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グラン・ギニョール城/芦辺 拓

2001年発表 ミステリー・リーグ(原書房)

 虚実の交錯という現象の真相は、非常によくできています。芝居が“虚構”を“現実”に近づけるという一面も備えていることは間違いないでしょうし、作中作『グラン・ギニョール城』を実演しなければならない理由にも、それなりの説得力があると思います。森江春策とカートライト警部の到着のタイミングが重なっているのは都合がよすぎるように思われるかもしれませんが、これはすでに進行していた芝居が一時中断され(“カートライト警部”が到着しないことには芝居が進められないのですから)、森江春策が鳴らした(と思われる)鐘の音を合図に再開されたと考えれば、まったく問題はないでしょう。

 そしてまた、虚実の双方において“日下邦彦”が犯人だという趣向も面白いと思いますし、キーワードとなっているその名前を書かせるという企みも巧妙です。

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 ただし、このような虚実の絡みが追求されることで、作品全体に無理が生じているのも無視できないところです。

 例えば、作中作におけるキーワードは、作者である“巨匠”の稚気によるものということになってはいますが、少なくとも「ミステリー・リーグ」の読者にとっては何の意味もありません。森江春策の推理通りに作中作の犯人が“クサカ・クニヒコ”であったとしても、英語圏の読者にとっては、それが漢字で“日下邦彦”と表記され、“天が下、国中の賢者”を意味するとはわからないのですから。

 また、作中作と“現実”の双方で“チャン・スー・リン”が“マローワン”とすり替わっていたという森江春策の推理も、強引に虚実を重ね合わせようとしているにすぎず、根拠らしきものは見当たりません。

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 作中作『グラン・ギニョール城』と森江春策によるその解決には、いくつかの問題があると思います。

 まず、最も目につくのはやはり、ホッホマイヤー博士殺しです(この項は多いので、以下箇条書き)。

1)伏線
 “最新式の起重機だか探査機だか”という作中作の記述をもとに、“小型だがごく強力な電磁石”の存在を導き出すのは、いくら何でも無理ではないでしょうか。
2)実現可能性
 作中作では、甲冑がホッホマイヤー博士もろともベランダへ引き寄せられています。甲冑と博士の質量に床の摩擦、そして博士自身の抵抗する力を考えると、ものすごく強い磁力が必要になってくるのですが、それはとりあえずおいておきます。問題は、電磁石の方も同じ強さで甲冑に引き寄せられてしまうことがすっかり見落とされている(ように思える)点です。より正確にいえば、重さの軽い電磁石の方が甲冑に引き寄せられることになり、どこかに固定されていればいざしらず、腕だけで支え続けるのは無理ではないかと思われます。
 実際には、上の階のベランダの柵がストッパーになる可能性はあると思います。しかし、電磁石が甲冑にくっついてしまえばもちろんのこと、そうでなかったとしても、ホッホマイヤー博士(と甲冑)にベランダの柵を乗り越えさせるためには、強い磁力に抗して電磁石を引っ張るほかありません。結局は、甲冑と博士を直接引っ張るのと変わらないほどの腕力が必要なのです。
3)説得力
 甲冑を背負っていたことがホッホマイヤー博士にとって命取りだったわけですが、それではなぜ博士はそんなことをしたのか?
 これについて森江春策は、相手を脅すつもりだった、あるいは盾にするつもりだったと推測していますが、どちらにしても甲冑を背負っていては目的は達せられないでしょう。盾にするならばもちろんのこと、相手を脅すにしても甲冑の後ろに回る方が明らかに有効です。
 極端に不自然な行動であるにもかかわらず、納得のいく理由の説明はなされないまま。これでは、ご都合主義のそしりは免れないところでしょう。

 次に最後の事件。状況を考えると、いわゆる“早業殺人”の可能性が高いと思われますし、チャン・スー・リンとマローワンの強制的な共犯関係まではよしとしましょう。しかし、上にも書いたように、チャン・スー・リンとマローワンが入れ替わったという根拠はまったく見当たりません。マローワンの方がチャン・スー・リンを殺したという可能性も十分に成り立つのです。

 ホッホマイヤー博士殺しのトリックが森江春策の推理した通りだとすると、犯人ではあり得ないのはリリアン、ハリントン、ブレイス大佐、そしてナイジェルソープの4人だけ(170頁〜172頁あたりを参照)。マローワンがホッホマイヤー博士を殺したという可能性は否定できませんから、作中作『グラン・ギニョール城』は犯人当て小説として不完全といわざるを得ません。

 このようにあまり出来のよくない作中作を、“グラン・ギニョール好みの巨匠{マエストロ}ことジョン・ディクスン・カーの作品だといわれてしまうと、カーのファンとしては正直複雑な気分です。もちろん、カーの作品の中にも出来のよくないものはあるのですが……。

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 “現実”の事件の方では、(“チャン・スー・リン”に扮していた)勝川がいつ殺されたのかが気になります。

 森江春策は“入れかわりが完了した直後”(312頁)と指摘していますが、269頁〜274頁の描写をみると“ナイジェルソープ”が単独で“チャン・スー・リン”に近づいた様子はなく、犯行の機会はないように思えます。

 実際にはこの部分は“現実”ではなく、作中作『グラン・ギニョール城』の抜粋です。それは、森江春策の“死んでいますな、確かにこの人は”という台詞が、“原作によればもう少し前の方で出なければならないセリフだった”(276頁)と書かれている(すなわち、269頁〜274頁の描写と矛盾する)ことでわかるでしょう。

 つまり、“現実”の方は伏せておいて作中作の対応する場面を挿入することで、“ナイジェルソープ”こと日下邦彦に犯行の機会がなかったと見せかける叙述トリックだと思うのですが……これがどうもわかりにくくなっています。もちろん、叙述トリックをそのまま森江春策に解明させるわけにはいきませんが、例えば“原作と違って自分は“チャン・スー・リン”の死体に近づかなかった”といった台詞を入れることで、“現実”には犯行の機会があったことをはっきりさせることもできたのではないでしょうか。

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 最後に、目次にグラン・ギニョール好みの巨匠{マエストロ}によるエピローグ」とはっきり書かれてしまっているのが興ざめです。これでは、一部の読者、特にこのオチを喜びそうな読者にとっては見え見えでしょう。

2004.09.30読了

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