ミステリ&SF感想vol.169 |
2009.04.15 |
『模像殺人事件』 『ミステリアス学園』 『天外消失』 『エンジン・サマー』 『インシテミル』 |
模像殺人事件 佐々木俊介 | |
2004年発表 (東京創元社・入手困難) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 第6回鮎川哲也賞に佳作入選した『繭の夏』でデビューした作者が、それから10年近い沈黙を経て発表した第2長編。ノートパソコンや携帯電話といった小道具が登場するなど、明らかに現代の物語でありながらも、全編に満ちた古風な探偵小説の趣が独特の魅力となっている作品です。
レトロな雰囲気の主たる源となっているのはもちろん、木乃家で起きた事件の顛末を綴った推理作家・大川戸孝平の手記で、作者が愛好する(*1)横溝正史の『犬神家の一族』やJ.D.カー『曲った蝶番』へのオマージュ(*2)と思しき発端をはじめとした事件の様相もさることながら、随所に古めかしさを感じさせる文体、さらには意図的に排除したかのように事件終結後の警察の捜査(事後処理)に言及されない点など、単なる事件の記録ではなく一篇の探偵小説として書かれたような体裁(*3)となっているところが凝っています。 問題となる事件の方は、それぞれに本物だと主張する二人の“包帯男”の対決が焦点かと思いきや、少々予想を外した展開が続いた末に起きる殺人によって、肩すかしともいえる“決着”を迎えます。読者としては額面通りに受け取るわけにはいかないとはいえ、事件は “すでに一応の解決を見ている”(31頁)というだけあって、そこはかとなく違和感を漂わせながらもそれなりに辻褄が合っているといえなくもない状況で、何とも微妙な気持ち悪さを残して手記は終わります。 その手記に対する物語の“外枠”部分は、進藤啓作と入院中の旧友が病室で(*4)繰り広げる安楽椅子探偵風の推理を含めたやり取りが中心となっていますが、フーダニットでもハウダニットでもなく“何が起こったのか”が問題――ホワットダニットという興味深いテーマが早々に示される中、手記の内容に“外枠”部分の事実を組み合わせることによって事件の不可解さがはっきり浮かび上がってくるという趣向が秀逸。また、(探偵小説風に綴られているがゆえに)現実感の希薄な“木乃家の事件”が“外枠”部分の現実とリンクすることで、かえって木乃家という舞台が“異世界”であるように感じられてくるのも面白いところです。 様々に推理を重ねた末にいよいよ進藤啓作が木乃家を訪ねる物語終盤、大川戸孝平の手記を通して間接的に描かれていた人物や舞台がついに直接姿を現すことに、静かな感慨を覚えずにはいられません。そして、三津田信三『首無の如き祟るもの』ほど強烈ではないものの、シンプルな真実を足がかりに“何が起こったのか”が説得力をもって説明されていく解決場面は実に鮮やか。少々偶然に頼りすぎているきらいがあるとはいえ、精緻に組み立てられた真相が巧妙に隠蔽されている感があり、作者の見事な手腕が光ります。 (一応伏せ字)内容とは裏腹に(ここまで)淡々とした語り口の結末には少々物足りなさが残りますが、作品全体のトーンを損ねることなくきれいにまとめてあるのは確かで、派手ではないものの印象に残る佳作といえるでしょう。
*1: 作者自身のブログ「おだやかな構図」では、映像作品を含めた横溝正史作品に再三言及されていますし、「おだやかな構図 // Carr is Carr」には
“カー作品の私的お気に入りは、『曲った蝶番』を筆頭に『プレーグ・コートの殺人』『猫と鼠の殺人』がベスト3で、次いで『青銅ランプの呪』”と記されています。 *2: “秋人”が大怪我を負った顔を隠しているのは前者への、そして二人の“秋人”による真贋争いは後者へのオマージュでしょう。 *3: “『火光{かぎろい}殺人事件』”(40頁)なる古風な題名の作品を書いたという、大川戸孝平の造形にふさわしいといえるかもしれません。 *4: 本書のほとんどの部分が木乃家と病室という外界から半ば隔離された舞台で進行していくことも、現代から切り離されたような印象を与える要因となっているように思われます。 2009.01.18読了 [佐々木俊介] |
ミステリアス学園 鯨統一郎 | |
2003年発表 (光文社文庫 く10-4) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] “この一冊で本格ミステリがよくわかる連作短編集!”(カバー紹介文)というコピーが付された本書は、大学のミステリ研究会に入部したミステリ初心者・湾田乱人を主人公とし、その視点を通してミステリを学んでいくというスタイルになっており、見方によっては初心者向けのミステリの入門書ともなり得るところですが、その一方で、凄まじすぎる最後のオチも含めてどうみても初心者向けとは思えないネタが散見されるという、何とも困った作品です。 各篇の前半ではまず「ミスミス研」の活動が描かれ、その中でミステリ初心者の湾田乱人に向けたミステリ講義が行われています。その内容は、E.A.ポーから近年までをある程度の年代ごとに区切って説明される内外のミステリの歴史と、「本格ミステリの定義」「トリック」「嵐の山荘」「密室講義」「アリバイ講義」「ダイイング・メッセージ講義」といった本格ミステリの要素の二本立てで、ミステリのガイドとしてはまずまず充実しているといっていいのではないでしょうか。特に後者については、実に要領よくコンパクトにまとめられている(*1)と思いますし、その内容にかなりの独自色が感じられるのが見事です(一部の内容については、後述します)。 続いて各篇の後半では、「ミスミス研」のメンバーが事件に遭遇していくことになりますが、いずれの事件もある程度ミステリ講義(本格ミステリの要素)の内容にちなんだものであり、いわば“講義”と“実践”が組み合わされた形になっているあたりは、ミステリ初心者にも親切な作りといえるかもしれません。もっとも、各篇の結末に用意されているのが大なり小なり脱力ものの真相ばかりなのが難しいところで、“とある趣向”に基づいた意図的なものも多分にあるとはいえ、あまりすれていない読者などは腹を立ててしまう恐れがなきにしもあらず。個人的にはそれなりに楽しめたのですが、“本書だからこそ許せる”というところがあるようにも思われます。 そのように個々のエピソードにはやや難もある反面、全体を通じた連作としての仕掛けは非常に面白いものになっています。まず目を引くのが、「第二話 トリック」に至って見えてくる特異な構成で、ミステリ研究会という設定をうまく生かしたものになっているのが秀逸。そしてその仕掛けは物語が進むにつれて微妙に姿を変え(こちらの予想を裏切り)つつ、「最終話 意外な犯人」へとなだれ込んでいくわけですが、そこで明かされる驚愕の真犯人は……前例のない斬新なものであることはおそらく間違いないと思われますが、どちらかといえば“やらかしてしまった”(笑)という印象が先に立ってしまうのは否めません。 とはいえ、 “ミステリ自体がテーマになっているミステリ”(33頁)、すなわちメタミステリとして面白い試みがなされた作品であることは確かですし、興味に応じて色々な読み方のできる作品であることを考えれば、一読の価値はあるのではないかと思うのですが……やはり万人にはおすすめできない怪作というのが妥当なところでしょうか。 * * *
以下、本書に盛り込まれたミステリ講義の一部について、多少具体的に触れておきます。
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〈本格ミステリの定義〉
[薔薇小路亜矢花の定義]本書独自の「本格ミステリの定義」として、[薔薇小路亜矢花の定義]と[小倉紀世治の定義]の二つが作中に盛り込まれています。 サプライズを必須とするかのような前者には少々釈然としないものがありますが、“本格度数”なる尺度を導入した後者には脱帽。いくつかのレベルに分けて取り扱うという発想は例を見ないように思いますし、質的な観点だけでなく量的な観点もあってしかるべきと考えている(拙文「本格ミステリ問答」を参照)私としては、特に「レベル1」と「レベル2」の差に納得させられました。 「レベル3」以降については、“本格ミステリの定義”ではなく“面白い(もしくは優れた)本格ミステリの定義”になってしまっている感がありますが、ジャンルとしての本格ミステリにつきまとう“先行作品と同じネタを同じように扱わない”という問題意識の表れとしての、(トリックに限らない)ネタの“独創性”については、(“面白さ”とは切り離した上で(*2))指標の一つとなり得るのかもしれません。 *
〈密室講義〉
[薔薇小路亜矢花の密室講義]元祖であるJ.D.カー『三つの棺』をはじめとするほとんどの「密室講義」(拙文「私的「密室講義」」も含めて)に背を向けるように、〈犯人〉に一切言及されない分類(*3)が非常に新鮮です。これは、まず密室を “閉じられた犯行現場に、犯行時、被害者しかいなかったと思われる状況”(181頁)と定義しておき、その要素である〈被害者〉と〈犯行現場〉(が閉じられる時期)に着目して分類を行ったもので、密室の定義と分類が密接に結びついているところがよくできています。 ただし、いわゆる“内出血密室”――被害者が(一応伏せ字)致命傷を負った後に室内に入って自ら施錠し、その後死亡した(ここまで)もの――が当てはまる項目がないので、例えば「5・犯行現場が閉じられた後に被害者が死んだ場合。」を追加した方がいいのかもしれません。 *
〈アリバイ講義〉
[薔薇小路亜矢花のアリバイ講義]「アリバイ講義」で有名なのはやはり有栖川有栖『マジックミラー』中の九つの類型で、鯨統一郎自身もその各分類に対応した九つのトリックを盛り込んだ『九つの殺人メルヘン』を発表している(*4)のですが、本書での分類はそれとはまったくの別もの。わずか三つの項目というシンプルさもさることながら、分類の観点、ひいては分類の手法そのものに違いがあると思われます。 私見では、この種の分類を行う手法は、(1)既知の作例の複数から抽出される適宜の共通点を分類項目として、作例をグループにまとめていくもの(いわば“作例先行型”)、(2)(作例をある程度念頭に置きつつ)分類対象に関する定義もしくは所定の概念に基づいて分類項目を作成し、作例をそこに当てはめて(振り分けて)いくもの(いわば“概念先行型”)、の二つに大別できます。そして、有栖川有栖の「アリバイ講義」が明らかに(1)の手法による(*5)のに対して、本書の「アリバイ講義」はほぼ間違いなく(2)の手法による分類だと考えていいでしょう。 つまり本書の「アリバイ講義」は、(作中では説明されていませんが、前述の「密室講義」を援用すれば)おそらく“被害者と加害者が、犯行時に同じ場所にいたと考えられるにもかかわらず、それが不可能だと思われる状況”といったアリバイものの定義が先にあり、そのうち〈被害者〉及び〈加害者〉という二つの“変数”と〈犯行時に同じ場所にいた〉という“前提条件”のいずれかに関する細工・錯誤によってアリバイトリックが成立する、という考え方に基づくものだと思われます。 個人的には、有栖川有栖の「アリバイ講義」よりも、分類項目が整然としていて“漏れ”が生じにくい(*6)本書の「アリバイ講義」の方が断然好み――というか、本書を読む前に私自身が書いた「アリバイトリックの分類(仮)」が、奇しくも本書の「アリバイ講義」と似たような形になっていたというのが……(苦笑)。 *
〈ダイイング・メッセージ講義〉
[小倉紀世治のダイイング・メッセージ講義]作中では “ミステリに表われたダイイング・メッセージは、すべて失敗したダイイング・メッセージ”(274頁)と定義され、 “被害者の残したダイイング・メッセージがなぜ読みとれなかったのかをパターン化”(275頁)したとされていますが、ここまでは他の「ダイイング・メッセージ講義」と同様です(拙文「私的「ダイイング・メッセージ講義」」を参照)。しかし本書の場合、厳密には読みとれなかった理由というよりもメッセージの状態――いわば“メッセージの完成度”に着目した分類になっており、他の「ダイイング・メッセージ講義」よりもすっきりしています。 「4・ダイイング・メッセージが真実を伝えていない場合」の例として、 “たとえば毒殺などの場合、死ぬ寸前に被害者が犯人を推理したとする(中略)その結果判った犯人の名前を書き残すんだが、その推理がまちがっていたような場合”(277頁)が挙げられているのが不満――ダイイング・メッセージが読みとられた後の問題となるため――ですが、おおむねよくできた分類だと思います。 *
*1: その分少々物足りなく感じられる部分もあるのですが、特にミステリ初心者向けとしてはいたずらに複雑化していないのは美点でしょう。
*2: 斬新なネタが必ずしも面白いとは限らないことは、期せずして本書の結末が証明してしまっているような気も……。 *3: ここで挙げられた各項目をさらに細展開していけば、さすがに〈犯人〉にも言及せざるを得なくなるのでしょうが。 *4: 湾田乱人の “いつかその九種類のアリバイトリックをすべて網羅した短編群でも書いてみようかな。”(68頁〜69頁)という独白にはニヤリとさせられます。 *5: ここでも指摘しているように、有栖川有栖の「アリバイ講義」ではトリックの原理に関する項目と手段に関する項目が混在しているのですが、これは複数の作例の間で目についた共通点を単純に拾い上げていった結果だと思われます。 *6: 既知の作例を並べて共通点を抽出していく手法では、未知の作例に対応できないおそれが常に存在します。 2009.01.26読了 [鯨統一郎] | |
【関連】 『パラドックス学園 開かれた密室』 |
天外消失 〈世界短篇傑作集〉 早川書房編集部・編 | |
2008年刊 (ハヤカワ・ミステリ1819) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
*1: H・K氏による本書の解説より。
*2: 同じく電話ボックスからの消失を扱ったJ.D.カーの作品は、『ヴァンパイアの塔』に収録された「刑事の休日」です。ただし、「天外消失」に比べると格段に出来が落ちるのは否めません。 2009.02.03読了 [早川書房編集部・編] |
エンジン・サマー Engine Summer ジョン・クロウリー | |
1979年発表 (大森 望訳 扶桑社文庫 ク22-1) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 現代の延長線上にあるテクノロジーが失われた後、新たに独自の(しばしばファンタジー風の)文明が構築された世界――という、(「訳者あとがき」にもあるように)ジャンルSFとしては定番の舞台に、青春小説としてはこれまた定番といえる、主人公の少年の一人称で語られる“ボーイ・ミーツ・ガール”の要素を含んだ物語が組み合わされ、体裁としては青春SFの王道となっていますが、なかなか一筋縄ではいかない読み応えのある作品です。
本書は、主人公の〈しゃべる灯心草〉が〈天使〉という特定の聞き手に向けて語っていく――さらにそれが“クリスタル”に記録されていく――という形式。基本的には過去の回想なので内容がある程度整理されているのはもちろんですが、それでも、特に〈しゃべる灯心草〉の生い立ちやリトルベレアでの暮らしが説明される序盤がややとりとめのない印象を与えているあたり、聞き手の存在しない一人称とはひと味違った“生”の語りの臨場感のようなものがうかがえます。 その中で、機械{エンジン}の文明が繁栄していた頃の物語、文明の崩壊にまつわる物語、そして様々な“聖人”たちの物語など、古くから語り継がれてきた物語を聞かされて育った〈しゃべる灯心草〉は、“聞き手”から“語り手”を、さらには物語として語られる“聖人”を目指すようになっていきます。このような物語をめぐる立場の変遷、とりわけ“物語の登場人物”になることを意識するという指向にも表れているように、本書は“物語についての物語”――メタフィクションであることを鮮明に打ち出した作品といえます。 自ら“語り手”をつとめることで“物語の登場人物”となった〈しゃべる灯心草〉――その物語は、大森望氏が「訳者あとがき」で “絵に描いたようなツンデレ・ヒロイン”と評している、“初恋の少女”〈一日一度〉との交流を一つの軸としているのは確かですが、それ以上に〈しゃべる灯心草〉の旅を通じて描き出される美しくも謎めいた世界の姿が印象的。意味がおぼろげなまま様々なディテールが積み重ねられていくことによって、読者の目にはすべてが幻想を帯びて映ることになり、実に魅力的な物語世界が構築されています。 しかし、ただ物語の美しさに浸りながら読み進めていくと、ある意味で意表を突いた結末に困惑を覚えてしまうのも事実です。「訳者あとがき」にて親切に補足説明がされているため、結末の意味そのものはよくわかりますし、作者の狙いも理解できなくはないのですが、個人的に今ひとつ好みの結末ではなかったのが少々残念。とはいえ、やはりよくできた作品だというのは間違いのないところでしょう。 2009.02.24読了 [ジョン・クロウリー] |
インシテミル 米澤穂信 | |
2007年発表 (文藝春秋) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 青春ミステリの名手とされている作者が、ミステリに(題名の通り)“淫してみる”という趣向のもと、極度に人工的なクローズドサークルを舞台に本格ミステリの味付けが施された殺人/推理ゲームを展開した作品で、受賞こそ逃したものの第8回本格ミステリ大賞の候補作に選ばれています。
被験者たち12名が送り込まれる実験施設〈暗鬼館〉は、外界から隔離されたクローズドサークルというだけでなく、綾辻行人『十角館の殺人』を思わせる見取図や、12体の“インディアン人形”(*1)、カードキーに記された〈十戒〉、その他諸々のミステリのガジェットが盛り込まれた空間で、主催者の意図が強く表れています。が、対する被験者たちが誰一人としてそれらガジェットに特段の言及をしないのは、肩すかしを食わされたような何とも不思議な感覚(*2)で、一般的な“館もの”ミステリとは一線を画した一筋縄ではいかない作品であることをうかがわせます。 被験者たちの合意もむなしく殺人ゲームが始まるという“お約束”の展開にあって、視点人物となる学生・結城理久彦が人並み以上に神経の太い楽天家であり、さらに他の被験者の中で結城が最も強く意識する(*3)須和名祥子が桁外れに超然とした態度を保っているせいか、(皆無とはいわないまでも)思いのほかサスペンスに乏しいのは好みの分かれるところかもしれませんが、ゲームとしての枠組みが強調されている本書には合致しているといえますし、殺人/推理ゲームそのものの(ある意味)予断を許さない展開は読者を引き込むのに十分な力を備えています。 以下、そのあたりについてもう少し詳しく。 ↓以下の文章には、本書の具体的な内容を暗示する記述が含まれています(一部伏せ字)。本書を読む前に先入観を持ちたくないという方は、ご注意下さい。
被験者たちに配布された〈ルールブック〉には細々とした規定が記されています(*)が、“犯人”・“探偵”・“解決”といった語句に惑わされそうになるものの、それらは〈暗鬼館〉でミステリ的な状況を成立させるための“ルール”(あるいは“お約束”)ではなく、あくまでゲームを進行させるための〈ルール〉です。そして、その〈ルール〉によって規定される本書の殺人/推理ゲームの本質は、報酬・ボーナス・ペナルティをめぐる“非ゼロ和ゲーム”(→Wikipedia)に他なりません。
作中では確かに殺人に関する推理と解決が行われるものの、本書の殺人/推理ゲームにおける“解決”とはそれらボーナスやペナルティを決定するためのプロセスにすぎず、そのために〈ルールブック〉には(おそらく)ゲームを円滑に進行させるための規定として、“解決”を一般のミステリとはまったく違った位置づけとする、すなわち一般のミステリを真っ向から否定するような文言まで含まれています。 その結果、物語はミステリとしての予定調和から逸脱してアンチミステリの側にまで踏み出すことになり、どのような形でどこへ着地するのかまったく予断を許さない展開となっています。このあたりが、本書の最大の見どころといえるのではないでしょうか。 ↑ここまで
とはいえ、最終的な着地点には拍子抜けというか……面白いと思える部分があるのはもちろんですが、総体的にみれば後半から終盤にかけての展開から期待したものとはだいぶ違っていたのが、非常にもったいなく感じられるところです。加えて、読み進めている間はさほど気にならなかったものの、細部に気をつけて読み返してみると色々と粗が目につくのも事実で、とりわけ実験の主催者が随所で(本来の目的をよそに)作者の都合に奉仕する形になっているのは、興ざめといわざるを得ません(*4)。 というわけで、終盤近くまでは実に面白かったのですが、個人的にはかなり残念な印象。あまり深く考えずに一気に読み終える分には、十分に楽しめる作品だと思いますが……。
*1: 作中では
“ネイティブアメリカンの人形”(40頁)と表記されています。 *2: 特にミステリに慣れ親しんでいる読者であればあるほど、“スルー”する被験者たちの代わりにガジェットを強く意識せざるを得なくなり、結果として(作品内の登場人物に同調する視点ではなく)作品外からであることが明らかな視点――メタ視点を絶えず自覚させられることになるのではないかと思われます。 *3: といっても、恋愛感情があるというわけではありません。 *4: このあたりは、「2007-11-19 - 平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜」の “逆算式で詰将棋を作ったはいいが、余詰が多すぎるので無理矢理盤上に駒を配置した結果、不格好なままのものが完成した。そんなイメージを持った作品である。”という感想に近いものがあります。 2009.03.03読了 [米澤穂信] |
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