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  4. 禁じられたジュリエット

禁じられたジュリエット/古野まほろ

2017年発表 (講談社)

 “スタンフォード監獄実験”を再現するように進行し、神薙千鶴殺害と白村美津子の自殺で終わる「第3部」までの凄惨な物語が、“文化祭の演劇”(のゲネプロ)だったことが判明するのがまず鮮やか*1〈監視者たち〉で唯野教頭と遠野主任が“観客”と“監督”と大胆に表現されていたことにうならされますし、冒頭の“どこか物悲しく、どこかノスタルジックなピアノ”(11頁)などが“劇伴”だったというのも絶妙です。

 例えば“銃で撃たれた”千鶴の“セーラー服が血糊でべったり”(324頁)といった記述などは、本物ではなく演劇の小道具であることを示唆しているように思われますが、さらに強力な手がかりはやはり〈監視者たち〉での描写で、唯野と遠野が“反省室の照明、音響”を操作できるのはまだしも、そこに緞帳(いずれも52頁)まであるというのは、それが“反省室”ではなく舞台にほかならないことを表しているといえるでしょう。

 「第4部」ではしかし、“外部”の世界はそのまま、〈白村美津子殺人事件〉も“現実”だった……と思わせて、“二重底”の芝居が続いていたというトリックがお見事。唯野がスポットライトと音楽の指示を出している(373頁)ように、劇中の設定上、“外部”にはゲネプロの続きだと見せかけなければならないことになっているのが非常に効果的で、読者に向けた“現実”と作中の観客に向けた“芝居”とがしっかりと両立されています。

*

 さて、劇中の〈白村美津子殺人事件〉に関する推理の手順をみてみると、それまでの物語が“劇中劇”であるがゆえに作中の観客や読者には見えなかった、登場人物たちの“舞台裏”の行動*2をまず明らかにする必要があるわけですが、同時に並行して、犯人の行動を紐解いていくことで“犯人の条件”――七つの“篩”*3を見出していく形になっているのが注目すべきところです。これは、いわば“問題篇”と“解決篇”がオーバーラップした状態ではあるのですが、手がかりの“後出し”になるのを注意深く避けて、(特に三人目あたりまでは)次以降の条件を導き出すのに必要な情報を示してあるのが周到です。

〈黒田詩織のふるい〉 (軍事教練)
 【犯人は拳銃に実弾を込めた】ことから、それができなかったと考えられる犯人候補――“人物紹介”を兼ねた「第1部」で、“軍事教練は(中略)免除されている”(35頁)とされた美津子と、同じく“軍事教練を受けてはいない”(54頁)唯野が除外されるのは、十分に納得できるところです。
 除外される人数は少ないものの、最初に“美津子の自殺”説を否定してあるのが非常に重要で、後の手順が楽になっています。加えて、詩織による検討の中で、“劇の途中で実弾が装填された”という推理の大前提や拳銃の具体的な動きなどが明らかにされることで、次以降の推理の材料が示されているのが見逃せないところです。

〈神薙千鶴のふるい〉 (指紋消去)
 “指紋消去”といいつつ、“消去”以外も含めたかなり複雑な条件となっているのが難しいところで、作中で最終的にまとめられている(396頁)ように、【犯人は拳銃の指紋対策をしたか、指紋を拭いた】ということになります。[ずっと所持]の千鶴自身は拳銃に指紋が残っても(一応は)問題なく*4、手袋などを使って対策ができたのが[お手洗い組]・[身体検査なし]・[教官役]・[観客]の面々、そして[現場接近組]は犯行後に指紋を拭く機会があったということで、いずれにも属さない双葉が除外されるのは妥当でしょう。

〈兵藤百花のふるい〉 (身体検査)
 〈黒田詩織のふるい〉は実弾を装填する“技能”の問題ですが、こちらは主に“機会”の問題で、まとめるならば【犯人は実弾を“所持”して拳銃に込める機会があった】といったところでしょうか。機会が訪れるのを犯人が待っていたとすれば、犯人は実弾を所持し続けていた/あるいは舞台袖に隠しておくことができた、という二択になるのは間違いないでしょう。そして、身体検査を受けた“囚人”たちは実弾を隠し持つことができず、その中で舞台袖の実弾を使う機会があったのは[お手洗い組]のみ――双葉と睦美には機会がなかったという結論にも納得です。

〈赤木双葉のふるい〉 (回避行動)
 実弾が発射されることを知っていたので、【犯人は実弾から逃げようとした】とする推理は、“まったく違うアプローチ”(407頁)で面白いと思いますし、発砲との前後関係や観客席で立ち上がった人物*5まで視野に入れた、問題の場面(330頁)の描写が周到です。ということで、回避行動を取った人物たち(初子・いつき・睦美・遠野)が犯人候補として残るのは妥当……なのですが。
 実をいえば、“千鶴・百花・美津子の三人にあっては(中略)実弾に対するリアクションを検討する必要がない”(412頁~413頁)とはいえ、千鶴と百花の二人については“検討する必要がない”=“除外できる”ではなく、“この条件では除外できない”というのが正しいところでしょう。要するに“逃げようとしなかった”と“逃げられなかった”の違いで、脚本上の理由で動けなかった千鶴はまだ微妙としても、物理的に動けなかった百花は除外すべきでないと考えられます。

〈空枝睦美のふるい〉 (舞台効果・発砲音)
 実弾が発射される三発目に違和感を抱かせないよう、【犯人は発砲音を用意した】――となれば、音響係の中に犯人がいる蓋然性が高いといえます。「第3部」までは演劇であることが伏せられているため、誰が音響係なのかも当然見えなくなっていますが、前述のように唯野と遠野が“反省室の照明、音響(52頁)を操作できることは示されていますし、「第1部」の“人物紹介”で睦美についてのデータの中に、“文化祭では、ヒョウドウモモカとともに音響係。”(46頁)と、ぬけぬけと手がかりを紛れ込ませてあったことに脱帽せざるを得ません。
 もっとも、発砲音はオリジナルの脚本の段階から必要だったわけですから、犯人が具体的な犯行計画を立てる前に*6、リアリズムを追求して*7実弾の発砲音が採用されていた可能性も、厳密には否定できないように思います。

〈木崎いつきのふるい〉 (舞台効果・本物の拳銃)
 舞台上で本物の拳銃が使われなければ当然犯行は不可能なので、【犯人は拳銃を用意した】――したがって、道具係の中に犯人がいる蓋然性が高いというのは音響係と同様。そしてこれも音響係と同じく、“人物紹介”いつきのデータで“文化祭では、カンナギチヅルとともに道具係。”(41頁)とされています*8
 ただしこれも発砲音と同じように、小道具として本物の拳銃を使うと決まってから犯人が“便乗”した可能性は残るでしょう。

〈青山初子のふるい〉 (新しい脚本)
 犯人は、初子が書き換えた脚本に記されている、美津子の拳銃自殺の演技に乗じて犯行に及んだわけですから、初子が持ち出す【犯人は新しい脚本を知っていた】という条件は当然というよりほかありません……が、ここまでと同じく“ふるい”の体裁を取りながらも、本来は“ふるい”の中に残るはずのない人物が除外されることなく残ってしまうのが注目すべきところ。
 “問題そのものを変える”(434頁)という宣言のとおりに、積み重ねても“最大でも九九・九九%の真実”(432頁)にとどまる、犯人の(想定される)合理的な行動に着目した蓋然性の“ふるい”から、“心臓を撃たれて”“拳銃を咥えさせる”(いずれも343頁)という“失言”――潔白であるとすれば不合理な行動に着目した、“なぜ新しい脚本を知らないふりをしたのか”という新たな問いを犯人に突きつける謎解きが、非常に秀逸です。

犯人候補
初子双葉美津子詩織いつき睦美千鶴百花唯野遠野
黒田詩織のふるい(軍事教練)××
神薙千鶴のふるい(指紋消去)×





×
兵藤百花のふるい(身体検査)××
赤木双葉のふるい(回避行動)×××××
空枝睦美のふるい(舞台効果・発砲音)×××××
木崎いつきのふるい(舞台効果・本物の拳銃)×××××
青山初子のふるい(新しい脚本)×

 上の一覧表でお分かりのように、作中の順序でいっても〈空枝睦美のふるい〉までで他の犯人候補が除外されて犯人が確定しますし、最小限の条件で犯人を特定しようとすれば――いくつかの“ふるい”での気になるところをひとまず無視すれば――〈双葉〉〈睦美〉〈百花〉で事足ります*9。さらに、極論すれば〈青山初子のふるい〉――というよりも初子が提示した新たな問いだけで、犯人は明らかといってもいいかもしれません。したがって、犯人を明らかにするだけならば本書の推理は“過剰”ともいえます。

 この“過剰さ”の意味を考えてみると、単純に演劇なので全員に見せ場を用意したということもあるかもしれませんが、有名なSF*10へのオマージュである最後の暗唱を踏まえれば、一人も欠けることなく全員が探偵役となることに意義があるのではないかと思われます。すなわち、一人一人が本格ミステリを暗記して“一冊の本”となるだけでなく、一人一人が“手続き的正義”を実現するために“論理の刃”を振るおうとする姿を、唯野や遠野、作中の観客、ひいては読者に見せることで、全員がそれぞれに本格ミステリを体現しようとしていることを表している、と考えるべきではないでしょうか。

*1: もともと作者が芝居がかった台詞を多用する作風のため、一層きれいにトリックが決まっている感があります。
*2: 舞台上まで含めて、観客(読者)から見えない行動全般。
*3: 小見出し(?)の“黒田詩織のふるい(軍事教練)”(373頁)に始まり、作中でも詩織の“あたしの篩{ふるい}”(385頁)という台詞を皮切りに、一貫して“篩/ふるい”という表現が使われています。実際、条件に当てはまらない犯人候補を除外して誰が残るかを明らかにする、一人一人の手順それ自体を“篩”になぞらえるのは、適切だと思います。
 ただ、複数の篩は“直列的”に用いられる――篩で選別されたもの(残った/落ちたもの)だけが次の篩にかけられる――のが普通なので、本書の“並列的”な謎解きにはそぐわない印象です……が、他にしっくりくる表現は思い当たらないので、やむを得ないところでしょうか。
*4: 作中でも指摘されている(392頁)ように、薬莢など拳銃の“内側”には指紋対策をしなければならないので、[ずっと所持]はわざわざ別に検討するまでもないようにも思われます。
*5: 問題の場面では、“廊下側、だからミツコの背の延長線の方で、思わず誰かが立ち上がる。”(330頁)とされるにとどまりますが、その後“廊下側”に観客席がある(342頁)ことが示されている上に、〈観客席から――III〉で唯野が“立ち上がることすらもうしない。”(281頁)と、双葉が指摘する言葉(418頁)そのままに断言していることを踏まえれば、立ち上がったのは遠野ということになるでしょう。
*6: 犯人が初子の場合を除けば、少なくとも犯行計画が細部まで組み立てられたのは、脚本が書き換えられた後になるでしょう。
*7: 劇中の設定では、観客(の大半)となる生徒たちは軍事教練を受けているのですから、実弾の発砲音も耳慣れていると考えられます。
*8: “囚人”の中に音響係と道具係が一人ずつしかいないのは、“看守”の方が自由度が高いということもあるでしょうが、データの中の手がかりを目立たせないという狙いもあったのかもしれません。
*9: 〈黒田詩織のふるい〉を使わなくとも、〈兵藤百花のふるい〉で“美津子の自殺”説は否定できます。
*10: (作家名)レイ・ブラッドベリ(ここまで)(作品名)『華氏451度』(ここまで)

2017.06.05読了