ミステリ&SF感想vol.201

2013.01.10

ついてくるもの  三津田信三

2012年発表 (講談社ノベルス)

[紹介と感想]
 『赫眼』に続く三津田信三のホラー短編集で、最後に収録された〈刀城言耶シリーズ〉「椅人の如き座るもの」を除いて、作者(=三津田信三*1)が収集した“実話怪談”の体裁を取っています。

 作中に作者の“現実”を反映させて虚構と現実を混沌とさせる手法は、『忌館 ホラー作家の棲む家』などの〈三津田信三シリーズ〉にも通じるものですが、そちらのように怪異が“三津田信三自身の体験”として描かれるのではなく、“三津田信三が他者から――特に一部は怪異の体験者その人から直接――聞いた怪異譚”の形であるために、かえって“現実味”が増している*2というか、恐怖がより身近に感じられるものになっています。

「夢の家」
 寿司屋で出会った男の話。異業種交流パーティで知り合った女性と親しくなり、交際を始めた男だったが、次第に相手の常軌を逸した言動が目につくようになり、距離を置き始めた。彼女は思い込みが激しいらしく、婚約者気取りのメールを何度も送りつけてきたが、やがてそれも途絶えた。しかしその代わりに、男は夜ごと奇妙な夢を見るようになり…。
 話の流れは定番といっても過言ではありませんが、ディテールの気味悪さは特筆もの。そして、定番であるがゆえに誰しも予想できてしまう結末が、救いようがないというあきらめのようなものを生み出している感があります。

「ついてくるもの」
 憑き物信仰について調べていた作者が出会った得体の知れない話。高校生の少女は帰り道で、一家で夜逃げをしたらしいという廃屋の裏庭に、なぜかひっそりと置かれていた七段飾りの雛人形を見つけた。いずれも同じ箇所が破損した人形たちの中で、一体だけ無傷だったお姫様に気づいた彼女は、思わずそれを持ち帰ろうとするが、何かが……。
 『異形コレクション 憑依』に発表された作品で、きっかけとなるちょっとした行為とあまりにも凄惨な結末との、理不尽ともいうべき落差が強烈です。由来や理由はまったく不明なまま、そして抵抗もできないまま、ただ“それがどのように作用するのか”だけが推測できるところが、理不尽さを強調しています。

「ルームシェアの怪」
 編集者時代に仕事で知り合ったある女性の話。その女性――真由美は、会社の先輩の紹介を受けて、女性二人、男性一人とともに一軒家で共同生活を始めることになった。よく考えられたルールと親切な同居人たちのおかげもあって、快適な生活を送り始めた真由美だったが、やがて同居人の一人、野々村という女性がおかしな態度を取るように……。
 家族ではない共同生活ならではの、プライバシーを尊重するルールがうまく生かされていて、怪異をはっきりと確認できないもどかしさが何ともいえません。伏線に支えられたミステリ的な“解決”がもたらすサプライズは鮮やかですが、それが事態の根本的な解決につながらず、依然として恐怖が残るところが巧妙です。

「祝儀絵」
 引っ張り出してきた昔の取材ノートに記されていた話。姉と弟のように育ってきた四歳上の叔母は、三十を過ぎてもなぜか縁遠く、その日の見合いもうまくいかなかったらしい。その叔母が古道具屋で土産に買ってきてくれたのは、めでたい結婚式の様子を描いた、しかしどこか不吉な印象の一枚の絵だった。その絵を部屋の壁にかけていると……。
 テーマに沿った怪談を掘り起こす導入部も興味深いものがありますが、語られる怪談がまた凄まじい。“ぺらぺら”という擬音語でほのめかされる怪異そのものもさることながら、読者の目には歴然としている“怪しさ”が、あたかも“見えない人”のように語りの中でスルーされ続けるという物語の“歪み”によって、読み終えた後も薄気味の悪さがつきまといます。

「八幡藪知らず」
 同じ怪異譚の愛好家から聞き出した話。東京から転校してきた小学五年生の恵太は、勉強も運動もできる優介がリーダーのグループに入れてもらい、彼らの家の近所を探険して遊んでいたが、ある日、恵太の家の近所で遊ぶことになる。だが、家のそばには、絶対に入ってはいけないと祖母に固く禁じられていた、〈無女森〉という不気味な森が……。
 『禍家』『凶宅』などを思わせる、作者お得意の少年を主役とした怪異譚。〈樅山〉や〈無女森〉といった地名の由来、稚拙さが不気味に感じられる警告文、そして最後のオチなど、作者らしさが強く表れた作品といえるように思います。

「裏の家の子供」
 ある女性翻訳家の話。訳書のヒットで収入が増えたのを機に、交際中の男性と結婚を前提に同棲することを決意し、彼が見つけてきた閑静な一戸建てに引っ越した。しかし、事前の下調べでは子供がいないはずだった裏手の家から、たびたび子供の声が聞こえてくる。不審に思いながらも、あまりにうるさいので抗議をしようと訪ねてみたが……。
 これも「ルームシェアの怪」と同様、ミステリ的な“解決”が恐怖を解消させない――どころか、割り切れない部分との組み合わせによって不気味さを倍増させているのが秀逸。恐ろしい体験が、終始どこかさばさばした口調で語られているのも、合理的な説明のつかない事象をそのまま受け入れるしかないという境地を感じさせて効果的です。

「椅人の如き座るもの」
 探偵小説誌「書斎の屍体」の編集者・祖父江偲は、人体を奇怪にデフォルメしたデザインの〈人間家具〉を作る職人・鎖谷鋼三郎を取材するため、その工房を訪れたが、そこで不可解な人間消失に遭遇する。鋼三郎と対立していた義兄の照三が工房を訪ねてきた後、どこにも行き場のない空間から消えてしまったのだ。偲から話を聞いた刀城言耶は……。
 〈刀城言耶シリーズ〉ですが、怪異らしい怪異は登場せず、ミステリとしても“出オチ”に近いもので、〈人間家具〉のグロテスクなイメージと製作者の狂気を味わうべき作品といったところ。
 シリーズ読者にはおなじみの祖父江偲が主役となっていることで、全体的にやや軽い雰囲気も漂い、本書の中では浮いている感がありますが、「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音楽 » Blog Archive » ついてくるもの / 三津田 信三」“怪異とミステリの揺らぎに悪酔いした頭をクールダウンさせるには程よい緩さ”という評になるほどと思わされます*3

*1: 作中に“三津田信三”の名前が出てくるわけではありませんが。
*2: やはり、作者自身が作中に登場して恐ろしい怪異に遭遇しても、無事に(?)作品を発表しているという現実を考えると、現実と虚構の間に線が引かれてしまうのはやむを得ないでしょう。
*3: そう考えると、『赫眼』の最後に〈死相学探偵シリーズ〉の作品が収録されていたのも、同じような狙いなのかもしれません。

2012.09.22読了  [三津田信三]

俳優パズル Puzzle for Players  パトリック・クェンティン

ネタバレ感想 1938年発表 (白須清美訳 創元推理文庫147-07)

[紹介]
 アルコール依存症を克服し、演劇プロデューサーとしての復活を目指すピーター・ダルースは、新人脚本家ヘンリー・プリンスのすばらしい脚本『洪水』を得て、それを上演するために奔走していた。だが、不吉ないわくのあるダゴネット劇場で興行を打つ羽目になり、集まった俳優たちは難色を示す。何とかリハーサルを始めたものの、当初からおびえていた老優が、楽屋の鏡の中に“何か”を見て心臓発作を起こし、急死してしまう。病死ということでひとまず収まったものの、相次ぐトラブルはとどまるところを知らず、さらに関係者が命を落として、興行中止の危機が……。

[感想]
 高い評判にもかかわらず長らく品切れとなっていた、演劇プロデューサーのピーター・ダルースを主役とする〈パズル・シリーズ〉の第二作が、待望の新訳での復刊。読んでみると期待に違わぬ出来で、(これまでに読んだものの中では*1シリーズ最高傑作といっても過言ではありません。とはいえ、できればいきなり本書を手に取るのではなく、第一作の『迷走パズル』から順番にお読みになることをおすすめします*2

 とりわけ本書の場合、妻を亡くしたことがきっかけでアルコール依存症に陥っていたピーターが、事件を通じてそれを克服するに至った前作に続いて、演劇プロデューサーとしての本格的な復活と、前作で恋に落ちたアイリス・パティスンとの結婚という、二つの目標に向かって前進しようとするピーターの姿に焦点が当てられており、前作と合わせていわばピーターの“再生の物語・前後編”となっているわけで、前作を読んでいると感慨もひとしおです。

 というわけで本書では、上演の準備を進める劇団の舞台裏が丁寧に描かれていきます*3が、ピーターの前にはトラブルが山積み。怪しい噂の伝わる劇場に、それぞれに問題を抱える曲者揃いの俳優たち、さらには強引に芝居に割り込もうとする部外者まで登場するといった具合に、立て続けに悩みの種が現れる展開はドタバタ喜劇になってもおかしくないところですが、ピーターとアイリスのラブコメ的な要素*4はあるにせよ、基本的にシリアスな雰囲気で進んでいくのは、必死に再起を図るピーターの切実さゆえでしょうか。

 もちろん、リハーサル初日の老優の急死やその後の関係者の死など、それぞれ病死や事故死ということで収まっているとはいえ何者かの悪意の存在は歴然としており、ピーターとしては無事に初日を迎えるために綱渡りの連続となっているのは間違いありません。物語が進むにつれて少しずつ準備は進み、同時に謎の一部は明かされていくものの、依然として悪意の正体は判然とせず、サスペンスフルな空気が保たれたまま、終盤になると急展開の連続に翻弄されるばかり。

 そして残りの頁数もごくわずかとなったところでの、鮮やかな謎解きが非常に秀逸です。物語のクライマックスと完全に歩調を合わせた絶妙なタイミングもさることながら、そこで明かされるのは強力なミスディレクションに覆い隠されていた、まったく予想外の真相。それでいて、しっかりと張られていた伏線に支えられることで、何もかもがすっきりと腑に落ちるもので、作者の巧みな手腕に脱帽せざるを得ません。印象的な幕切れも含めて、必読の傑作といってもいいでしょう。おすすめです。

*1: 現時点では、第三作の『呪われた週末』(別冊宝石65号)のみ未読。→その後『呪われた週末』改め『人形パズル』も読みましたが、やはり本書がシリーズ随一の傑作だと思います。
*2: 『迷走パズル』と本書の順番もそうですが、本書に続けて最終作『巡礼者パズル』を読むのも(とある理由で)あまりおすすめできません。
*3: 法月綸太郎氏の解説でも詳しく説明されているように、この時期“パトリック・クエンティン”の一員であったヒュー・キャリンガム・ウィーラーは後に劇作家として名を挙げており(「Hugh Wheeler - Wikipedia」でも主に演劇分野での業績が紹介されています)、その素養が本書に生かされていることは間違いないでしょう。
*4: 特に159頁~160頁あたりはニヤリとさせられます。ちなみに、最初に本書を開いた時には、出版社のチラシが挟まっていた160頁がいきなり目に入り、何事かと思いました(苦笑)。

2012.10.05読了  [パトリック・クェンティン]
【関連】 『迷走パズル』 『人形パズル』 『悪女パズル』 『悪魔パズル』 『巡礼者パズル』 『死への疾走』 『女郎蜘蛛』

子どもの王様  殊能将之

2003年発表 (講談社ミステリーランド)

[紹介]
 カエデが丘団地に住む小学生のショウタは、同じ団地に住む親友のトモヤから、“子どもの王様”の話を聞かされる。団地の外には本当は何もないとか、4号館のコウダさんが西の良い魔女で7号館のイナムラは東の悪い魔女だとか、色々な作り話を考えて聞かせてくれるトモヤだったが、子どもの国を支配しているという“子どもの王様”がトレーナーにジーンズ、茶髪に無精ひげというのは、何ともおかしな話だった。ところが翌日、ショウタは学校からの帰り道で、トモヤが語った“子どもの王様”そのままの姿の男を見かける。それをトモヤに話してみると、途端にトモヤは怯えて暴れ出してしまう。どうやらトモヤは“子どもの王様”に狙われているらしい……。

[感想]
 “かつて子どもだったあなたと少年少女のための――”というコピーが付された、一応はジュヴナイル作品の叢書である〈講談社ミステリーランド〉。その第一回配本のうちの一冊*1として刊行された本書ですが、メフィスト賞を受賞したデビュー作『ハサミ男』を皮切りに、『美濃牛』『黒い仏』『鏡の中は日曜日』(及び『樒/榁』)とひねくれた問題作を発表してきた作者にしては、一読すると何だか“らしくない”作品という印象です。

 学校での友達との関係や遊び、戦隊ヒーローものなどのテレビ番組、そして団地での生活と、男子小学生の日常がしっかりと描かれる中、その日常とは相容れない“幻想”をまとった“子どもの王様”が忍び寄ってくる――という物語は、いかにもジュヴナイルらしい冒険譚のようでもあり、なかなか面白いものになっています。とりわけ序盤のちょっとしたトリックは、意外な小道具の扱いも含めて秀逸だと思います。ところが……というのが本書の悩ましいところ。

 作中、主人公・ショウタの視点で終盤まで“謎”とされている部分が、少なくとも大人の視点ではほとんど見え見えで、ミステリとしては文字通りの“子供だまし”*2というべき状態。さりとて、子供向けに内容をおとなしくしてあるのかといえば決してそうではなく、全体としてはむしろ、大人が子供に読ませるのを躊躇してしまいそうな物語といっても過言ではありません。このあたりをつらつらと考えてみると、本書は――前述のミステリーランドのコピーから想像されるような――大人も子供も同じように楽しめる作品ではなく、大人と子供で違った読み方になる作品のように思われます。

 というのも、子供――少なくとも主人公のショウタがなかなか“真相”に気づかないのは、(一応伏せ字)あまり子供には知らされない“大人の事情”(ここまで)に関わるものだからで、それが大人には“謎”として通用しないことは、作者自身も十分に承知のはず。そう考えると本書は意図的に、子供にとってはミステリであると同時に、大人にとっては一種のアンチミステリとなるように書かれた、といえるのではないでしょうか。そして主人公が思い至らない“真相”に気づくことで、大人の読者は主人公=子供とのギャップを否応なく突きつけられ、失われた子供時代への郷愁を深めることになるのでしょう*3

 一方、主人公と同様に“真相”に気づかない子供にとっては、前述のようにそれが(一応伏せ字)“大人の事情”、すなわち子供にとっての特殊な知識(ここまで)に基づくため、ミステリとしてはいささかアンフェア気味になっているのですが、本書の最後の“真相”が子供にもわかるようにはっきりとは書かれることなくぼかしてある*4ところをみると、おそらくはこれも自覚的だと考えられます。つまり、子供には何から何まで理解できなくてもかまわない――代わりに大人になってからもう一度読み返してほしい、という意図が込められているのではないかと思えるのですが……。

 一連の事態が“決着”を迎えた後の、物語の幕引きは実に見事。それまで考えたこともなかった色々なことを知り、日常に訪れた変化を静かに受け入れる、ショウタの心の動きが細やかに描かれているのが印象的で、その結果としてのショウタの最後の台詞には、何ともいえない感慨のようなものを覚えずにはいられません。前述のように殊能将之の作品としては明らかに異色ですが、作者のファンのみならず“かつて子どもだったあなた”に広くおすすめしたい、味わい深い作品です。

*1: 同時に刊行されたのは、島田荘司『透明人間の納屋』と小野不由美『くらのかみ』
*2: けなしているわけではなく、本当に文字通りの意味で。
*3: 実際、「わたしが子どもだったころ」と題されたあとがきには、“「自分が大人になったんだなあ」と切実に感じられた(中略)この小説は、そんな驚きと感慨から生まれた”(242頁~243頁)と記されています。
*4: クライマックスの“ショウタは(中略)”を知ったのだ。(219頁)という箇所はもちろん、その後の(一応伏せ字)ニュース(ここまで)の箇所(226頁)でも、(以下伏せ字)“子どもの王様”とトモヤの関係(ここまで)は具体的に書かれていません。

2012.10.09読了  [殊能将之]

体育館の殺人  青崎有吾

ネタバレ感想 2012年発表 (創元推理文庫443-11/東京創元社)

[紹介]
 土砂降りの雨の日、放課後の神奈川県立風ヶ丘高校・旧体育館。なぜか緞帳が下りていたステージ上で、放送部部長・朝島友樹が刺殺されているのが発見された。犯行現場となった舞台袖は密室状況にあり、真っ先に体育館に来ていた女子卓球部部長・佐川奈緒のみに犯行が可能だとして、警察は彼女に容疑をかける。死体発見現場に居合わせた卓球部員の柚乃は、何とかして部長を救おうと、学内随一の天才にしてなぜか校内の部室で暮らす重度のアニメオタク・裏染天馬に依頼する。天馬は柚乃の期待に応えて、現場に残されていた一本の傘をもとに推理を展開し、見事に奈緒の容疑を晴らすのだが……。

[感想]
 現役大学生という若い作者による、第22回鮎川哲也賞を受賞したデビュー作。綾辻行人の〈館シリーズ〉を連想させる題名がまず目を引きますが、内容までパロディというわけではなく、題名そのままに学校の体育館で起きた密室殺人事件を真正面から扱った、意外に(?)手堅い作りとなっている直球の学園ミステリで、どこか懐かしい味わいさえ感じられるのは、単行本巻末の芦辺拓氏による選評にもあるように*1、近年あまり見かけない(ように思われる)*2せいでしょうか。

 物語本篇が始まると早々に、密室となった体育館ステージで死体が発見されますが、ステージから舞台袖を経て外へ出る扉は施錠もしくは監視下にあったのに対して、ステージとフロアの間は緞帳で仕切られているだけの“緩やかな密室”であるため、いち早く体育館に来ていた――死体とともに“体育館という密室”の内部にいた――生徒が疑われる、カーター・ディクスン『ユダの窓』を彷彿とさせる状況になっています。そしてそれが、警察の捜査方針に真っ向から対抗する素人探偵の必要性を生み出しているのも巧妙です。

 かくして登場する探偵役・裏染天馬は、重度のアニメオタクという造形こそ奇をてらっているようでもありますが、随所でアニメネタを口にしてはいるものの、読んでいてさほど気になるものでもなく*3、(特に今どきの)高校生――なおかつ探偵役をつとめるほどの人物――としてはむしろ自然といってもいいのかもしれません。いずれにしても、一介の高校生でありながら警察相手にも臆することなく捜査に首を突っ込む*4裏染天馬の武器は怒涛のロジックで、帯の“クイーンの論理展開+学園ミステリ”という惹句にも偽りはありません。

 もちろん、関係者のアリバイ調査や実地検分、密室トリックの実験など活動的な(?)場面もありますが、本書の見せ場が(単行本では一分の隙もないとまではいえないとしても*5細かい推論の積み重ねにあることは確かで、警察に疑われた生徒の容疑を晴らす序盤、そして事件を解決に導く終盤と、二段構えで用意された推理場面は実に魅力的*6。とりわけ、“現場付近に残されていた一本の傘”という小道具が推理の中でどれだけ使い倒されるか、というのが大きな見どころで、ここまで徹底された作品もなかなかないのではないでしょうか。

 裏を返せば、それだけの推理を成立させるために、かなり細かいところまでしっかり作りこまれているということで、一読した限りでは気づきにくいところもありますが、再読してみると実によく考えられていることがわかりますし、思いのほか多くの箇所が改稿された文庫版では推理がより隙のないものになっているのにうならされます。また、ある意味大胆な密室トリックもユニークな発想だと思いますし、事件が解決された後の幕引きも印象的。他の候補作を読んだわけではないのでこういう表現はよくないかもしれませんが、受賞にも十分納得できる内容で、今後がさらに楽しみです。

*1: “学園を舞台にしたミステリだから、校内で殺人を、しかも不可能犯罪を起こす。当たり前のようでいて、なぜか最近巧妙に避けられている気がする展開”(単行本324頁;下線は筆者)
*2: 少し考えてみましたが、まず(いわゆる“日常の謎”風のものと違って)はっきりした事件では警察の登場が避けられないこと、そしてその中で学生を素人探偵として活躍させるのは現実離れしている――『金田一少年の事件簿』などの影響もあって、昔よりもそのような(誤解を恐れずにいえば“漫画的な”)印象が強まっているようにも思われます――こと、が理由として挙げられるのではないでしょうか。
*3: ただしこれは、私自身がアニメを観ないので、ネタがさっぱりわからないせいかもしれません。
*4: 情報を手に入れるための“アンフェア”(作中の表現による)な手法には、苦笑せざるを得ませんでしたが。
*5: とはいえ、個人的には単行本では一部でいわれるほど“穴”があるとは思えなかったのも事実なのですが、そのあたりは巻末の選評の影響も大きいのかもしれません。
*6: 同時に、真相解明のためにこれだけ細かい推理を要することによって、(推理に重きを置かない)警察に先んじて探偵役が真相に到達することに、説得力が備わっているように思われます。

2012.10.18読了
2015.04.11創元推理文庫版読了 (2015.04.17一部改稿)  [青崎有吾]
【関連】 『水族館の殺人』 『風ヶ丘五十円玉祭りの謎』 『図書館の殺人』

秋期限定栗きんとん事件(上下)  米澤穂信

ネタバレ感想 2009年発表 (創元推理文庫451-05,06)

[紹介]
 小市民を目指して続けてきた互恵関係を、解消することになった小鳩常悟朗と小佐内ゆき。やがて、小鳩くんは同級生の仲丸さんと、また小佐内さんは新聞部の一年生・瓜野くんと、それぞれ付き合い始める。その瓜野くんは、学内新聞で学外の話題を扱おうとして部長の堂島健吾に反対されてきたが、ついに機会を得て、木良市で相次いで発生している放火事件を記事に取り上げる。無差別に見える犯行に共通項を見出した瓜野くんは、新聞部で放火事件の犯人を取り押さえようと計画を練る。一方、健吾に相談を持ちかけられた小鳩くんは、独自に放火犯を追い始めるが……。

[感想]
 小鳩くんと小佐内さんを主役とした〈小市民シリーズ〉の第三作……ですが、前作『夏期限定トロピカルパフェ事件』の結末を受けて、シリーズの重要な要素だった小鳩くんと小佐内さんの“互恵関係”が解消され、二人はそれぞれ別の相手と付き合うことになります。見方によっては“小市民道の実践”の第一歩ともいえるかもしれませんが、いずれにしても、これまでほぼ一貫して*1小鳩くんの視点で綴られてきた物語が、本書では二つのパート――小鳩くんの視点と、小佐内さんと付き合う瓜野くんの視点――に分かれているのが特徴です。

 小鳩くんのパートでは、付き合い始めた仲丸さんとのデートを中心とした日常を軸に、その中でちょっとした謎に遭遇していく展開となっています。特に最初のバスの中での謎などは、内心での推理の過程が試行錯誤を含めて細かく描かれている*2のが興味深いところですし、小市民たるべく推理したこと自体を隠し通そうとするあたりも面白いと思います。しかし一方で、小佐内さん(と健吾)が相手ではさほど目立たなかった、小鳩くんの小市民とは異質な意識が際立っている感があり、読んでいて居心地の悪さのようなものを覚えずにはいられません*3

 もう一方のパートの主役となる瓜野くんは、色々な意味で小鳩くんとは対照的な人物であり、もともとの野心に加えて小佐内さんにいいところを見せたいという思いで学内新聞の企画を立てるも、部長の健吾に反対されてやり場のない不満を抱え、やがて機会を得たはいいものの次第に“暴走”を始めるあたり、小鳩くんよりもよほど“青春”という印象が強いのですが(苦笑)、それはさておき。瓜野くんが追いかける連続放火事件が本書のメインで、本来はあまり謎解きには向かない事件ですが、“犯行の法則”が発見されることでミッシングリンクものの様相を呈するのが面白いところです。

 やがて、引退してもなお新聞部を心配する健吾の依頼を受けて、小鳩くんも独自に正体不明の放火犯を追い始めますが、事件の周辺に“小佐内さんの影”が見え隠れするのが秀逸。本書では終盤まで、小佐内さんの様子はほとんど(小鳩くんに比べると小佐内さんのことをわかっていない)瓜野くんの視点でのみ描かれることもあって、今まで以上にその意図が読みづらく、物語の中でどのような役割を果たしているのかが判然としなくなっています。そこで生じる“疑念”が、小鳩くんが事件に関わる大きな要因になっているのが巧妙です。

 小鳩くんも瓜野くんもそれぞれに放火犯を追い詰める手を打ち、ついに訪れるクライマックスは圧巻……といっても、事件の真相そのものは――ユニークなミスディレクションが目を引きますが――さほど驚きを伴うものではなく、作中でも思いのほかさらりと明かされるにとどまり、それよりもある“対決”が実に強烈な印象を残します。そして、謎が解かれた結果としての最後の一幕がさらに凄まじく、物語を完成させる破壊力抜群の“最後の一行”が止めを刺します。シリーズの定型からやや外れているがゆえに、シリーズ独特の味わいが強調されているようにも思える一作。お見事です。

*1: 少なくとも『夏期限定トロピカルパフェ事件』では、一部“神の視点”(作者の視点?)で記述された箇所があります。
*2: 小鳩くんの謎解きが誰にも披露されない――『春期限定いちごタルト事件』「はらふくるるわざ」以来のことになるかと思います――のが前提とされているせいもあるでしょうか。
*3: そもそも、仲丸さんと付き合い始める場面からしておかしい(?)のですが。

2012.10.24 / 10.25読了  [米澤穂信]
【関連】 『春期限定いちごタルト事件』 『夏期限定トロピカルパフェ事件』