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空白の殺意/中町 信

1980/2006年発表 創元推理文庫449-03(東京創元社)

 本書では、捜査が進むにつれて事件の構図が変貌していき、それに伴って次から次へと新たな容疑者が浮かび上がる、凝ったプロットが展開されているのが見どころです。

山岸秋二郎: 暴行未遂の濡れ衣を着せられた復讐
 まず、亡くなった追貝弓江と角田絵里子の二人が関わった暴行未遂事件に目が向けられ、その犯人とされた元三ツ林高校野球部員・山岸秋二郎が最初の容疑者となっています。追貝弓江自身の“春見野高校野球部の運命をこの手で握っている”(41頁)という言葉が、ライバル校を蹴落とすために仕組まれた不祥事だったことを意味しているように思われる*1のが巧妙です。
 暴行未遂事件が濡れ衣ではなかったと確定することで、当然“復讐”の構図もあっさりと崩壊しています。

角田絵里子: もみ合いのはずみの殺人/それを苦にしての自殺
 次に、下条明美によるモーテルの駐車場での目撃証言から、角田絵里子がもみ合いの末に追貝弓江を殺害し、それを苦にして自殺したという見方が浮上します。目撃証言は信憑性の高いものですし、残された“遺書”(20頁〜21頁)の二枚を組み合わせた内容にも大筋で合致しています。
 しかし、遊佐警部が指摘している(180頁)ように、角田絵里子に追貝弓江の首を絞めた自覚があれば、“遺書”の中にわざわざ絞殺(20頁)と記すのは不自然で、わずか二文字ながらもよくできた手がかりといえるでしょう*2

久我威一郎: 高校生をモーテルに連れ込んだ醜聞が露見するのを恐れて殺害
 角田絵里子が殺したのではないとなれば、ぐったりした追貝弓江を車で運んだ久我威一郎に疑いがかかるのも当然。そしてその犯行は、久我威一郎自身の回想(186頁〜193頁)でそ裏付けられています。
 しかしその一方で、“金子を毒殺したのは、おれじゃない”(193頁)と独白していることで、別の犯人の存在が浮かび上がってくるのがうまいところです。

角田亮一: 妻の不倫相手への復讐/妻の不倫が露見するのを恐れた口封じ
 金子幸雄と久我威一郎の二人を殺害する動機を持つ人物として、警察は角田絵里子の夫・角田亮一に疑いを向けます。比較的すんなりと納得できる構図ではある反面、ミステリとして面白味に欠けているのは否めませんが、角田絵里子の日記帳を再びクローズアップするという点で、解決に向けて必要不可欠な手順といえるのではないでしょうか。

 そして物語終盤には、真庭百世が宝積寺恵子を犯人として告発し、後援会長・久我威一郎の醜聞と犯罪による伴内商業高校の甲子園出場辞退を防ぐための殺人、という新たな構図が示されているのが――高校野球から一旦は離れておきながら、最後の最後に再び高校野球に戻ってくるところも含めて――お見事。遊佐警部は否定的ですが、真庭百世が見出した日記帳のカバーについての失言は決定的といっても過言ではない手がかりですし、角田絵里子と金子幸雄が不倫関係ではなかったことを突き止めて*3角田亮一の“動機”を消滅させているところもよくできています。

 しかし、宝積寺恵子には金子幸雄の死亡推定時刻の強固なアリバイがあるだけでなく、(特に「プロローグ」そのまま読んだ読者にとっては)角田絵里子を殺害することもまったく不可能としか思えない状況で、非常に手ごわい謎といえるでしょう。それを支えているのは、日時の錯誤――金子幸雄の死亡推定時刻の錯誤であり、またその手段となっている角田絵里子の“遺書”が書かれた日付の錯誤、そしてもちろん「プロローグ」で描かれた場面の日付の錯誤です。

 コタツのかげになっていた絵里子は体を横に折り曲げ、コタツの掛け蒲団にくるまっていたのだ。微動だにせず、長い黒髪が頬をおおい、目は固く閉じられていた。恵子は言い知れぬ戦慄を感じ、思わず仔ネコの体を強く抱きしめた。
「し、死んでる……」
 恵子は声にならない叫びを上げ、反射的に仔ネコを放り出していた。……
  (13頁)

 上で引用した「プロローグ」の記述は実に巧妙で、「エピローグ」で明らかにされているように、まだ生きている角田絵里子を死んだと見せかける――そして「プロローグ」が1月27日の出来事だと思わせる――叙述トリックとなっています。「第一章」に入ったところで実際に角田絵里子が死んでいるせいで*4「プロローグ」が宝積寺恵子による角田絵里子の死体発見の場面だと思わされるのはもちろんですが、仔ネコが生きて登場するために、「プロローグ」で死んでいるのが仔ネコの方だとは考えにくくなっているのが秀逸です。

 この仔ネコ入れ替えトリックは、“遺書”の中の“リーコも、いつまでも長生きしてね。”(21頁)という記述が不自然にならないように犯人が仕掛けたものですが、しっかりと必然性が用意された作中のトリックが叙述トリックを補強しているのがうまいところです。

*

 ところで、「あとがき」では本書について、ジョン・ディクスン・カー『皇帝のかぎ煙草入れ』を意識した旨記されており*5、裏表紙にもその部分が引用されていますが、これは本書の真相につながる大きなヒントとなっており、せっかくの仕掛けを台無しにしかねないものだと思います。

(以下伏せ字;『皇帝のかぎ煙草入れ』を未読の方はご注意ください)

 というのも、『皇帝のかぎ煙草入れ』を先に読んでいると、少なくとも本書の「プロローグ」を読んだ時点で、「プロローグ」にメイントリック――しかも叙述トリックに類するもの――が仕掛けられていることが予想できてしまうからです。

 解説の折原一氏はそこまで明かしても大丈夫だと考えているようです(*)が、実質的にただ一人登場する宝積寺恵子が角田絵里子の死体を発見した……ように見える「プロローグ」に叙述トリックが仕掛けられているとなれば、(トリックの具体的なメカニズムはさておいて)そこで最も疑わしくない宝積寺恵子が角田絵里子を殺した犯人であることは、明らかだといわざるを得ないでしょう。

*: 冒頭で“(ネタバレはありません。安心してお読みください)”(299頁)としておきながら、“なるほど、そう思ってプロローグを見ると、まさに『皇帝のかぎ煙草入れ』そのもので、作者の巧みな引っかけに読者は誤誘導されていく。”(312頁)とはっきり書いてあるので……。
(ここまで)

* * *

*1: 後に明らかになるように、実際には野球部監督の金子と角田絵里子の“不倫関係”を指していたわけですが。
*2: さらにその後には、扼痕から割り出された犯人の推定身長が証拠とされています(183頁)が、“一六五センチ前後”“一七〇センチ”の差を区別できるのか、少々気になるところです(参考:「身長別−男女の手の大きさの平均」)。
*3: 序盤の“権田町などという聞いたこともない地名”(36頁)が、思わぬ伏線/手がかりとなってくるあたりにも脱帽です。
*4: “同校の女性教諭が(中略)自殺する。”と、角田絵里子の死を明示してある扉のあらすじも、読者をミスリードするのに一役買っている感があります。
*5: “大仰ではなく、小粒ながら、心理的なだましのトリックをメインに据え、読者を最後の一ページまで引っぱって行く「皇帝のかぎ煙草入れ」のような作品を、私はおこがましくも、無性に書いてみたくなったのである。”(296頁)

2014.01.30読了

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