GOTH 夜の章/僕の章 乙一 | |
2002年発表 (角川文庫 お52-1,2) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
なお、去る2012年6月2日に本書を課題本として「エアミステリ研究会」の読書会が行われました。当日の様子は「エアミス研読書会第18回(乙一『GOTH リストカット事件』)」にまとめてありますので、興味がおありの方はご覧下さいませ。
*1: 普通の高校生を装っている“僕”と違って、森野の方はあからさまに“浮いている”感はありますが。
*2: MKSuzukiさんの、 “(前略)日常の中で普通に人が死ぬ、そんな空気があるのですよね。”(元ツイート)との指摘で気づかされました。 *3: もちろん、若竹七海『ぼくのミステリな日常』の題名を意識したものですが、本書がそちらのような、いわゆる“日常の謎”ではないのはいうまでもありません。 *4: 『GOTH リストカット事件』には、「暗黒系」→「リストカット事件」→「犬」→「記憶」→「土」→「声」の順序で収録されています。 2012.05.28 / 05.30読了 [乙一] |
言霊たちの夜 深水黎一郎 |
2012年発表 (講談社) |
[紹介と感想]
*1: すぐに正しい意味がわかるものがほとんどですが、36頁4行目の台詞などは次のエピソード(93頁6行目)に正解が。
*2: (以下伏せ字)「漢は黙って勘違い」での、“茉莉花茶”のエピソード(ここまで)のこと。 *3: 「フジテレビの韓流問題に関して テレビの偏向を叩くべき」を参照。 *4: これが、(以下伏せ字)「漢は黙って勘違い」ラストのテレビ放送(ここまで)という形で伏線になっているのが秀逸です。 2012.06.04読了 [深水黎一郎] |
シンデレラの罠 Piege pour Cendrillon セバスチアン・ジャプリゾ | |
1962年発表 (平岡 敦訳 創元推理文庫142-06) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 帯にもある
“わたしはこの事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、犯人なのです。”という惹句が有名な本書は、例えばアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』やアントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』などと同じように多くのオマージュ/バリエーションを生み出した、ミステリにおける“原型”の一つというべき作品です(*1)。“原型”であるがゆえに、今読んでみると色々と既視感を覚えるのは否めないところですが、それを割り引いても名作の名に恥じない、よくできた作品であることは確かでしょう。 信頼できない語り手――記憶を失った若い娘を主人公に据えて描かれるアイデンティティの混乱が本書の主題であることは、道具立てなどからも明らかですが、そのあたりはさすがに今となっては定番といえるかもしれません。しかし、一つ一つは情報量のあまり多くない、断片的な記述の積み重ねで読者を引き込んでいく筆力はさすがです。とりわけ、少しずつ語られていく主要登場人物――ミシェル、ドムニカ、ジャンヌ、そしてミドラ伯母さんの関係と、そこに浮かび上がってくる複雑な心理(*2)が印象的。 その、いわば事件の“火種”にあたる部分だけでなく、物語が進むにつれて少しずつ、事件が“どのように起こったのか”も明かされていきます。早くから予想できてしまう部分もあるのは否めませんが、特に中盤以降は思いのほか凝った展開が用意されており、サスペンスとして非常によくできていると思います。そしたまた、前述の〈探偵=証人=被害者=犯人〉という“一人四役”(*3)までどうやってたどり着くか、というのも興味を引かれるところです。 ネタがネタだけに、サプライズがさほどでもないのは確かですが、その読者への見せ方がなかなか秀逸で、しゃれた形の結末にはうならされます。ところが、新訳版巻末の平岡敦氏による「訳者あとがき」――その中で示されている本書の読み方には、目から鱗が落ちた思い。それを踏まえて読み返してみると、どこまでも一筋縄ではいかない作品というよりほかなく、感想を書くのも難しいのがアレですが(苦笑)、やはりおすすめの傑作です。
*1: 平岡敦氏の「訳者あとがき」で挙げられている綾辻行人「四〇九号室の患者」(『フリークス』収録)や鯨統一郎『ふたりのシンデレラ』の他に、例えば山田正紀『翼とざして』などもそうですし、(言及されていたかどうかは思い出せませんが)“一人八役、二人十六役”という高原伸安『予告された殺人の記録』なども本書を意識したものであることは間違いないでしょう。
*2: 過去がおとぎ話のように綴られたプロローグ的な部分(「わたしは殺してしまうでしょう」)でもすでに、どこかいびつで不健全ともいえるその一端は表れています。 *3: もっとも、「訳者あとがき」でも指摘されているように、最初から“一人四役”を狙って書かれたものではないような印象を受けるのは確かです。 2012.06.26読了 [セバスチアン・ジャプリゾ] |
絶海ジェイル Kの悲劇'94 古野まほろ | |
2012年発表 (光文社) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 『群衆リドル Yの悲劇'93』に続いてイエ先輩を探偵役とするシリーズ第2作。“雪の山荘”をはじめ本格ミステリのガジェット盛り沢山だった前作から一転、ジャック・フットレル「十三号独房の問題」やジャック・フィニイ『完全脱獄』などの系譜に連なる脱獄ミステリ――厳重に閉ざされた監獄という“不可能状況”から“いかにして脱出するか”を扱った作品となっていますが、そこには作者らしい独特の過激さが見受けられます。
物語はかなりシンプルで、発端からイエ先輩が虜囚となるまで一気呵成。監獄の施設や警備状況、果ては総勢5名とはいえ囚人たちまで――祖父・清康の代役であるイエ先輩に加え、唯一の生き残りである大炊御門侯爵や、他の囚人たちの子孫まで誘拐して――当時を再現するなど、首謀者の執念には凄まじいものがありますが、自ら当時の監獄長に扮してサディスティックな責めを加えるあたりは戦時中の亡霊に取り憑かれたかのよう。かくしてイエ先輩は、似つかわしくない屈辱的な仕打ちを受けながらも、他の囚人たちの命も背負って“脱獄パズル”に挑むことになります。 脱獄に限らず、いわば“ミッション・インポッシブル”的な“不可能状況”の攻略をテーマとした作品(*1)は全般的に、ハウダニットの視点と時制をずらして倒叙ミステリ風に仕立てたものととらえることもできるように思いますが、本書の場合は過去の再現という“縛り”がかけられていることで、完全にハウダニットになっているのがユニークなところ。そして、残された手がかりに基づいて清康の手口を解き明かしていく過程が、イエ先輩にとってはそのまま、会ったことのない祖父・清康の人となりを知ることにもつながっているところが、物語としてよくできていると思います。 ハウダニットでありながら「読者への挑戦状」が用意されているのが作者らしいところですが、全編にばらまかれた膨大な手がかりをつなぎ合わせて論理的に導き出される突拍子もない真相(*2)には、唖然とさせられつつも苦笑を禁じ得ないところがあります。ただし、好みが分かれるのは間違いないとしても、“常識ではあり得ない”や“常人には不可能”というのは(少なくとも本書については)批判として無力ではないでしょうか。というのも、(たとえ“ゼロ近似”であったとしても)“蓋然性が低い”というだけでは論理的に否定はできないのに加えて、イエ先輩(や清康)をあからさまに常人離れした能力の持ち主としてあるからです。 ハウダニットを論理的に解き明かそうとすれば、所定の容疑者を絞り込んでいって犯人に到達するフーダニットとは逆に、不可能の中に見出される唯一の可能性を積み重ねていく形にならざるを得ない(*3)わけで、厳密であるほど唯一可能な手段が見えやすくなるのは否めません。それでもなお読者に真相を容易には見抜かれないようにするための方策の一つとして、(数多くの手がかりに支えられつつも)読者が想定しがたい手段――常識的には蓋然性が低いがゼロではない――を持ってくるというのは、十分に理解できる戦略です。 そしてそれを成立させるために、イエ先輩と清康の“天才”が前面に出されているというか、“蓋然性がゼロでないことならば(ほぼ確実に)実現できる”という常人離れした能力が、一種の“特殊設定”として扱われているようにも思われます。超人的な能力ではあるものの、例えば“テレポーテーションで密室から脱出した”ような安直なものとは違って、“常人離れしたレベルで何ができるか”が綿密に組み立てられており、超人レベルのハウダニットといっても過言ではないかと思います。 要領よくまとめられた怒涛の謎解きの果てには、もう一つの「読者への挑戦状」に対応する真相も用意されており、それが印象に残る幕切れにつながっているところもよくできています。全体的にみると、前作よりもさらに独自の路線を突っ走っているようで、受け入れがたいという方も多いのではないかと思われますが、とにかく尖鋭的な作品であることは間違いないでしょう。個人的には大いに楽しませてもらいました。
*1: 例えば、ジャック・フィニイ『五人対賭博場』や山田正紀『火神を盗め』などをおすすめしておきます。
*2: さすがに一部は予想しやすいものになっていますが。 *3: ハウダニットの初期状態――どのように実行したのかわからない――が一般的に不可能状況とみなすことができる一方で、前述のように“蓋然性が低い”というだけでは否定できない、すなわち消去法があまり使えないということもあります。 2012.06.30読了 [古野まほろ] | |
【関連】 『群衆リドル Yの悲劇'93』 |
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