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エンジン・サマー/J.クロウリー

Engine Summer/J.Crowley

1979年発表 大森 望訳 扶桑社文庫 ク22-1(扶桑社)

 一人称の語り手は通常、語り手としての――物語外部の立場と、語られる物語の登場人物としての――物語内部の立場とを兼ね備えています。本書の主人公である〈しゃべる灯心草〉も、自ら語り手となって自分自身の物語を語っていくことで、憧れていた“物語の登場人物”の地位を獲得しているように見えます。

 しかし本書の結末で明らかにされているのは、〈天使〉に向けて“〈灯心草〉の物語”を語ってきた“灯心草”が、ダニエル・プランケットに代わって“球体”に取り込まれた〈灯心草〉の記憶と人格だという真相です。かくして、“灯心草”にとって“自分自身の物語”であったはずの“〈灯心草〉の物語”は“灯心草”から切り離され、“灯心草”は“物語の登場人物”の地位を喪失することになります。

 加えて、“〈灯心草〉の物語”として語られた出来事からすでに600年近い歳月が過ぎ、〈灯心草〉と(球体の)“灯心草”とが完全に断絶していることが明かされます。もはや(球体の)“灯心草”が新たな“〈灯心草〉の物語”を付け加えることはできませんし、“あなたがここにいるあいだに聞いたことは、あなたにどんな影響も残さない。”(448頁)という〈天使〉の言葉に表れているように、(球体の)“灯心草”が自身の物語を得ることもかないません。

 物語として語られる“聖人”となる夢を語っていた(球体の)“灯心草”が、実は“物語でしかない”(12頁)ことがはっきりと示される残酷な結末により、この上なく強烈な喪失感が生み出されているのが何ともいえません。

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 なお、「『エンジン・サマー』(ジョン・クロウリー/扶桑社ミステリー) - 三軒茶屋 別館」では本書を“アンチ・ドラッグSF”ととらえて興味深い考察がされていますので、ぜひご一読下さい。

2009.02.24読了