水底の妖/R.ファン・ヒューリック
The Chinese Lake Murders/R.van Gulik
大室幹雄訳『中国湖水殺人事件』では、“芸妓溺死事件”・“花嫁失踪事件”・“顧問官(*1)浪費事件”という三つの事件が扱われることが巻頭に明記されていましたが、これはややネタバレ気味。まず、“花嫁失踪”とあることで蒋{チヤン}夫人(素娥(*2))が生きていることが見え見えになっていますし、“顧問官浪費”が事件の一つとして挙げられていることでクライマックスに薄々見当がついてしまうきらいがあります。そう考えると、本書でその部分が削除されているのは妥当でしょう。
さて、本筋の陰謀とは直接関係のない“花嫁失踪事件”からみてみると、いわゆる“早すぎる埋葬”という真相にはさほど面白味があるとはいえませんが、夫と妻の双方がその後にたどった数奇な運命はなかなかに印象的。また、素娥を“失った”劉飛泊{リウフエイポ}の常軌を逸したともいえる振る舞いが、後述するように真相解明の一端となっているところも見逃せません。
一方、陰謀に直結している“芸妓溺死事件”では、まず杏花の話を立ち聞きすることができたのは誰かという謎について、“見えない人”としての給仕(*3)まで検討されている(119頁)のが興味深いところですが、読唇術に関する陶侃の発言を受けてあっさりと推理が放棄されているのは少々釈然としないものがあります。また、“大官さま”→“永漢{ユンハン}さま”という犯人の勘違いが日本語ではまったくわからないのも残念なところですが、そのせいで韓{ハン}がさらわれた意味が余計にわかりにくくなっているのは、怪我の功名というべきでしょうか。もっとも、娘の素娥へ激しい執着を示す劉の様子と、杏花が素娥に瓜二つであることを考え合わせれば、劉が犯人であることを見抜くのはさほど難しいことではないでしょう。
しかしその劉が行方をくらまし、展開が予断を許さないものとなるのが巧妙なところですし、それが狄判事最大の窮地において“顧問官浪費事件”と組み合わされ、鮮やかな逆転につながっているのが実に見事です。
“聖上の相談役”(本書26頁)をつとめていた“梁大官”こと梁孟広{リヤンモンクワン}のこと。
*2:
“月に住むという伝説上の仙女”(こちらを参照)の意で、大室幹雄訳『中国湖水殺人事件』では“月仙”と訳されていました。
*3:
“給仕のほうは……連中の存在など気にかけるまでもないと、ふつうは思いがちだからな……”(119頁)というあたり、作者が“見えない人”トリックを意識していたことがうかがえます。
ちなみに、給仕を“見えない人”として扱ったトリックですぐに思い出せるのは海外作家(作家名)I.アシモフ(ここまで)の短編(作品名)「死角」(『黒後家蜘蛛の会合1』収録)(ここまで)ですが、そちらより本書の方が早く発表されています。
2001.12.18 松平いを子訳『中国湖水殺人事件』読了
2009.10.13 『水底の妖』読了