ミステリ&SF感想vol.147

2007.07.01

『瑠璃城』殺人事件  北山猛邦

ネタバレ感想 2002年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 日本最北の地に建てられた“最果ての図書館”に通う少女・君代。彼女のもとに現れた謎の青年・樹徒は、 生まれ変わりを繰り返しているという二人の間に横たわる因縁を語る。そして――「1989年 日本」
 巨石で建造された十字架の隣にたたずむ“瑠璃城”。ある夜、城主の娘・マリィの護衛役だった六人の騎士団が城から姿を消し、一晩では到達不可能なはずの“十字の泉”で首なし死体となって発見された――「1243年 フランス」
 フランス軍の少尉として、塹壕の中でドイツ軍との戦いに明け暮れていた“ぼく”はある日、地下壕の中で四人の首なし死体を発見する。だが、わずかに目を放した隙に死体が消失してしまったのだ――「1916年 ドイツ×フランス前線」

[感想]
 現代日本、十三世紀フランス、そして第一次大戦中のドイツ―フランス国境という三つの舞台で並行して繰り広げられるエピソードが相互に絡み合う構成の、幻想的な雰囲気を漂わせるミステリです。というよりも、ミステリのガジェットやトリックを取り入れた幻想小説といった方が適切なのかもしれません。

 物語はまず現代日本、“最果ての図書館”なる意味ありげなネーミングの舞台で幕を開けますが、ここでいきなり登場人物の生まれ変わりという現象が提示されます。続いてその“前世”の一つである領主の娘と騎士の住む十三世紀フランスの“瑠璃城”へと舞台が移り、さらに第一次大戦中の塹壕の中での物語に切り替わって、以下それが順次繰り返されていきます。ちなみに、人によって好みが大きく分かれそうなので先に明かしておいた方がいいのかもしれませんが、(一応伏せ字)本書では生まれ変わりが実際に起こる現象だという設定になっており、それ自体が合理的に解決されるわけではありません(ここまで)

 そして、いずれの舞台でもそれぞれに不可能犯罪が描かれ、やがてその謎がとある探偵によって解かれていくことになります。不可能状況を成立させるトリックはいわば“豪腕系”で、ややもすると時代錯誤的に感じられてしまいかねないところではありますが、その豪快さは十分な魅力を備えています。ただし、ネタと分量のバランスの悪さが大きな難点で、トリックが惜しげもなく贅沢に盛り込まれているととらえる向きもあるかもしれませんが、どちらかといえば描き込みがあっさりしすぎているために十分に生かされていないように思えてしまうのが残念なところです。

 物語全体をつなぐ“大きな謎”においてはそれがさらにエスカレートし、ミスディレクションによるのではなく“書かない”ことで真相を隠すという姿勢が顕著になっているところが不満ではあります。ただし、それによって“謎”が“謎”として成立し、一種独特の幻想ミステリに仕上がっている感もあるので、一概に瑕疵とはいえないところではないかと思います。“大きな謎”の真相も含めて、実のところはまずまず楽しんで読めたのですが、何とも評価の難しい問題作という印象です。

2007.05.24読了  [北山猛邦]

オックスフォード連続殺人 Crimenes Imperceptibles  ギジェルモ・マルティネス

ネタバレ感想 2003年発表 (和泉圭亮訳 扶桑社文庫 マ25-1)

[紹介]
 アルゼンチンからの奨学生としてオックスフォード大学に留学してきた“私”は、ある日下宿先に帰ってきたところで、家主である老未亡人の他殺死体を発見する。そして、ともに第一発見者となった世界的な数学者・セルダム教授のもとには、謎の記号が描かれた殺人予告が届けられていたのだ。連続凶悪犯罪にも造詣の深いセルダム教授に挑戦するかのように、さらにその後も謎の記号が教授の周囲に残されていき、同時に不可能犯罪が相次いでいく。混迷を極める事件の結末は……?

[感想]
 邦訳される作品の大部分が英米発という海外ミステリの中にあって異彩を放つ、アルゼンチンの作家ギジェルモ・マルティネスによる一風変わったミステリです。もっとも、主人公の“私”こそアルゼンチンからの留学生という設定になっている(千街晶之氏の解説によれば、その造形には作者自身の経験が多分に投影されているようです)ものの、舞台となるのはあくまでも英国。というわけで、英国の社会や文化を眺めるアウトサイダーの視点が、本書の基調となっています。

 そして、それ以上に目を引くのが、数学という要素が大々的に盛り込まれている点です。主人公である“私”や探偵役となるセルダム教授をはじめ多数の数学者が物語に登場している上に、アンドリュー・ワイルズによる“フェルマーの最終定理”の証明といった現実に即した話題も扱われ、さらに連続殺人が論理数列になぞらえられているという徹底ぶり。特に最後の点は――例えば数学SFの傑作である石原藤夫『宇宙船オロモルフ号の冒険』と同様に――“数学”という言語で物事が表現されている、といった感じの独特の魅力を備えています。

 これは作者が予期せぬところかもしれませんが、ミステリとしてもかなり奇妙な作品であるという印象を禁じ得ません。おそらく読んでいて気づく方も多いと思いますが、仕掛けの中核部分が解説で指摘されているそこそこ有名な前例そのまま(決して剽窃というわけではないようですが)であり、前例を知っていればその部分に面白味は感じられず、何とも評価に苦しむところです。

 しかし、中核部分は前例そのままであるにしても、論理数列という“装飾”の効果や皮肉にねじれたプロットなど、仕掛けの周辺部分には十分に見るべきところがあると思います。特に終盤の展開などは、前例のオチを踏まえてみると非常に興味深いものになっており、見方によっては前例の発展形ととらえることができるようにも思います。

 色々な意味で“奇書”というべき作品ですが、そのあたりを抜きにしてもなかなか面白い、一読の価値のある作品に仕上がっていると思います。

2007.05.26読了

砂楼に登りし者たち  獅子宮敏彦

ネタバレ感想 2005年発表 (ミステリ・フロンティア)

[紹介と感想]
 貧相な牛に乗り、弟子の徳二郎を連れて諸国を旅しながら、わずかな報酬だけで病人や怪我人を治療して回る天下の名医・残夢老人。その行く先々で奇怪な事件に遭遇するたびに、鮮やかに謎を解き明かしていくのだが……。

 様々な実在の人物を大胆に配しつつ、放浪の奇矯な老医師を謎解き役に据えた、歴史伝奇小説と本格ミステリの融合ともいうべきユニークな連作中編集です。歴史伝奇小説としては、比較的高名な人物の無名(若年)時代や少々マイナーな人物に光が当てられているところが目を引きますが、さらに各篇の結末において事件の“その後”が記されることで歴史の動きのようなものが描き出されているのが面白いと思います。

 また、怪異とも思える不可能犯罪が中心に据えられることで本格ミステリ色が強くなっていますが、時代ものであることをうまく生かして怪異を演出する理由がしっかりと設定されているところが秀逸です。色々な意味で若干ハードルが低くなっているようなところも見受けられますが、時代ものとしてはまずまず妥当なところでしょうか。

 気になるのは謎解き役である残夢の事件への関わり方で、基本的に謎を解くだけで事件の(表面的な)結末をひっくり返すことはなく、時に謎解きが自己目的化してしまっているようにも感じられます。致し方ない部分もあるとは思いますが、特に時代を考えると少々違和感を禁じ得ません。

「諏訪堕天使宮」
 諏訪地方の覇権を争う、諏訪王家と諏訪神家。浪人・勘介は、その軍略の才を見込まれて諏訪王家に拾われるが、神功皇后の再来ともいわれる諏訪王姫の奮戦もむなしく、戦況は悪化していく。戦乱に乗じて諏訪王姫を逃がそうと目論む勘介だったが、最後の決戦の最中に諏訪王姫は密室から消え失せてしまった……。
 戦いの最中の鮮やかな消失という現象が印象的。トリックもまずまずだと思いますし、“その後”の顛末もよくできています。

「美濃蛇念堂」
 二年ぶりに美濃を訪れた残夢と徳二郎は、その変わりように驚く。力を合わせて国を治めていた長井新左衛門尉と長井越中守がともに亡くなり、新左衛門尉の息子・新九郎が圧政を敷いていたのだ。事の発端は、新左衛門尉が雪の密室の中で殺害された事件で、その場にいた越中守の息子の仕業と目されたという……。
 真相の大部分が早い段階で見えてしまうのが残念ですが、それはやむを得ないところでしょうか。“雪の密室”よりももう一つのトリックの方が面白いと思います。

「大和幻争伝」
 伊賀の上忍・百首党は、積年の恨みから大和の実力者・筒井順興をつけ狙っていた。だが、精鋭の刺客を送り込んでついに順興を討ち取ったと思いきや、それが影武者だったことが判明する。やがて次々と手駒を失って追いつめられた百首党の首領・妖蓮斎は、最後の手段として娘の神梛を順興のもとへ送り込み……。
 忍者同士の死闘を描いた作品ですが、山田風太郎の忍法帖をほとんど読んだ人間としては、いかにも中途半端に感じられるのが残念なところ。例えば風太郎忍法帖の中で屈指のバカミスともいえる「忍法「足八本」」*の突き抜け具合に比べると、この作品はフェアプレイを指向しているがゆえにインパクトに欠けていますし、それでいて忍者の限界が定かでないためにさほどフェアにも感じられないという、虻蜂取らずの状態になっているように思えます。

「織田涜神譜」
 駿河の今川氏豊のもとに滞在中の残夢と徳二郎。そこへ氏豊と親交のある織田信秀が訪れ、嫡男・吉法師を育てていた曲舞女の朝絹が謀反を企む一味だったと告げる。朝絹を気に入っていた氏豊をはじめとする一行は、彼女が押し込められた寺に駆けつけるが、その眼前で朝絹は姿なき曲者に惨殺されてしまった……。
 トリックもさることながら、ミスディレクションが非常によくできていると思います。連作としての仕掛けは少々微妙に感じられる部分もありますが、まずまずといっていいのではないでしょうか。
*: 山田風太郎『忍者月影抄』の中の一エピソード。不可能状況下における殺人が描かれ、そのバカすぎる真相(忍法)が強烈な光を放っています。いうまでもなくフェアではありませんが……。

2007.05.30読了

火星縦断 Mars Crossing  ジェフリー・A・ランディス

2000年発表 (小野田和子訳 ハヤカワ文庫SF1562)

[紹介]
 かつて二度にわたって火星に送り込まれた探査隊は、いずれも不慮の事故によって全滅してしまった。そして2028年、火星に降り立った第三次有人探査隊も、早々のトラブルに巻き込まれてしまう。地球への帰還船が事故で失われ、隊員の一人が命を落としてしまったのだ。残された五人の隊員たちは、生きて地球に戻るために、第一次探査隊が残した帰還船を目指して6000キロにも及ぶ過酷な火星縦断の旅に乗り出す。だが、その帰還船の定員はわずかに二人だけだった……。

[感想]
 NASAの現役研究者でもある作者が、火星有人探査をシリアスに描いたハードSFです。資金調達の困難性やコストと安全性のかね合いなど様々な課題が示されているのもさることながら、火星の風景や各種装備・装置などの緻密な描写がやはりNASAの研究者の面目躍如といったところで、現実にはいまだ達成されていない火星有人探査というプロジェクトの姿がリアルに伝わってきます。

 とはいえ、火星探査が成功裡に終わってしまっては(不謹慎な表現かもしれませんが)、物語として今ひとつ地味で盛り上がりに欠けてしまうところ。本書では、実際に起こってもおかしくないトラブルによって隊員たちが絶体絶命の窮地に追い込まれ、火星の赤道から北極へと至る長く過酷な旅を余儀なくされるという展開によって、サスペンスフルな“火星紀行”を成立させているのが面白いところです。

 そしてもう一つ、隊員たちの過去のエピソードがカットバックで挿入されているのも効果的です。少々劇的にすぎる感もありますが、それぞれが密かに背負っている過去はいずれも興味深く、またそれがじっくりと描かれることで人物描写に厚みが加わっており、“誰が地球へ帰還することになるのか”という残酷なサバイバルと相まって、読者を引き込む十分な力を備えた物語に仕上がっています。

 途中にはミステリめいた場面もありますが、ミステリを読み慣れた読者には見え見えになっているのはご愛敬。結末も驚天動地というわけではありませんが、それなりに意表を突いたものになっています。全体としてもまずまずの出来といっていいでしょう。ハードでスリリングな火星縦断の旅をお楽しみあれ。

2007.06.02読了

シャドウ  道尾秀介

2006年発表 (ミステリ・フロンティア)

[紹介]
 小学五年生の我茂凰介は、母親の咲枝を癌で失い、父親の洋一郎と二人だけで暮らすことになった。咲枝の葬儀には、家族ぐるみの付き合いを続けている洋一郎の親友・水城徹と妻の恵、そして凰介の同級生でもある娘の亜紀が訪れ、凰介と洋一郎を慰める。だがその数日後、洋一郎と徹の職場である相模医科大学の建物の屋上から、恵が転落死してしまう。夫婦仲が悪くなったことを苦にした自殺と思われたのだが……。二つの家族がさらなる災難に見舞われていく中、みんなの幸せを願う凰介が苦悩の果てにたどり着いた真実とは……?

[感想]
 第7回本格ミステリ大賞を受賞した傑作。小学五年生の少年を主役とした心理サスペンス風の物語の中に、無数の伏線やミスディレクションをちりばめて精緻に組み立てられた作品で、いくつものサプライズを通じて物語のテーマを鮮やかに印象づけることに成功しています。

 まず冒頭から立て続けに“死”が描かれ、さらに大学病院の精神科という舞台や登場人物たちが時おり体験する幻覚など不安を煽るような要素が盛り込まれることで、やがて来るべき不穏な展開を予感させる暗鬱な雰囲気が物語を包んでいます。しかし、その中にあって常に前を向こうとする凰介少年のキャラクターにより、物語が過剰に陰惨なものになることを免れている感があり、内容の重さにもかかわらず高いリーダビリティが備わっているところに作者の力量がうかがえます。

 本書は多視点の描写により構成されており、それぞれの人物に何を“語らせる”か(何を“語らせない”か)――他の人物に対しても、読者に対しても――が綿密に計算され、結果としてなかなか把握できない“事件”の全体像が一つの大きな“謎”となっているのが見どころでしょう。もちろん単に“語らせない”だけはでなく、容易に先を読ませないためのミスディレクションが存分に仕掛けられているのですが、露骨なものとそうでないものとが織り交ぜられて総体的に混沌とした状況になっているところがまた巧妙で、作者の手腕に翻弄されるばかりです。

 “事件”がはっきりした姿を見せないことで、かえってテーマとなっている人々の“絆”がクローズアップされることになっているのもうまいところです。見るからに“相似形”である二つの家族がコントラストを生じているのも印象的ですし、度重なるどんでん返しを通じて隠された“思い”が少しずつ表面に現れてくるところもよくできています。

 本書の結末は、作中における現実的な状況はさておき、爽やかな余韻の残るものになっています。それはひとえに、物語の中心に位置する凰介少年の“事件”を通じた成長によるものであり、その存在は他の登場人物にとっての最大の“救い”となっています。重い物語ではあるものの、少年の成長を描いたビルドゥングスロマンとしても優れた作品といえるのではないでしょうか。

2007.06.05読了  [道尾秀介]