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インシテミル/米澤穂信

2007年発表 (文藝春秋)/文春文庫 よ29-1(文藝春秋)

(2010.10.15)
 文庫版で再読したのを機に、若干改稿しました。


 まず、事件の口火を切った西野の“射殺”についての真相は、なかなかよくできていると思います。殺人に見せかけて自殺することで、“相互不信を爆発させる、『起爆剤』の役目を負っていた”(文庫393頁/単行本343頁)という結城の推理には説得力がありますし、凶器の意外な所在、そしてルールを逆用したその方法は秀逸です。そして、“〈クラブ〉の目算を狂わせたかった”(文庫395頁/単行本345頁;単行本では“〈主人〉”(と推測される)西野の行動が、結果として効果的な“起爆剤”になったという皮肉な展開が何ともいえません(この点については後述

 一方、大迫及び箱島殺害については、許された化粧品の持ち込みを利用して偽の凶器をでっち上げ、有利な立場に立とうとする計画はまずまず。〈メモランダム〉まで偽造する必要があるのは当然ながら、“毒殺”の存在を見越してあえて“薬殺”を選ぶという芸の細かさが絶妙です。10億円の報酬を目標としていた関水としては、“殺害”2回・“助手”1回・“解決”2回で54倍という行動はかなりの綱渡りですが、凶器として割り振られた吊り天井ではさらなる殺人が実質的に不可能なのが苦しいところ(この点についても後述。真木殺害の解決(岩井を犯人と指摘)を大迫から“横取り”できれば楽だったかもしれませんが、早い段階でボーナス目当てだと看破されるのは好ましくないはずですから、これは致し方ないところでしょうか。

 十二人に、十三種類の凶器”(文庫450頁/単行本392頁)という“矛盾”(この点についても後述と、凶器の殺傷能力の公平性とを手がかりにした結城の推理も面白いと思いますし、前者の前段階となる“渕に与えられた凶器が吊り天井のスイッチではあり得ない”というロジックはよくできています。殺人の動機がボーナスの倍率だというのは誰しも予想できるところだと思いますが、関水が滞っているという“指一本”(文庫282頁/単行本246~247頁)の単位を得られる(であろう)倍率から計算し、不足分を補うための行動を推測して止めるあたりは非常にユニークです。

 ただ、例えば「米澤穂信『インシテミル』の感想 - 最果て系×××れたセカイ」で指摘されているように、途中でアンチミステリ/メタミステリを指向するミステリの論理の相対化が行われていながら、最終的には――メタ視点としての〈主人〉を意識したものとはいえ――ミステリの論理による通常の“解決”に落ち着いてしまっているのは、やはり期待はずれといわざるを得ないところです。

 なお、関水が10億円という大金を必要とした理由の説明は必ずしも必要とは思いませんが、“関水は何も告げずに家を出た。/一振りのナイフを手に。”(文庫510頁/単行本444頁)という結末が単に思わせぶりなものにしかなっていないのは、いかがなものかと思います。一方、須和名の結末では“今回の〈実験〉の報酬体系は、須和名の希望を満たすものではなかった。(中略)いくら須和名家が資金を必要としているといっても、〈暗鬼館〉で得られる程度の額がどうにもならないほどに、落ちぶれたわけではない。”(文庫507~508頁/単行本442頁)とあることから、須和名が滞っているという“指一本”は10億円よりもさらに桁が上の大金だと考えるのが妥当ではないでしょうか。

*

 以下、本書の中でそれなりに大きな問題だと思われるところを、いくつか列挙してみます。

A. 自殺の手段の問題

 作中では、〈クラブ〉が西野に自殺用の毒として“赤い丸薬”を与えたとされていますが、毒死では実際のところ、“起爆剤”としての効果がさほど期待できるとはいえません。

 そもそも、毒死の場合には(特に素人には)死因の特定が難しく、病死などと判別できないことも十分に考えられます。〈クラブ〉が“この場にお呼びしたのは充分健康な方のみです。”(文庫35頁/単行本31頁)と保証していることもあり、疑わしい状況であるのは確かですが、すでに殺人が起きた後であればいざ知らず*1、少なくとも最初は穏当な解釈の方が優勢となるのではないかと思われます。

 一方、毒死であることが明らかになった場合、他の物理的な凶器では“毒殺”に対抗できないのですから、互いの手の内を隠しても意味はなく、それぞれの凶器を確認し合って“毒殺犯”(の可能性がある人物)を特定するのが最大の安全策となります。そしてその結果、毒薬を与えられている須和名(場合によっては関水も*2)が“犯人”として〈監獄〉に収監され、他の凶器が〈金庫室〉に放り込まれて決着する公算が高いのではないでしょうか。

 西野が“赤い丸薬”で毒死した場合には、西野に与えられた凶器が見つからない*3――“十二人に、十一種類の凶器”ということになるわけで、全員の凶器を確認し合ったとしても“毒殺犯が毒薬を隠し持ったまま、西野の凶器を自分のものとして披露した”という可能性は残りますが、毒薬に気をつける必要があるということがはっきりしてさえいれば、十分に対処のしようはあるはずです。

 “西野の凶器”とのすり替えを疑わせるところまで考えると、〈クラブ〉が“他殺に見せかけた自殺”を計画しているのであれば、隠し持つことが可能な銃もしくは刃物を凶器とする――あるいは作中で西野が実行したように〈ガード〉に射殺させる――のがベストではないでしょうか。にもかかわらず、毒(赤い丸薬)が西野に与えられているのは、解決への手がかりとして必要だという事情しか考えられず、作者の都合によるものとみなすのが妥当でしょう*4

*1: 結城は“誰かに毒殺されたんだ。これじゃ、誰も信じられない。”(文庫394頁/単行本344頁)という状態になると述べていますが、これはすでに殺人が起きている状況下での後知恵でしょう。
*2: “薬殺”という偽装を取り下げない場合はもちろんのこと、(10億円という目標のために)自分の凶器を見せる/手放すのを拒んだ場合にも、やはり“犯人”として収監されることになるのではないでしょうか。ちなみに、〈ルールブック〉の〈ペナルティ〉に関する規定(文庫114頁/単行本99頁)では一旦〈監獄〉に入れられた人物の“復活”に言及されていないので、一つの事件に関して(犯人を指摘しなおすことで)複数の人物を〈監獄〉に収監することができると考えられます。
*3: 結城の探索では“赤い丸薬”は一粒しか見つかっておらず(文庫371頁/単行本325頁)、それを西野が飲んでしまえば当然“見つからない”ことになります。
*4: 西野の行動や結城の推理も含めて、すべてが〈クラブ〉のシナリオ通り――“赤い丸薬”はよくできた解決を導き出すための(偽の)手がかりで、西野には予め〈ガード〉に射殺されるよう言い含めておいた――という可能性もまったくないとはいえませんが……。

B. 西野の凶器の問題

 この“赤い丸薬”の存在は、西野の自殺という推理を裏付けるだけでなく、関水が犯人だという結論につながる前述の“十二人に、十三種類の凶器”という“矛盾”の前提となっています。しかしながら、西野の個室から“赤い丸薬”が見つかったというだけで、直ちにそれが西野に与えられた〈おもちゃ箱〉の凶器だとされている(結城がまとめた凶器リストの“西野 自殺 赤い丸薬”(文庫443頁/単行本386頁)を参照)のは、釈然としないものがあります。

 まず、“赤い丸薬”に対応する〈メモランダム〉――〈自殺〉と記されていたかどうかはさておき――が発見されておらず、“赤い丸薬”が西野の凶器だとする積極的な根拠はありません。また、西野が〈クラブ〉のいわば“サクラ”だという推理を受け入れれば、西野は他の被験者と同等の立場ではなくなるのですから、“赤い丸薬”が西野の凶器だとする消極的な根拠――“各被験者に公平に一種類ずつの凶器が与えられた”という暗黙の前提――も崩壊します。つまりは、“赤い丸薬”が〈おもちゃ箱〉の凶器とは別に与えられたという可能性が否定できないことになり、その場合には“吊り天井のスイッチが西野の凶器”だという仮説も排除できないはずです。

 実際に、被験者たちがカードキーを手に取る場面(文庫46頁/単行本40~41頁)をみると、西野が“十号室”(文庫138頁/単行本121頁)に決まったのは偶然だと考えられる*5ので、仮に凶器と〈メモランダム〉が事前に各部屋に用意されていたとすれば、例えば(結城の)火かき棒や(安東の)紐などの自殺に適さない凶器が西野の手に渡る可能性もあったことになります。そうすると、確実を期すためには、自殺用の凶器――“赤い丸薬”は、〈おもちゃ箱〉の凶器とは別途与えておかなければならないでしょう。

 部屋割りが決まってから各部屋の〈おもちゃ箱〉に凶器を配布すれば、“赤い丸薬”を確実に西野に与えることができますが、部屋割りが決まったのは“十一時五十分に近かった”(文庫47頁/単行本41頁)という遅い時刻で、被験者たちはそれから午前零時までに入室すべく個室に向かったのですから、例えば〈ガード〉に凶器を配布させるというのは実質的に不可能。また、“〈おもちゃ箱〉に、〈ルールブック〉をお送りいたしました。”(文庫102頁/単行本88頁)という〈クラブ〉の説明をみれば、〈ランチボックス〉(文庫130頁/単行本113~114頁)と同じように外部から物を送り込む機構が〈おもちゃ箱〉にも備わっている可能性もありますが、そうだとしても後から凶器を配布することが可能だったということを意味するにすぎず、事前に凶器が配布されていたことを否定する根拠とはなりません*6

 もちろん、最後に明らかになった真相――というよりも関水の自白――によって、“吊り天井のスイッチは西野に与えられた凶器ではない”という仮説が正しかったことは保証されていますが、それでも推理の過程に“穴”があることは間違いないでしょう。

*5: 最初にカードを手にしたのは“夜間手当てについて訊いた”人物とのやり取りから大迫だと考えられ、“次いで手を伸ばしたのは、誰あろう須和名”、さらに“結城も適当な人形の手からカードを取った”後に、“他の九人も、次々とそれを手にする”とあることから、西野が入るべき部屋が事前に決められていたとは考えられません。
*6: ついでにいえば、結城の部屋の〈おもちゃ箱〉は“一抱えはある”(文庫56頁/単行本49頁)程度の大きさとされていますが、それに渕のゴルフバッグが収納できるかどうか――各部屋の〈おもちゃ箱〉が同じサイズなのかどうか(→凶器に合わせたサイズの差があるとすれば、部屋と凶器の組み合わせが事前に決定されていることになる)――も気になるところですが、これは少々微妙でしょうか。

C. 関水の凶器の問題

 “赤い丸薬”が西野の凶器として割り当てられたものだとすれば、それは偶然ではなく部屋割りが決まった後に凶器と〈メモランダム〉が配布された蓋然性が高く、したがって各被験者に与えられた凶器は〈クラブ〉によって恣意的に選択可能だったということになります。しかしそうなると、結城が着目した凶器の殺傷能力(“強さ”?)よりも、それぞれの凶器で殺傷可能な人数の不公平さが完全に見過ごされているのが気になります。

 例えば結城の火かき棒や安東の紐、大迫のマンドリン(これは微妙か)、そして真木の手斧などは何度も繰り返し使うことも不可能ではありませんし、若菜の空気ピストルや岩井のボウガンには複数個の弾や矢が用意され、須和名のニトロベンゼンもそれなりの量があります。箱島のスリングショットは不明ですが、空気ピストルやボウガンの扱いをみれば、やはり複数個の“弾”が用意されていたと考えるのが妥当でしょう。釜瀬の氷のナイフは一本を何度も使い回せるものではありませんが、これも複数本が与えられていれば、複数の被験者を殺害することも可能です。渕のゴルフクラブについては、相手に警戒されてしまうと難しいかもしれませんが、投げつけて爆発させることもできるようなので、やはり何度も使えるといっていいでしょう。それに対して、関水に割り振られた吊り天井はまったく事情が違います。一旦罠の存在を知られてしまえば、その後はまったく使い物にならない特殊な凶器ですから、作中で箱島と大迫の二人を殺害できたのさえ僥倖であって、本来はたった一人しか殺害できなくてもおかしくはありません。

 このように、一人しか殺すことができない可能性が高い(おそらく)唯一の凶器を、10億円を手にするためには最低でも二人を殺さなければならない*7関水に割り振るというのは、〈クラブ〉の選択としてはまったくいただけないものです。つまり、どうやっても10億円には遠く及ばない可能性が高いと考えれば、関水が殺人をあきらめてしまうおそれもないとはいえず、“殺人に踏み切る役どころ”(文庫499頁/単行本434頁)として関水を実験に参加させた*8〈クラブ〉の目論見も水泡に帰すことになってしまうわけで、本来は何としても避けなければならない事態のはずです。にもかかわらず、ここでも〈クラブ〉が作者の都合に従った形になっています。

*7: 一人しか殺害できなかった場合には、自力で獲得できる倍率は最大でも“殺害”1回・“助手”(注:誤った解決に協力)1回・“解決”1回・“被害者”1回(「助手ボーナス」が累積しない(文庫111頁/単行本96頁)ことに注意)の10.8倍にとどまります。あとは、他の被験者による犯行(についての「探偵ボーナス」)が二度発生するのを期待するしかありません。
*8: 「Day -22」(文庫15頁/単行本13頁)“何でもするつもりで応募した”人物は関水だと考えられますが、“電話で誘いを受けた”とあることから、(西野を除く)他の被験者と違って〈クラブ〉から直接勧誘されたことがうかがえます。

D. 〈メモランダム〉の問題

 それぞれの凶器と〈メモランダム〉で挙げられた作品との齟齬は、“空気の読めないミステリ読み”にあるまじき失態といわざるを得ないところで、例えば須和名に与えられたニトロベンゼンであればジョン・ディクスン・カー『緑のカプセルの謎』*9よりもアントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』の方が明らかに適切です。もちろんこれは、最終的に関水の偽装を見破るための、凶器の殺傷能力の公平化という原則を導き出す手がかりとなっているわけですが、〈クラブ〉としては当然そんなところに気を遣う必要はありませんし、ましてや“手斧”で横溝正史『犬神家の一族』を挙げるのは無茶苦茶です。

 〈メモランダム〉についてはもう一つ、関水は〈毒殺〉の存在を想定して〈薬殺〉にしたとされていますが、他の被験者とかぶったら具合が悪いのは作品名の方も同じはずで、エラリイ・クイーン『Xの悲劇』というメジャーすぎる作品が選ばれているのは杜撰ではないでしょうか。

*9: ニトロベンゼンが出てこないわけではないのですが、(→これは勘違い。序盤に出てくるのはストリキニーネでした)作中で“緑のカプセル”に入れて使われるのは青酸カリです。

E. 中途半端な時給の問題

 “1120百円”、すなわち“11万2千円”という時給の中途半端な金額が、本書のプロットの中で――“二人殺し、それを自分で二回解決し、そして〈助手〉を一回”(文庫491頁/単行本427頁)による倍率で関水の報酬を10億円に届かせるべく、逆算して設定されたものであることはほぼ間違いないでしょう。

 〈クラブ〉としては、関水が三人以上殺害することになっても一向に問題ないのですから、例えば“1000百円”というきりのいい金額でも何ら不都合はなく、あえて中途半端な金額に設定する必要性は見当たりません。したがって、この点についても作者の都合が優先されているといわざるを得ないところです。

2009.03.03読了