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紫雲の怪/R.ファン・ヒューリック

The Phantom of the Temple/R.van Gulik

1966年発表 和爾桃子訳 ハヤカワ・ミステリ1809(早川書房)
(前略)べつべつの事件が三つあると思っていた。ほぼ一年前にさかのぼるのがふたつ。勅使の黄金盗難事件と、翠玉なる女の謎めいた伝言だ。その前夜に起きた三つめが、荒れ寺の僧三殺しというわけだな。(中略)どれも同じひとつの事件だ、諸君。ただ、枝分かれが多いだけだ! すべては勅使の黄金盗難から始まった。あの盗まれた黄金五十錠が蜘蛛の巣さながら複雑怪奇にすれちがう人間模様を編み上げた。(後略)
  (145頁~146頁)

 ……と、物語終盤に狄判事が述べていますが、三つの事件が一つにつながることが読者には十分に予想できるとはいえ、黄金盗難と僧三殺しはともかく、翠玉の伝言がどのように絡んでくるかは、やや予想しがたくなっています。実際のところは、三つの事件をつなぎ合わせるのは紫雲寺という舞台だったわけで、その意味では『The Phantom of the Temple及び紫雲の怪』という原題・邦題ともによくできているのではないかと思います。

 ちなみに私の場合には、「図版目次」の頁に記された“原著者註:蘭坊略図は口絵に、女中描く荒れ寺の見取り図は本文124頁にそれぞれ記載。”を読んで124頁の見取り図を確認し、そのすぐ後に琅玕璧の図(20頁)を目にしたために、図形の相似に気づいてしまいました*1玕。

 物語の中心となる黄金盗難事件は、上に引用した狄判事の台詞の通り、数多くの人間が絡んで複雑怪奇な状況になっており、相関図を描いてみようとしたものの挫折してしまいました。
 まず、黄金を手に入れようとした李珂{リーコー}とミンアオ(←漢字表記は断念)、僧三{センサン}と楊磨徳{ヤンモウデ}、坊主と多羅{ターラー}の三組が、いずれも最終的には仲間割れしているところが目を引きます。
 また、そもそもは楊を頼ろうと紫雲寺を訪れただけの翠玉が、李珂に口を封じられた後、その場面を目撃した多羅から話を聞いた坊主の計画に組み込まれ、さらに呉{ウー}夫妻に容疑がかかる一因となるなど、結果的に事件の中で大きな役割を果たしているのも印象的です。加えて、翠玉を探すために行われた失踪人調査の結果の中で、ミンアオの失踪が示されている(32頁)という、巧みな伏線の配置も見逃せません。
 狄判事が七枚の札に容疑者の名前を記す場面(145頁~153頁)はやはり圧巻です。李玟{リーマイ}や庵主については少々無理筋ですし、総じて人間関係が複雑に絡み合いすぎている*2という印象も受けるのですが、それでも狄判事がそれぞれの容疑者について(それなりに)整合性のあるストーリーを組み立てる多重解決風の展開は見ごたえがあります。さらにその中で、“楊の札は李珂の上に置き”(151頁)とヒントが示されているのが秀逸です。

 断首された死体については、首と胴体のすげ替え――二重殺人がすぐに明らかになっています。狄判事の慧眼に感心させられるのは確かですが、“「……裏の木立に埋める。(後略)」/首布で生首を包むさまを見ても(後略)(11頁)という冒頭の一幕で読者にはもう一つの首の存在が示唆されていることもあり、せっかくの(?)首切りがミステリ的に今ひとつ生かされていないように思われました。
 しかし、楊と李珂の入れ替わりという真相が明かされてみると納得。要するに、典型的な“顔のない死体”トリックに別人の生首を組み合わせることで、二重殺人を隠蔽するために首が切断されたとミスリードするトリックだったわけで、二段構えの仕掛け*3はなかなか巧妙だといえるのではないでしょうか。

 黒檀小箱の(偽)伝言を使った坊主の計画は、李珂に対しては不発に終わったものの、その小箱が狄判事の手に渡って有効利用(?)されているのが面白いところです。
 狄判事が指摘しているように、“巳年”と書いてしまったのはやはり致命的。これに関して、年が変わってから仕掛けたものならばうっかりそう書いてしまったのも理解できなくもないと思い、読み返して日付を調べてみたのですが……坊主は最後にあくる日、おれが李んとこにやったのはやぶにらみ、昔からの手下だ。”(170頁)と述べていて、前後の文脈から多羅が翠玉殺しを目撃した翌日を指しているようなのですが、その日はまだ九月十一日ですから書き付けの“巳年九月十二日”(21頁)と矛盾します。
 ちなみに、作中の季節は明らかに夏であり(13頁など)、李珂になりすました楊は“半年ほど前、ある乞食の老人から”(118頁)買い取ったと述べていますから、やはり年が変わってからの出来事とも考えられるのですが……。

*
若き夫人が応対に出て
旧き傷心未だに癒えず
  (94頁)

 という対聯が掲げられた第12章では、狄判事の第三夫人が呉夫人の話を聞いた後に涙を浮かべています(100頁)が、これは第三夫人の辛い過去*4によるものです。

*1: 図版中の手がかりは、シリーズに前例((以下伏せ字)『雷鳴の夜』(ここまで))もあることですし。
*2: 例えば、ミンアオがかつて呉夫人と同棲していたというのは、少々やりすぎではないかと思います。
*3: 僧三は背中に派手な刺青を入れていたのですから、首と一緒に見つかった胴体が別人のものだということは遅かれ早かれ露見することになったでしょうし、そこまでは犯人としても織り込み済みだったと考えるべきでしょう。
*4: 「鶯鶯の恋人」『五色の雲』収録)及び(一応伏せ字)『東方の黄金』(ここまで)を参照。

2008.02.11読了