樹霊/鳥飼否宇
本書では、ミズナラ(“エカシ”)・ハルニレ(“フチ”)・ナナカマドと三種類の樹木が“移動”していますが、それぞれメカニズムや理由が違えてあるのが面白いところです。
まず、発端となったミズナラ(“エカシ”)の移動は、“ラリアット”で人を殺すというおまけが付いてはいるものの、偶然の出来事という真相はやや拍子抜けの感が否めません。しかし、同じ偶然であっても、何の支えもなしに倒れなかったというよりはトラックの荷台にはまり込んだという方がありそうなことだと思いますし、一度支えができてしまえば二度目の崩落を乗り切るのもある程度“必然”といえるので、それなりの説得力が感じられる解決になっています(トラックが“盗まれた”という伏線もあることですし)。
ハルニレ(“フチ”)については、移動したと見せかけて移動していなかったという真相ですが、“フチ”に残された二つの痕跡のうち、傷ついた樹皮は移植されて“移動”の演出に寄与し、血痕の方は“消失”することで手がかりとなっているという使い分けが巧妙です。また、樹皮の移植により事件の証拠を保存し、それを夏海に託した鬼木の心理が何ともいえません。
そしてナナカマドの移動は、たわいもない動機に端を発してはいるものの、やはり三度目の事件の真相が非常に秀逸です。“木の葉は森に隠せ”にひねりを加え、一連のナナカマド移動事件の中に“移動したと見せかける”事件を紛れ込ませることで、本当に移動させたかったものを隠すという発想が見事ですし、犯人の意図はさておき作品全体としては、“エカシ”や“フチ”の“移動”もミスディレクションとなっています。また特殊な道具がトリックとして使われているとはいえ、四度目の事件の不可能状況もうまく考えられていると思います。加えて、その四度目の事件を愛子フチの視点で描きながらそれと気づかせない「序章」も心憎いものがあります。
最後に明らかになる犯人の動機は、やはり強烈なインパクトがあります。特に、自然を守るという目的を達成するために、寝返りを演じて開発推進派と反対派の両方をつぶすという手段の苛烈さが目を引きます。またその動機が、自然を中心に据えた物語に合致しているところも好印象。
ただしこの動機が表に出てしまうと、そのあまりの過激さに批判が向けられるのは必至であり、結果として自然保護運動全体のイメージダウンも避けられないでしょう。したがって、犯人としては(この場では認めたとしても)表向きにはあくまでも自然保護とは無関係のスキャンダルを装うのがベストであり、そのためには生きて“偽の動機”を語り続ける必要があるはずなので、犯人の自殺という結末には釈然としないものがあります。
本書の「終章」で、建設業者(推進派)―アイヌコタン(反対派)の対立にのみ触れられているところをみると、鳶山をはじめ関係者が真の動機を伏せたのかもしれませんが、そうだとすればそれは犯人に甘すぎるように思われますし、本来であれば幾分かは自然保護運動に向けられたはずの建設業者の憤懣が、アイヌコタンに集中してしまった、ということも考えられなくもありません。
2007.03.28読了