オックスフォード連続殺人/G.マルティネス
Crimenes Imperceptibles/G.Martinez
千街晶之氏による解説で言及されている“アメリカで刊行されたある長篇ミステリ”
(282頁~283頁)とは、もちろん(以下伏せ字)W.L.デアンドリア『ホッグ連続殺人』(ここまで)のことでしょう。単発の殺人を連続殺人の中の一つに見せかけるために、殺人でないものを殺人であるかのように偽装するというアイデアが共通しています。殺人にしては不自然な状況が多くなっているために真相が見えやすいという弱点まで共通しているのは面白いところです(*)。
このように、“犯人”の仕掛けたトリックの中核部分は前例そのままで、あまり見るべきところがないといえるかもしれません。しかし、それでもなお本書はミステリとして十分にユニークな作品であると思います。
まず、連続殺人に見せかけるための犯行予告に、論理数列の一部を構成する記号が添えられているところが秀逸です。当然ながら、提示される論理数列の意味を探ることに捜査陣の(ひいては読者の)関心が集中することになるのですが、知らず知らずのうちに事件と論理数列が重ね合わされることで、単に同一犯の犯行であるという以上に事件の連続性が強調されているという効果を見逃すべきではないでしょう。
また本書では、トリックを仕掛けた“犯人”であるセルダム教授自身が探偵役に納まっているところも目を引きます。“探偵=犯人”という真相そのものには新鮮味はありませんが、事件のマクロな構図を誤認させなければならない本書のような場合には、犯人自身が探偵として捜査をリードすることが非常に有効であることは間違いありません。つまり、本書における“探偵=犯人”は犯人の意外性を狙ったものではなく、連続殺人事件という“偽の真相”をスムーズに成立させるために導入されたと考えていいのではないでしょうか。
そのように、“犯人=探偵”として表裏両面から事件を引っ張っていったセルダム教授ですが、事件の連続性を強調するためでしかなかった論理数列がジョンソンという“偽の真犯人”を生み出してしまうという結末が非常に秀逸です。いわば“神の手”(!)によって事件を完全に支配していたはずのセルダム教授が、予期せぬしっぺ返しを受けて“神”の座から転落してしまったかのような、あまりにも皮肉な展開が何ともいえません。
そして、セルダム教授の“転落”を機に、セルダム教授に対するワトスン役かとも思われた“私”へと、探偵役が引き渡されているのも面白いところです。セルダム教授は終盤に述懐しているように当初からそれ――“私”が真実を見抜くこと――を望んでいたわけですが、“私”が選ばれた理由の一つに“輪(aro)”という手がかりに気づき得る、アルゼンチン人であるという設定が生かされているところが実に見事です。
しかし、セルダム教授の目論見に反して“私”は“輪(aro)”という手がかりに最後まで気づくことなく、まったく別の手がかりから真相に到達しているところも皮肉です。
ちなみに、46頁に示された論理数列の問題は、読了後しばらく考えてようやく解くことができました。(一応伏せ字)それぞれの記号の右半分に注目(ここまで)。
2007.05.26読了