『アリス・ミラー城』殺人事件
[紹介]
いわくつきの鏡『アリス・ミラー』の捜索を依頼され、孤島に建てられた奇怪な館『アリス・ミラー城』に集まった探偵たち。一同が揃ったところで、招待主である英国人の若い女性・ルディが、“ゲームのルール”を宣言する――“『アリス・ミラー』を手に入れられるのは、最後まで生き残った人間のみ”
。かくして惨劇の幕は上がり、密室殺人や犯人消失といった相次ぐ不可能状況とともに、館に集まった人々が殺されていく。そして、一人死ぬたびに一つずつ減っていくチェスの駒。疑心暗鬼が渦巻く中、繰り返される殺人劇の果ては……?
[感想]
アガサ・クリスティの名作『そして誰もいなくなった』を意識した“孤島の連続殺人”というプロットに、奇怪な館を舞台にした“館もの”ミステリの要素を組み合わせた作品です。綾辻行人『十角館の殺人』をはじめ、前例はおそらくいくつかあるのでしょうが(よりによってマイケル・スレイド『髑髏島の惨劇』を思い出してしまった私は……)、その中にあっても本書はなかなかユニークな作品だと思います。
そもそも、“孤島の連続殺人”も“館もの”も(本格)ミステリにおける“定番”であり、裏を返せばそれが採用された時点で(本格)ミステリの典型という印象が強くなるのですが、本書の場合にはさらに、孤島に集められて殺されていくのが(どこか清涼院流水の“JDC”を思わせる)探偵たちであり、また舞台となる館がルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』及び『鏡の国のアリス』を意匠として取り入れたものであるなど、全体として意図的に虚構性(あるいは人工性)が強く打ち出されているのが特徴的です。
加えて、作中では探偵たちが物理トリックの限界について議論し、密室殺人が起こればトリックのみならずその使われた意味にまで踏み込んだ解明に挑み、“顔のない死体”が出現すればその“定型”と“裏”の両面をにらんで推理を行う、といった具合に、(本格)ミステリというジャンルそのものが強く意識された、パロディめいたメタミステリに仕上がっています。個人的には少々やりすぎ(“本格ミステリ”を意識しすぎ、というべきか)の感がなくもないのですが、冒頭の無茶なルールを探偵たちが平然と受け入れている点も含めて“(本格)ミステリに支配された世界”ともいうべき幻想が構築されているのが興味深いところです。
疑心暗鬼の中で一人ずつ人数が減っていくのはお約束通りとして、その果てに待ち受けるサプライズはかなり強烈。それをもたらすのは、正確にいえば真相そのものよりも、その真相にまったく気づかせなかった非常に巧妙な隠蔽であり、それを(若干気になるところはありますが)見事に成立させた作者の豪腕には脱帽せざるを得ません。犯人が密室を構成した例を見ない理由や、“狂気の論理”としかいいようのない無茶苦茶な(しかし作中では辻褄が合っているようにも思える)犯行の動機などもなかなかのものですが、やはり隠されていた真相に気づかされた瞬間の衝撃が圧巻です。
前述のように虚構性/人工性が強くかなり現実離れしていることもあり、読者を選ぶ作品であることは間違いないかと思いますが、それでもこの大胆にして巧妙な仕掛けは一読の価値があるでしょう。個人的には大いに満足させられた傑作です。
猫の手 Cat's Paw
[紹介]
莫大な富を築き上げながら、年老いて家族もなく、愛人と豪邸で暮らす富豪・グリーノウ老人。しかし彼は、その財力を通じて、残った親族である甥や姪たちをがっちりと支配していた。そのグリーノウ老人の誕生日、一堂に会した親族を前に行われた重大発表。それぞれに描いていた将来の崩壊を知らされた甥たちは、それぞれに動揺を隠せない。そしてその夜、誕生日を祝して一同が花火を打ち上げている最中、それを独り書斎で眺めていたはずのグリーノウ老人が……。
[感想]
莫大な富を築いた偏屈な老人が住む豪邸を舞台に、相続人たるべき一族が集う中、遺産の行き先に影響を与える重大発表が行われた直後に事件が起こる――という、いかにもな道具立てが満載の古典的な“館もの”ミステリで、事件に至るまでの経緯が再構成された「第一部」、モーラン部長刑事による捜査を描いた「第二部」、そして謎解き役であるケイン警部が解決に乗り出す「第三部」から構成されています。
事件が起きるまでの「第一部」はかなり長いのですが、それでもさほど退屈させられることはありません。まず、一族の中心である偏屈なグリーノウ老人はもちろんのこと、四人の甥とその妻や婚約者、老人の愛人や従者らに至るまで、登場人物たちがいずれも丹念に描き込まれているのが見どころで、とりわけ立場を同じくする甥たちがしっかりと描き分けられているのは見事です。また、誕生日のパーティーから甥たちのカード勝負、そして庭で行われる花火大会といった具合にイベントも用意されていますし、その間をつなぐように配置された小さな事件、さらにはそれらを通じて登場人物たちの間に浮上してくる確執など、伏線を張りめぐらしつつきっちり組み立てられた物語は、派手さには欠けるもののなかなか魅力的です。
続く「第二部」では、休暇中のケイン警部に対抗意識を燃やすモーラン部長刑事の指揮による、抜かりのない綿密な捜査活動が目を引きます。もちろんケイン警部が謎解き役として後に控えている以上、部長刑事の捜査が暗礁に乗り上げてしまうのはお約束ですが、様々な証言や手がかりが掘り出されるとともに錯綜し、事件の様相が複雑化していく様子は見ごたえがあります。
そして、いよいよケイン警部が捜査に着手する「第三部」。ここで、致し方ない部分もないではないとはいえ、発見された決定的な手がかりが読者に対して伏せられるという、アンフェアの見本のような形になっているのがいただけないところ。それでも、最後の最後になって明かされる真相はなかなか意外ですし、またそれを最後まで隠しきるのに大いに貢献しているミスディレクションの巧みさが光ります。フーダニットとしては致命的に近い大きな欠陥を抱えているのは確かですが、切り捨ててしまうには惜しい作品、といったところでしょうか。
大失敗 Fiasko
[紹介]
土星の衛星タイタンにおいて、救出任務の最中に自らが遭難してしまい、ガラス固化状態となった宇宙飛行士。時を経て22世紀にようやく蘇生させられた彼は、地球外知的生命体の探査を目的とする宇宙船エウリディケ号に乗り込み、ハルピュイア星群ベータ恒星をめぐる惑星クウィンタを目指す。だが、ようやく目的地にたどり着いた乗組員たちを待ち受けていたのは、地球とは異質な方向に発展した文明の姿。そして接触の試みの果てには、不可避の大失敗の予感が……。
[感想]
レムの最後の長編にして、その集大成ともいうべき作品です。ピルクス船長(『宇宙飛行士ピルクス物語』)の名前が出てくるところがまず目を引きますが、代表作『ソラリス』をはじめとする一連の作品と同様にファーストコンタクトをテーマとしているのはもちろんのこと、『浴槽で発見された日記』などのような情報伝達の困難さに起因する不条理劇、『捜査』を思わせる手探りで不確かな情報分析がもたらす悪夢、さらに『星からの帰還』に通じる異質な環境への適応を余儀なくされる主人公、といった具合です。
そして何より、『砂漠の惑星』のようにわかりやすく比較的ストレートなプロットと、『天の声』並みにハードなディテールが過剰に詰め込まれた密度の濃い文体とが同居した結果、読みやすいのか読みにくいのかよくわからない(苦笑)、何ともいえない独特の味がかもし出されているのが本書の魅力です。
プロットがストレートな上に、結末までも題名に暗示されてはいるものの、そこへ至るプロセスには十分に力が注がれており、科学技術的な側面と登場人物の心理的な側面とにわたる丹念な描き込みでしっかりと読ませます。そして結末はもちろん客観的には(あるいは、本来の任務としては、というべきか)“大失敗”としかいいようのないものですが、なぜか陰鬱な雰囲気があまり感じられないのは、過去から切り離されたせいか淡々としたところのある主人公のキャラクターのせいでしょうか。
かなりボリュームがあるので手を出しづらいという印象もあるかもしれませんが、レムの様々な持ち味が発揮されているという点で、これからレムを読もうという方への入門書として最適な作品といえるかもしれません。
百万のマルコ
[紹介と感想]
戦争捕虜たちが長年にわたって収容され、死ぬほどの退屈に苦しんでいるジェノヴァの牢に、一人の老人が新入りとして連れてこられた。その名は、“百万のマルコ”ことマルコ・ポーロ。かつて大ハーン・フビライに仕えていたという彼は、派遣された様々な地で体験した奇妙な出来事を語り始めるが、その後には決まって不思議な謎が残される。囚人たちはそれぞれに知恵を絞り、謎を解き明かそうとするのだが……。
『東方見聞録』で名高いマルコ・ポーロが、獄中で囚人仲間たちに遠い異国での体験談を語って聞かせるという連作短編集です。気の利いたとんち話のような謎や、囚人たちが揃って謎に挑みながらも最後は必ずマルコ老人がおいしいところを持っていくというスタイルなど、アイザック・アシモフの〈黒後家蜘蛛の会〉を思い起こさせるところがありますが、謎の提示と解決が同一人物によって行われる点では、同じアシモフでも『ユニオン・クラブ綺談』の方が近いでしょうか。
マルコ老人の語り口は終始飄々としたものですが、絶体絶命の窮地としか思えない状況に追い込まれるまでを語って盛り上げておきながら、それを見事に切り抜けたという結果だけをあっさりと説明して“神に感謝。アーメン、アーメン。”
という決まり文句で締める、その独特のスタイルが大きな魅力です。そしてまた、苦境とそれが解決された結果だけが語られ、その間のプロセスがハウダニットのような謎として提示されるのが面白いところです。
- 「百万のマルコ」
- 身代金を払えずに牢から出られない囚人たちが“黄金さえあれば”と嘆くのを耳にしたマルコは、黄金があふれる島ジパングを訪れた時の出来事を語り始める。黄金の谷で莫大な量の黄金を拾い集めたマルコだったが……。
- マルコが最初に語るのは、おなじみ黄金の島ジパングへの旅。意表を突いたものでありながら、思いのほかロジカルな解決がよくできています。
- 「賭博に負けなし」
- 囚人たちがサイコロ勝負をしているのを見たマルコは、“それまで誰も勝ったことのない賭けに勝った”話を始める。それは、大ハーン・フビライその人との間で途方もない大金を賭けて行われた、三番勝負の競馬だった……。
- 話を聞くだにとても勝ち目のなさそうな賭けですが、盲点を突いた発想が見事です。
- 「色は匂へど」
- 「高い」・「低い」/「勝利」・「敗北」――反対語遊びに興じる囚人たちに、「光」と「闇」が“それほど違ったものでもない”と口を挟んだマルコは、〈常闇の国〉を訪れた異国の使者が「光」と「闇」を取り違えた顛末を披露する……。
- 「どこの国だよ」と突っ込みたくなるような話で、“いろは歌”の珍解釈が実に笑えます。しかし、マルコ自身の解決は鮮やかではあるものの、それが囚人たちに対して語られる(メタ)レベルでは、大きな問題をはらんでいるように思われます。
- 「能弁な猿」
- 猿は言葉をしゃべることができるか、という囚人たちの会話に引きずり込まれたマルコは、訪問したセイラン島の王位継承者たちから“あなたは猿とお話しになることができますか”と何度も尋ねられたという経験を語るのだが……。
- 一応伏線らしきものはあるのですが、ミスディレクションが強力すぎて、真相が明かされると思わず苦笑。
- 「山の老人」
- 金貸しの老人ととんでもない約束をしてしまい、囚人たちに助けを求めてきた看守の若者に対して、マルコが話し始めたのは、恐るべき暗殺者たちを従える〈山の老人〉の砦に単身潜入し、捕らえられた時の出来事だった……。
- 最終的にはよくある“アレ”ですが、うまくひねってあると思います。そして、マルコの締めの台詞が秀逸です。
- 「半分の半分」
- ささいなことで争う囚人たちの姿を目にしたマルコは、“お辞儀一つで、危うく国が滅びかけた”いきさつを話し始めた。それは、疑り深い二人の王の望みを同時に叶えるにも等しい、解決不可能とも思える難題だったのだ……。
- 冒頭のパンをめぐる争いの解決策はよく目にするものですが、難題に遭遇したマルコの対応は非常に面白いものになっています。
- 「掟」
- 野蛮な異教徒の国では、ただの水が葡萄酒に変わるような奇跡は起きないだろう――と問いかけられたマルコは、酒を厳しく禁じる〈砂漠の民〉の目の前で、密かに運んでいた酒が水に変わった話を始めたのだが……。
- 知恵というよりも説得力の勝利か。よく考えられているともいえるのですが、個人的にはやや拍子抜けの感が否めません。
- 「真を告げるものは」
- 退屈しのぎに牢の石壁に絵を描き始めた囚人たちだったが、マルコの飛びぬけて下手な絵に、笑いをこらえきれない。しかしマルコは平然と、“世界一の絵描きと作品の出来ばえを競った”時の思い出を口にする……。
- とんち話でよく知られる“アレ”が出てきた時には笑いましたが、解決は少々いんちきくさい気が……。
- 「輝く月の王女」
- 故郷から届いた手紙で、かつての許婚が他の男に嫁いだことを知らされ、“あの女の鼻づらをひっつかんで、思う様に引き回してやることができたなら”と嘆く囚人に対して、マルコはその願いを叶えてみせようと……。
- 予想の斜め上を行くかのような解決は笑えますが、結末ではほろりとさせられる、印象深いエピソードです。
- 「雲の南」
- 囚人たちのなぞかけ遊びに次々と答えていくマルコは、“これまでに答えられなかった謎はないのですか?”と問われて、“一つだけある”と応じる。それはマルコが〈雲の南〉という土地を訪れた時のことだった……。
- ついに囚人たちがマルコを打ち負かすかと思えば……本来の謎解きもさることながら、ホワイダニットとして非常にユニークな作品となっています。
- 「ナヤンの乱」
- ヴェネチアからマルコに届けられた、奇妙に雑多な品々。それは、タタールに古くから伝わるもので、大ハーン・フビライその人がそれを用いて、反乱を起こした精鋭部隊を壊滅させた秘密兵器だというのだが……。
- 定型を外した発端にまず興味を引かれますが、さらに意表を突いた皮肉な解決が印象的です。
- 「一番遠くの景色」
- “この世で一番遠くの景色を見たい”――他の囚人たちから、故郷ヴェネチアを離れて異郷へと旅立ったいきさつを尋ねられたマルコは、父と叔父が異郷からようやく戻ってきた十五歳の頃の思い出を語り始める……。
- マルコの解決は新鮮味のあるものではありませんが、最後の味わい深い台詞が何ともいえません。
- 「騙りは牢を破る」
- 牢内にいながら“私は別に閉じ込められているわけじゃない”とうそぶき、“いつだって出ていくことができる”と豪語するマルコは、大ハーンのもとを離れてヴェネチアに帰ってくることになった顛末を語る。そして……。
- マルコと囚人たちの物語は思わぬ形の結末を迎えます。そして密かなもう一つの結末もまた意外でよくできています。
樹霊
[紹介]
北海道に撮影旅行中の植物写真家・猫田夏海は、土砂崩れによって巨木が立ったまま数十メートル移動したという話を聞き込み、早速その珍事が起きた古冠村を訪れる。案内してくれた村役場の青年によれば、村では他にも街路樹のナナカマドが人知れず移動するという怪事件が起きているらしい。やがてたどり着いた現場は、テーマパーク建設を目的とした乱開発が行われている森の中。そこでは、建設推進派の助役の弟である建設業者と、建設に反対するアイヌ代表の道議会議員らが言い争っていた。そしてその夜、議員が謎の失踪を遂げ……。
[感想]
『非在』以来久々に、植物写真家・猫田夏海と“観察者”鳶山のコンビが登場する自然派(?)ミステリの最新作です。前面に出ているのは樹木の移動という、犯罪ではないながらも“日常の謎”ともいい難い独特の奇妙な謎ですが、後半には犯罪も絡んで大きな事件となっていきます。
物語の舞台は北海道の寒村で、樹木の移動事件の背景として、テーマパーク建設をめぐる地元建設業者とアイヌの対立が浮かび上がってきます。両勢力の中心人物がクローズアップされるのはもちろんですが、その周辺に村役場の(それぞれ立場を異にする)人々や環境問題専門の弁護士らが登場するという、関係者の配置がなかなかうまく考えられています。そして、樹木の写真を撮影するだけのために訪れた夏海が、事件の渦中に巻き込まれていく経緯も。
一つ一つの謎は派手とも地味ともつかない微妙なところですが、その数と種類の多さが目を引きますし、組み合わせによって大きな効果がもたらされているところも見逃せません。解決の手順は意外に(?)堅実ですが、作者らしくどこか逆説的に感じられる真相が非常に秀逸。そして、最後に明らかになる異色の動機がかなり強烈です。
個人的には、事件と物語の結末に大いに釈然としないところがある――作品内の“論理”と整合していないというか――のが残念ですが、おおむねよくできた作品といっていいのではないでしょうか。
【関連】 〈観察者シリーズ〉