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北雪の釘/R.ファン・ヒューリック

The Chinese Nail Murders/R.van Gulik

1961年発表 和爾桃子訳 ハヤカワ・ミステリ1793(早川書房)

 まず“首無し死体”事件については、被害者の入れ代わりというトリックは定番中の定番ですが、潘{パン}夫人の身代わりとなった廖蓮芳{リャオリェンファン}の婚前交渉がミスディレクションとなっているのが面白いところ。ただ、「著者あとがき」に記された“未来の妻との交わりは厳禁だった”という中国文化を知っていなければ、さほど効果はないともいえるのですが。
 犯人の漆かぶれや怪しげな雪だるまなど、伏線がよくできていると思います。特に、狼狩りに出た楚大遠{チュウターユアン}が矢を射損じてしまったこと、さらに急遽野外での宴会に変更されたことという、冒頭の伏線が見事です。
 また、紅玉を目にした犯人の豹変とその狂気は、なかなか衝撃的です。

 次の“拳法師範の毒殺”では、やはりダイイングメッセージが目を引きます。旧訳『中国鉄釘殺人事件』では「紙の猫事件」と明示されていた(はず)ために猫の図柄であることが最初から明らかだったのですが、『北雪の釘』ではそれが伏せられていることで、陸{ルー}夫人が法廷で図柄をに変えてみせる場面も効果的なものになっています。
 “猫”が何を意味しているかはなかなか明らかになりませんが、猫好きの郭{クオ}夫人を連想したことで狄判事の苦悩が一層深まっているところは見逃せません。一方、陸夫人が描き出した“鳥”もまた、狄判事にとっては“霜天下に孤鳥啼きたり”の詩を通じて郭夫人を連想させられるものだったのではないかと思われるのですが、これは穿ちすぎでしょうか。

 “夫殺し疑惑”の見どころの一つは狄判事と陸夫人との命がけの対決ですが、もう一つは自らの身を省みず敗北寸前の狄判事を救おうとする郭夫人の思いです。密かに狄判事に心ひかれていたであろう郭夫人は、かつて犯した自らの罪が露見するのを覚悟で真相を示唆し、狄判事が信念に基づいて断罪せざるを得ないことを理解して自ら命を絶ちます。この二人の心の交流と哀しい結末には、胸を打たれるより他ありません。
 真相そのものは古典的なトリックであり、『北雪のという題名から予測できてしまう方も多いでしょう『中国鉄釘殺人事件』ほどあからさまではないかもしれませんが……)。しかし、郭夫人が語る酷寒の地ゆえの背景と女たちが抱える悲哀(156頁)が、強く印象に残ります。

 狄判事は本書で、長年仕えてきた洪警部を、また密かに思いを寄せていた郭夫人を失いましたが、ラストではさらに馬栄ら残された副官たちとも疎遠になっていくであろうことが暗示されています。作者の当初の構想ではあくまでも本書でシリーズを完結させる予定だったようで、昇進と裏腹の孤独を強く感じさせる、何ともいえない結末となっています。
 (一応伏せ字)もっとも、『柳園の壺』や『南海の金鈴』をお読みになった方はご存じのように、都に赴任した狄判事の下で副官たちも健在だったので安心させられました。(ここまで)

2001.12.24 松平いを子訳『中国鉄釘殺人事件』(三省堂)読了
2007.01.26 『北雪の釘』読了