キルン・ピープル(上下)/D.ブリン
Kiln People/D.Brin
人工物への意識のコピーというアイデアを扱った一般的な作品(*1)と違って、本書ではゴーレムの寿命の短さが特徴となっているわけですが、その技術的限界を解決しようとする方向へと開発が進むのはごく自然なことといえます。そしてまた“複製”の長期の存続が可能となれば、(他の一般的な作品と同様に)“原型”の死の克服という発想が出てくるのも当然でしょう。
というわけで、カオリンの目論見はおおむね予想の範囲内(*2)ですし、マハラルの“原型”が“複製”に殺されたことも推測できたのですが、そのマハラルの“複製”による壮大な計画はまったく予想外。しかも、事件の焦点がゴーレム(に関する新技術)からそこにコピーされる意識/魂へとシフトしているのが見事です。また、“原型”アルバートの命が狙われた理由が単なる口封じなどではなく、マハラルの“複製”の計画に必要不可欠だったというところがよくできています。
意識/人格のコピーというアイデアを徹底的に追究するかのように、クイーン・アイリーンの記憶の飽和や、リツ/ベータの二重人格による“複製”のトラブルなど、複製技術から派生する様々な現象が描かれているところも見逃せないでしょう。
上巻28頁に記された、“複製”による一人称視点を自覚した独白というあからさまな伏線があることで、火曜日に作られた“複製”たちの記憶/経験が最終的に統合されることは見えやすくなっていると思います。しかし、“原型”アルバートが(“複製”たちにとっては)生死不明となり、通常の手順による統合ができないまま寿命が近づいてくる中、様々な手段で解決されているのが秀逸です。特に、“フランキー”となって一度は“原型”アルバートと袂を分かった“グリーン”が、“グレイ”たちの経験や記憶も引き継いですべてを“原型”アルバートに渡すという本書のラストは、実に印象的です。
*2:
“「なぜなら、ヴィク・カオリン、あなたはじつは――」/〈死んではいない〉”(下巻512頁)には、さすがに苦笑させられましたが。
2007.12.21 / 12.23読了