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ハーレー街の死/J.ロード

Death in Harley Street/J.Rhode

1946年発表 加藤由紀訳 論創海外ミステリ63(論創社)

 物語序盤こそ、フェプソンとラスパーの二人がかりで無理やりモーズリーに注射したといったような仮説も示されていますが、状況をみればやはり、モーズリーが自らの意思で注射をしたという事実は動かしがたいところでしょう。その一方で、モーズリーに自殺するような動機がまったくないことから、注射そのものに何らかの誤り――中身の誤認やすり替えなど――があったという方向に推理が向かうのは必然です。

 そのように読者の推理を完全にミスリードした上で、モーズリーが致死量のストリキニーネを、それと知った上で自ら注射するという、およそ考えられない真相が用意されているのが見事です。もちろん、猛毒であるストリキニーネが別の猛毒であるコニインの解毒剤となるという知識はあまりにも特殊すぎて、とても読者に対してフェアな謎解きであるとはいえません*が、文字通り“毒をもって毒を制す”という真相のサプライズはなかなかのものです。

 モーズリーにコニインを飲ませただけで終わりではなく、その後にさらにトリックが仕掛けられているのも見逃せないところ。追加の注射(実際にはストリキニーネ)をコニインだと偽ることで、解毒による回復をコニインの自然分解だと見せかけ、すぐにストリキニーネを注射しなければ再び(追加の)コニインが効き始めると思い込ませるという、モーズリーを心理的に追い詰める手順が実に見事です。

 フォーセット自身が直接手を下したわけではないとはいえ、少なくとも現代の日本の読者の感覚としては未必の故意による殺人に該当する“犯行”で、プリーストリー博士が言うところの“第四の可能性”というのは、少々無理があるようにも思われます。が、フォーセットの“告白”以外に証拠がまったくないのは確かで、裁くことのできない殺意という意味では、一般的な他殺とはやや異なるといえるかもしれません。

 いずれにしても、“毒殺”トリックの特殊性を考えれば、“犯人”を裁くことができないというのは明らかです。そのために作者は、(“犯人”であるフォーセットが裁かれなくても)読者が心情的に納得できるような“犯人”と“被害者”の関係を丹念に作り上げたのだと思われますが、読者の興味の中心であるハウダニットとは関係のないそれが、特に中盤以降の物語を退屈なものにしているのが苦しいところです。

*: プリーストリー博士の“容態の急変”を通じてコニインという手がかりを示す(184頁)のが精一杯なのは理解できるところです。

2008.03.07読了