曲がり角の死体/E・C・R・ロラック
Death at Dyke's Corner/E.C.R.Lorac
被害者が自動車事故の前に一酸化炭素中毒で死んでいたという状況は不可解で魅力的ですし、車が大破したせいで排気管に細工されていたかどうか不明なところもよくできているのですが、その割には“別の場所で殺されてから運ばれた”可能性が比較的早い段階で持ち出される(*1)上に、ラングストンの“車のなかには排気ガスが充満していました。”
(24頁)という証言との矛盾もあまり重視されていないのが少々もったいなく感じられます。
もっとも、“車内にまだ残っている、むっとする空気が意識された。”
(16頁)や“車内の熱い空気のなかに”
(17頁)のように、地の文では“フェア”な記述がされているために、わかりやすくなっているのは確かでしょう。実際、ここで排気ガスの匂いにまったく言及されないのは疑問の残るところで、前述のラングストンの証言が唐突で浮いているようにさえ感じられます。その後に“衣服がガスくさかった”
(47頁)のような記述もあるものの、“車内には排気ガスが充満していた――排気ガスのにおいがしたと述べています。”
(いずれも47頁)と、証言を訂正するかのような書き方がされていることも、トリックを暗示してしまっている感があります。
ということで本書では、排気ガスの匂いを利用してガスが充満していると見せかけるトリックが使われているのですが、前述の理由に加えて、同じ原理のトリックが後続の他の作家による作品で知られている(*2)こともあって、あまりインパクトがないのは否めません。とはいえ、戦時下ならではのガスマスクが使われたとするシェントンの仮説(154頁)がよくできていますし、さらに(現代の読者にはわかりづらい特殊な知識ではありますが)実際には通常のガスマスクは役に立たない(307頁)というひねりが加えられている――そしてそれが犯人の正体につながる――のが面白いところです。
さて、終盤の火事騒ぎの中、ボウルズの家でマクドナルド首席警部が犯人と対決する場面には、“あんたは推理がうまい。気の毒なボウルズよりもずっと。ばかなやつだよ。いらんところに鼻を突っ込んで。ボウルズはもう推理することもない……”
(279頁)と、犯人がボウルズではない(シェントンである)と見せかけるトリックが仕掛けられています。火事場の混乱の中で、逃げ出したのがシェントンだとストークスが思い込み(255頁)、それを受けてマクドナルドも犯人に“シェントン!”
(279頁)と呼びかけているので、その思い込みを利用しようと犯人が考えるのも理解できます。
しかしその後の、“気の毒なボウルズ……ボウルズのことは大好きだった……”
(283頁)は、犯人が負傷して意識を失う間際だということもありますし、また内容自体もボウルズ自身のことを言っているにしてはいくら何でも不自然にすぎるので、まったくいただけません。加えて、その直前にボウルズの暗室が犯行現場だったことが示唆されている(*3)ため、この期に及んでボウルズではなくシェントンが犯人とは考えにくくなっていることもあり、もはやトリックの効果もあまり期待できないと思うのですが……。
“鍵のかかった車庫に閉じ込めて排気ガスを送り込んでも、似たような死に方をするんですよ。”(122頁)。
*2: 例えば国内作家(作品名)泡坂妻夫(ここまで)の長編(作品名)『妖女のねむり』(ここまで)など。
*3:
“ボウルズの暗室{ダーク・ルーム}だ……。(中略)――まるで車庫のような――排気ガスのにおいが。”(281頁)。
2016.02.14読了