『ギロチン城』殺人事件
[紹介]
人形塚に捨てられていた、“Help”と文字を書くからくり人形。そしてその内部には、巨大なギロチンの前に立つ女性を写した写真。それを拾ってきた“探偵”幕辺ナコは、友人の頼科有生とともに、人形の出所と思われる『ギロチン城』へと向かう。その城館では一年ほど前に、主である道桐久一郎が密室内部で首を切られて死に、死体に寄り添うように久一郎のコレクションの一つである『首狩り人形』が横たわるという怪事件が発生していたのだ。古めかしい外観と過剰なセキュリティ装置が同居する『ギロチン城』を訪れた二人は、そこで凄惨かつ不可解な殺人事件に遭遇する……。
[感想]
『クロック城』・『瑠璃城』・『アリス・ミラー城』と続く、北山猛邦の〈『城』シリーズ〉(*1)の現時点での最新作。初期の作品では超現実的ともいえる設定が盛り込まれて幻想小説的な世界観が打ち出されていましたが、前作あたりから、現実離れした雰囲気はそのままながら、幻想小説というよりも本格ミステリのカリカチュアといった感じの路線に落ち着いている印象です。
本書ではまず、「首狩り人形」という不気味な寓話めいたエピソード、そして「スクウェア」というオカルトじみた儀式を紹介するエピソードがプロローグとして配置されていますが、この二つに取りつかれた城主・道桐久一郎の妄念が結実した“場”である『ギロチン城』という舞台の中ですべてが終始するため、現実離れした雰囲気や設定がクローズドサークル内の“特殊な論理”に通じるものになっており、(本格)ミステリ専門の読者にもかなり受け入れやすいものになっているのではないでしょうか。
その妄念は、城内にコレクションされた多数のギロチンや『首狩り人形』、“スクウェア”という儀式のためだけに作られたかのような『ギロチン城』二階の回廊の特殊な構造、生体認証を利用した過剰なまでのセキュリティ装置、そして“一”から“五”という数字の名前、“・”
と表記される無名の人物(*2)、さらに『王』や『門番』などの役職名といった住人たちの極端なまでの記号化に表れていますが、それらがすべて前述の“本格ミステリのカリカチュア”という印象につながっていくところが、本書の今までにない読みやすさの所以ではないでしょうか。
『首狩り人形』の住む『ギロチン城』という舞台にふさわしく、本書では住人たちが次々と殺されていきます。特に、二階の回廊で起きる四重首切り殺人は圧巻で、“スクウェア”という儀式のオカルト要素を思わせる不可能性と、死後もなお“記号化”されたかのような被害者たちの扱いが、悪い意味ではなく現実感のないパズルという独特の雰囲気をかもし出しています。その後に続く“惨劇”もどこか淡々としたところがあり、“記号化された被害者”という印象を強めている感があります。しかし、その中に織り交ぜられた“脱記号化”ともいうべき逆方向のベクトルが、鮮やかなコントラストをなしているところが見逃せません。
不可能犯罪の裏にあるのは作者らしい豪快なトリックですが、基本的な発想はまずまずよくできている上に細部も工夫されているものの、いかにも“机上のトリック”というか、実際に実行する登場人物のレベルでは難があるのが残念なところです。そのトリックよりもむしろ、最終的に明らかになる異様な真相に唖然とさせられるとともに、それが『ギロチン城』内部という特異な舞台に合致しているところに脱帽させられます。私見では前作『『アリス・ミラー城』殺人事件』には及びませんが、最後の真相に向かって(ほぼ)すべてが組み立てられているところなど、一読の価値がある力作です。
2007.12.11読了 [北山猛邦]
ミステリクロノII
[紹介]
慧たちと同じ学年に、奇妙な状況に置かれて困っている生徒がいた。彼――秋永貴也は、どうやら半年分の記憶をすっかり失ってしまっているらしい。その怪現象に、真里亜が探しているクロノグラフの一つであるメメント――“時間欠落”のクロノグラフが関わっているのではないかと考えた慧は、それを取り戻すために秋永の失われた半年間の詳しい調査を始める。そこから、秋永の記憶が奪われた理由が、そしてメメントで記憶を奪った犯人が見えてくるはずなのだ……。
[感想]
『ミステリクロノ』に続くシリーズ第二弾。今回登場するクロノグラフは拳銃の形状をした“メメント”で、銃口を相手に押しつけて“撃つ”ことで、最長で一年前までの相手の記憶を消すことができる、“時間欠落”のクロノグラフです。この“メメント”によって記憶を失ったらしい人物を手がかりに、慧たちは“メメント”を持っているはずの犯人を探すことになります。
犯人探し、すなわちフーダニットであるのはもちろんですが、その手がかりとなるのは“なぜ記憶が消されたのか?”という謎であり、ホワイダニットとしても面白いものになっています。厳密には愉快犯である可能性を排除できていない(*1)のですが、慧たちとしては唯一発見された被害者を手がかりとするより他ないのは確かですし、読者に対しては犯人視点の「モノローグ」で秋永貴也が狙われたことが保証されています。
前作同様にロジカルな推理とディスカッションが展開されているところは見ごたえがありますし、秋永の“失われた半年間”が少しずつ明らかになっていくにつれて関係者たちの“姿”が見えてくるのも面白いところです。そして紆余曲折を経て示される真相――犯人の正体とその動機も、非常に印象深いものになっています。
しかし本書の最大の見どころは、“事件”が決着した後にたった一つだけ残された最後の推理と、その到達点となる“真実”のこの上ない苦さ、そしてそれを見据えたところから始まる慧の苦悩でしょう。“表”の物語である真里亜のクロノグラフ回収の“裏”にある、慧自身の物語の今後の激動の展開を予感させる、実に印象的な結末です。
個人的な不満を一つ挙げるとすれば、記憶が失われた間の出来事を調べるのが中心となっている点で一般的な“記憶喪失もの”と大差なく、前作に比べて“SFミステリとしての新しさ”があまり見受けられない(*2)ところです。相手の記憶を消すだけという“メメント”の特性上、致し方ないともいえるのですが、この点は次作以降に期待したいと思います。
2007.12.12読了 [久住四季]
【関連】 『ミステリクロノ』 『ミステリクロノIII』
密室殺人ゲーム王手飛車取り
[紹介]
〈頭狂人〉、〈044APD〉、〈aXe〉、〈ザンギャ君〉、そして〈伴道全教授〉。奇妙なハンドルネームを持つ五人が、映像と音声によるAVチャットを通じて殺人推理ゲームを行っていた。五人はそれぞれマスクなどで顔を隠し、声も変えて、互いにどこの誰だかわからない状態でゲームを楽しんでいた。それもそのはず、問題となる殺人事件はいずれも、出題者が自ら考案したトリックをもとに、現実に実行したものだったのだ……。
- 「Q1 次は誰を殺しますか?」
- 千代田区内で女子短大生が殺害された。殺したのは出題者であるaXe。様々な手がかりが含まれているという現場写真がチャットで披露された後、aXeは一同に挑戦する――“連続殺人犯が次に狙うのは誰?”
- 「Q2 推理ゲームの夜は更けて」
- 次の出題者は伴道全教授……のはずが、シナリオは完成しているものの、スケジュールの都合で実行できないという。一同はやむなく、アリバイ崩しがテーマとなった教授のシナリオに挑戦することに……。
- 「Q3 生首に聞いてみる?」
- ザンギャ君の出題は、世間を騒がせている“生け頭”事件だった。まず公園で胴体だけが、次いでアパートの一室で遺体の頭部が花瓶に生けられているのが発見されたのだ。だが、状況に不可解な点が……。
- 「Q4 ホーチミン―浜名湖五千キロ」
- 満を持して登場した伴道全教授は、海外進出を宣言する。ベトナムに旅行していた伴道全教授は、問題の事件が起きた時刻に現場の浜名湖サービスエリアまでたどり着くことができなかったというのだ……。
- 「Q5 求道者の密室」
- 今回の出題者は044APD。警備員とセキュリティ・システムで守られた住宅地の中の一軒家で、隣に寝ていた妻に気づかれることなく夫を殺害したという。侵入が不可能とも思える厳重な密室の真相は……?
- 「Q6 究極の犯人当てはこのあとすぐ!」
- 次の出題者は頭狂人だったが、なかなか現れない044APDを待つ間、伴道全教授が軽い問題を披露することに。実行するには難があるというそのネタは、浴場での殺人事件における凶器の消失だった……。
- 「Q7 密室でなく、アリバイでもなく」
- 頭狂人の出した問題は、侵入不可能なマンションでの殺人事件だった。“地味だ”というメンバーからの批判にもかかわらず、なぜか頭狂人は自身ありげな様子。そして謎解きは意外な展開をみせて……。
- 「Q? 誰が彼女を殺しますか?/救えますか?」
- ――内容紹介は割愛します――
[感想]
カバー見返しにも引用されている“殺したい人間がいるから殺したのではなく、使いたいトリックがあるから殺してみた”
という言葉の通り、善悪の観念から逸脱した登場人物たちが推理ゲームのために次々と殺人を犯すという、頭の固い人が読んだら眉をひそめそうな、アンモラルな問題作。とはいえ、そもそも人を殺す正当な理由などない(とされている)わけですし、ある種のサイコスリラーの延長線上にあると考えれば、それほど特異な作品ともいえないのかもしれません。
というわけで本書は、病的な推理マニアたちを主役としたサイコスリラーともとらえることができそうですが、推理マニアが主役となっているだけあって、一風変わってはいるものの本格ミステリであることは間違いありません。ゲーム性を極度に推し進めた状況設定や、トリック至上主義ともいうべきメンバーたちの価値観などをみると、上の北山猛邦『『ギロチン城』殺人事件』とはやや違った方向ながら、やはり本格ミステリのカリカチュアという印象を受けます。
メンバーそれぞれの出題をみてみると、最初の「Q1」こそミッシングリンクがテーマとなっているものの、その後はアリバイトリックや密室トリックに代表されるハウダニットが続いています。これは、作中でも〈伴道全教授〉が“出題者イコール犯人という前提でやっている以上、いわゆる『犯人当て』ができないから、『トリック当て』偏重にならざるをえない。”
(271頁)と指摘しているように、犯人が出題者であることが明らかなためにフーダニットは成立せず、またそもそも“思いついたトリックを実践するための殺人”であるためにホワイダニットも成立しないという、特殊な状況によるものです。しかしそれにしても、やや毛色の違ったミッシングリンク・テーマをわざわざ最初に持ってきてあるあたり、問題の配列にも作者の意図が秘められているように思われます。
「Q1 次は誰を殺しますか?」は、ミッシングリンクをテーマとした連続殺人だけあって、本書の中ではかなり長めの分量になっています。とはいえ、殺人(未遂も含む)そのものはあっさりと説明されるにとどまり、出題者の〈aXe〉が現場に残した数々のヒントの方に焦点が当てられているあたりは、ゲームならではでしょうか。途中で真相の一部は見えたかと思ったのですが、そこにもう一つ仕掛けられた罠が秀逸。そして終盤の怒涛の推理が圧巻です。
「Q1」の“感想戦”から始まる「Q2 推理ゲームの夜は更けて」では、〈伴道全教授〉の実行前のシナリオがそのまま出題され、通常の推理ゲームが展開されています。やや拍子抜けの感がなくもないのですが、意味がないわけではない、とはいえるでしょう。また、後のエピソードでも垣間見える〈伴道全教授〉のボケキャラぶりが何ともいえません。
〈ザンギャ君〉の出題する「Q3 生首に聞いてみる?」は、猟奇的な事件の様相もさることながら、思わず唖然とさせられるバカトリックが強烈。二重三重の罠によって、トリックの本質が見えにくくなっているところもよくできています。
「Q4 ホーチミン―浜名湖五千キロ」は、〈伴道全教授〉のリベンジ……ですが、トリックそのものは意外ではあるもののさほどでもないというか。むしろ、アリバイトリックが破られたところから始まるさらなる推理が見どころでしょう。
〈044APD〉による「Q5 求道者の密室」は、類似のトリックを使った先例があるのは確かですが、ある意味で常軌を逸した真相に圧倒されます。バカミスといえばバカミスなのですが、独立した短編ではなく本書の中に配されていることで、説得力が高まっているところも見逃すべきではないでしょう。
「Q6 究極の犯人当てはこのあとすぐ!」は、“このあとすぐ!”というフレーズから連想されるように、本編の前の軽いつなぎといった感じの“ボツネタ披露合戦”。脱力もののトリックが笑えます。
〈頭狂人〉の出題する「Q7 密室でなく、アリバイでもなく」では、一見すると地味な(?)事件が扱われていますが、実は逆説的なアイデアが炸裂する秀作です。謎解きの意外な展開も面白いところですが、最後に明らかになる真相は青天の霹靂。
最後の「Q? 誰が彼女を殺しますか?/救えますか?」では、ある人物が“これまでの探偵ごっこが本格ミステリー的なら、今日のはハードボイルド的”
(320頁)と発言しているように、これまでの殺人推理ゲームとは一味違った展開になっています。色々な意味で印象的なエピソードではあるのですが、結末が今ひとつ落ち着かないものになっていて、何とも微妙な読後感が残ります。
【関連】 『密室殺人ゲーム2.0』 『密室殺人ゲーム・マニアックス』
キルン・ピープル(上下) Kiln People
[紹介]
陶土で作り上げたゴーレムに意識・人格をコピーした、一日限定の“複製”に様々な作業を代行させて、その間作成者の“原型”は好きなことをする――画期的な新技術の普及により、世界中の人々の生活は一変していた。そんな中、“複製”の違法コピー調査を得意とする私立探偵アルバート・モリスは、一ヶ月近く前に行方不明になった、複製テクノロジーの大企業〈ユニバーサル・キルン〉の研究者マハラル博士を探すという依頼を受け、高品質の“複製”である“グレイ”を送り出す。一方、その日モリスが作ったもう一体の“グレイ”には、〈ユニバーサル・キルン〉に潜入して秘密を探るという依頼が……。
[感想]
SF作家でありながら、「第65回世界SF大会/第46回日本SF大会 Nippon2007」で“読者を掴む意外性と構成力を会得するため、SFを書くより先にまず murder mystery を書いておくべきだ”
と発言したらしい(「2007-09-02 - 不壊の槍は折られましたが、何か?」参照)デイヴィッド・ブリンによる、ユニークな設定のSFハードボイルドです。
物語の中心となっているのはやはり、陶土製のゴーレムに意識をコピーした“複製”です。人工物への意識のコピーというアイデアは、すぐに思い出せるところではロバート・J・ソウヤーがいくつかの作品で扱っている(*1)ように、決して珍しいものではありません。しかし本書に登場する“複製”は寿命がわずか一日しかなく、幸いにして(?)作中の世界ではコストの問題が解決されていることもあって、身も蓋もない表現をすれば“大量生産の使い捨て”となっている点が最大の特徴といえるでしょう。
かくして、作中では一人の人間――“原型”――が多数の“複製”を生み出すことが日常的なものになっています。また、意識のコピー先となるゴーレムにも、比較的単純な作業向けの安価な“グリーン”や、“原型”と同程度の能力を発揮できる高品質の“グレイ”、さらには高度な専門技術向けに特化した高価な“エボニー”など、様々な種類が存在します。つまり、“原型”である“自分”以外に多数の、しかも能力の異なる“自分”の“代役”が多数存在するということになります。そして、“代役”である“複製”の寿命が尽きる前にその記憶を“原型”に統合することで、“原型”だけでは時間が足りずにとてもできないほどの経験を積むことができるのです。
作中で、とある“複製”が“本体は決して近づかない危地のただなかへ、長い雑用のリストをわたされて送りだされる不条理感”
(上巻137頁)と述懐しているように、このような設定からは必然的に、主として“複製”たちが“原型”の代わりに探偵活動に励むことになるわけで、その描写が不可欠となります。本書はハードボイルドの伝統に則って(?)主人公の一人称で語られているのですが、それは“原型”アルバートだけでなく“複製”たちも同様で、結果として“同一人物”による一人称多視点という奇妙なスタイルになっており、独特の効果を上げています(*2)。
事件の方は、アルバート(たち)が受けた依頼が大きな事件/陰謀につながっていくという、いかにもハードボイルド(私立探偵もの)らしいものですが、同時に本書のSFとしての設定が存分に生かされた、純粋にSFとしても見ごたえのあるものになっているのがさすがです。また、その事件の渦中に巻き込まれるのは“複製”たちだけではなく、(前述の設定とは裏腹に)“原型”アルバートその人もまた大変なトラブルに見舞われ、予断を許さない展開で最後まで目が離せません。先に引用した自らの発言通りの、非常によくできた作品といえるでしょう。
なお、〈ユニバーサル・キルン〉の創立者の名前が“カオリン”(陶土)だというのには終始苦笑させられました。また、「訳者あとがき」を読むまで気づきませんでしたが、“モンモリリン”はモンモリロナイト(→「モンモリロン石 - Wikipedia」参照)に由来するものでしょうか。
*2: これまたとある“複製”による、
“この物語を一人称視点で語ることには、大きな問題がある。こうして語っている以上、こいつは無事に家へ帰りついたんだな、と聴き手にわかってしまうからだ。すくなくとも、この複製がオリジナルに顛末を伝えられる中継点にたどりついたことはわかってしまう。サスペンスもなにもあったものではない。”(上巻28頁)という、一人称視点を自覚した独白(自己ツッコミ)なども非常に興味深いところです。
2007.12.21 / 12.23読了
ヴァルカン劇場の夜 Opening Night
[紹介]
マーチン・ターンは、女優になるためにニュージーランドから英国へやってきた早々に、金を盗まれて途方に暮れていた。だが、疲れ果ててたどり着いたヴァルカン劇場で、主演女優ヘリナ・ハミルトンの衣装係という職を得ることができたマーチンは、慣れない仕事に励んでいるうちに、さらなる幸運に見舞われる。主演男優アダム・プールの遠縁であることが明らかになり、若い女優の代役に抜擢され、ついには初日の舞台を踏むことになったのだ。だが、その舞台の幕が下りた時、ヘリナの夫であるベンが、五年前に起きた事件と同じように控室でガス中毒死しているのが発見されて……。
[感想]
演劇活動にも携わっていた作者が、自らの経験を存分に生かして書いた劇場ものミステリです。実のところミステリ部分はさほどでもなく、ニュージーランドからやってきた女優志望の若い女性を主役とした、新作戯曲の初公演に至るまでの舞台裏での紆余曲折の方が見ごたえがあります。また、『ランプリイ家の殺人』のマイクル少年が警官となって再登場しているのも見どころの一つです。
その主人公マーチン・ターンは、ほぼ一文なしで疲れ果てた状態でヴァルカン劇場を訪れ、主演女優の衣装係の職を得たことをきっかけに、若い女優の代役として舞台初日に喝采を浴びるまでに登りつめます。見方によってはベタベタなシンデレラ・ストーリーですが、さほどご都合主義に感じられないのはやはり、それを支える劇場の内幕の綿密な描写によるところが大きいのではないでしょうか。事件が起きる物語の半ば過ぎまで、劇場の複雑な人間関係や舞台稽古の様子、さらには大小のトラブルなどが丁寧に描かれ、決して退屈させられることはありません。
ようやく迎えた舞台初日の幕が下りた時、俳優の一人が控室でガス中毒死する事件が起こりますが、その状況が五年前に同じ劇場で起きた“ジュピター事件”と似ていることが、物語の中で重要な要素となっています。本書の解説によれば、そちらの事件の顛末は短編「出口はわかっている」(*1)に描かれているそうですが、併せて読むことができない立場としては困ったところです。本書の中でもご丁寧にそちらの事件に再三言及されているものの、これがまたネタバレ気味(*2)のようで……。
かくして五年前の“ジュピター事件”が影を落とす中、劇場に到着したアレン警部は、現場の調査と関係者への事情聴取を中心に捜査を行っていきます。被害者がいわば劇場のトラブルメーカーだったこともあって動機(自殺も含めて)には事欠きませんし、犯行機会の面から容疑者を絞り込むことも困難で、今ひとつとらえどころのないまま物語は進んでいきます。しかし、ある箇所まで読み進めた途端に、真相の重要な部分が見えてしまうのが大きな難点。このあたりのちぐはぐさのようなものが、何とも残念なところです。
2007.12.26読了 [ナイオ・マーシュ]