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クラインの壺/岡嶋二人

1989年発表 新潮文庫 お30-2(新潮社)

 本書の最終章では、上杉彰彦は“壺”の内側と外側を区別することができなくなっています。現実と見まがうほどのヴァーチャル・リアリティが扱われていることからも予想はできますが、何より『クラインの壺』という本書の題名自体がこの結末を暗示しているわけで、ほとんど驚きはないでしょう。

 井上夢人『おかしな二人』によれば、コンビの片方である徳山諄一はこの結末に対していわゆる“夢オチ”ではないかと意見を述べたようですし、実際にそう感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、“夢オチ”は夢から覚めたところでオチとなる、つまり最後には“夢”と“現実”がはっきりと区別されるわけですから、本書の結末がそれとはまったく違うものであることは明らかです。“夢オチ”がいわば物語に収拾をつけるためのものであるのに対して、本書の結末は収拾のつかない混沌であり、完全に逆方向となっているのです。

 そしてまた、“現実”と“妄想”の区別がつかなくなるようなサイコスリラーとも一線を画しています。本書の結末には狂気は存在せず、主人公の上杉は(“自殺”を試みようとしているとはいえ)あくまで理性的だといっていいでしょう。狂気の欠片もなく理性を保ったままでありながら、混沌から抜け出す術が失われてしまうという恐怖――それこそが本書の最大の見どころであり、また“現実”と区別がつかないほど精巧な“もう一つの現実”には誰も抗えないというところが、その恐怖を読者に“感染”させる所以でもあります。

 上杉は中盤以降、高石梨紗のピアスの有無などを手がかりに“壺”の内外を判別しようとしていますが、第42章で暗示されているように“クライン2”は“虚構”から“現実”に戻ったという“虚構”を作り出すことができるわけですから、最終的には作中の記述で(上杉にとっては自身の経験で)“壺”の内か外かを特定することは不可能です。そして、結末の上杉が“壺”の外側にいた場合には“堂々巡りの意識をぶっちぎる”ことができますが、そこが“壺”の内側であれば“ゲーム・オーバーになった”という“虚構”を与えることが可能なのですから、何度手首を切ったとしても無限ループに陥るだけかもしれません。一度“壺”の中に囚われてしまえば外部の人間の思うがまま、まったく為す術はないのです。

 ちなみに、飲食や排泄など体内の感覚にも関わる行為を忠実に再現することは技術的に困難なので、実際にはそれによって“現実”か否かを判別することができるでしょう(ストーリーが成立しなくなってしまうので、作中ではぼかしてありますが)

2007.07.02再読了