ミステリ&SF感想vol.178

2010.03.30

紙の碑に泪を 上小野田警部の退屈な事件  倉阪鬼一郎

ネタバレ感想 2008年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 音楽・小説・写真など多方面で活躍していた才人・西木遵が、八王子の自宅マンションで殺害された。〈犯人〉はその時、遠く離れた渋谷のホールでクラシックのコンサートを聴いていたという。だが、鉄壁とも思える〈犯人〉のアリバイを見事に崩した上小野田警部は、とある喫茶店に〈犯人〉を呼び出して理想の“対決”を演じようと、テーブルの上に捜査資料を並べて準備を整え、読みかけの本を手に〈犯人〉を待つ。ジャック・ホーント・アニイという無名作家が発表したその本――「紙の碑に泪を」は、アメリカ南部の小さな町の保安官兼作家が、自ら犯した殺人を新作「ハイクニンジャに扮せ」にまとめるというものだった……。

[感想]
 講談社ノベルスから刊行された作品としては『四神金赤館銀青館不可能殺人』『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』の間に位置する本書は、作者自ら渾身の変化球を投げました。”(カバーの「作者のことば」より)と宣言している通り、これまた何とも奇天烈な発想による仕掛けに唖然とさせられる、前代未聞のバカミスです*1

 物語は、主人公の上小野田中生警部が憧れの“名探偵vs名犯人”の対決を演じるべく、喫茶店で〈犯人〉を待つ場面から始まります。そして解決直前にまで至っている事件の内容は、カットバックで描かれるのかと思いきや、次々に取り出される数多くの捜査資料――ブログの記事や匿名掲示板のスレッドまで含まれる――と、上小野田警部の独白による注釈を介して再現されていくのが面白いところ。また、重度のミステリマニアにして元文学青年という上小野田警部の独白には思わずニヤリとさせられる部分が多々あり、ユーモアミステリのような雰囲気となっています。

 それに対してあからさまに怪しい気配を漂わせているのが、上小野田警部が時間つぶしに読み進める翻訳ミステリ「紙の碑に泪を」*2――という作中作の存在。〈ジム・トンプスンのライヴァルたち〉なる叢書として刊行されたそれは、保安官の立場を悪用して殺人を繰り返し、その経緯を小説に仕立てて発表している(“作者”と同名の)主人公ジャック・ホーント・アニイが、新作「ハイクニンジャに扮せ」*3のために新たな殺人を犯すというものですが、どうみても“外枠”部分の事件とは関係がありそうにないため、作中作として挿入されている意味がさっぱり見当もつかないのが恐ろしいところ。

 物語が進んでいくにつれて、“外枠”部分では上小野田警部考案の珍妙な“時刻表トリック”なども織り交ぜながら、捜査資料の積み重ねを通じて事件の概要から〈犯人〉のアリバイ、さらにそれを成立させた〈犯人〉の行動までもがおぼろげに浮かび上がってくる一方、作中作は一向に“外枠”部分と交差する気配を見せないまま、真っ当な(?)犯罪小説風の展開から次第に変貌し始め、ついには無茶苦茶な暴走の果てに行き着くところまで行ってしまう有様。どちらもそれぞれに愉快なものに仕上がっているのですが、やはりそれらがどのような形で結びつくかが興味の焦点となります。

 しかして、ついに登場した〈犯人〉との“美しい対決”の中で明かされる作中作に絡んだ仕掛けは、それまで物語を包んでいた“緩さ”を一瞬で振り払うとてつもない破壊力で、あまりのあり得なさに目を疑うのを通り越してしばし硬直する羽目に。そこから続いて明らかにされていく真相は、最大のサプライズがすでに放たれている*4ため、作中の表現を借りれば“メインディッシュが冷めてしまった”感もないではないですが、総じて思わず呆れ返ってしまうようなものであることは確かです。

 お互いに“わかっている”同士が繰り広げる対決が、読者の置き去りにされた感覚を強めているのも見事なところですが、その果てに用意されている“苦いデザート”の味わいもまた印象的。最大の見どころが斬新すぎる仕掛けにあることは確かながら、“尖った”部分を含めて思いのほか(というのは失礼かもしれませんが)うまくまとめてあるようにも感じられ、バカミス好きの方以外にも比較的受け入れやすい作品ではないかと思われます。

*1: 当然ながら、『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』巻末の著書リストでも、本書はしっかりと“バカミス”に分類されています。
*2: 原題は、「Tears! For the paper monument.」
*3: 原題は、「ACT HAIKU NINJA」
*4: これは仕掛けの性質上、致し方ないところではあるのですが。

2010.01.27読了  [倉阪鬼一郎]

五声のリチェルカーレ  深水黎一郎

ネタバレ感想 2010年発表 (創元推理文庫404-11)

[紹介]
 昆虫好きでおとなしい十四歳の少年が、何の前触れも見せず起こした殺人事件。事実関係は明白だったが、なぜか犯行の動機については少年も堅く口を閉ざしていた。鑑別所へ接見に訪れた家裁調査官の森本に対しても、少年が語りたがるのは好きな昆虫の話ばかりで、動機についての問いに返ってきたのは「生きていたんだ」という謎の言葉のみ。生きていたから殺した――被害者は誰でもよかったという無差別殺人の告白なのか、それとも……。

「シンリガクの実験」
 僕は“特技”を生かしてまわりの子供たちに影響を与え、自在に操り、ついには学年全体にまで密かな支配力を及ぼすようになっていた。人生をなめきった子供だったそんな僕の前に、ある日一人の転校生が現れて……。

[感想]
 《読者が犯人》という大技を仕掛けたメフィスト賞受賞作『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』、続いて美術やオペラなどを題材とした“芸術探偵”シリーズと、講談社ノベルスでユニークな本格ミステリを発表してきた作者が、初めて創元推理文庫から刊行した作品。少年犯罪を扱った短めの長編『五声のリチェルカーレ』に、同じく少年を主人公とした短編「シンリガクの実験」を併録した、文庫書き下ろしの一冊です。

 表題作『五声のリチェルカーレ』では、まず家裁調査官・森本の視点から、殺人を犯した少年が唯一黙して語らない犯行の動機に焦点が当てられます。しかし、帯や扉の紹介文にも“少年は何故、そして誰を殺したのか”とあるように、登場人物には明白なはずの“誰が被害者なのか”が読者に対して伏せられており、結果として“なぜ?”と“誰?”を包含する“何が起こったのか”(の大半)が読者にとっての発端の謎となっています。

 物語は、森本が少年の心理を読み解こうとするパートと、少年の側から事件に至るまでの経緯を描くパートとが(おおむね)交互に繰り返される構成になっており、それぞれのパートに様々な蘊蓄が盛り込まれているのが“芸術探偵”シリーズの作者らしいところですが、森本の趣味であるクラシック音楽――とりわけ(題名にもなっている)リチェルカーレ、カノン、フーガなどの形式と技巧、そして少年の側で語られる昆虫の擬態*1といった題材が、ミステリ部分にしっかり結びついていくあたりはさすがというべきでしょう*2

 ついに事件の〈真相〉が明らかになる最終章でもたらされるのは、どちらかといえば不意打ちの驚きに近く、豪快な大技による“まったく予想だにしない強烈なサプライズ”でこそないものの、思わずしばし呆然とさせられた後に、実に周到な作者の企みにうならされます。そして最後に浮かび上がってくる、『五声のリチェルカーレ』という題名の意味もまた秀逸。長編としては短めの分量ながらも非常に読みごたえのある*3、何とも奥の深い作品です。

 一方、併録された短編「シンリガクの実験」は、ミステリというよりも一種のゲーム小説に通じる味わいで、大人びた子供である“僕”が“特技”を生かして何をするのか、そして“僕”と同じく〈シンリガクの実験〉をしている節のある転校生“アオヤギミユキ”がどう対応するのか、といった興味が中心となります。やや唐突に感じられる部分もあるものの、結末はやはり印象的。

*1: 擬態を扱ったミステリとしては他に、鳥飼否宇の「生けるアカハネの死」『昆虫探偵』収録)や「第二講 擬態」『本格的 死人と狂人たち』収録)などがあります。
 なお、作中に“ベッカム型”(144頁)とあるのは、正しくは“ペッカム型”(→“Peckhamian mimicry”「Aggressive mimicry - Wikipedia, the free encyclopedia」より)のようです。
*2: 考えてみれば、“犯行以前”を倒叙ミステリ風に描いたパートと“犯行以後”から事件を振り返るパートとが並べられた構成自体、“一人は冒頭から、もう一人は譜面の終わりから同時に演奏していき、ちゃんと音楽になる”(113頁)という「逆行カノン」の形式を意識したものといえるのかもしれません。
*3: 「『五声のリチェルカーレ』(深水黎一郎/創元推理文庫) - 三軒茶屋 別館」“ミステリの構成・読み方といったメカニズムの面白さを引き出しています。”と指摘されているように、ある種メタ的な読み方へと誘導される点も含めて。

2010.01.30読了  [深水黎一郎]

シェルター 終末の殺人  三津田信三

ネタバレ感想 2004年発表 (講談社文庫 み58-14/ミステリ・フロンティア)

[紹介]
 三津田信三は、東京創元社から依頼された長編『シェルター 終末の殺人』のため、奇矯な富豪・火照陽之助が所有する個人用核シェルターを取材に訪れた。他の見学者も含めた六名が、火照に案内されて庭の生垣迷路を抜け、シェルターの入り口へとたどり着いたその時、空に禍々しく巨大な閃光が走り、一同は慌ててシェルターの中に逃げ込んだ――はずだったが、シェルター内に主の火照陽之助の姿はなかったのだ。三津田は罪悪感に駆られながらも、外部の放射能が安全なレベルに低下するまでの間、他の5名の見学者たちとともに共同生活を送ろうとするが、やがて不条理な連続密室殺人が……。

[感想]
 作者のデビュー作『忌館 ホラー作家の棲む家』に始まる〈三津田信三シリーズ〉は、“三津田信三”自身を主役としたメタフィクショナルなホラー/ミステリでしたが、版元を講談社から東京創元社に移して発表された本書はその番外編ともいうべき作品で、メタフィクショナルな要素はそのままながら、ホラー色をやや控えめ*1に、ミステリ/サスペンス寄りにシフトした内容となっています。

 まず目を引くのはやはり特殊な舞台設定。核シェルターをクローズドサークル/密室として扱ったミステリとしては、岡嶋二人『そして扉が閉ざされた』などいくつかの作品がありますが、本書では実際に核爆発(?)が起きたことが示唆されており、核シェルターが実用に供されている状態なのが目新しいところで、極端な表現をすれば“外部が存在しない”(かもしれない)という、これ以上ないほどの極限状況が印象的です。

 シェルター内にはそれなりのスペースがあり*2、水や食料、空気などについても当面問題ないとはいえ、内部からは外部の様子がまったく把握できないこともあって、そこはかとなく漂う閉塞感が何ともいえません。また、火照陽之助を“閉め出した”のが自分ではないかという疑念のせいか、三津田信三が夜ごと襲われる凄まじい悪夢――助けを求めて追いすがる人間を見捨ててシェルター内に逃げ込む――が、外部との断絶をより強調している感があります。

 そのような極限状況で起きるアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』ばりの連続殺人*3は、登場人物たちが初対面同士で動機を想定しがたいことも相まって、サスペンスとともに強烈な不条理感を生じています。加えて、事件のたびに残される不可解な“装飾”――火照陽之助が収集していた仮面を被害者にかぶせ、さらに(一応伏せ字)機械的な(ここまで)トリックを駆使して現場を密室に仕立てる――によって、事件が一層不条理な様相を呈しているのが秀逸です。

 正直なところ、最後に明らかにされる真相そのものには微妙な印象を禁じ得ない*4のですが、むしろその(ある意味無茶な)真相をどのような形で成立させているかが大きな見どころとなっており、ばらまかれていた数多くの手がかりを執拗なまでに回収していくことで真相を裏付けようとする、“解決”というよりも“説得”に近い終盤はなかなかの見ごたえがあります。大いに好みが分かれるのは間違いないところでしょうが、色々な意味で実に三津田信三らしい――あるいは少なくとも〈三津田信三シリーズ〉らしい――作品です。

*1: もっとも、本筋にはさほど絡まない“味付け”として、ホラー映画に関する蘊蓄がこれでもかというほど盛り込まれていますが(→文庫版ではある程度削られており、(ホラー映画趣味がなくとも)少々寂しい気がしないでもありません)。
*2: 作者にしては珍しく、本書では文庫版だけでなくミステリ・フロンティア版でも巻頭に見取図が付されています。
*3: 作中では、『作者不詳 ミステリ作家の読む本』で提唱された〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉の条件に言及されています。
*4: 「地吹雪日記 - 三津田信三『シェルター 終末の殺人』(東京創元社)」の、“これについてはいくら伏線が張られていようと生理的に受け付けない読者もいると思う”という評が適切かと思われます。

2010.02.08読了
2015.02.12文庫版読了 (2015.02.19若干改稿)  [三津田信三]
【関連】 『忌館 ホラー作家の棲む家』 『作者不詳 ミステリ作家の読む本』 『蛇棺葬』 『百蛇堂 怪談作家の語る話』

スタークエイク Starquake  ロバート・L・フォワード

1985年発表 (山高 昭訳 ハヤカワ文庫SF713)

[紹介]
 中性子星〈竜の卵〉の知的生命体“チーラ”とのコンタクトに成功し、測り知れないほどの科学知識を得ることになった人類の調査船ドラゴン・スレイヤー号は、任務を終えて母船への帰還準備を開始した。その矢先に、流星体が誘導ロケットの一つを破壊したことで、強力な重力潮汐力から船を守っていた補償体群が制御不能となるが、恐るべき潮汐力によって船体が引き裂かれてしまう寸前、高度な技術を発達させた“チーラ”の援助によって危機は回避される。ところが今度は、〈竜の卵〉に発生した巨大な星震が“チーラ”の文明を崩壊させてしまったのだ……。

[感想]
 本書は、中性子星上に生まれた知的生命体“チーラ”とのファーストコンタクトを描いた傑作『竜の卵』の続編です。互いに未知の存在であった人類と“チーラ”がコンタクトを果たす過程が描かれた前作に対して、本書ではコンタクトが一旦は“完結”した後のいわば“セカンドコンタクト”であり、展開が少々強引に感じられるとともに、新鮮味に欠けてしまうのは否めないところではあります。

 まず冒頭では、人類の調査船が破壊されるまでわずか五分間という危機的状況が発生しますが、実に人類の百万倍にも及ぶ高速で活動する“チーラ”の時間感覚と、すでに人類を遥かに凌駕しているその科学技術とから、“危機”の顛末がたやすく予想できてしまうのが難点。またこのあたりに限らず、個人的に物理学の素養が不足していることもあって“チーラ”のテクノロジーはほとんど“魔法と見分けが付かない”*1域に達しており、その面白さを十分には味わえないのが残念です。

 しかしその一方で、かなり人間的に描かれている“チーラ”の物語は相変わらず興味深いもので、人類との相対時間の差もあって悪しき官僚主義(?)がはびこるあたりには苦笑を禁じ得ませんし、何とかそれを打破して人類を救出しようと様々に奔走する(一部の)“チーラ”たちの姿が生き生きと描かれ、それぞれのキャラクターが強く印象に残ります。

 かくして人類調査船の危機が寸前で回避されたのも束の間、〈竜の卵〉に未曾有の大災害――本書の題名にもなっている巨大な“星震”(スタークエイク)が発生します。その発生時に地表にいた“チーラ”がほとんど全滅という結果から、その凄まじい規模は推して知るべし。また中性子星の強力な磁場が振動することにより、調査船と乗員にまで影響を及ぼす高エネルギーのガンマ線が発生するという、地球での地震とはまったく違った現象が強烈なインパクトとなっています。

 そこから先は、残された“チーラ”たちと人類とが協力しながら、壊滅した“チーラ”の文明を復興していくことになりますが、そのあたりは前作で描かれた“チーラ”文明の発展の繰り返しといえないこともありません。とはいえ、〈竜の卵〉の地表で、あるいは軌道上で、それぞれに困難に挑む“チーラ”たち――とりわけホロヴィジョン・スターから文明の救い主に転身したクウィ=クウィ――の活躍は大きな魅力を備えていますし、軌道上に取り残されていた“チーラ”たちが人類の命がけの援助を受けて再び地表に降り立つ場面は感動的です。

 その後、再び“魔法と見分けが付かない”テクノロジーによってもたらされる結末は、どうしてもご都合主義の印象を禁じ得ない部分がありますが、長きにわたる物語*2の“締め”としてはやはりよくできているというべきでしょう。

*1: アーサー・C・クラークによる、いわゆる“クラークの第三法則”――“充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。”(→「クラークの三法則 - Wikipedia」を参照)より。
*2: 実際のところ、乗員にとってはちょうど二十四時間の出来事にすぎないのですが。

2010.02.14再読了  [ロバート・L・フォワード]
【関連】 『竜の卵』

双頭の悪魔  有栖川有栖

ネタバレ感想 1992年発表 (創元推理文庫414-03)

[紹介]
 大学から姿を消したマリアを連れ戻すべく、英都大学推理小説研究会の面々は、四国の山間にある夏森村からさらにその奥、マリアがとどまっているという芸術家たちの村・木更村を訪ねた。だが、孤立した環境で創作に没頭する住民たちは立ち入りを拒み、業を煮やした一行は降りしきる大雨をついて木更村への潜入を図る。かくして、ついに江神部長がマリアとの再会を果たしたのも束の間、二つの村をつなぐ橋が濁流に押し流されて、二人は夏森村にとどまる望月、織田、アリスの三人と分断されてしまう。そして、双方で起きた殺人事件に巻き込まれた彼らは、それぞれに真相解明に挑むことに……。

[感想]
 有栖川有栖の“学生アリス”シリーズの第三弾となる本書は、前作『孤島パズル』で事件に巻き込まれて心に傷を負い、出奔したマリア(有馬麻里亜)を、英都大学推理小説研究会の面々が連れ戻そうとするところから物語本編が始まります*1。そちらのパートがアリス(有栖川有栖)の一人称で語られていくのは前作までと同様ですが、本書ではさらにマリアの一人称によるパートも用意されており、二つの視点からの物語が(ほぼ)交互に繰り返される構成となっています。

 画家や音楽家、舞踏家などの芸術家たちが創作に専念する木更村は、当初からほとんど世間と切り離された閉鎖的な“楽園”として描かれており、“内側”にいるマリアの視点と“外側”のアリスの視点とが分断されたまま進んでいくことで、さらにそのような印象が強調されています。しかしその内部にあっても、住民である芸術家たちの“楽園”と外界に関する思惑は様々で、その“ずれ”がいわば“青天の霹靂”となって表れた結果、“楽園”に不穏な空気を生じることになるのが何ともいえません。

 かくして、江神部長のみが潜入に成功した後にクローズドサークルと化した木更村で殺人事件が起こりますが、やがて夏森村の側でも思わぬ殺人事件が発生し、クローズドサークルの内外二つの謎解きが並行して行われていくプロットの妙が本書の大きな見どころ。また、江神部長とアリスというシリーズの“探偵役とワトスン役”が分断されていることで、木更村ではマリアが江神部長のワトスン役に収まるとともに、夏森村ではアリスが慣れない探偵役をつとめることになる*2というイレギュラーな役割分担も興味深いところです。

 二つの事件は(やや違った形で)それぞれに不可解な様相を呈しながら、その中に真相解明への手がかりが注意深く配されているのは前作までと同様。特に本書では、“読者への挑戦”が三度も挿入されるという趣向が秀逸で、論理を積み重ねた解決それ自体がさらに積み重ねられる構造は質量ともに圧巻。と同時に、“最後の挑戦”において“行く手に立ちはだかる最後の岩盤を、イマジネーションの力で爆破していただきたい”とあるように、手がかりに基づくロジックに“プラスアルファ”を要する最後の真相が実に見事です。

 物語の長大さに比して事件の最終的な決着はややあっさりしているようにも思われますが、越えられない障壁の両側に隔てられてきた“二つの視点”がついに待望の再会を果たす結末は、やはり非常に感慨深いものがあります。有栖川有栖の代表作というにふさわしい、力作にして傑作であることは間違いないでしょう。

*1: というわけで、いうまでもないことかもしれませんが、シリーズの順番通りに読むことをおすすめします(前作の致命的なネタバレがあるわけではありませんが)。
*2: このあたりは、青春小説としての側面も備えたシリーズらしく、主人公であるアリスの“成長”が表れているといえるのかもしれません。

2010.02.20再読了  [有栖川有栖]
【関連】 『月光ゲーム Yの悲劇'88』 『孤島パズル』 『女王国の城』 / 『江神二郎の洞察』