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  4. 体育館の殺人

体育館の殺人/青崎有吾

2012年発表 創元推理文庫443-11(東京創元社)/(東京創元社)

 探偵役・裏染天馬による推理の大きな見どころは、トイレに残されていた一本の傘からどれだけの推理が引き出されるか、にあるでしょう。より正確には、“一本の傘”に他の様々な情報を組み合わせることで、次々と解釈が引き出されていくのが魅力です。ということで、ここでは傘に着目して推理を整理してみます。
 ちなみに、以下に並べた推理のうち、[1-2][1-3][4-2][4-3]に関係する箇所は文庫版で改稿されていますので、文庫版を未読の方はご注意ください。

[1]犯人が残したものである
 まず、“昼休みにはなかった”という用務員の証言から、誰かが昼休みから三時までの間に傘を持って旧体育館のトイレに入ったということになりますが、そこから――直感的には明らかではあるものの――事件と無関係な人物の忘れ物ではないという結論が導き出される手順がなかなかよくできています。

[1-1]朝から放課まで学校にいた生徒の忘れ物ではない
 傘が誰かの忘れ物だとした場合、“昼休みから三時までの間に傘を持って”という条件から、朝から放課まで学校にいた生徒が除外されるのは妥当でしょう。作中でも指摘されているように、校舎から旧体育館のトイレまで行くのにわざわざ傘を持参するのは不合理です。

[1-2]授業中に早退した生徒・二年D組の生徒・大人の忘れ物ではない
 改稿された文庫版では、遅刻者がいないことを職員室で確認してあり、ここでは“放課より前に学校を去る途中で旧体育館のトイレに立ち寄った”ケースが想定されています。旧体育館の配置に加えて、“近くのトイレが混雑していない”という状況から、あえて旧体育館のトイレを使う必要がないという結論は納得できるものです。

 なお、改稿前の単行本では“昼過ぎから遅刻してくる奴もいないでしょう”(単行本112頁)と、遅刻者についての検討をはしょってあり、巻末の北村薫氏による選評で“現実の学校には、午後から来る生徒も当然いる。これは乱暴過ぎる。”(単行本325頁)と指摘されています。が、一般的にはそうだとしても、本書のような状況では――文庫版で向坂香織が“そんな時間から学校来る人いないんじゃない? 大雨だったし”(文庫版123頁)と口にしているように――午前中サボりもしくは病欠の生徒が、午後になって土砂降りの中をわざわざ登校してくるものか、というのがいささか疑問ではあります*1し、仮にそのような生徒がいたとしても、トイレを済ませた後は旧体育館から出るわけですから、実質的に次の[1-3]と同じことになります*2。というわけで、個人的には改稿前でもあまり気にならなかったのですが、文庫版の方がよりきっちりした手順になっているのは確かでしょう。

[1-3]休み時間に早退した生徒の忘れ物ではない
 これは“近くのトイレが混雑している可能性がある”場合ですが、土砂降りの最中に傘を持たずに帰るはずがないというのは至極当然です。つまるところ、[1-2]でトイレの条件を持ち出さずとも、土砂降りの間に学校を去った人物の忘れ物ではあり得ないということになるのですが、このあたりは作中でも言及されているように“警察に認めさせるという作業”(単行本121頁)――文庫版では“パフォーマンス”(文庫版147頁)――を効果的に行うための、しかるべき手順といえるかもしれません。というのも、最後にこれを持ち出すのが一番鮮やかなものになるからで、厳密さを多少犠牲にしても演出効果を重視した手順が採用されているように思われます。

 ところで、改稿された文庫版ではこの[1-3]で除外できない例外として、傘を持たなくてもあまり濡れずにすむ人物――学校内に住んでいる裏染天馬自身が挙げられている(文庫版147頁)ことに、ニヤリとさせられます。犯行時刻にアリバイがあることもあって完全に想定外でしたが、いくら天馬でも傘を取りに戻らないほど面倒くさがりだとは……いや、あり得なくはないでしょうか(苦笑)

[2]佐川奈緒のものではない
 これは傘が男物だったという、傘そのものの情報によります。現実的には……と言い出すときりがないので、これはこれでいいのではないでしょうか。

[3]佐川奈緒の偽装ではない
 “女の子が舞台裏に入っていくのを見た”という佐川奈緒の証言との組み合わせで、佐川奈緒の偽装ではない=佐川奈緒は犯人ではない、ということになるのが実に鮮やかです。

[4]犯人の偽装ではない
 ここからは「第五章」での推理ですが、「第二章」でのひとまずの結論――犯人の偽装という仮説が完全に否定されていくのが面白いところです。

[4-1]前日までに準備した偽装ではない
 天気予報の手がかり――本篇冒頭の“〈くもり〉マークの出ていた前日の予報を裏切り”(文庫版14頁/単行本10頁)――は、細かすぎてすっかり忘れていましたが(苦笑)、そこから導き出される結論は、これも細かいながらも意外性があってよくできていると思います。

[4-2]犯人自身の持ち物である
 上記[4-1]から、偽装用の傘を前日までに学校に持ち込んでおくことはできないため、偽装だとすれば“当日にもう一本の傘を持ってくる/入手する”ことになります。その可能性について、裏染天馬はここで三つの場合に分けて検討を行っているのですが、単行本と文庫版では若干の違いがあります。
一 朝、家を出るとき、自宅から持ってきた。
二 登校中にどこかで手に入れた。
三 学校に来てから、校内のどこかで手に入れた。
 (単行本275頁)
〈① 登校時、すでに持っていた。
 ② 登校後、学校の中で手に入れた。
 ③ 登校後、一度学校の外に出て手に入れた〉
 (文庫版323頁)
 お分かりのように、単行本の“一”“二”が文庫版では“①”にまとめられ、“三”“②”が同じ、そして単行本でも一応言及はされていた“③”が文庫版では独立した項目となっています。

 実際のところ、単行本では“偽装用の傘を校外から持ち込む場合”(上の“三”以外の場合)について、“犯人は傘を二本持ち歩いて目立つのを避けるはず”という、やや意見の分かれそうな理由で否定されていたのですが、改稿された文庫版では正門と北門の防犯カメラの映像、そして防犯カメラのない裏門*3については早乙女泰人が目撃した足跡によって、“①”“③”がしっかりと否定される形になっており、より隙のない推理に仕上がっているのがお見事です。

[4-3]犯人は余分の雨具を持っていなかった
 トイレに残された傘が犯人のものだったことが明らかになったことで、次は“犯人はどうやって濡れずにすんだのか?”が気になるのが人情(?)ですが、そこへ進む前に、犯人が余分の雨具を現場に持ち込んだ可能性をしっかり検討し、否定してあるのが実に丁寧です。

 もっとも、単行本ではこの部分が少々弱くなっているのは確かです。特に折りたたみ傘やレインコートについて、放送室のリモコンをもとにした《第一の条件》で絞り込まれた容疑者たちが、いずれも事件後に(普通の)傘をさしていたことで否定されるのは鮮やかなのですが、それが事前に明示はされず、“誰かが折りたたみ傘やレインコートを使っていたという証言がなかった”(単行本282頁)とされるにとどまっているのが残念*4

 それに対して文庫版では、この部分が大幅に改変されています。まず、傘と靴(文庫版で追加されたもの)が舞台袖にまとめて置かれていたという秋月美保の証言に着目し、“傘を持ったまま殺人を行うはずがない”という理由で、(折りたたみ傘の場合も含めて)二本目の傘の存在が否定されるのは妥当。そして同じく秋月美保の証言――ビニールがこすれ合うような音は聞こえなかった――から、犯人が犯行時にレインコートを着ていた可能性が鮮やかに否定されるのが秀逸で、実によく考えられた改稿だと思います。

[5]犯人が旧体育館から出る際に不要かつ邪魔だった
 “余分の雨具を持っていなかった犯人がトイレに傘を置いていった”ことを前提とすると、まず“犯人は旧体育館から脱出するのに傘が不要だった”ということになるのは明らかです。のみならず、一本しかない自分の傘を置いていったのですから、傘を携行できない事情があった――“犯人は脱出するのに傘が邪魔だった”ということも確かでしょう。

 この意外な結論が、旧体育館からの脱出経路を限定し、大胆な密室トリックに直結しているのが秀逸です。上手袖の扉はいうまでもなく、渡り廊下も使われていないことから、残るは下手袖の扉のみとなるわけですが、その出口をふさいでいたリヤカーそのものが“傘が不要かつ邪魔”という条件を満たす脱出手段となっています。若干の難もないではないですが*5、非常にユニークなトリックだと思います。

 そして密室トリックが、解明されてそれで終わりではなく、犯人を特定する第二の条件・三時十五分すぎまでアリバイのない人物であること〉につながるところも、もちろんよくできています。

[6]犯人が旧体育館へ来る際に使われなかった
 上記[5]まできて、ようやく傘がトイレに残された意味が判明したわけですが、さらに傘がポスターの上に置かれていたという秋月美保の証言から、“傘が乾いていた”ことが導き出されるところがよくできています。“ポスターに異変がなかった”というネガティヴで目立たない手がかりも巧妙ですし、発見された時には傘が濡れていた――“流しすぎか何かで個室の床は水浸しになっていた”(文庫版46頁/単行本38頁)がここで効いてくるのが絶妙――ことが、非常に強力なミスディレクションとなっています。

 傘が使われなかったことから、犯人が渡り廊下を通って旧体育館へやってきたことは明白で、犯人を特定する第三の条件・三時前からアリバイのない人物であること〉・〈二年D組の生徒であること〉が見事に導き出されています。

 以上、便宜的に[1][6]としましたが、一本の傘をもとにこれだけの推理が引き出されていることに、脱帽せざるを得ません。

*

 順序が前後しましたが、犯人を特定する第一の条件・現役生徒で、旧体育館放送室の利用者であること〉が導き出されるところもよくできています。ポケットの中身のアンバランスさから、直ちに“何か(DVD)が持ち去られた”と結論づけたとすれば少々乱暴ですが、作中では(その時点では)あくまでも仮説にすぎず、放送室を調べるきっかけとして扱われているので問題はないと思いますし、放送室のリモコンの設定はほとんど決定的な手がかりといっていいでしょう。さらに、秋月美保の証言によってしっかり裏付けられているのも周到です。

*

 事件が解決された後の「エピローグ」では、隠された最後の真相として、八橋千鶴が事件のきっかけを作った“黒幕”であることが明かされていますが、その手がかりがDVDの映像(と仙堂警部の説明)の中にしっかり仕込まれているところがよくできています*6。いくら“やり口が気に食わない”(文庫版371頁/単行本318頁)とはいえ、ここまで首を突っ込むのは裏染天馬らしからぬ行為のようにも思えますが、“改心するなら、朝島みたいに記録をそっちに渡すことを考えてもいい”(文庫版372頁/単行本319頁)という台詞をみると、犠牲になった朝島友樹のやり方を意識して踏襲した、裏染天馬なりの弔いなのかもしれません。

* * *

*1: 午後に学校で外せない用事があったということも考えられますが、それはあえて午後から登校する(午前中欠席する)理由にはならないわけで、かなり蓋然性が低いのではないでしょうか。
*2: 遅刻してきた生徒の場合、あえて土足のまま渡り廊下を通って校舎へ行くこともあるかもしれませんが、意識してその経路を選んだ時点で雨を認識していることになるわけですから、さすがに傘をトイレに置きっぱなしにはしないでしょう。
*3: 裏門だけ防犯カメラが設置されていないことになっているのは、早い段階で捜査陣の目が秋月美保に向いてしまうのを避けるためでしょう。
*4: さらにいえば、事前の計画ではなく何らかの理由で傘をトイレに残し、旧体育館から脱出する際にコンパクトな雨具を使った後で、(犯人が実際にそうしたように)校舎に戻ってから別の傘を探して入手した、というケースは排除できないように思います(単行本を読んで感想を書いた時点では勘違いしていましたが)。
*5: 例えば、ブルーシート(と激しい雨音)で外部の様子が確認できないわけですから、リヤカーから脱出する際に誰かに気づかれる危険性がかなり高いと考えられます。
*6: ただし、カンニングが初犯だったとすれば、“正木が一年の頃から、これに似たことはちょくちょくあったそうだ”(文庫版358頁/単行本307頁)というのはおかしいような気もしますが、“これ”が何を指しているかと考えると、どうやら八橋千鶴の証言――もちろん偽証――のように思われるので、そうだとすれば筋は通ります。

2012.10.18読了
2015.04.11創元推理文庫版読了 (2015.04.17一部改稿)