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私という名の変奏曲/連城三紀彦

1984年発表 新潮文庫 れ-1-7(新潮社)

 この作品の中心となるのは、“犯人は誰なのか?”ではなく、1人の被害者を7人もの“犯人”たち(被害者を実際に殺したのが誰なのか作中では明らかにされていませんが、7人とも殺意を行動に移したことは間違いないのですから、7人全員が犯人というべきでしょう)がそれぞれまったく同じ状況で殺害するという怪現象です。犯人たち一人一人は、いずれも自分がレイ子を殺したと確信しており、それを“神の視点”から眺める読者としては、非常に困惑させられる状況となっています。“レイ子の死”を主題として犯人だけが変わっていく“変奏曲”が展開されているのですから。この状況を最も簡単に説明できるのは“死んだふり”ですが、「誰か」の章では被害者が完全に死んでいることが確認され、その可能性は否定されています。

 この“7回殺された被害者”という不可能状況が、身代わりの死体という要素の導入によって鮮やかに解かれているところが見事です。そして、その身代わりという真相の説得力を高めるために、レイ子の顔が整形手術の産物であることが効果的に使われているところも見逃せないでしょう。この、石上美子の死体を身代わりに使って繰り返される“殺人劇”という真相は、非常に面白いと思います。

 ただし、現実的には一つ大きな難点があります。石上美子の死体は、2日間にわたってレイ子の身代わりとして使われているわけですが、直前に死んだように見せかけなくてはならないので、死後硬直や体温低下を防ぐ必要があるはずです。適度に保温しておけば大丈夫なのかもしれませんが、犯人たちに気づかれることなくそのような保温手段を使うのは難しいのではないでしょうか。

 ところで、7人の犯人たちのうち、笹原の依頼を受けた浜野だけは、読者に近い視点から事件を眺めることになります。したがって、笹原が浜野に脅迫者の役どころを割り振った時点で、浜野が真相に迫っていくことは必定だったといえるでしょう。そう考えると、笹原のこの選択が計画の破綻を招いてしまったようにも思えますが、最初から犯人たちを殺すつもりの笹原としては、浜野が真相に迫るのも望むところだったのかもしれません。

2003.08.13読了

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