ミステリ&SF感想vol.169

2009.04.15

模像殺人事件  佐々木俊介

ネタバレ感想 2004年発表 (東京創元社)

[紹介]
 山中で道に迷った推理作家・大川戸孝平は、当地の資産家である木乃家が山奥に構えた豪邸にたどり着いた。折しも木乃家では、大怪我を負った顔を一面包帯で覆った長男・秋人が八年ぶりに帰郷を果たしたその二日後、同じく自分が秋人だと主張する二人目の“包帯男”が訪れ、真贋を争う騒動が始まったところだった。さらに混迷を深めていく事態は、ついに殺人事件へと発展し……。
 ……一連の出来事を綴った大川戸の手記を入手した旧友から、そこに隠された真相――その屋敷でいったい何が起こったのか――を明らかにしてほしいと頼まれた進藤啓作は、手記の中に浮かび上がってきた不可解な点を解明すべく、木乃家へと赴くが……。

[感想]
 第6回鮎川哲也賞に佳作入選した『繭の夏』でデビューした作者が、それから十年近い沈黙を経て発表した第2長編。ノートパソコンや携帯電話といった小道具が登場するなど、明らかに現代の物語でありながらも、全編に満ちた古風な探偵小説の趣が独特の魅力となっている作品です。

 レトロな雰囲気の主たる源となっているのはもちろん、木乃家で起きた事件の顛末を綴った推理作家・大川戸孝平の手記で、作者が愛好する*1横溝正史の『犬神家の一族』やジョン・ディクスン・カー『曲った蝶番』へのオマージュ*2と思しき発端をはじめとした事件の様相もさることながら、随所に古めかしさを感じさせる文体、さらには意図的に排除したかのように事件終結後の警察の捜査(事後処理)に言及されない点など、単なる事件の記録ではなく一篇の探偵小説として書かれたような体裁*3となっているところが凝っています。

 問題となる事件の方は、それぞれに本物だと主張する二人の“包帯男”の対決が焦点かと思いきや、少々予想を外した展開が続いた末に起きる殺人によって、肩すかしともいえる“決着”を迎えます。読者としては額面通りに受け取るわけにはいかないとはいえ、事件は“すでに一応の解決を見ている”(31頁)というだけあって、そこはかとなく違和感を漂わせながらもそれなりに辻褄が合っているといえなくもない状況で、何とも微妙な気持ち悪さを残して手記は終わります。

 その手記に対する物語の“外枠”部分は、進藤啓作と入院中の旧友が病室で*4繰り広げる安楽椅子探偵風の推理を含めたやり取りが中心となっていますが、フーダニットでもハウダニットでもなく“何が起こったのか”が問題――ホワットダニットという興味深いテーマが早々に示される中、手記の内容に“外枠”部分の事実を組み合わせることによって事件の不可解さがはっきり浮かび上がってくるという趣向が秀逸。また、(探偵小説風に綴られているがゆえに)現実感の希薄な“木乃家の事件”が“外枠”部分の現実とリンクすることで、かえって木乃家という舞台が“異世界”であるように感じられてくるのも面白いところです。

 様々に推理を重ねた末にいよいよ進藤啓作が木乃家を訪ねる物語終盤、大川戸孝平の手記を通して間接的に描かれていた人物や舞台がついに直接姿を現すことに、静かな感慨を覚えずにはいられません。そして、三津田信三『首無の如き祟るもの』ほど強烈ではないものの、シンプルな真実を足がかりに“何が起こったのか”が説得力をもって説明されていく解決場面は実に鮮やか。少々偶然に頼りすぎているきらいがあるとはいえ、精緻に組み立てられた真相が巧妙に隠蔽されている感があり、作者の見事な手腕が光ります。

 (一応伏せ字)内容とは裏腹に(ここまで)淡々とした語り口の結末には少々物足りなさが残りますが、作品全体のトーンを損ねることなくきれいにまとめてあるのは確かで、派手ではないものの印象に残る佳作といえるでしょう。

*1: 作者自身のブログ「おだやかな構図」では、映像作品を含めた横溝正史作品に再三言及されていますし、「おだやかな構図 // Carr is Carr」には“カー作品の私的お気に入りは、『曲った蝶番』を筆頭に『プレーグ・コートの殺人』『猫と鼠の殺人』がベスト3で、次いで『青銅ランプの呪』”と記されています。
*2: “秋人”が大怪我を負った顔を隠しているのは前者への、そして二人の“秋人”による真贋争いは後者へのオマージュでしょう。
*3: “『火光{かぎろい}殺人事件』”(40頁)なる古風な題名の作品を書いたという、大川戸孝平の造形にふさわしいといえるかもしれません。
*4: 本書のほとんどの部分が木乃家と病室という外界から半ば隔離された舞台で進行していくことも、現代から切り離されたような印象を与える要因となっているように思われます。

2009.01.18読了

ミステリアス学園  鯨統一郎

ネタバレ感想 2003年発表 (光文社文庫 く10-4)

[紹介]
 ミステリアス学園という大学に入学した湾田乱人は、初めて読んだミステリである松本清張『砂の器』に感銘を受け、ミステリ研究会、通称「ミスミス研」に入部した。部長の小倉紀世治をはじめ、副部長の長生はるか、三年生の平井龍之介、二年生の星島哲也と西村純子、そして湾田と同じ新入生の薔薇小路亜矢花という他の部員たちは、それぞれミステリについて独自のこだわりを持っていたが、本格ミステリの愛好者は少なく、部の研究対象から外そうという動きが出ているところだった――かくして、「本格ミステリの定義」を皮切りに、「トリック」「嵐の山荘」「密室講義」「アリバイ講義」「ダイイング・メッセージ講義」と部員たちのミステリに関する議論は続いていくが、その間「ミスミス研」では不可解な事件が相次ぎ……。

[感想]
 “この一冊で本格ミステリがよくわかる連作短編集!”(カバー紹介文)というコピーが付された本書は、大学のミステリ研究会に入部したミステリ初心者・湾田乱人を主人公とし、その視点を通してミステリを学んでいくというスタイルになっており、見方によっては初心者向けのミステリの入門書ともなり得るところですが、その一方で、凄まじすぎる最後のオチも含めてどうみても初心者向けとは思えないネタが散見されるという、何とも困った作品です。

 各篇の前半ではまず「ミスミス研」の活動が描かれ、その中でミステリ初心者の湾田乱人に向けたミステリ講義が行われています。その内容は、エドガー・アラン・ポオから近年までをある程度の年代ごとに区切って説明される内外のミステリの歴史と、「本格ミステリの定義」「トリック」「嵐の山荘」「密室講義」「アリバイ講義」「ダイイング・メッセージ講義」といった本格ミステリの要素の二本立てで、ミステリのガイドとしてはまずまず充実しているといっていいのではないでしょうか。特に後者については、実に要領よくコンパクトにまとめられている*1と思いますし、その内容にかなりの独自色が感じられるのが見事です(一部の内容については、後述します)。

 続いて各篇の後半では、「ミスミス研」のメンバーが事件に遭遇していくことになりますが、いずれの事件もある程度ミステリ講義(本格ミステリの要素)の内容にちなんだものであり、いわば“講義”と“実践”が組み合わされた形になっているあたりは、ミステリ初心者にも親切な作りといえるかもしれません。もっとも、各篇の結末に用意されているのが大なり小なり脱力ものの真相ばかりなのが難しいところで、“とある趣向”に基づいた意図的なものも多分にあるとはいえ、あまりすれていない読者などは腹を立ててしまう恐れがなきにしもあらず。個人的にはそれなりに楽しめたのですが、“本書だからこそ許せる”というところがあるようにも思われます。

 そのように個々のエピソードにはやや難もある反面、全体を通じた連作としての仕掛けは非常に面白いものになっています。まず目を引くのが、「第二話 トリック」に至って見えてくる特異な構成で、ミステリ研究会という設定をうまく生かしたものになっているのが秀逸。そしてその仕掛けは物語が進むにつれて微妙に姿を変え(こちらの予想を裏切り)つつ、「最終話 意外な犯人」へとなだれ込んでいくわけですが、そこで明かされる驚愕の真犯人は……前例のない斬新なものであることはおそらく間違いないと思われますが、どちらかといえば“やらかしてしまった”(笑)という印象が先に立ってしまうのは否めません。

 とはいえ、“ミステリ自体がテーマになっているミステリ”(33頁)、すなわちメタミステリとして面白い試みがなされた作品であることは確かですし、興味に応じて色々な読み方のできる作品であることを考えれば、一読の価値はあるのではないかと思うのですが……やはり万人にはおすすめできない怪作というのが妥当なところでしょうか。

* * *

 以下、本書に盛り込まれたミステリ講義の一部について、多少具体的に触れておきます。

〈本格ミステリの定義〉
[薔薇小路亜矢花の定義]
――作中に記された手がかりから導くことが可能な意外な結末、などを用意して、読者を論理的におどろかせるために書かれた作品。
 「第二話 トリック」(61頁)
*
[小倉紀世治の定義]
本格度レベル1 読者にもあらかじめ公平に示された手がかりによって、謎が論理的に解明されている部分があること。
本格度レベル2 さらに、そのことによって得られる快感を、作品の主な目的としていること。
本格度レベル3 さらに、解明された真相に意外性があること。
本格度レベル4 さらに、使用されたトリックに独創性が、もしくは示されたロジックに充分な緻密性があること。
本格度レベル5 さらに、読後、過去、感銘を受けた本格ミステリ作品に肉薄、もしくは凌駕するほどの驚愕があること(以下略)
 「第三話 嵐の山荘」(122頁)

 本書独自の「本格ミステリの定義」として、[薔薇小路亜矢花の定義]と[小倉紀世治の定義]の二つが作中に盛り込まれています。サプライズを必須とするかのような前者には少々釈然としないものがありますが、“本格度数”なる尺度を導入した後者には脱帽。いくつかのレベルに分けて取り扱うという発想は例を見ないように思いますし、質的な観点だけでなく量的な観点もあってしかるべきと考えている(→拙文「本格ミステリ問答」を参照)私としては、特に「レベル1」「レベル2」の差に納得させられました。

 「レベル3」以降については、“本格ミステリの定義”ではなく“面白い(もしくは優れた)本格ミステリの定義”になってしまっている感がありますが、ジャンルとしての本格ミステリにつきまとう“先行作品と同じネタを同じように扱わない”という問題意識の表れとしての、(トリックに限らない)ネタの“独創性”については、(“面白さ”とは切り離した上で*2)指標の一つとなり得るのかもしれません。

*
〈密室講義〉
[薔薇小路亜矢花の密室講義]
1・被害者が死んだ後に犯行現場が閉じられた場合。
2・犯行現場が始終閉じられていた場合。
3・閉じられていた犯行現場が、被害者が生きているうちに開かれた場合。
4・犯行現場が始終開かれていた場合。
 「第四話 密室講義」(181頁)

 元祖であるジョン・ディクスン・カー『三つの棺』をはじめとするほとんどの「密室講義」(拙文「私的「密室講義」」も含めて)に背を向けるように、〈犯人〉に一切言及されない分類*3が非常に新鮮です。これは、まず密室を“閉じられた犯行現場に、犯行時、被害者しかいなかったと思われる状況”(181頁)と定義しておき、その要素である〈被害者〉〈犯行現場〉(が閉じられる時期)に着目して分類を行ったもので、密室の定義と分類が密接に結びついているところがよくできています。

 ただし、いわゆる“内出血密室”――被害者が(一応伏せ字)致命傷を負った後に室内に入って自ら施錠し、その後死亡した(ここまで)もの――が当てはまる項目がないので、例えば「5・犯行現場が閉じられた後に被害者が死んだ場合。」を追加した方がいいのかもしれません。

*
〈アリバイ講義〉
[薔薇小路亜矢花のアリバイ講義]
1・被害者の事象に細工、錯誤がある場合。
2・加害者の事象に細工、錯誤がある場合。
3・その他(主に殺害方法)の事象に細工、錯誤がある場合。
 「第五話 アリバイ講義」(226頁)

 「アリバイ講義」で有名なのはやはり有栖川有栖『マジックミラー』中の九つの類型で、鯨統一郎自身もその各分類に対応した九つのトリックを盛り込んだ『九つの殺人メルヘン』を発表している*4のですが、本書での分類はそれとはまったくの別もの。わずか三つの項目というシンプルさもさることながら、分類の観点、ひいては分類の手法そのものに違いがあると思われます。

 私見では、この種の分類を行う手法は、(1)既知の作例の複数から抽出される適宜の共通点を分類項目として、作例をグループにまとめていくもの(いわば“作例先行型”)、(2)(作例をある程度念頭に置きつつ)分類対象に関する定義もしくは所定の概念に基づいて分類項目を作成し、作例をそこに当てはめて(振り分けて)いくもの(いわば“概念先行型”)、の二つに大別できます。そして、有栖川有栖の「アリバイ講義」が明らかに(1)の手法による*5のに対して、本書の「アリバイ講義」はほぼ間違いなく(2)の手法による分類だと考えていいでしょう。

 つまり本書の「アリバイ講義」は、(作中では説明されていませんが、前述の「密室講義」を援用すれば)おそらく“被害者と加害者が、犯行時に同じ場所にいたと考えられるにもかかわらず、それが不可能だと思われる状況”といったアリバイものの定義が先にあり、そのうち〈被害者〉及び〈加害者〉という二つの“変数”と〈犯行時に同じ場所にいた〉という“前提条件”のいずれかに関する細工・錯誤によってアリバイトリックが成立する、という考え方に基づくものだと思われます。

 個人的には、有栖川有栖の「アリバイ講義」よりも、分類項目が整然としていて“漏れ”が生じにくい*6本書の「アリバイ講義」の方が断然好み――というか、本書を読む前に私自身が書いた「アリバイトリックの分類(仮)」が、奇しくも本書の「アリバイ講義」と似たような形になっていたというのが……(苦笑)

*
〈ダイイング・メッセージ講義〉
[小倉紀世治のダイイング・メッセージ講義]
1・ダイイング・メッセージを残したのに、被害者の意図がうまく伝わらない場合。
2・ダイイング・メッセージ作成途中で被害者が息絶える場合。
3・被害者の残したダイイング・メッセージに犯人が細工をした場合。
4・ダイイング・メッセージが真実を伝えていない場合。
 「第六話 ダイイング・メッセージ講義」(275頁)

 作中では“ミステリに表われたダイイング・メッセージは、すべて失敗したダイイング・メッセージ”(274頁)と定義され、“被害者の残したダイイング・メッセージがなぜ読みとれなかったのかをパターン化”(275頁)したとされていますが、ここまでは他の「ダイイング・メッセージ講義」と同様です(→拙文「私的「ダイイング・メッセージ講義」」を参照)。しかし本書の場合、厳密には読みとれなかった理由というよりもメッセージの状態――いわば“メッセージの完成度”に着目した分類になっており、他の「ダイイング・メッセージ講義」よりもすっきりしています。

 「4・ダイイング・メッセージが真実を伝えていない場合」の例として、“たとえば毒殺などの場合、死ぬ寸前に被害者が犯人を推理したとする(中略)その結果判った犯人の名前を書き残すんだが、その推理がまちがっていたような場合”(277頁)が挙げられているのが不満――ダイイング・メッセージが読みとられたの問題となるため――ですが、おおむねよくできた分類だと思います。

*

*1: その分少々物足りなく感じられる部分もあるのですが、特にミステリ初心者向けとしてはいたずらに複雑化していないのは美点でしょう。
*2: 斬新なネタが必ずしも面白いとは限らないことは、期せずして本書の結末が証明してしまっているような気も……。
*3: ここで挙げられた各項目をさらに細展開していけば、さすがに〈犯人〉にも言及せざるを得なくなるのでしょうが。
*4: 湾田乱人の“いつかその九種類のアリバイトリックをすべて網羅した短編群でも書いてみようかな。”(68頁~69頁)という独白にはニヤリとさせられます。
*5: ここでも指摘しているように、有栖川有栖の「アリバイ講義」ではトリックの原理に関する項目と手段に関する項目が混在しているのですが、これは複数の作例の間で目についた共通点を単純に拾い上げていった結果だと思われます。
*6: 既知の作例を並べて共通点を抽出していく手法では、未知の作例に対応できないおそれが常に存在します。

2009.01.26読了  [鯨統一郎]
【関連】 『パラドックス学園 開かれた密室』

天外消失 〈世界短篇傑作集〉  早川書房編集部・編

ネタバレ感想 2008年刊 (ハヤカワ・ミステリ1819)

[紹介と感想]
 かつて早川書房から刊行された〈世界ミステリ全集〉全十八巻の最終巻を飾った名アンソロジー『37の短篇』。その収録作37篇のうち、“他ではお目にかかる機会の少ない作品”*114篇を抜粋して収録した本書は、作品数が大幅に減ったとはいえ、やはり〈世界短篇傑作集〉と銘打つにふさわしい魅力的なアンソロジーといえるのではないでしょうか。
 バラエティに富んだ作品はいずれもそれぞれによくできていて、個人的にはベストを選び出すのも困難です。

「ジャングル探偵ターザン」 Tarzan, Jungle Detective (エドガー・ライス・バロウズ)
 猿人ターザンとともに暮らす群れの仲間、類人猿タウグ。その妻チーカが子供を連れて餌を探しに群れを離れたところ、よそ者の雄に襲われて子供は瀕死、チーカはさらわれてしまった。ターザンは復讐に燃えるタウグとともに、よそ者が残した様々な痕跡をたどり、ついに相手を追いつめたのだが、一転して窮地に陥ることに……。
 目指す相手を追跡し続けるターザンを、私立探偵になぞらえたと思しき異色の一篇。謎解きの要素はありませんが、ターザンが標的に迫っていく過程はなかなかスリリングですし、最後のオチも印象深いものになっています。

「死刑前夜」 The Human Interest Stuff (ブレット・ハリデイ)
 国道工事の現場で、いけ好かない技師長を口論の末に殺害した犯人は、国境を越えてメキシコへ逃亡した。やがて、病気で技師を失って行き詰まっていた鉄道工事の現場に、アメリカ人の男が現れて補欠の技師として採用され、身を粉にして働き始めた。そしてついに、難航していた工事も終了の時を迎えたのだが……。
 翌日に殺人犯が処刑されるという話を前フリに展開される回顧談。困難な鉄道工事をめぐるエピソードは「プロジェクトX」風でもありますが、“殺人犯との決着の先送り”というモチーフは菊池寛『恩讐の彼方に』に通じるものか、などと思っていると……。

「殺し屋」 Stan le Tueur (ジョルジュ・シムノン)
 田舎の人々を震え上がらせてきたポーランド人の盗賊団、殺し屋スタンの一味が、ついにパリへ進出してあるホテルに潜伏しているらしい。メグレ警部は捜査陣を率いて張り込みを続けていたが、そこへ訪ねてきたポーランドの元軍人が、一味を捕らえるのに協力させてほしいという。申し出をはねつけたメグレ警部だったが……。
 “殺し屋スタン”の秘密、そしてポーランドの元軍人の秘密――謎解きは小粒ながら気の利いた印象を与える一篇です。

「エメラルド色の空」 The Case of the Emerald Sky (エリック・アンブラー)
 内務省の有力者から、チェコからの亡命者で犯罪捜査に実績があるというチサール博士の“お守り”を押しつけられたロンドン警視庁副総監は、“分かり切った”事件をあてがうことにした。それは、ある資産家の老人が砒素で毒殺された事件で、被害者が発症する直前に薬を与えた息子が容疑者となっていたのだが……。
 “分かり切った”事件が引っくり返されるという展開はお約束といえますが、秀逸な毒殺トリックにはうならされます。

「うしろを見るな」 Don't Look Behind You (フレドリック・ブラウン)
 なぜわしがあんたを殺す気になったのか。ハーレイはお前にそんなことができるわけがない、といった。やつの頭ほどでっかいダイヤを、首尾よくいったらわしにくれてやる、と。あんたを殺す、方法やら理由やら、何もかもぶちまけるのも、これも賭けのうちだからさ――いけない、後ろを見てはいけない。後ろを見るんじゃない……。
 ミステリやSFなど多彩な作品を書いたことで知られる作者による、とあるネタの代表的な作品として挙げられることの多い一篇。ユニークなネタの処理ももちろんですが、そこへ持っていくまでの過程が実によく考えられていて、恐るべき結末の効果を高めています。

「天外消失」 Off the Face of the Earth (クレイトン・ロースン)
 汚職が露見して逃亡を企てた判事は、何の変哲もない電話ボックスに入った。尾行中の刑事たちは、片時もそこから目を離さなかったはずだった。しかし判事は、壊れた眼鏡とぶら下がったままの受話器だけを残して、煙のように消失してしまったのだ。しかもそれは、とある読心術師の怪しげな予言そのままだった……。
 「この世の外から」『魔術ミステリ傑作選』収録)と同様に、(最終的には)ジョン・ディクスン・カーとの競作*2となっている作品です。いかにも作者らしい奇術的な不可能状況が魅力ですが、最大の見どころは探偵役にして奇術師のマリーニーによる実演でしょう。

「この手で人を殺してから」 Being a Murderer Myself (アーサー・ウイリアムズ)
 かつてわたしを捨てて別の男のもとへ走った彼女が、今頃になってわたしの前に現れて助力を求めてきた。一人で養鶏場を営み、自由で平穏な生活に満足していたわたしは、煩わされるのに嫌気がさして彼女を殺害する。やがて、彼女の足取りを追って警察がわたしのもとを訪ねてきたが、わたしはすでに万全の準備を……。
 殺人者の一人称で綴られた倒叙もので、一応伏せられている肝心な部分――どうやって死体を始末したか――も見え見え。しかし、終始淡々とした語り口が奇妙な味わいをかもし出しているのが見どころで、ある意味定番といえる結末も一層効果的に感じられます。

「懐郷病のビュイック」 The Homesick Buick (ジョン・D・マクドナルド)
 テキサス州の小さな町で銀行強盗が発生。十万ドル近くを強奪した犯人一味は、現場で射殺された一人を除いてまんまと逃走し、完全に行方をくらました。警察は、射殺された犯人の死体と残された一台のビュイックを手がかりに、一味の潜伏場所を探り出そうとするのだが、捜査はやがて暗礁に乗り上げる。そんな時……。
 いきなり銀行強盗という荒っぽい犯罪が描かれていますが、後半は一転して謎解きが中心となっていきます。手がかりの扱いがなかなか面白いところです。

「ラヴデイ氏の短い休暇」 Mr. Loveday's Little Outing (イーヴリン・ウォー)
 十年前に神経症を患い精神病院に入院したモーピング卿。その“秘書”をつとめているラヴデイ老人は、三十五年前に殺人を犯してから入院し続けている患者だったが、今ではほとんど正常な人間と扱われていた。面会に訪れたモーピング卿の娘アンジェラは、ラヴデイ老人のささやかな外出の望みをかなえようとするが……。
 精神病院を舞台にしたブラックなショートショートといったところで、オチはさすがに見え見えながら、主役であるラヴデイ老人の穏やかな人物像が何ともいえない味わいとなっています。

「探偵作家は天国へ行ける」 Heaven can Wait (C・B・ギルフォード)
 死後、天国へとやってきた探偵作家アリグザンダーは、天使長ミカエルから自分が何者かに殺害されたことを知らされる。探偵作家たる者、《誰が殺したか?》をおろそかにはできないと強く訴えた結果、アリグザンダーは地上に復活して死ぬ前の最後の一日を繰り返し、自分を殺した犯人を探すことになったのだが……。
 “契約”をめぐる駆け引きといった変奏が加えられつつも、基本は殺害される被害者の視点で“ゼロ時間”に至る経緯を描いたサスペンス……だと思っていたのですが、最後のひねりがお見事。

「女か虎か」 The Lady, or the Tiger? (フランク・R・ストックトン)
 地位の低い若者と王女との恋愛が父王に露見してしまい、若者は闘技場で行われる裁判に臨むことになった。まったく同じ形をした二つの扉――その一方を選べば飢えた虎に虐殺され、もう一方を選べば王が国中から選んだ女性と結婚することに。どちらが“女”でどちらが“虎”かは秘密にされていたが、若者を想う王女は……。
 リドルストーリーの代表的な作品として名高い不朽の名作。“女か、それとも虎か?”という最後の一文で問われるのが、単純な二者択一の結果ではなく深い苦悩と葛藤の末の決断であるところが、傑作たる所以といえるでしょう。

「白いカーペットの上のごほうび」 Body on a White Carpet (アル・ジェイムズ)
 安酒場で飲んでいたマックは、その女に目をつけた。どこから見てもとびきりの上玉の女は、マックの誘いに乗ってくる様子を見せつつも、その前に一つだけ簡単な願いがあるという。女に誘われるまま、エレベーターでペントハウスまで上り、豪華な居間にたどり着いたマックだったが、白いカーペットの上に待っていたのは……。
 ニヤリとさせられるショートショートですが、本書の中ではやや落ちる印象です。

「火星のダイヤモンド」 The Martian Crown Jewels (ポール・アンダースン)
 地球から火星の衛星フォボスへ向けて、極秘裏に貴重な宝石――火星の宝冠ダイヤを運ぶ無人宇宙船。だが、確かに積み込まれたはずの宝石が、到着時には影も形も見当たらなかったのだ。地球人と火星人との関係に決定的な破局をもたらしかねない大事件に、火星一の私立探偵である火星人シァロックが乗り出した……。
 SF界の大御所ポール・アンダースンによる一篇で、SFならではの舞台で展開される謎に、SFならではのユニークなトリックと、教科書のようなSFミステリとなっています。ご多分に漏れずシャーロック・ホームズ・パロディの要素が盛り込まれているのはご愛嬌。

「最後で最高の密室」 The Locked Room to End the Locked Room (スティーヴン・バー)
 高名な探検家が、自分の屋敷で首を切断されて死んでいるのが発見された。凶器の斧は現場から離れた地下室で見つかり、自殺と判断される要素はまったくなかったが、屋敷はすべての扉や窓が内側から施錠された完全な密室状態だったにもかかわらず、内部に犯人らしき人物は影も形も見当たらなかったのだ……。
 まず、冒頭のミステリ談義の中で“密室の謎”が“ただの自家撞着”だと切って捨てられているのが興味深いところですが、作者自らハードルを上げているだけあって、トリックは――やや見えやすくなっているきらいはあるものの――なかなかよくできていると思います。

*1: H・K氏による本書の解説より。
*2: 同じく電話ボックスからの消失を扱ったジョン・ディクスン・カーの作品は、『ヴァンパイアの塔』に収録された「刑事の休日」です。ただし、「天外消失」に比べると格段に出来が落ちるのは否めません。

2009.02.03読了

エンジン・サマー Engine Summer  ジョン・クロウリー

ネタバレ感想 1979年発表 (大森 望訳 扶桑社文庫 ク22-1)

[紹介]
 はるか未来、機械{エンジン}の文明が崩壊して人口が激減した後、残された人々は様々な遺物に取り巻かれた中で独自の文化を築いていた――リトルベレアの町で暮らす少年〈しゃべる灯心草〉{ラッシュ・ザット・スピークス}は、幼い頃から様々な物語を聞かされるうちに、物語として語られる“聖人”となることを夢見るようになり、やがて幼馴染の少女〈一日一度〉{ワンス・ア・デイ}の後を追うようにリトルベレアの町を出る。“樹上の聖人”との暮らし、〈ドクター・ブーツのリスト〉との遭遇、〈一日一度〉との再会、そして――〈しゃべる灯心草〉が〈天使〉を相手に語り続ける物語は、すべてクリスタルの切子面に記録されていく……。

[感想]
 現代の延長線上にあるテクノロジーが失われた後、新たに独自の(しばしばファンタジー風の)文明が構築された世界――という、(「訳者あとがき」にもあるように)ジャンルSFとしては定番の舞台に、青春小説としてはこれまた定番といえる、主人公の少年の一人称で語られる“ボーイ・ミーツ・ガール”の要素を含んだ物語が組み合わされ、体裁としては青春SFの王道となっていますが、なかなか一筋縄ではいかない読み応えのある作品です。

 本書は、主人公の〈しゃべる灯心草〉が〈天使〉という特定の聞き手に向けて語っていく――さらにそれが“クリスタル”に記録されていく――という形式。基本的には過去の回想なので内容がある程度整理されているのはもちろんですが、それでも、特に〈しゃべる灯心草〉の生い立ちやリトルベレアでの暮らしが説明される序盤がややとりとめのない印象を与えているあたり、聞き手の存在しない一人称とはひと味違った“生”の語りの臨場感のようなものがうかがえます。

 その中で、機械{エンジン}の文明が繁栄していた頃の物語、文明の崩壊にまつわる物語、そして様々な“聖人”たちの物語など、古くから語り継がれてきた物語を聞かされて育った〈しゃべる灯心草〉は、“聞き手”から“語り手”を、さらには物語として語られる“聖人”を目指すようになっていきます。このような物語をめぐる立場の変遷、とりわけ“物語の登場人物”になることを意識するという指向にも表れているように、本書は“物語についての物語”――メタフィクションであることを鮮明に打ち出した作品といえます。

 自ら“語り手”をつとめることで“物語の登場人物”となった〈しゃべる灯心草〉――その物語は、大森望氏が「訳者あとがき」“絵に描いたようなツンデレ・ヒロイン”と評している、“初恋の少女”〈一日一度〉との交流を一つの軸としているのは確かですが、それ以上に〈しゃべる灯心草〉の旅を通じて描き出される美しくも謎めいた世界の姿が印象的。意味がおぼろげなまま様々なディテールが積み重ねられていくことによって、読者の目にはすべてが幻想を帯びて映ることになり、実に魅力的な物語世界が構築されています。

 しかし、ただ物語の美しさに浸りながら読み進めていくと、ある意味で意表を突いた結末に困惑を覚えてしまうのも事実です。「訳者あとがき」にて親切に補足説明がされているため、結末の意味そのものはよくわかりますし、作者の狙いも理解できなくはないのですが、個人的に今ひとつ好みの結末ではなかったのが少々残念。とはいえ、やはりよくできた作品だというのは間違いのないところでしょう。

2009.02.24読了

インシテミル  米澤穂信

ネタバレ感想 2007年発表 (文藝春秋)

[紹介]
 アルバイト情報誌に掲載された、とある実験の被験者募集の広告。1120百円という破格の時給は誤植かとも思われたが、それぞれに思惑を抱えた人々が応募し、選ばれた十二人の被験者たちが地下に作られた実験施設〈暗鬼館〉に送り込まれる。被験者たちはそこで二十四時間〈監視〉されながら一週間を過ごすことになっていたが、主催者は被験者たちの不法行為を一切不問に付すと宣言した上に、配布された〈ルールブック〉には、人を殺した〈犯人〉、殺された〈被害者〉、解決した〈探偵〉などにボーナスが発生するという規定が記され、さらに……。とはいえ、時給は広告に示された通りの高額で、被験者たちは一週間何もせずに大金を得ることで合意した――はずだった……。

[感想]
 青春ミステリの名手とされている作者が、ミステリに(題名の通り)“淫してみる”という趣向のもと、極度に人工的なクローズドサークルを舞台に本格ミステリの味付けが施された殺人/推理ゲームを展開した作品で、受賞こそ逃したものの第8回本格ミステリ大賞の候補作に選ばれています。

 被験者たち12名が送り込まれる実験施設〈暗鬼館〉は、外界から隔離されたクローズドサークルというだけでなく、綾辻行人『十角館の殺人』を思わせる見取図や、十二体の“インディアン人形”*1、カードキーに記された〈十戒〉、その他諸々のミステリのガジェットが盛り込まれた空間で、主催者の意図が強く表れています。が、対する被験者たちが誰一人としてそれらガジェットに特段の言及をしないのは、肩すかしを食わされたような何とも不思議な感覚*2で、一般的な“館もの”ミステリとは一線を画した一筋縄ではいかない作品であることをうかがわせます。

 被験者たちの合意もむなしく殺人ゲームが始まるという“お約束”の展開にあって、視点人物となる学生・結城理久彦が人並み以上に神経の太い楽天家であり、さらに他の被験者の中で結城が最も強く意識する*3須和名祥子が桁外れに超然とした態度を保っているせいか、(皆無とはいわないまでも)思いのほかサスペンスに乏しいのは好みの分かれるところかもしれませんが、ゲームとしての枠組みが強調されている本書には合致しているといえますし、殺人/推理ゲームそのものの(ある意味)予断を許さない展開は読者を引き込むのに十分な力を備えています。
 以下、そのあたりについてもう少し詳しく。

↓以下の文章には、本書の具体的な内容を暗示する記述が含まれています(一部伏せ字)。本書を読む前に先入観を持ちたくないという方は、ご注意下さい。

 被験者たちに配布された〈ルールブック〉には細々とした規定が記されています*が、“犯人”・“探偵”・“解決”といった語句に惑わされそうになるものの、それらは〈暗鬼館〉でミステリ的な状況を成立させるための“ルール”(あるいは“お約束”)ではなく、あくまでゲームを進行させるための〈ルール〉です。そして、その〈ルール〉によって規定される本書の殺人/推理ゲームの本質は、報酬・ボーナス・ペナルティをめぐる“非ゼロ和ゲーム”(→Wikipedia)に他なりません。

 作中では確かに殺人に関する推理と解決が行われるものの、本書の殺人/推理ゲームにおける“解決”とはそれらボーナスやペナルティを決定するためのプロセスにすぎず、そのために〈ルールブック〉には(おそらく)ゲームを円滑に進行させるための規定として、“解決”を一般のミステリとはまったく違った位置づけとする、すなわち一般のミステリを真っ向から否定するような文言まで含まれています。

 その結果、物語はミステリとしての予定調和から逸脱してアンチミステリの側にまで踏み出すことになり、どのような形でどこへ着地するのかまったく予断を許さない展開となっています。このあたりが、本書の最大の見どころといえるのではないでしょうか。

*: それでも、様々な瑕疵や隙(→例えば「『インシテミル』の〈ルールブック〉について - 一本足の蛸」を参照)が見受けられるのが残念なところですが。

↑ここまで

 とはいえ、最終的な着地点には拍子抜けというか……面白いと思える部分があるのはもちろんですが、総体的にみれば後半から終盤にかけての展開から期待したものとはだいぶ違っていたのが、非常にもったいなく感じられるところです。加えて、読み進めている間はさほど気にならなかったものの、細部に気をつけて読み返してみると色々と粗が目につくのも事実で、とりわけ実験の主催者が随所で(本来の目的をよそに)作者の都合に奉仕する形になっているのは、興ざめといわざるを得ません*4

 というわけで、終盤近くまでは実に面白かったのですが、個人的にはかなり残念な印象。あまり深く考えずに一気に読み終える分には、十分に楽しめる作品だと思いますが……。

*1: 作中では“ネイティブアメリカンの人形”(40頁)と表記されています。
*2: 特にミステリに慣れ親しんでいる読者であればあるほど、“スルー”する被験者たちの代わりにガジェットを強く意識せざるを得なくなり、結果として(作品内の登場人物に同調する視点ではなく)作品外からであることが明らかな視点――メタ視点を絶えず自覚させられることになるのではないかと思われます。
*3: といっても、恋愛感情があるというわけではありません。
*4: このあたりは、「2007-11-19 - 平穏無事な日々を漂う~漂泊旦那の日記~」“逆算式で詰将棋を作ったはいいが、余詰が多すぎるので無理矢理盤上に駒を配置した結果、不格好なままのものが完成した。そんなイメージを持った作品である。”という感想に近いものがあります。

2009.03.03読了  [米澤穂信]