ネタバレ感想 : 未読の方はお戻りください
  1. 黄金の羊毛亭  > 
  2. 掲載順リスト作家別索引 > 
  3. ミステリ&SF感想vol.174 > 
  4. 花窗玻璃 シャガールの黙示

花窗玻璃 シャガールの黙示/深水黎一郎

2009年発表 講談社ノベルス(講談社)

 まず、ローラン氏によるオーギュスト殺害のトリック――蝋燭に仕込んだ毒を気化させるというトリックには、近年になって邦訳された海外古典*1に前例(水銀ではなく別の毒が使われていますが)がありますが、照明器具が発達した現代において蝋燭が不自然でない場所ならではともいえますし、ローラン氏の趣味である温度計収集という伏線などはなかなか面白いと思います。

 これに関連して、瞬一郎が手記に仕掛けた《読者が被害者》トリック――自らが味わったと同様の症状を文章表現によって引き起こす――も興味深いところで、《読者が被害者》ネタの代表作とされる海外作家の短編*2とは違ったストレートなアプローチには(ある意味)作者らしさが感じられますし、特殊な表記に二重の意味を持たせてあるのも周到です。もっとも、私自身は“幸運な選ばれた人”(182頁)にはなれませんでしたし、作中の“読者=被害者”である海埜警部補も瞬一郎にうまく言いくるめられているようにも思えますが……。

 一方、イザベル(とアンヌ)によるゴーチエ氏殺害のトリックは、要となるアクリル板をはじめ、折り曲げ機や溶接機などイザベルが制作に使用している素材や道具がうまく利用されている点もさることながら、やはりアクリル板のを使った脱出トリックの豪快さと、舞台となるランス大聖堂との密接な関連が印象的。また、アクリル板を背負って橋を渡るイザベルの姿が、オーギュストの目に“天使”と映ったのも面白いと思います。

 ゴーチエ氏殺害の動機――さらにそこに重なるイザベルの過去――は陰惨なものですが、イザベルの部屋に飾られた『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』に絡めた仕掛けには脱帽です。

*

 ところで、本書の外枠部分では、瞬一郎が“《読者への挑戦》をやったことによって頁数が増えて、定価が無駄に上がったと文句を言われるのも嫌ですからね”(250頁)“真似する人が出ると困るので、いまここで喋るのもためらわれるほどです”(256頁)などと、メタレベル(読者の存在)を意識した発言をしているのが気になるところ。そしてそれを念頭に置いてみると、外枠部分とはまったく異なる特殊な表記で綴られた手記もまた、それが作中でもテキストの形で存在していることを強く主張し、読者がいわば物語に“入り込んでしまう”のを妨げているようにも思われます。

 このように本書では、“読者”という立場を絶えず自覚させられるような工夫がされている節があるのですが、それが海埜警部補には見えず“本書の読者”のみに見える“手がかり”――作中作には付されていない「シャガールの黙示」という副題に目を向けさせるきっかけとなっている、というのは穿ちすぎかもしれません。が、いずれにしても本書の真価が、その“手がかり”をもとに「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 花窗玻璃 シャガールの黙示 / 深水 黎一郎」で鮮やかに読み解かれている通りの、事件とシャガールのステンドグラスが対応する構図にあることは間違いないでしょう。

三枚のステンドグラス――そして本作の事件(謎)と真相をそれぞれに重ねるとどうなるでしょう。「燭台」のところに倒れていた浮浪者の事件と「七枝の燭台」を描いた左側のステンドグラス。そして転落死と「シャルル七世の右側に立って、剣のようなものを振りかざしているのがジャンヌ・ダルク」を描いた右側のステンドグラス。その真ん中に「真相」となる「キリストの磔刑図やイサクの犠牲、十字架降下、ヤコブの梯子」を置いてみると……。

さらに60pから引用すると、「彗星のごとく現れたジャンヌ・ダルクが、……弱気なシャルル皇太子に王冠を抱かせた」という歴史的人物配置と、転落死を「黙示」しているとおぼしき右側のステンドグラスに事件の構図を重ね合わせると……。

 まず、ランス大聖堂のシャガールのステンドグラスに描かれたモチーフについて、「Reims / Cathedrale de Reims / Cathedrale des Sacres en Champagne#Vitraux de Marc Chagall」に掲載されている写真を見ていくと、“左側の小薔薇窗の上の三角形の部分”(161頁)にあるという“七枝の燭台”は残念ながら確認できないものの、“ヤコブの梯子”(基督磔刑図(La Crucifixion)のすぐ左あたり←恥ずかしながらこれはやはり勘違いで、この画像で中央左側の下の方に横たわるヤコブと梯子らしきものがあります*3)、“イサクの犠牲”(Sacrifice d'Isaac)、“シャルル七世の戴冠式”(Sacre de Charles VII)といったモチーフは見て取ることができます。また、よく知らないので今ひとつ自身はありませんが、“ヤコブの梯子”と“イサクの犠牲”の間にあるのが“十字架降下”でしょうか*4

 このうち、“七枝の燭台”が蝋燭のトリックを、また“ヤコブの梯子”の天使と梯子がそれぞれイザベルとアクリル板の橋を“黙示”しているのはいうまでもないでしょう。ステンドグラスでは天使が梯子を“登っている”という印象が強いのが少々難ではあります*5が、梯子の段によって、透明なアクリル板に継ぎ目や折り目(292頁~293頁)の跡が残った状態(本当にそうなるのかどうかはわかりませんが)まで“黙示”してあるといえるかもしれません。

 また“十字架降下”は、降下=転落死のイメージに加えて、“まるで基督自らが、雅各の梯子を降りて行くようにも見えた。”(310頁)というあたりが“犯人によって突き落とされたのではない”ことを“黙示”しているともいえます。

 そして“イサクの犠牲”――神の命に従ってアブラハムが息子イサクの命を捧げようとしたその時に、アブラハムの信仰心を認めた神の使いが止めに入るというエピソード(「イサクの犠牲」を参照)――については、それを“〈自らの父〉によって〈犠牲〉にされる〈子〉〈天使〉が救う”ととらえれば、そのままゴーチエ氏殺害の背景に当てはまります。さらに“シャルル七世の戴冠式”も、“聖女貞徳が(中略)弱気な査理皇太子に王冠を戴かせた”(60頁;一部の漢字は代用)という記述をみると、イザベル(ジャンヌ・ダルク)がアンヌ(シャルル皇太子)を助けたことを“黙示”しているように思われます。

 このように、事件の内容をシャガールのステンドグラスと関連づけるという“縛り”を自らに課す*6とともに、それを(“麻耶雄嵩メソッド”のように)作中で説明することなく暗示するにとどめるという趣向は、何とも心憎いものがあります。

*

で、再びページを戻って読み返してみると、謎解きが終わり、二つの事件の真相も明らかにされ、犯人もその犯行方法も判ったあと、後日談として語られるあるエピソードに気がつくわけです。ここで語られるある人物の、「否! 否!」という言葉を添えたこの「叫び」。これによって、「下手糞な子供の絵」であったシャガールの絵の意味合いは見事に反転します。そしてその考察がこの人物の単なる妄想ではなかったことが、この人物がなしていたある行為によって裏付けられる。

そうなると、――何だか一昔前のミステリのような、さながら「子供の絵」のような凡作に思えた本作の事件の構図にも、その奥に「本当の姿」が隠されているに違いないということに気がつきます。(後略)

 上に引用した説明をみても、ローラン氏のシャガールに対する評価の反転が、“シャガールの黙示”に着目するヒントとして物語の最後に配置されている、というのは十分納得できるところです。そしてそう考えると、瞬一郎が手記の中で“その老人に無差別殺人を思い止まらせたものは、ひょっとするとあの花窗玻璃そのものだったのではないか?”(309頁)と(一応の)結論を出しているにもかかわらず、海埜警部補にわざわざ“あの日ローラン氏は、どうして蝋燭をすりかえなかったんでしょうね”(264頁)と質問しているのも、ローラン氏の心理(の変化)が本書を読み解く上で重要だということを暗示するものだとみるべきでしょう。

* * *

*1: (作家名)オースティン・フリーマン(ここまで)の長編(作品名)『証拠は眠る』(ここまで)
*2: (作家名)フレドリック・ブラウン(ここまで)(作品名)「うしろを見るな」(ここまで)
*3: 手記の中では、“中央左翼の一枚”“一番に描かれているのが雅各の梯子”(160頁)とありますが、これは“一番”(ちょうど基督磔刑図の左)の誤りではないかと思われますというわけで、手記の中で“中央左翼の一枚”“一番に描かれているのが雅各の梯子”(160頁)と記されているのが正しいようです。
*4: ただしそうだとすれば、“基督の磔刑と以撒の犠牲を斜めに結び、十字架降下と雅各の梯子を結んでいた。その二本の線は斜めに交わり”(310頁)という状態にはならなさそうなので、こちらの勘違いの可能性が高いかもしれません。
*5: 「シャガール ヤコブの梯子 - Google 画像検索」で表示されるリトグラフの画像(例えば「シャガール ヤコブの梯子(リトグラフポスター)」)ならば、正面からの構図である上にパースが怪しい(失礼)ため、天使が“橋を渡っている”ようにも見えるのですが……。
*6: さらに、アクリル板の橋のトリックとランス大聖堂との関連や、ゴーチエ氏殺害の動機と『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』との関連も加えると、実に“三重の縛り”になっているともいえます。

2009.09.14読了