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東京結合人間/白井智之

2015年発表 (角川書店)

 「少女を売る」は犯罪小説風の展開の中、やがて栞の“新しく、友だちが欲しいです。”(25頁)という言葉が謎として浮上し、その裏に隠された栞の思惑を探る、一種のホワイダニットとなっていますが、隠された“ヒメコ”との接点という“偽の真相”まで用意してあるのが周到です。

 真相のうち、“寺田ハウス”の面々に羊歯病を感染させるという栞の計画には既視感があるような気もしますが、背が低い女性しか相手にしない“ネズミ”の性癖や、必ずコンドームをつける“ビデオ”の習慣*1が計画の障害となるところはよくできていますし、それを打破するために“お人形さんみたいに小さい(25頁)少女を引きずり込むアイデアが強烈。また、予防接種の注射痕がないことを隠すために、わざと凄惨な暴行を受けたというところも壮絶です。

 “ネズミ”の性癖などは“ヒメコ”ら少女たちの話からわかるにしても、探偵の今井イクオクルミがあたかも“読者の視点”を持つかのように事情に通じすぎている感はあります*2が、おびただしい伏線が次々と回収されていく謎解きはやはり鮮やか。そして、主役だった“寺田ハウス”の面々が“退場”させられる、意表を突いた結末も印象的です。

* * *

 「正直者の島」は一転して堂々たる(?)“孤島もの”で、展開される“推理合戦”が圧巻です。

[今井の推理](神木・丘野が犯人)
 まず、出演者の中に二人のノーマルマンがいるという前提を導き出す推理がよくできています。誰もが考えそうな“発言の中から嘘を見つけ出す”という形では、“誰がノーマルマンなのか”まで一気に露見してしまうところ、出演者の“枠外”にいる撮影クルーとのやり取り――双里の“ぼく、遅刻してませんよね?”(97頁)という不可解な問いかけを手がかりに、二人のノーマルマンが存在することだけを明らかにしてあるのが絶妙です。真相が読者にあらかじめ知らされている(95頁)ことで、推理の説得力が高まっているのもうまいところです。
 狩々ダイキチモヨコ・麻美殺しについては、心中に偽装されていないことを不自然ととらえたところから始まる推理で、アトリエのダイキチモヨコの死体を使った密室からの脱出トリックが、シンプルかつ効果的だと思います。しかしそこから先は、どちらが心中を企てたか明示するという説明は“心中偽装説”らしいものの、ダイキチモヨコが怒鳴り込んできたことを知らない神木が犯人だとしても、ゴム紐の仕掛けを作ったのが麻美の方だと積極的に判断する理由はまったくないので、強引に辻褄を合わせようとした無理のある推理になっています。
 密室から脱出する犯人に気づく機会のあった、死体を発見した今井・圷・丘野の三人のうち、アリバイがない丘野が神木を殺した犯人という推理は、前提となる脱出トリックが正しければ妥当ではありますが……。

[丘野の推理](狩々ダイキチモヨコ・浅海が犯人)
 ダイキチモヨコが多重人格だったというところから始まり、ゴム紐の仕掛けで別人格を殺す“自殺”、なぜかアトリエに血糊の偽装と、何から何まで無茶苦茶な“推理”には苦笑せざるを得ませんが、アカゴダニのせいで血痕が消えたというのはなかなか面白いと思います。
 最初に浅海を名指ししているところからみて、血糊の偽装に気づいた神木の口を封じたと結論づけたかったのかもしれませんが、神木殺しに触れるまでもなく、完膚なきまでに否定されているのがまた愉快です。

[小奈川の推理(1)]
 まずは[今井の推理]について、ナイフの位置、というよりも動きがおかしいという妥当な指摘で“心中偽装説”が否定されているのが、地味ながらよくできています。
 次に、一見すると事件とは関係なさそうな謎――“三日目の夜、宿舎の外をふらついていた人物”の話になるのが、(致し方ないとはいえ)少々不自然な印象ではありますが、“透き通るような白い四本足”(205頁)*3から羊歯病の双里ではないとする推理には納得。双里が自分だと認めた(209頁)のはなぜかというところにまで、少々苦しいながらも一応は筋が通った説明をつけてあるのがお見事です。

[圷の推理(1)]
 双里でなければ誰がふらついていたのか、ということで、消去法によって神木だったという結論になりますが、丘野の“アカゴダニ騒動”(苦笑)が思いがけずここで効いてくるのが巧妙。

[小奈川の推理(2)]
 神木が夢遊病でふらついていたとすれば、麻酔薬を失くしていた――その時すでにポーチを落としていた、ということで、事件の際には海沿いの道を通らなかったことになります。そうすると、行きは海沿いの道を、帰りは山道を通った犯人の行動が明らかになり、ようやく事件の核心に近づいてきます。今井が拾った、山道に落ちていた貝殻という物証が用意されているのも周到です。

[圷の推理(2)]
 犯人がカリガリ館からの帰りに、人目につきにくい海沿いの道を通らなかったことから、帰りには海沿いの道が海水に沈んでいた――犯人は15時以前にカリガリ館に行ったとする推理はなかなかよくできていますが、宿舎にあった包丁の“アリバイ”との矛盾が難しいところです。
 ここで、別の包丁の入手先として館の隣の倉庫に目をつけて、侵入する窓の高さから犯人が二人組とする推理は、(正誤はさておいて)意外で面白いと思いますし、窓辺のビデオが濡れていなかったという思わぬ手がかりから引き出される解釈もよくできていると思います(……が、最終的にはやはり“たまたま”(257頁)だったということなのでしょうか)。
 後に「エピローグ」で明らかにされているように、圷が“もう一つ、同じ跡のあるシイを見つけた”(158頁)ことで、ゴム紐の仕掛けが二つあったことが示唆されているので、凶器はそちらで入手することができた*4わけですが、そちらの仕掛けはゴム紐も持ち去られた(と思われる)こともあって、手がかりがかなり目立たなくなっている感があります。

[圷の推理(3)](今井・浅海が犯人)
 ここまでの推理で導き出された結論を前提とした――具体的には、〈前提1:出演者の中に二人のノーマルマンがいる〉(→[今井の推理])・〈前提2:犯人は15時以前にカリガリ館にいた〉(→[小奈川の推理(1)][圷の推理(2)])・〈前提3:犯人はノーマルマンの二人組である〉(→[圷の推理(2)])をもとにした、M.C.エッシャー「上昇と下降」(→「Ascending and Descending」「M.C. Escher - The Official Website」内))になぞらえた推理が何といっても秀逸です。

オネストマンだと証言
小奈川←――――――――
アリバイを証言アリバイを証言
双里――――――――→丘野
犯人を知らないと証言
(唯一の共犯者候補)

 四人のうち誰かがオネストマンだと仮定すると、順々に全員がオネストマンということになってしまうのが面白いところで、条件をうまく設定することによって、いわば“オネストマンの連鎖”が作り出されているのが実に巧妙。証言の信頼性が担保されるオネストマンならではの、特殊設定を存分に生かしたユニークな推理といえるでしょう。
 今井と浅海が犯人となると、電話での“麻美との会話”が問題にならなくなる一方、小奈川に見送られた今井のアリバイがネックになりますが、そこを豪快なトリックで片付けてあるのがお見事というか何というか。睡眠薬で丸一日眠らせるトリックには、少なくとも国内の短編で二つほど前例があるものの、圷と丘野が途中で目を覚まして複雑化した状況を、強引に(ある程度)辻褄を合わせてあるのがすごいところです。もっとも、「エピローグ」で指摘されている定期船の到着日の問題が、いかんともしがたいところではありますが……。

*

 ちなみに、恥ずかしながら初読時にはまったく気づかなかったのですが、この一連の推理の中には「エピローグ」でも指摘されていない大きな見落としが一つあります。問題となるのは、神木殺しの際に宿舎とカリガリ館の間に残された足跡の数で、[小奈川の推理(2)]でも検討されたように、犯行時にカリガリ館へ向かったのは神木と一人の犯人だけということになるのですから、〈前提3〉の“二人組”がかなり怪しくなってきます。

 二人のノーマルマンが協力して倉庫に侵入したのが、神木殺しよりもずっと前だったとすれば、〈前提3〉が成立する余地もあるにはあるのですが、その場合、もう一人の犯人/ノーマルマンは犯行時にカリガリ館に行かなかったのですから、犯行時のアリバイが成立し得ることになってしまいます。つまり、アリバイからいえるのは“神木を殺した実行犯ではない”にとどまり、オネストマンとは限らない――“Xがオネストマンである以上、(中略)犯人ではないAもオネストマン”(311頁)とはいえないのです。

 具体的には、圷がオネストマンだとすれば(証言の内容から)小奈川はオネストマンですが、次の双里はアリバイが成立してもオネストマンとは限らず、“オネストマンの連鎖”はここで止まります。同様に、双里がオネストマンだとすれば、丘野は(〈前提3〉が正しければ)実行犯でも共犯者でもないのでオネストマンとなりますが、次の圷はアリバイが成立するだけで、オネストマンかどうかは不明なので“連鎖”は止まります。つまるところ、この条件では圷と小奈川、もしくは双里と丘野、いずれかの組み合わせがノーマルマンであり得る*5ので、〈前提3〉が成立するとしても推理は破綻します。

 これは、作者による見落としの可能性もあるでしょうが、むしろ「上昇と下降」の推理が成立するように見せかけるための巧妙なごまかし、あるいはそれが“ダミーの解決”であることを暗示する読者へのヒント、ととらえるべきかもしれません*6

*

 ついでといっては何ですが、読者にのみ与えられた情報も踏まえて、出演者のうち“誰がノーマルマンなのか”を考えてみます。

 まず、丘野(本物)「プロローグ」の描写から、「正直者の島」での内面描写から、そして小奈川はその圷の証言から、いずれもオネストマンであることが確実です。さらに、“有名ブランドのコートを羽織った”“裕福そうな身なり”(いずれも119頁)浅海は、金に困っていそうな結合人間に出演を打診”(95頁)して確保された最後の二人には当てはまらないので、オネストマンと考えていいでしょう。一方、“寺田ハウス”の面々が操舵手に殺されたなどと嘘をついている今井は、もちろんノーマルマンです。

 ただし今井に関しては、“ネズミ”にスカウトされただけにしては、「オネナビ」での募集の経過(スカウト以前の応募状況)にやけに詳しい(242頁)のが気になるところです。早くから依頼を受けて“寺田ハウス”の動向に注目していたとも考えられますが、そうだとすれば、その今井がたまたま“ネズミ”に声をかけられたという途方もない偶然よりも、依頼を果たす絶好の機会とみて(「オネナビ」の登録に必要な診断書(242頁)を偽造して)オネストマンを装って応募した、という方がありそうなことではないでしょうか*7

 神木については手がかりが見当たらず、双里はやや微妙なところ――たびたび読み違えを経験していたとしても、スカウトされたのであれば少なくとも“ネズミ”には“フタザト”と名乗っているはずなので、“最後のフタリ”という言葉が自分を指していると考えるかどうか――ではありますが、今井がオネストマンのふりをして応募した場合には消去法で二人とも、そうでなければどちらか一方がノーマルマン、ということになるのではないでしょうか。

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 いずれにしても本書では、ユニークな「上昇と下降」の推理、ひいてはそのベースとなるオネストマンの設定が惜しげもなく、「エピローグ」で明かされる真相から読者の目をそらすミスディレクションとして使われているのが豪快で、贅沢な仕掛けといってもいいかもしれません。

 もっとも、丘野がマスクをかぶっていたことが明らかになった時点で*8入れ替わりトリックに思い至ることは可能かもしれませんし、その場合、操舵手は出演者たちに顔を知られており、“ネズミ”と“ビデオ”は漁船のスクリューに刻まれている(110頁〜112頁)ので、入れ替わることができるのは“オナコ”だけ、というところまで到達することもできるでしょう。そうでなくとも、「エピローグ」に入ってすぐの“たった二人だけの友人を失い、あらゆる居場所をなくした自分”(327頁)という独白で、その人物が“オナコ”であることは明らかとなり、丘野ヒロキチカとの入れ替わりもほぼ確定するのですが、それでも、直ちにすべてを見通すことを妨げるいくつかの“罠”が仕掛けられているのが周到です。

 一つは“丘野”について、(圷に視点が据えられているとはいえ)三人称の地の文ではっきり“丘野”と表記されている点です。人によってはあまり気にしないところかもしれませんが、作者がフェアプレイを意識しているとすれば、事実に反する記述がなされているとは考えづらいので、惑わされることになってしまいます。これについては、“オナコ”の方も名字が“丘野”だったというあざとい真相が用意されていますが(苦笑)、“ビデオ”の本名が“秀夫”(64頁)であるというヒントから、“オナコ”と“丘野”の類似に気づくこともできるかもしれません。

 次に、“横一列に並んだ四つの眼球は、モデルのように端正な光を宿していた。”(284頁)とあるように、丘野のマスクの下から結合人間の顔が現れているのが難しいところです。未結者である“オナコ”の顔でないのはもちろん、“オナコ”が着ていた結合人間スーツの顔でもない――マスクを二重にかぶるのが苦しそうだということもありますが、(前述の操舵手と同じように)結合人間スーツの顔は出演者に見られているはずで、圷や小奈川にばれてしまうでしょう――となると、それが“オナコ”だとは考えにくくなっているところがあります。

 もちろん、“オナコ”が密かに結合して結合人間に“変身”した可能性は、あえて特殊設定が導入されていることからして頭に浮かんでしかるべきですが、何せ出演者は結合人間ばかり、ダイキチモヨコも結合人間で、未結者の麻美は(死んでいなかったとしても)“どうやっても女と結合できない身体”(35頁)の“オナコ”*9と結合することはできない――といった具合に、結合するべき相手が見当たらないというのが最大の障害です。

 「エピローグ」では、“ヒメコ”が真っ白な雪だるまを手がかりに、もう一人の子供の存在を導き出していますが、この推理は常人では不可能ではないでしょうか(苦笑)

*

 ところで、事件から少し離れて今井に焦点を当ててみると、少々おかしなところがあります。茶織の妹とおじに報復させる計画ならば、なぜ早々に漁船で謎解きをしたのか――というのはまあいいとして、本土とは連絡が取れないにもかかわらず、茶織の妹とおじがなぜそこに現れたのか――当初の目的地だった呉多島ではなく東呉多島に、あたかも出演者たちの居場所を知っているかのようにカリガリ館にまでやって来たのか、説明のつかない謎になってしまっています。が、そこはまあ気にしても仕方ないところでしょうか。

* * *

*1: いくら“ビデオ”自身がコンドームを常用していても、“ネズミ”が使わなければ元も子もないのは明らかですが、“ネズミ”との力関係からそれを要求できなかった、ということなのでしょうか。
*2: それでいて、“オナコ”を(104頁17行)と呼んでいるのは、ミスディレクションとしても少々いただけません。売春していた少女たちは知っているでしょうし、“オナコ”が出演したビデオの一本も観ればわかるはずです。
 もっとも、未結者が妊娠・出産できないのであれば、例えば乳房の発達などは必要ないと考えられるので、男女の体にどのような差があるのか――ビデオの映像で性別が判断できるのか、かなり疑問の残るところではあるのですが、“ジャンルがマニアックだった”(39頁)とされているところをみると、“オナコ”が女性であることはビデオでも明らかだったと思われます。
*3: しかし、雪の降る十二月に“生足”というのはどうなのか……これに限らず、結合人間の服装が(今井など一部の例外を除いて)ほとんど描写されていないのが気になるところですが、丘野ヒロキチカと“オナコ”の入れ替わりの障害――実際には、マスクだけ奪っても服装の違いでまず露見する――をごまかすために、やむを得ないところでしょうか。
*4: 丘野には当初予想された犯行時刻のアリバイがない(238頁)ので、宿舎の包丁を隠したのは圷が推理したようなアリバイトリックではなく、凶器の出所を隠すためだと考えられます。
*5: 小奈川がノーマルマンの場合は必ず圷もノーマルマンなので他の人物との組み合わせは不可、丘野は身長の問題で双里との組み合わせ以外はありません。圷と双里の組み合わせは、どちらかのアリバイが嘘ということになり、それを証言する丘野か小奈川が三人目のノーマルマンになってしまうので、やはり成立しません。
 なお、圷と双里は今井や浅海との組み合わせもあり得ます。
*6: 「エピローグ」で言及されていないところが少々引っかかりますが、説明するのが結構面倒ではありますし、凶器の包丁の入手先が明らかになればそれだけで〈前提3〉が否定されるので、説明が省略されてもおかしくはないように思います。
*7: “ビデオ”に対して“日本で唯一のオネストマン探偵という触れ込みで”(100頁)と自己紹介しているところも、オネストマンのふりをしようとしているように読めます。もっとも、“という触れ込みで”“があるので、一概にはいえないかもしれませんが……。
*8: 今井の依頼人(茶織のおじ)が丘野を見て“お前、まさか――”(281頁)と血相を変えているところも、マスクの下から現れた顔に“オナコ”の面影があったことを暗示する伏線だと思われますが、本物の丘野ヒロキチカがおそらく顔写真付きで手配されているので、違和感を抱きにくくなっているのがお見事です。

2015.10.10読了

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