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神のふたつの貌/貫井徳郎

2001年発表 文春文庫 ぬ1-1(文藝春秋)

 本書に叙述トリックが仕掛けられていることは、序盤の時点で大半の読者には予想できてしまうのではないでしょうか。なぜなら、最初の一文を除いて、地の文では主人公の呼称が“早乙女”という名字だけだからです。同年代の子供同士の間を除けば、(特に小学生以下の)子供を名字だけで呼ぶことはあまりないように思いますし、親と関わる場面であればなおさら不自然です。それでも名字だけで呼ばなければならない理由があるとすれば、人物を誤認させる叙述トリック以外には考えにくいでしょう。

 そうなると、第一部と第三部の冒頭にはっきり“早乙女輝”と書かれているのに対し、第二部には“早乙女輝”という名前が一度も登場していないことが目につきます。また、同じく第二部、218頁の“ぼくと君では、何が違うのかと。その答えが、君の脚だった。(中略)だからぼくは、君の脚が羨ましかった。”という台詞は、早乙女輝のものではあり得ません。台詞の主である“早乙女”は、翔子の不自由な脚を一種の“聖痕”ととらえ、ハンディキャップを抱えることで神に近づくことができると考えているのですが、無痛症というハンディキャップを持つ早乙女輝がそのような考えに至るはずがないからです。この点も、第二部の“早乙女”が早乙女輝ではないことを裏付ける根拠といえるのではないでしょうか。……といったことは、すべて後知恵、つまり読了後に気づいたわけですが。叙述トリックの存在は予想できたのですが、それ以上は考えなかったもので……。

 ところで、第三部に登場する牧師父子が早乙女輝と息子の創であることが、早い段階で明らかにされているのがもったいなく感じられるところです。例えば、コンビニ店長殺しによって第二部と第三部が同時期であることをまず示し、次いで棚倉との対決の場面で牧師が早乙女輝であることを明らかにするようにすれば、第三部の“早乙女”を早乙女輝の父親と錯誤させることもできたのではないでしょうか。

2005.01.28読了

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