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  4. イヴリン嬢は七回殺される

イヴリン嬢は七回殺される/S.タートン

The Seven Deaths of Evelyn Hardcastle/S.Turton

2018年発表 三角和代訳(文藝春秋)/(三角和代訳 文春文庫 タ18-1(文藝春秋))

 分量と手間の問題で、引用箇所は文春文庫版のみ示しています。


 まず、主な出来事を――イヴリン殺しに直結する部分は後回しにして――ある程度まとめておきます。

一日目:セバスチャン・ベル(医師)

 記憶を失った状態からの「一日目」は舞台と人物のチュートリアルといったところで、ダニエル・コールリッジ、ドクター・ディッキー、マイケル・ハードカースル、そしてイヴリン・ハードカースルなど主要登場人物と出会い、十九年前の事件(トマス殺し)についても概略を説明されます。イヴリンが井戸でメモを手に入れたこと(71頁)、そしてヘレナ・ハードカースルが朝から見つからないこと(57頁)が地味に重要な情報です。

 〈黒死病医師〉も(エイデンの主観では初めて)登場しますが、この時点で“ルール”の説明はなく〈従僕〉についての警告のみ。最後はその〈従僕〉の脅迫で意識を失うことになります。

 〈従僕〉については、〈黒死病医師〉がその行為を認識している上に、エイデンの宿主を的確に狙っている――「七日目」最後の“あとふたり”(481頁)という台詞も参照――ことから、エイデンの競争相手(108頁)かと思わされました*1が、〈黒死病医師〉が“屋敷にとらわれた人間はほかにふたり”(108頁)“この屋敷に送られたのはふたりだけだ”(517頁)と明言し、ダニエルが“〈従僕〉はきみやわたしやアナとは違う”(488頁)以下のように説明しているとおりだと考えられます。

*1: エイデン(ラシュトン)自身も、ダニエルの嘘を見抜いた時点で“この屋敷から脱出しようとしているのは四人いる”(395頁)――エイデン、アナ、ダニエル、〈従僕〉の四人――と考えています。

二日目:ロジャー・コリンズ(執事)

 まず、屋敷にたどり着いたベルと対面することで、否応なくタイムループに気づかされるのが巧妙で、宿主の順序がよく考えられています*2。その後いきなりゴールドに殴られて負傷し、気絶して早々に「三日目」に移行するという意外な展開を迎えますが、後にこれは、執事(とゴールド)を〈従僕〉から守るためだったことが判明します。

 しかし、ゴールドのスケッチブックに記されているらしい“〈従僕〉は朝のうちに執事とゴールドを殺すことになってる”(399頁)という情報は、どうやって得られたのか疑問です。執事とゴールドが実際に殺された場合には、エイデンは他の宿主の立場でそれを知ることもできますが、対策の結果、“朝のうちに執事とゴールドを殺す”ことが未遂ですら起きないので*3エイデンが〈従僕〉の犯行を知ることはできないはず。そしてその情報がなければ、ゴールドが執事を殴るのをやめてしまうおそれがあるでしょう。

 後の宿主からたびたび執事に戻ってくることで、読者が設定を把握しやすくなっている面もありますし、〈黒死病医師〉との対話で説明される情報も重要です。そして最後は、「六日目」「七日目」の間にアナの“裏切り”で〈従僕〉に刺された後、「八日目」の途中でアナとともに〈従僕〉を倒します。

*2: これも〈黒死病医師〉の試行錯誤(250頁~251頁)のたまものでしょうか。
*3: “〈従僕〉がいまぐらいの時間にラシュトンを狙う”(392頁)の方は、実際に起きた出来事なので、スケッチブックに記すことができます。

三日目:ドナルド・デイヴィス(遊び人)

 夜が明ける前に〈黒死病医師〉から“ルール”を説明された*4後、屋敷から逃亡するという「二日目」に続いての“変化球”に意表を突かれますが、逃亡は案の定うまくいかず、一日を無駄にした……かと思いきや、力尽きて“午後九時三十八分まで”(251頁)眠っていることが〈黒死病医師〉から明かされ、〈従僕〉が犯行を重ねるにつれて生き残りとしての重要性が増していくのがうまいところです。

 「七日目」の後*5についに再登場し、ダニエルと対決することになります。ダニエルに手を貸していた〈銀の涙〉の登場にまず驚かされ、ダニエル一味に対抗するための援軍――グレイス・デイヴィス、ルーシー・ハーパー、テッド・スタンウィンの用心棒(!)*6の登場も予想外*7。最後はダニエルと格闘の末、湖に沈んでいきます。

*4: エイデン(と読者)にとってはやや遅すぎる気もしますが、〈黒死病医師〉からすると一日の最も早い時間(“朝の三時十七分”(103頁)より前)に説明したことになります。
*5: 「五日目」「六日目」の間に「二日目」(執事)に戻っていない(執事は意識を失ったまま?)ので、このタイミングで「三日目」(デイヴィス)に戻るはずではないか、という気もするのですが……。
*6: ラシュトンは“彼の命を救った”(437頁)としていますが、スタンウィンは予定どおり(?)ダニエルに殺されたと考えられます。
*7: ラシュトンがカニンガムに“人を少し集めてもらいたい”(441頁)と頼み、カニンガムがダービーに“あの人たちはいつでも準備ができています”(267頁)と伝えたことが伏線になっています。

四日目:セシル・レイヴンコート(銀行家)

 図書室で宿主たちに招集をかけたものの、〈銀の涙〉から情報を得たと思しきダニエルだけが現れ*8、情報交換もあまり首尾よくいきません。その後、従者のチャールズ・カニンガムに調査の指示を出すなど、いよいよ謎解きに本腰を入れ始めます。

 カニンガムは、動きのとれないレイヴンコートに代わって調査をするだけでなく、ラシュトンやデイヴィスの友人であり、ダニエルともつながりがある上に、ハードカースル家にも深く関わっているという、超重要人物となっています。レイヴンコートがそのカニンガムに、人格転移を打ち明けて協力を取り付けたのは大ヒットで、やや不自然なまでに顔を合わせない宿主たち*9の間を埋めて(アナもそうですが)、宿主たちの手が足りない部分を補い、解決に大きく貢献しています。

 晩餐の席でイヴリンとの婚約が発表された後、エイデンとしては初めて*10イヴリン殺しを目撃し、眠りに落ちて終了します。

*8: レイヴンコートより前の三人はそもそも隠された招集に気づくことができず、ダービーは殴られて気絶している最中、ゴールドは縛られて吊られた状態なので集合は不可能。ダンスとラシュトンもそれぞれに忙しいので、やむを得ないところでしょうか。
*9: 顔を合わせたのは、(時刻順に)ダンスとゴールド、ベルと執事、執事とゴールドの三度(おそらく)で、あとはラシュトンがゴールドを殴り、執事に散弾銃を届けた(451頁)(のを執事が目撃した(286頁))くらいです。
*10: 他には「五日目」「七日目」のみ(「八日目」は意味合いが違います)で、“イヴリン嬢は七回殺される”という題名の割には意外に少ない回数です。

五日目:ジョナサン・ダービー(ならず者)

 まずチャーリー・カーヴァーのコテージでイヴリンを救おうとするものの、メイドのマデリン・オーベールを襲ったと勘違いされた上に、ベルにも殺人者だと思われてしまい、“幻の殺人事件”を自ら演出する羽目になるのが皮肉です。

 その後は、母ミリセントと会話し、アナと出会って指示を受け、スタンウィンに呼び出されて用心棒と対決し、スタンウィンの部屋で暗号手帳とフェリシティ・マドックスの手紙を発見し、何者か(実はカニンガム(436頁))に殴られて長時間気絶し、ディッキーの銀のピストルを盗み、カニンガムから“みんな”(268頁)というメモを受け取り、ミリセントの死を知らされ、イヴリンに銀のピストルを渡し……と大忙し。最後は、アナの指示どおりに目印の場所に立ち、「四日目」微妙に違う(この改変については後述)イヴリン殺しを見届けた後、〈従僕〉に殺されます。

六日目:エドワード・ダンス(弁護士)

 早朝、「エイデン」と呼びかけるゴールドに起こされることで、ゴールドが宿主の一人だと判明します。そして再び目覚めた後は、ハードカースル卿の弁護士という立場を生かして、主にハードカースル卿まわりの情報を入手することになります。スタンウィンのゆすりをダニエルが引き継ぐ話から、カニンガムの出生――噂されていたハードカースル卿の隠し子ではなく、ヘレナとカーヴァーの子だったことを知ります。

 ヘレナを事件の中心人物と考えて十九年前の事件に目を向け、馬丁親方ミラーの証言を得て疑念を深め、狩猟の際にスタンウィンを問い詰めるものの、新たな証言は得られず。そしてダニエルによるスタンウィン殺しが発生した後、狩猟から戻ってきたところを〈従僕〉に殺されます。

七日目:ジム・ラシュトン(巡査)

 物入れで目覚め*11、アナの“裏切り”を追及するもかつてアナを殺したことを知らされ、〈従僕〉と対決してその鼻を折り、宿主の残り人数からダニエルの嘘に気づき、執事を殴ったゴールドを殴り倒します。

 巡査らしく捜査を行いながら、スタンウィンを脅して過去の事件について新たな証言を手に入れ、ダニエルと〈従僕〉の共謀を目撃し、ゴールドのメモに従ってベルのトランクから解毒剤*12を手に入れ、カニンガムに依頼をした後、ハードカースル卿の毒殺死体を発見することになります。

 一気に真相に近づいた状態で事件を待ちますが、完全解決には至らないまま〈従僕〉に殺されます。

*11: これは〈黒死病医師〉の介入です(517頁)が、さすがにやりすぎではないかと心配(?)になります。
*12: メモの内容が画家のゴールドにはそぐわない気もしますが、“ストリキニーネの使われた事件”(448頁)を扱ったラシュトンの知識をエイデンが活用した、と考えれば納得です。

八日目:グレゴリー・ゴールド(画家)

 「六日目」と違ってダンスを起こすことはなく(509頁)*13、〈黒死病医師〉に解答を伝えて受け入れられた後、仮面を取った〈黒死病医師〉からアナの過去を知らされるものの、アナと二人で脱出する道を探すことを選択。他の宿主を既定どおりに動かすために手紙をばらまいてから、執事を殴って拘束されます。

 拘束から解放された後、アナとともにボート小屋でヘレナの死体を発見し、ついに犯人と対峙することになります。

*13: ラシュトンに届けた“GG”(405頁)というイニシャル入りのメモで、ゴールドが最後の宿主であることは伝わりそうなので、物語上の問題はないかもしれません(設定上の問題はあると思いますが)。

 本書では、〈黒死病医師〉の“ここで起こることにひとつとして避けられないものはない”(365頁)という言葉のとおり、〈ブラックヒース館〉での出来事の改変は自由であり、エイデンは様々な形で登場人物たちに干渉し、事態を変えようとしていますが、本書で描かれた出来事の改変には大きな問題のある部分があります。例えば、前と変わった。”(281頁)とあるように、イヴリン殺しの状況が「四日目」「五日目」で違っていますが、これは設定からするとあり得ない事態といえます。

 エイデンの主観では(一見すると西澤保彦『七回死んだ男』と同じように)事件当日を八回繰り返す形になりますし、作中では宿主同士がほとんど接触しないので目立たなくなっていますが、実際にはすべての宿主が毎日エイデンとして行動しています。ベルの焦げた手袋を例にとれば、アナからの伝言の“手袋を忘れないように。焦げてるから。”(53頁)という注意は、「六日目」にダンスが書き足した(329頁~330頁)ものですが、ベルの視点では「一日目」のダンスが「一日目」のベルの記憶を持ったエイデンの意思で)書いたことになります。

 これをシンプルに考えれば、「六日目」のダンス(エイデン)と「一日目」のダンス(エイデン)が同一の存在だと解釈するのが妥当でしょう。つまり、エイデンの主観での八日間は(『七回死んだ男』と違って*14“同じ一日”*15であって、それぞれの宿主の立場からのエイデンの介入はいわば“同時並列的”に行われていると考えられます。そしてそうだとすると、イヴリン殺しの凶器が最初から黒いリヴォルヴァーではなく銀のピストルだったのと同じように、「五日目」以外でも当然、イヴリン殺しは同じ結果に改変されていなければならないはずです。

〈同じ一日モデル〉
エイデンの主観での日付
一日目二日目三日目四日目五日目六日目七日目八日目
客観
(一日)
ベル執事デイヴィスレイヴン
コート
ダービーダンスラシュトンゴールド

 そして“同じ一日”ということはまた、エイデンが(今回の)八日間にそれぞれの宿主の立場で体験したことは、エイデンの主観で何日目であってもすべて同じように起こらなければならないことを意味します。例えば、ラシュトンがダニエルの殺意をスタンウィンに告げています(416頁)が、「六日目」にスタンウィンが殺されたからには、(エイデンの主観で)他の日にも同じように殺されていることになります。このように、出来事が改変されたとしても、エイデンが体験できるのはその結果だけであり、それぞれの宿主の間で出来事が“変化した”と認識することはできないはずなのですが……。

 それでも、「五日目」にイヴリン殺しの状況が変わった(「四日目」「五日目」“別の一日”)とすれば、「四日目」のダービー(エイデン)は「五日目」のダービー(エイデン)と異なる行動をとったのですから、それぞれのダービーに憑依したエイデンは“同じエイデン”ではなく、別の主観のエイデンということになります。ということは、〈ブラックヒース館〉では独立した“八人のエイデン”――いわば“エイデン1”~“エイデン8”が、一日ずつずれた状態で並行して動いていると考えざるを得なくなるのですが……これはどうなのか。

〈別の一日モデル〉(一部のみ)
エイデン1の主観での日付
一日目二日目三日目
宿
ベルエイデン1エイデン2エイデン3
執事エイデン0エイデン1エイデン2
デイヴィスエイデン-1エイデン0エイデン1

 エイデンにとっては、他の宿主が“別のエイデン”だとすると意図したとおりに動いてくれるのか不明*16ですし、八日間の間に毎日アナが“リセット”されるのも苦しいところ。加えて、〈ブラックヒース館〉の管理者側としては、“一人のエイデン”を〈ブラックヒース館〉に送り込むだけでもイレギュラーなところ、わざわざ“八人のエイデン”を(一日ずつずらして)送り込み続ける意味はまったくありません。結局のところ、“八人のエイデン”を送り込むというのは宿主同士の協力を可能にする効果しかなく、管理者側には何もメリットがないのです。

 このように、〈別の一日モデル〉にはかなり無理があるのですが、〈同じ一日モデル〉ではエイデンが出来事の変化を認識している*17ことに説明がつかないので、〈別の一日モデル〉が正しいと考えるよりほかありません……と思ったのですが、「八日目」序盤の“ダニエルの拷問で頭がおかしくなり(509頁)というのが問題で、「七日目」以前のゴールドがそのような状態だったとすると、スケッチブックで数々の的確な指示を出せるのは「八日目」のゴールドだけということになり、〈同じ一日モデル〉でなければうまくいかなさそうです。

 いずれにしても、この部分というか、続く“わたしがダニエルの裏切りを見抜いて墓地で負かしたことで(中略)わたしはこの日を書きかえた。”(509頁)というのは致命的な誤りです。これは、「三日目」にダニエルを倒したことで、ゴールドが拷問を回避することができたというもので、ここからのゴールドの活躍が事件解決に不可欠ですが、ダニエルを倒したその時刻以前の出来事は変わらない*18――実際、「三日目」と同じようにアナが殺害する(551頁)までダニエルは生きている――ので、残念ながらゴールドの活躍は不可能。ということで、厳密にいえばプロットが破綻してしまっているのは否めないところです。まあ、あまり気にしても仕方ないところではあるかもしれませんが……。

*14: 『七回死んだ男』の場合、ループを認識できるのが主人公一人だけで、主人公による“その日”の介入だけが“その日”の結果を生じます。
*15: 例えば〈黒死病医師〉にとっては、すべてが一日の出来事になるはずです……が、「八日目」の朝にゴールドから解答を受け取った後の時刻の、他の宿主に憑依したエイデンに対する様子をみると、よくわかりません。
*16: 「五日目」のイヴリン殺しでいえば、「四日目」のラシュトンが銀のピストルだけでは不十分だったことを知り、「五日目」のゴールドとして追加の指示――アナの“作戦その二(229頁)という言葉に注目――を出したことになりますが、“同じエイデン”であればゴールドはダービーが指示のとおりに行動したことを体験しているのに対して、“別のエイデン”だとするとゴールドは結果を確認できない状況です。
*17: 「五日目」のイヴリン殺しの他にもう一つ、「八日目」“おまえが〈従僕〉を殺したのならば、〈従僕〉はラシュトンのこともダービーのことも殺していない。”(549頁)とありますが、「二日目」に〈従僕〉が殺されたのが九時三十分頃(545頁)なので、イヴリン殺しの後(十一時過ぎ)にラシュトンやダービーを殺すことができないのはいいとして、“このエイデン”は「七日目」以前にラシュトンとダービーが殺されたと知っていることになります。
*18: 拷問の時刻がはっきりしませんが、事件当日の未明であれば当然ダニエルは生きている(もしくは“リセット”されて復活している)ので、回避は不可能。万が一、事件前夜の出来事だったりすれば、タイムループでもどうしようもありません。

*

 さて、殺人には見えないから犯人も捕まらない”(102頁)とされているイヴリン殺しですが、レイヴンコートが目撃した限りでは確かに自殺にしか見えない状況で、レイヴンコートとの結婚というおあつらえ向きの動機も用意されています。レイヴンコートが疑問を抱いている(186頁)ように、イヴリンが持っていた*19黒いリヴォルヴァーではなく銀のピストルが凶器として使われたのが唯一引っかかるところですが、その銀のピストルは(ディッキーから盗んだ)ダービー、すなわちエイデン自身がイヴリンに渡したことが判明し、よくわからなくなります。

 とはいえ、それが自殺ではなく殺人であることを〈黒死病医師〉が保証しているというメタレベルの手がかり、さらにイヴリンが受け取った自殺を強要する手紙(276頁~277頁)――さらには“彼女はなぜ心配していない?”(264頁)というエイデンの疑問――を踏まえれば、ラシュトンがたどり着いた“偽装自殺に乗じた殺人”という推理は妥当なところ。そして、イヴリンの寝室でスタートピストルや血の入った小瓶を発見した(452頁~453頁)ことで偽装自殺が裏付けられる一方、(ダンスが目撃した(351頁)ように)もう一挺の黒いリヴォルヴァーをマイケルが持っていたことから、[マイケル・ハードカースルが犯人]という結論に至るのも納得です。

 黒いリヴォルヴァーから口径の違う銀のピストルへと、イヴリンが偽装自殺に使う銃を取り換えることで、犯行を阻止しようとするラシュトンの計画はなかなかよくできていますが、「四日目」“腹に開いた穴”(184頁)とあるように銃の取り換えだけではイヴリン殺しを阻止できず、「五日目」(と「七日目」)で指示された位置に立ったダービーが犯人の邪魔になって(281頁/465頁)、ようやく殺人を阻止できるという展開が(前述のように問題はあるものの)面白いところです。

 しかし、ラシュトンがマイケルによるイヴリン殺しを阻止したところで、そのマイケルが(イヴリンの毒殺未遂とともに)毒殺されてしまい*20、ここに至って“もう一人の犯人”の存在が浮かび上がってくる展開が非常によくできています。そして、アナと一緒に〈ブラックヒース館〉から脱出するために“もう一人の犯人”探しを引き継ぎ、“ミリセント・ダービーが知っていたことはなにか。そしてヘレナ・ハードカースルはどこにいるのか?”(510頁~511頁)という疑問から出発して真相を解き明かしたゴールドが、アナに示す解答への数々のヒント(556頁)が圧巻。

“十九年の時を隔て、トマス・ハードカースルとレディ・ハードカースルをまったく同じ方法で殺害できたのは誰か?”

 カーヴァーの犯行とされてきたトマス殺しですが、ダンスが入手した馬丁親方の証言(337頁~340頁)で“カーヴァーが犯人ではない”こと*21、ラシュトンが入手したスタンウィンの新証言(418頁~421頁)で“ヘレナが真犯人である”こと、がそれぞれ示唆されます。

 しかし、ヘレナが一年前に“服を見つけた”(359頁)せいで様子がおかしくなったこと、そしてボート小屋でヘレナの死体とともに“うっすらと血の残る女物の服”(554頁)が見つかったことを考え合わせると、トマスとヘレナは“まったく同じ方法で殺害”されたと考えられるので、二つの事件に関係し得る女性容疑者は……。

“なぜイヴリンは(中略)“わたしは違う”そして“ミリセントは殺人”と言ったのか? なぜ彼女は、フェリシティ・マドックスに与えた印章指輪をもっていたのか?”

 ダービーが発見したフェリシティからイヴリンへの手紙に、“印章指輪を(中略)わたしに送ってくだされば”(247頁)と記されていたことから、印章指輪を持っていた人物はイヴリンではない――“わたしは違う……”(478頁)という言葉もそれを意味する――と考えられます。

“ミリセント・ダービーはなにを知っていたから殺されたのか?”

 ダービーとの会話の途中で突如黙り込み、“とても妙なことを思いついた”(223頁)と言い残して去って行ったミリセントが、その後に厨房で“メイドのなかで妙な行動をしている者はいないか”(147頁)*22と訊ねたことが手がかり。ミリセントが目にしたのは、イヴリン、マデリン、ルーシーがいる場面(222頁)ですが、ミリセントの質問を隠さず説明しているルーシーを除外すると、残るメイドはマデリン一人となります。

 ついでにいえば、イヴリンが井戸で手に入れた“ミリセント・ダービーには近づくな”(162頁)というメモには、印章指輪の“小さな城{カースル}(247頁)に通じる“簡単な城の絵”(162頁)が描かれていましたが、それを署名として使いそうなのは(ダービーの考え(247頁)とは逆に)印章の本来の持ち主でしょう。

“屋敷自体はボロボロなのに、グレゴリー・ゴールドが家族のあたらしい肖像画を描くために雇われたのはなぜか?”

 何をおいても新しい肖像画(“グレゴリー・ゴールドの署名”(145頁)*23が必要だった、すなわち以前の肖像画では問題があったので描き直された*24と考えると……。

“ヘレナ・ハードカースルとチャーリー・カーヴァーが嘘をついても守るだろう人物とは誰か?”

 ダービーが受け取ったみんな(268頁)というメモ*25は意味不明でしたが、その答えに対する“ミセス・ドラッジに訊ねて”(441頁)もらったラシュトンの質問が“ヘレナの子のなかに、ほかにチャーリー・カーヴァーの子はいるのか。”(555頁)だと明かされると、途端に凄まじい意味を持ってきます。

 アナは“いまはもうみんな死んでるじゃない”(555頁)と反応していますが、アナが出生の秘密を知らないカニンガムの他に、確実に死んだトマスとマイケルを除けば、残るは一人

 ということで、これらのヒントから導き出される結論――“マデリン”を名乗っているのが本物のイヴリンであり、“イヴリン”は身代わりとなったフェリシティ*26であって、十九年前にトマスを殺害し、ヘレナを殺して“イヴリン”(フェリシティ)を毒殺しようとした[イヴリン・ハードカースルが犯人]という真相が秀逸です。

 ハードカースル卿殺しについては、あっさり交換殺人だった”(565頁)とされていますが、実行犯自身に疑いが向くような痕跡が残されているのは異例で、交換殺人の可能性を想定しづらく、真相が見えにくくなっている感があります。実行犯の身代わりの存在を利用した、なかなか面白い仕掛けだと思います。

 最後は、毒殺されかけたフェリシティが本物のイヴリンを射殺し、アナが〈黒死病医師〉に[フェリシティ・マドックスが犯人]という解答を伝えて、二人そろって〈ブラックヒース館〉から脱出できるという見事な結末で、複数の解答が受け入れられ得る真相が用意されているところが、物語の展開と合わせて実によく考えられています*27

*19: ベル(86頁)とダービー(202頁)が目にしています。
*20: 同じストリキニーネで毒殺されたことが、マイケルがハードカースル卿殺しの犯人ではないことを示唆する伏線といえるかもしれません。
*21: カニンガムが明かした(439頁~440頁)、カーヴァーが不在の間に起きた馬丁の少年の失踪事件――馬丁親方も言及しています(336頁)――も、カーヴァーが潔白であることを匂わせるものです。
*22: この時点では、レイヴンコートと〈従僕〉がアナを探すために同じ質問をしたことで、ミリセントの意図が目立たなくなっているのが巧妙です。
*23: ハードカースル卿夫妻が“どちらも黒髪に黒い目”(144頁)なのに対してイヴリンが“ブロンドの髪”(58頁~59頁)では、遺伝的に問題があるようにも思われます――“マデリン”が“黒髪”(506頁)であることにも注意――が、イヴリンの子供時代を知っているカニンガムやグレイスが不審を抱いていないところをみると、髪を染めた(脱色した)ということになっている、と考えていいでしょうか。
*24: しかしその場合、ハードカースル卿夫妻も計画を了承していることになりかねないので、ヘレナ殺しの動機が怪しくなってくるような気が……。
*25: ゴールドがアナに渡したのは、ゴールドの乱れた手書き”(549頁)による別物です(カニンガムが届けたメモはそのままダービーが持っているはず)。
*26: 文春文庫の阿津川辰海氏による解説で指摘されている名前ネタ(590頁)は、確かに何だか紛らわしい名前だとは思っていたのですが……。
*27: 裏を返せば、エイデンが“ふたりとも逃げだせる計画を思いついた”(191頁)ということが、複数の名前が解答となり得る真相であることを暗示していた、ともいえます。

*

 最後に〈ブラックヒース館〉の設定について、〈黒死病医師〉の“来る日も来る日も同じように出来事が発生するのは、招待客たちが毎日同じ決断を下しつづけるからだ”(365頁)という言葉をみると、(エイデン、アナ、“ダニエル”*28を除く)登場人物たちの行動はあらかじめプログラムされているのではなく、何らかの形で人格を再現された登場人物たちが自律的に行動する形になっているようです。つまり、未解決事件の関係者の人格と舞台を丸ごと再現して勝手に行動させることで、同じように事件が発生することになっている、と考えてよさそうです*29

 ただしその場合、“殺人には見えない”事件をどうやって“未解決事件”として拾い上げたのか、という疑問は残ります。実際に起きた事件であれば当然その後に発覚したはずの、ハードカースル卿夫妻殺しまで考慮に入れても、状況からして“イヴリンが両親を殺して自殺した”と判断され、“未解決事件”と見なされることはなさそうですが……。

 それはさておき、自律的に行動する犯人が勝手に犯行に及ぶとしても、〈ブラックヒース館〉での登場人物たちの行動を“神の視点”*30で俯瞰すれば、事件の真相は判明するのではないか、とも思えるのですが、〈黒死病医師〉のわたしの立場ではそれを知ることができない”(206頁)という発言をみると、〈黒死病医師〉の上司だけが真相を知っているということはありそうです。

 なお、文春文庫の阿津川辰海氏の解説では“〈黒死病医師〉が「真相」として想定していたのが「第一の名前」(注:マイケルのこと)であり、“〈黒死病医師〉が(中略)「第一の名前」までは気付いたのだろう。”(いずれも591頁)とされていますが、個人的には〈黒死病医師〉の“わたしは殺人者が誰か知らない”(206頁)という言葉を信用したいところです。

 ゴールドが解答した場面(512頁)で、〈黒死病医師〉が犯人の名前だけで“正解判定”しているように見える――「第一の名前」を知っていたように思えるのは確かですが、ここではゴールドが描いた“絵”によって推理の具体的な説明がされている*31と考えられるので、それを含めて〈黒死病医師〉は“事件が解決された”と判断した、ということになるのではないでしょうか。

 フェリシティ・マドックスの殺人未遂が、“わたし自身にも上司たちにもまったく知られていなかった犯罪”(575頁)とされているのは若干気になります……が、そもそもエイデンが介入しなければ“イヴリン”殺しで終わりだった――ラシュトンが解き明かしたマイケルの計画のとおり、偽装自殺に乗じてマイケルが“イヴリン”を射殺し、“イヴリン”が(“マデリン”に)毒を盛られたことは発覚しない*32――わけですから、“上司たちにもまったく知られていなかった”というのも当然といえば当然でしょう*33

*28: 屋敷での様子(他の登場人物との関係)からみて、ダニエル・コールリッジという人物はもともと〈ブラックヒース館〉に存在したはずなので、エイデンと同じように(名前のわからない)“囚人”の人格がダニエルを宿主として“憑依”していると考えられます(アナはよくわかりません)。
*29: 実のところ、本文中には“実際に起きた事件を再現した”とは書かれていないと思う(見落としていたらすみません)のですが、何もないところからこれを組み立てるのは不可能に近いのではないでしょうか。
*30: 舞台の性質を踏まえれば、そのような機能がないはずはないでしょうし、〈銀の涙〉が〈ブラックヒース館〉に乗り込んできたのも、それによって〈黒死病医師〉の干渉に気づいたからだと考えられます……が、〈銀の涙〉がアナの行方を求めているところをみると、よくわかりません(少なくとも、〈黒死病医師〉の行動が(まだ)正式には問題にされていない様子なので、常時公式にチェックがされていることはなさそうですが)。
*31: この場面、その前の「七日目」の時点で[マイケルが犯人]というエイデンの解決が読者に対してすでに説明されているので、作者は繰り返しを避けるために“ゴールドの絵”という形をとったのでしょう。
*32: 事件当日の〈ブラックヒース館〉と登場人物がそのまま再現されたとすれば、おそらくフェリシティは“イヴリン”として(イヴリンは“マデリン”として)再現され、“フェリシティ・マドックスなる人物は〈ブラックヒース館〉存在しない”と認識されていた、ということもあります。
*33: 文春文庫版の阿津川辰海氏の解説で、“「問題の作り手」=〈黒死病医師〉たちさえ想定しない真相まで読み解けるように「再現」されたとすれば、これは御都合主義に陥ってしまうが、タートンはその問題も巧みに回避してみせている。”(591頁)とされている点も、これはこれで確かにそのとおりだと思います。

2019.10.30読了