ネタバレ感想 : 未読の方はお戻りください
  1. 黄金の羊毛亭  > 
  2. 掲載順リスト作家別索引 > 
  3. ミステリ&SF感想vol.178 > 
  4. 紙の碑に泪を

紙の碑に泪を/倉阪鬼一郎

2008年発表 講談社ノベルス(講談社)

 作中で前面に出されているのはアリバイ崩しですが、本書の読者にとってはフーダニットにもなっているのがまず面白いところです。〈犯人〉のアリバイを崩すためにはまず〈犯人〉が特定されなければならないため、一般的にアリバイ崩しとフーダニットの両立はかなり困難なものになります*1が、本書では探偵役の上小野田警部がすべての真相を見抜いた後――犯人逮捕の直前から物語を始めることで、それを両立させているのが巧妙です。

 実際、上小野田警部による解明の手順*2をみても明らかなように、犯人の特定にアリバイ崩しは必要ないわけですが、真相が明かされる直前の「対決2」の時点で、タイムテーブルまで作成されて解き明かすべきアリバイトリックが“メインディッシュ”――犯人がコンサート会場に出入りした手段のみに限定されるとともに、犯人のアリバイを裏付ける側の人物を中心に「容疑者リスト」の名前が次々と消されていき、実質的にただ一人にまで絞り込まれるという、何ともものすごいことになっています。

 ちなみに、[資料G]の台原遥と[資料I]の松崎岬は明確には排除されていません*3が、それぞれのブログの記事で演奏されたすべての曲には言及していないことで、“すべて聴いていたかのように見せかけた”(159頁)犯人のアリバイ工作と合致しません。また、[資料H]の太田黒一史も同様である上に、上小野田警部の“[資料H]の太田黒一史さんには事情聴取を行い、興味深いお話をうかがいました”(159頁)という台詞からも、目の前にいる犯人とは別人であることが明らかです。したがって、「容疑者リスト」の中に残るのは、[資料F]の金谷知寿ただ一人となります。

 このように、すでに「容疑者リスト」の中の名前が絞り込まれていることで、まったく想定していないところから飛び出してくる犯人の名前の意外性が際立ち、これ以上ないほど強烈な破壊力を生じているのが秀逸。また、その人物の名前が記された“もの”――田那珂淳一「紙の碑に泪を」がテーブルの上にあるのは明らかですから、どうしてその人物が犯人なのかは直ちに理解できないまでも、それが捜査資料の一つだったことまでは瞬時に納得できるところで、容疑者リストに載っていない犯人が降ってわいたように現れる”(135頁/163頁)というとんでもない趣向でありながら、その仕掛けがわかりやすくなっているのが見事です。

 細かいところでいえば、“その付箋を見たときに、すぐ観念しましたが……”(160頁)という犯人の台詞に対して、付箋が貼ってあることが明記されているのは「紙の碑に泪を」のみ(→“細かいところにツッコミを入れていけば、付箋の数は優にいまの十倍になるはずだ。”(68頁))であることも手がかりになっていますし、“ちゃんとテーブルにはついているが、隅のほうの目立たないところにいる。(中略)そんな意外な犯人だからこそ、驚きを喚起することができる。”(53頁)というあたりも、“テーブルの隅”(126頁)に置かれた本に犯人の名前が示されていることを暗示する伏線といえます。

 もちろん仕掛けの眼目は、“テーブルの隅”どころか真ん中に置いてあっても捜査資料とは考えにくい、“出版社から刊行された翻訳ミステリ”という形態にあるわけで、どうみても“現実”の事件とは関係ありそうにない荒唐無稽な物語に読者の目を引きつけておいて、訳者名という目立ちにくい箇所に犯人の名前を潜ませる企みは、実に巧妙といえるでしょう。しかもその作中作「紙の碑に泪を」にさらなる仕掛けが盛り込まれているに至っては、完全に脱帽せざるを得ません。

 作中作が事件と無関係ではなく捜査資料の一つであることがすでに示され、また解き明かすべきトリックが“どうやって柵を乗り越えたのか?”に限定されているために、ややインパクトに欠けてしまう――“メインディッシュが冷めてしまった”――のは否めませんが、“シノビガタナ”という脱力ものの手段が、作中作の中で大胆に示唆されていることに唖然とさせられます。加えて、それをまったく不自然に感じさせない最大の要因である題名「ACT HAIKU NINJAが、同時に金谷知寿=田那珂淳一のアナグラムになっているあたりは、ほとんど神業といっても過言ではないように思われます。

 そして、「紙の碑にを」という題名にも暗示されている傍点を使った犯行声明は、作者の本領が存分に発揮された非常にユニークな仕掛けです。実のところ、「プロローグ」で傍点の符丁――“ナミダ”(11頁)――が紹介されているのが少々唐突で、伏線というには浮き上がりすぎている感はあるのですが、そもそも“ジャック・ホーント・アニイ”や“田那珂淳一”が事件と無関係だと思い込まされている限りは仕掛けに気づきにくく、また実際に傍点が付された箇所がかなり自然に見えるため、真相を見抜くのは相当に困難だといえます。

 作中作が真相解明の手がかりとなる前例はいくつもありますが、本書での作中作の仕掛けはあまりにも斬新すぎるというか何というか、どうとらえたらいいのか今ひとつ判然としないところもある*4のですが、少なくとも前例とは一線を画したもの――というよりもやはり独自の境地というのが適切か――であることは間違いないでしょう。

*1: まったく例がないわけではありませんが、少なくともすぐに思い当たる作品(国内作家(作家名)山田正紀(ここまで)の長編(作品名)『おとり捜査官2 視覚』(ここまで))は、大成功とまではいえないように思います。
*2: “そいつが犯人であることは電光石火のようにわかった。動かぬ証拠があった。(中略)犯人はくだんのアリバイがあると主張したのだ。/あとは、それを崩せばいい。”(78頁)
*3: 犯人が女性であるかのように描かれている(→“長い髪”(97頁)など)のは、この台原遥と松崎岬の二人にレッドへリングの役割が振られているということでしょう。一方、金谷知寿がいわゆるネカマとされているのは、犯人が女性だと思い込んだままでも真犯人にたどり着く余地を残してあるということだと思われます。また、警備員の立花ゆかりが「過去1」男性らしく描かれているのは、読者が性別誤認の可能性を疑うきっかけとして配されているのではないでしょうか。
*4: このあたり、“仕掛けの仕組みは理解出来たものの、この仕掛けを支えている土台が伏線や暗號も含めてあまりに狂っているので、その「凄み」がストレートに伝わってこない”「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 紙の碑に泪を / 倉阪 鬼一郎」より)との評にうなずけるものがあります。

2010.01.27読了