アンデッドガール・マーダーファルス1
[紹介]
人間に混じって様々な怪物たちが跋扈する十九世紀末のヨーロッパ。人間が忌避する怪物絡みの事件を専門に扱う探偵・輪堂鴉夜と、奇妙な鳥籠を持ち歩く助手・真打津軽が、奇怪な事件の謎を解き明かす……。
フランスの国境近くの街に暮らし、人間の生き血を吸わないと宣誓した人類親和派の吸血鬼が、銀の杭に貫かれて惨殺される。吸血鬼ハンターの仕業かとも思われたが、輪堂鴉夜は七つの疑問点を見出して……。
ブリュッセルで人造人間の研究をしていた博士が、密室で首なし死体となって発見される。死体とともに現場に閉じ込められていた人造人間は、生まれたばかりで事件の記憶がなく、切られた首は見つからない……。
[感想]
デビュー作『体育館の殺人』に始まる学園ミステリ〈裏染天馬シリーズ〉から一転、本書で幕を開ける青崎有吾の新シリーズは意外にも、異形の怪物が存在するパラレルワールド風の十九世紀末ヨーロッパを舞台とした伝奇色の強いミステリです。吸血鬼などおなじみの怪物たちが登場し、数々の(怪しげな)有名人たちも物語に絡んでくる気配を見せる中、力点は風変わりな探偵と助手が遭遇する奇怪な事件に置かれ、設定を生かした謎と解決が光る快作に仕上がっています。
「第一章 吸血鬼」・「第二章 人造人間」と、二つの独立した事件が扱われた本書は中編集のような形ともいえますが、輪堂鴉夜と真打津軽の出会いがいわくありげに描かれた「序章 鬼殺し」に始まり、事件と並行して探偵たち自身の物語――奇矯な人物像はもとより、その正体、過去、そして思惑が、少しずつ明かされていくのが興味深いところで、印象的なキャラクターが織り成す(題名にも含まれている)“笑劇{ファルス}”(*1)――ただしややブラックな――は、実に魅力的です。
「第一章 吸血鬼」での事件は、一見すると何の変哲もない(?)“吸血鬼殺し”のようにも思えますが、それに対して輪堂鴉夜が七つもの疑問点を列挙してみせるのがまず目を引くところで、それを成立させる謎や状況の作り方/見せ方が巧妙といえるでしょう。そして、〈裏染天馬シリーズ〉とは一味違った、しかしこちらも見ごたえのある推理によって解き明かされる真相、とりわけ吸血鬼の特性と巧みな状況設定に支えられたハウダニットが非常に秀逸です。
「第二章 人造人間」では、メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』ばりの人造人間が登場し、被害者の死体とともに閉じ込められたカーター・ディクスン『ユダの窓』風の密室状況となっています。密室トリック自体は比較的早い段階で解明されるのですが、そこから先が大きな見どころで、事件を担当する警部との“推理対決”にもニヤリとさせられます。真相は少々わかりやすいきらいもありますが、それでもなかなかユニークだと思いますし、それを受けた結末も印象的です。
本書の最後では、探偵たちが探し求める宿敵の正体がついに明らかになり、思わぬ大物の登場に“引き”は十分。ということで、次巻(*2)も大いに楽しみなシリーズです。
2015.12.26読了 [青崎有吾]
【関連】 『アンデッドガール・マーダーファルス2』
桜と富士と星の迷宮
[紹介]
風光明媚な〈日本桜富士館〉では、星野伝蔵が世話人役となって〈富士と桜を愛でる会〉が定期的に催されていた。美しい風景を楽しみながらたわいもない雑談にふけるメンバーたちだったが、会には一人ずつ旅に出なければならないというルールがあった。そして帰ってくる旅人たちは〈日本桜富士館〉を目の前にして、次々と不可能殺人の犠牲になってしまう。どこから見ても無傷なのに突然倒れて死ぬ者、自在に飛び回る“天狗”に襲われる者……すべては会と対立するスターン大佐の差し金なのか。名探偵が解き明かす真相は? そしてその先に待ち受けるものは……?
[感想]
『八王子七色面妖館密室不可能殺人』以来およそ二年半ぶり(*1)となる、“倉阪流バカミス”の最新作。毎回とんでもない労力がかけられている上に、次第にハードルが上がってきていることもあって致し方ないとはいえ、カバー袖の著者の言葉に“いささか限界を感じてきました”
とあるように、本書で打ち止めの気配が漂っている(*2)のがさびしいところではあります。が、これまた著者の言葉どおり、バカミスの集大成というべき作品に仕上がっているのは間違いないでしょう。
『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』以降の(*3)“倉阪流バカミス”でおなじみ、“例の仕掛け”がメインになっているのはもちろんですが、本書では〈○○〉がかなりわかりやすくなっているのが特徴で、“訓練された読者”であれば大半の〈○○〉に気づくことも可能です。それは決して瑕疵ではなく、読みながら〈○○〉を自力で探す楽しみが今まで以上に前面に出ている、ととらえるべきでしょう。と同時に、〈○○〉によって“何がどのように表現されているか”が注目すべきところで、(一応伏せ字)“動き”まで取り入れて(ここまで)描き出される“それ”は、“技術点”はもちろん“芸術点”も高いと思います。
〈○○〉がわかりやすくなっている結果として、真相もある程度までわかりやすくなっている感がありますが、ここで興味深いのが、以前は“〈○○〉と称しながらも(中略)○○としてまったく機能していない”
(*4)状態だったのが、本書ではついに一周回って(?)〈○○〉が○○として機能するようになっている点で、一連の作品を読んできた読者としては、ある種感慨のようなものさえ覚えます。いずれにしても、“倉阪流バカミス”は基本的に、(可能ならば)突拍子もない真相の一部を早めに見抜いておいて、作者が真相を隠そうとしている綱渡りの描写をニヤニヤしながら楽しむのがおすすめです。
真相が少しずつ解明されるにつれて、物語が次第に姿を変えていく――そして(若干気になるところはあるものの)味わい深い物語が展開されるのも見どころですが、前述の〈○○〉から離れた“もう一つの大きな謎”が最後まで残されるのも面白いところです。そして、それがついに解明された後、最後に伏線が回収されて鮮烈な余韻を残す結末は、実に見事といわざるを得ません。他に比べるもののない唯一無二の作風を、さらに独自の方向へ極限まで研ぎすませた作品、といったところでしょうか。
*2: 島田荘司監修「本格ミステリー・ワールド2016」(南雲堂)の「作家の計画・作家の想い」には、
“構想がほぼまとまっている「北十字館南十字館連続炎上(仮)」はことによると幻の作品になってしまうかもしれない。”(同書94頁)とあり、何とか実現にこぎつけてほしいところですが……。
*3: それ以前の『四神金赤館銀青館不可能殺人』と『紙の碑に泪を』は、(やや)方向性の違った趣向となっています。
*4: 『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』の感想より。ちなみにこれは、まったくけなしているわけではありません。
2016.01.09読了 [倉阪鬼一郎]
図書館の殺人
[紹介]
期末試験が始まって落ち着かない雰囲気の風ヶ丘高校。試験勉強をしようと最寄りの風ヶ丘図書館に向かった袴田柚乃は、殺人事件捜査のアドバイザーとして呼び出された裏染天馬と出会う。なぜか夜間に閉館後の図書館へ忍び込んだ男子大学生が、山田風太郎『人間臨終図巻』で頭を殴られ、奇妙な二つのダイイングメッセージを残して死んでいたのだ。しかも、被害者の他にもう一人襲われた人物がいたことが判明し、自体は混迷をきわめる。被害者の従妹で天馬と同学年の城峰有紗が、事件に関して何かを知っている様子なのだが……。
[感想]
短編集『風ヶ丘五十円玉祭りの謎』を間に挟んで、長編としてはシリーズ第三作となる本書では、『水族館の殺人』に続いて学校外での殺人事件が扱われています(*1)が、図書館を利用していた風ヶ丘高校の生徒を事件関係者に据えることで、本来は事件と無縁な校内の日常をうまく物語に取り込んであるのが目を引きます。“日常”とはいえ、新聞部の企画で一大イベントに仕立てられた夏休み明けの期末試験(*2)に校内は奇妙な盛り上がりを見せ、その中にちょっとしたコン・ゲーム風の展開(*3)も用意されるなど、そちらからも目が離せません。
さて事件の方は、閉館後の図書館に忍び込んだ大学生が殺害された不可解な事件で、本による撲殺となっているのが“図書館の殺人”らしいところですが、凶器は(いわゆる“煉瓦本”どころではなく)殺傷力の高い(?)函入りの単行本、しかも山田風太郎『人間臨終図巻』(*4)というあたりがよく考えられているというか何というか。加えて、事件に関わる重要な要素として『鍵の国星』という(架空の)本の存在が浮かび上がり、ダイイングメッセージにもこれまた(架空の)『ラジコン刑事{デカ}』なる本が使われるなど、まさに本が主役のミステリといったところです。
そのダイイングメッセージを解明するために呼ばれた裏染天馬が、いきなり“ダイイングメッセージなんかに着目して何がわかるっていうんです?”
(90頁)と言い放つ、ダイイングメッセージものとしてはひねくれた扱いが本書の大きな見どころ。多義的なメッセージの解釈は、どれが“正しい”のか論理的に決定することができない(*5)ため、裏染天馬の手法にはそぐわないものがあるのですが、本書では“ダイイングメッセージから犯人にたどり着けない”ことを推理でしっかり示してあるのがお見事。かくして、ダイイングメッセージの解釈を“迂回”する形で推理が進められつつも、最終的には意外な形の手がかりとして使われるところがよくできています。
順序が前後しましたが、『水族館の殺人』と同様の怪しげな実験も交えながら、数々の手がかりを拾い上げて“犯人が何をしたのか”を徹底的に解き明かしていく手法は健在で、今回は特にカッターの折れた刃先という、これ以上ないほど細かい手がかりから導き出されていく推理が圧巻です。その一方で、今回は二重の意味で(?)いつもとは一味違う謎解きの手順となっているのが見逃せないところで、(シリーズ恒例の)裏染天馬が推理の進み具合をほのめかす台詞にも表れていますし、終盤の物語の演出と合わせて非常に効果的なものになっていると思います。
犯人を特定する謎解きの場面はいつものように鮮やかですが、本書ではその後に“残された謎解き”が行われる一幕が、“最後の一撃”風の演出も相まって実に印象的。最後には事件と無関係に、期末試験の愉快な結末が描かれるとともに、裏染天馬の過去が匂わされる次作への“引き”が用意されたエピローグも置かれていますが、やはり事件の幕切れこそが本書随一の名場面といっていいのではないでしょうか。いずれにしても、シリーズへの期待を裏切らない傑作であることは間違いありません。
*2: 風ヶ丘高校は
“二学期制”(27頁)となっています。
*3: 特にこの部分、前作までを読んでいないと人間関係が少々わかりづらいところがありますので、シリーズの発表順にお読みになることをおすすめします。
*4: 「青崎有吾 〈裏染天馬シリーズ〉最新刊、2016年1月刊行 直前情報その2|今月の本の話題|Webミステリーズ!」によれば、
“函入り、布張りの豪華本で、横160ミリ×縦225ミリ、×束(幅)35ミリ、重さ900g”とのことです(リンク先には本の画像もあります)。
*5: このあたりの認識と扱いは、麻耶雄嵩「氷山の一角」にも通じるところがあります。
2016.02.04読了 [青崎有吾]
【関連】 『体育館の殺人』 『水族館の殺人』 『風ヶ丘五十円玉祭りの謎』
曲がり角の死体 Death at Dyke's Corner
[紹介]
豪雨の夜、急カーブの続く難所ダイクス・コーナーで起きた自動車の衝突事故。カーブに停車していた車にトラックが衝突し、大破した車の運転席では著名な実業家モートン・コンヤーズが死んでいるのが発見される。しかし検死の結果、コンヤーズは衝突事故の数時間前に、排気ガスを吸って一酸化炭素中毒で死亡していたことが判明したのだ。何者かが車の排気管に細工したのか、それとも……? さらに関係者には匿名の手紙が送りつけられ、事態が混迷を深める中、ロンドン警視庁から派遣されたマクドナルド首席警部は地道な捜査を続けるが……。
[感想]
創元推理文庫からは三作目の紹介となるロラックですが、『悪魔と警視庁』と『鐘楼の蝙蝠』がロンドンでの物語だったのに対して、本書ではロンドンを離れた田舎町が舞台とされ、難事件解決のためにマクドナルド首席警部が派遣される形となっています。田舎町ならではというべきか、物語の背景には、現代的なスーパーマーケットの進出をもくろむ実業家と昔ながらの地元の商店主たちとの軋轢が横たわり、現代にも通じる一種の社会問題が扱われているのが興味深いところです。
作者の持ち味である発端の謎の魅力は本書でも健在で、まずは豪雨の夜に危険なカーブで起きる自動車事故の様子がスリリングに描かれ(*1)、大破した車の中からは一酸化炭素で死んだ被害者が出てくるという具合に、読者を引き込む魅力十分の発端となっています。もっとも、せっかくの不可解な謎があまり効果的に生かされることなく、少々もったいなく感じられるのが作者らしいというか(苦笑)、一部の謎をクローズアップするよりも事件全体を見据えて、事件に至るまでの被害者の足取りをはじめとして“何が起きたのか?”を一つ一つ調べ上げていく過程の方に重点が置かれています。
公私ともにトラブルを抱えていた被害者に恨みを持ちそうな人物も多い中、予断を持って捜査に当たる地元警察との捜査方針の食い違いが生じるあたりなど、やはりロンドンでの事件とは勝手が違う印象もありますが、マクドナルド首席警部の地道な捜査が中心となっていくのはいつもの通り。しかし、捜査陣の側に視点が固定されているわけではなく、マクドナルド首席警部の目の届かないところで、関係者たち――例えば被害者の息子や妻、あるいは地元の商店主たちが、事件を受けてそれぞれに動く様子がしっかりと描かれ、物語に厚みが加わっている感があります。
とはいえ、例によって発端以外はだいぶ地味な感じ……と思っていると、終盤が近づいたところで一転して派手な展開の連続となるのが、ロラックの作品としてはかなり異色(*2)といえるかもしれません。関係者の一人が行方不明になったのを皮切りに、あれよあれよという間に思わぬ形で町全体を揺るがす大騒動が発生し、最後にはマクドナルド首席警部が格闘を繰り広げるにまで至る怒涛の展開は、本書の大きな見どころの一つといってもいいのではないでしょうか。
真相が判明する直前に少々怪しげな記述があるのが気になりますが、真相そのものはまずまず面白いと思いますし、細かい手がかりをもとにして“何がどのように起こったのか?”をじっくり解き明かしてく解決篇もなかなかよくできています。帯の背の部分にある“大胆かつ巧緻なパズラーの快作”
という惹句は正直持ち上げすぎだと思いますが(苦笑)、それなりの面白さを備えているのは確かで、ロラックを読むなら本書からがいいかもしれません。
2016.02.14読了 [E・C・R・ロラック]
ぐるりよざ殺人事件 セーラー服と黙示録
[紹介]
ヴァチカン直轄の探偵養成学校・聖アリスガワ女学校の恒例行事、春期研修旅行。ところが、島津今日子・古野みづき・葉月茉莉衣の三人が属する班では、目的地への移動途中に不慮の事態が発生する。次々と倒れた七人の生徒たちが意識を取り戻すと、そこは目的地とは別の場所――大戦中から半世紀近く閉ざされた村、恐るべき落ち武者伝説の残る鬱墓村だった。村人たちは全員がカトリックを深く信仰し、十戒を厳守するがゆえに殺人など起こり得ないはずだったが、生徒たちの出現を機に連続見立て殺人が発生する。ホワイダニットの葉月茉莉衣、ハウダニットの古野みづき、そしてフーダニットの島津今日子が解き明かす真相は……?
[感想]
『背徳のぐるりよざ』を文庫化に際して改題した、『セーラー服と黙示録』に続く〈聖アリスガワシリーズ〉〈セーラー服シリーズ〉第二作。作中の時系列では本書の方が先になるので、本書から読むこともできるのですが、どちらかといえばやはり素直に刊行順に読む方がいいのではないかと思われます(*1)。
全寮制のミッション系探偵養成学校を舞台とした前作から一転、今回は春期研修旅行――数人ずつの班に分かれて現地課題の探偵劇に挑む――で奥三河の閉ざされた村に舞台が移ります。前作の試験問題同様に手ごわい事前課題や、現地課題のための(やけに分量のある(*2))添付資料が挿入され、探偵養成学校らしさがうかがえる一方、学園を離れて“自由”に浮かれる生徒たちの様子は微笑ましいものもあります。しかしそれも束の間、目的地への道中で意識を失った生徒たちは、目覚めた途端に本物の殺人事件に出くわし、探偵劇ならぬ“実戦”に臨むことになる――という序盤の展開がまずスリリングです。
そして、舞台となる鬱墓村の設定が非常に魅力的です。大戦中に外界への道が陸軍により封鎖されて出入りが不可能(*3)となっているのがまず大きな特徴で、人々が終戦も知らないまま半世紀近く(*4)の間、時が止まったような生活を送る村の様子が印象的。加えて、全員が敬虔なカトリックの信者である村人たちが、外界より遥かに厳しく十戒を守っているのがもう一つの特徴で、“汝、殺すなかれ”
はもちろんのこと、“汝、偽証するなかれ”
により嘘をつくことすらない――いわば“正直族”の村であって、起こるはずのない殺人事件に村人たちは全員が犯行を否定するという、“異世界本格”としても実にユニークな状況(*5)が構築されています。
カトリックの村とはいえ、因習の残る閉鎖的な世界は明らかに横溝正史テイストとなっており、聖歌を題材にした見立て殺人が起こるのも舞台にふさわしいといえます。また、奇しくも前述の事前課題が見立て殺人に関するものであり、実際に見立て殺人に遭遇したことを機に、ミステリに詳しくない一年生の要望で島津今日子が行う〈見立て殺人講義〉が大きな見どころで、“見立て”の概要に始まり、事前課題に絡めて“トリックとしての見立て殺人”と“演出としての見立て殺人”を定義し……といった具合に、非常に興味深いものがあります。一方で、見立て殺人の本質として事件は連続殺人に発展し、生徒たちは窮地に追い込まれることになります。
そこでいよいよ始まる、総計100頁を超える大ボリュームの“解決篇”はまさに圧巻です。三人の探偵が別々に分かれて謎解きを行う前作からすると、一堂に会した関係者の前で謎解きが行われる本書はオーソドックスな形に近いといえますが、前作よりもホワイダニット・ハウダニット・フーダニットが入り組んだ謎を可能な限り切り分けて、役割を分担した三人の探偵が順次推理を披露する趣向はやはり面白く、また見ごたえがあります。サプライズという点では、最初の葉月茉莉衣によるホワイダニットが最も強烈だと思いますが、前作同様に“どのように解明されるか”が重視されているのは明らかで、いずれの謎解きも非常によくできています。
実のところ、“解決篇”の内容をみると、三人の探偵は担当部分以外の真相まで見抜いている節があり(*6)、それを踏まえると、彼女たちが動機・手口・犯人といったそれぞれの謎について“得意とする”のは“真相を見抜くこと”というよりも、それぞれの真相について“論証すること”――まさに論述式の解答――といえるのではないでしょうか。それが最も顕著に表れているのが島津今日子によるフーダニットで、犯人を“解明”して名指しするにとどまらず、最終的には名指しした人物が犯人であることを“証明”する手順へと移行し、実に鮮やかな論証をみせてくれます。このあたりは、主人公たる島津今日子の、ひいては作者の真骨頂といえるでしょう。
かくして事件の真相が解明された後、“アレ”の凄まじいパロディともいうべき壮絶な終幕が訪れる中、閉ざされた村からの脱出行には、伝奇小説や冒険小説風の味わいとともに暗号ミステリの要素まで盛り込まれ、サービス満点といったところです。全編を通じて膨大なアイデアが盛り込まれ、かつ細部まで練り込まれた、大満足の傑作です。
*2: 文庫版で7頁半もの分量があります。
*3: とはいえ、生徒たちが鬱墓村に“出現”した以上、隠された経路が存在することは明らかなわけですが。
*4: 作中の年代は1991年となっています。
*5: 本書より後の作品ですが、白井智之『東京結合人間』で似たような状況が扱われており、読み比べてみるのも一興ではないでしょうか。
*6: ホワイダニットの葉月茉莉衣は犯人と手口(の少なくとも一部)を、ハウダニットの古野みづきは犯人を、そしてフーダニットの島津今日子は動機と手口の少なくとも一部を見抜いていることが、それぞれの“解決篇”の内容から読み取れます。
2016.02.22読了 [古野まほろ]
【関連】 『セーラー服と黙示録』 『ねらわれた女学校』 『全日本探偵道コンクール』