ミステリ&SF感想vol.148

2007.07.28
『クラインの壺』 『狂人の部屋』 『花嫁は二度眠る』 『アララテのアプルビイ』 『時を巡る肖像』



クラインの壺  岡嶋二人
 1989年発表 (新潮文庫 お30-2)ネタバレ感想

[紹介]
 ゲームブックの原作募集に応募したことがきっかけで、イプシロン・プロジェクトという会社による、画期的な装置“クライン2”を使用したゲームの開発に関わることになった上杉彰彦。それは、全身を覆うインターフェイスを介して五感に直接訴えかける、高度なヴァーチャル・リアリティを再現できるものだった。アルバイト雑誌の募集を通じて採用された高石梨紗とともに、所在が厳重に秘密にされた研究所へ連れて行かれ、連日ゲームモニターとして“もう一つの現実”に身を投じる彰彦だったが、ゲームの最中に奇妙な声が危険を訴えかけてきた。やがて、梨紗が突然アルバイトを辞めてしまい、不審を抱いた彰彦は……。

[感想]

 『焦茶色のパステル』で江戸川乱歩賞を受賞して以来、数多くの優れた作品を発表してきた名コンビ“岡嶋二人”が、最後に残した長編です。もっとも、コンビの片方である井上夢人(井上泉)が岡嶋二人時代を振り返ったエッセイ『おかしな二人』によれば、実質的には井上が単独で執筆した作品のようで、その雰囲気は井上夢人名義のデビュー作『ダレカガナカニイル…』に通じるところがあります。

 さて本書は、1980年代末という早い時期にヴァーチャル・リアリティ――しかも現実と区別がつかないほど高度に再現されたもの――を扱った先進的な作品となっています。いわゆる“サイバースペース”という形であればV.ヴィンジ『マイクロチップの魔術師』などのような前例がありますが、ここまでの再現度を誇る“もう一つの現実”を扱った作品は、少なくともこの時期にはSFでも例がないように思います。しかも、岡嶋二人らしい丁寧なディテールの積み重ねによって(現在でも実現されていないにもかかわらず)それなりに“ありそう”な描写になっているところがさすがです。

↓以下の文章には、本書の結末をある程度暗示する記述が含まれています。私見では、事前に明かしても本書の面白味を損なうようなものではありませんが、本書を未読の方はご注意下さい。

 このヴァーチャル・リアリティによって構成されるゲームの世界はもちろん“虚構”に他ならないわけですが、それが十分に“もう一つの現実”たり得るほど高度であるために、次第に作中の“現実”と交錯し始めるという展開は誰しも予測できるところでしょう。その意味で本書には、結末に至るまでさほどの驚きはないのですが、それでも中心となるネタには非常に興味深いものがあります。というのは、SFやファンタジーでおなじみのアイデアと、特にミステリで効果的に用いられる手法とが、見事な形で融合しているからです。

 登場人物が何らかの手段によって(作中の)“現実”と“非現実”(≒異世界)を往復するという物語は、SFやファンタジーでは定番の一つといっていいでしょう。一方、作中の“現実”とそれに酷似した(作中の)“虚構”とを並置することで、読者にテキストレベルを混同させる叙述トリック的な構成は、ミステリでしばしば見受けられます。本書ではこれらが組み合わされ、序盤で描かれた“現実”と“もう一つの現実”の間の往復から、“現実”と“もう一つの現実”が交錯する物語へと移行していくのです。さらには、“クライン2”というSF的なガジェットを介して、本来はテキストの読者のみが認識し得る*1叙述トリックと類似の効果を、テキスト内部に――テキストの登場人物に対して発生させている*2ともいえるでしょう。

*1: 叙述トリックはテキストに仕掛けられるトリックであり、そのテキストの中に登場する人物は原則として叙述トリックを認識することができません。詳しくは「叙述トリックとは」「叙述トリック概論」)をご参照下さい。
*2: 例えば、作中の“現実”と作中作とが交錯する叙述トリックを、作中の登場人物が“体験”したようなものでしょうか。

↑ここまで

 思わぬチャンスを与えられた主人公の興奮が、小さな綻びの積み重ねを通じて不安へと変じていくあたり、心理描写はさすがに熟練のもので、本格ミステリ的な謎解きこそないもののサスペンス/スリラーとしては一級品。とりわけ結末は、さりげなく書かれているがゆえに読み終えてからじわじわと主人公の心境がこちらに伝わり、あたかも危険な感染力を有しているようにさえ感じられます。“岡嶋二人”の作品としては明らかに異色ですが、必読の傑作であることは間違いないでしょう。

2007.07.02再読了  [岡嶋二人]



狂人の部屋 La chambre du fou  ポール・アルテ
 1990年発表 (平岡 敦訳 ハヤカワ・ミステリ1801)ネタバレ感想

[紹介]
 ソーン家の屋敷・ハットン荘にある開かずの間。そこでは100年ほど前、なぜか絨毯が水でぐっしょり濡れるという怪事とともに、部屋の主だった文学青年が原因不明の急死を遂げていたのだ。以来封印されていたその部屋を現在の当主であるハリスが開いた途端、屋敷は不穏な空気に包まれ、ハリスの弟ブライアンは不吉な予言を口にする。やがてハリスは不可解な状況の下でその部屋の窓から墜死し、直後に部屋を訪れたハリスの妻セイラは何かに怯えて卒倒してしまう。しかも、部屋の絨毯は100年前と同じようにぐっしょりとに濡れていたのだ……。

[感想]

 “棺をあけたら何がある?”(7頁)という書き出しが魅力的な〈ツイスト博士シリーズ〉の第4弾で、これまで邦訳された中では最高傑作といっていいのではないでしょうか。少なくとも、作者が敬愛するJ.D.カー(C.ディクスン)の域に最も近づいた作品という印象を受けます。

 扱われているのはいつもの密室殺人ではありませんが、『赤後家の殺人』に通じる“人を殺す部屋”と、『読者よ欺かるるなかれ』さながらの恐ろしく的中する予言という、これまたカー好みのオカルト色の強い謎がメインになっています。そして前者については、部屋の絨毯が濡れているという(単独でみれば)何の変哲もない出来事が、度重なる死の不気味な装飾となっているのが面白いところです。

 また、ロマンスの要素が多めなのもカーを思わせるところで、何組かのカップルが織りなす人間模様が物語に興味を添えています。とりわけ目を引くのが、人目を忍んでお互いを“白椿”・“青い葦”と呼び合うカップルで、時に地の文でまで名前ではなく“青い葦は”などと書かれているのは笑いどころかもしれませんが、このロマンスがミステリとしてのプロットにうまく組み込まれているのは秀逸。

 終盤になるとさらなる怪現象が発生し、事態は混迷を極めますが、それらの謎がきれいに解き明かされる解決場面はお見事。特に、濡れていた絨毯の謎の解決が非常によくできていて、すっきりと腑に落ちるカタルシスと思わず唖然とさせられる“バカミス感”の両方が味わえるものになっています。この“バカミス感”を担っているのは殊能将之氏も注目する“●●を●●する”トリック(2007年6月18日の日記を参照)で、E.D.ホックの短編にかなりよく似た前例があるものの扱い方はだいぶ違っており、その強引さが(犯人の呆れるほどの悠長さと相まって)強烈な“バカミス感”につながっているところがよくできています。

 事件が鮮やかに解決された後に待ち受ける、結末の趣向もお見事。全体的に細かいところにまで気を配り、無理筋にもきっちりとフォローを入れてマイナスをプラスへと反転させた、作者の巧みな手腕が目を引く傑作です。

2007.07.06読了  [ポール・アルテ]



花嫁は二度眠る  泡坂妻夫
 1984年発表 (カッパ・ノベルス・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 山形県米沢の旧家・蘇芳家で、当主である老婆・カナの喜寿の祝いが行われた翌朝、一族の富樫幹夫と婚約者の島夕輝子らは、鴨居から首を吊ったカナの影を目撃する。だが検視の結果、カナは前夜に絞殺されていたことが判明した。カナはなぜか二度殺されたのだ……。
 ……そして半年後、翌日に結婚式を控えた幹夫と夕輝子のもとに、二人と一緒に結婚式を挙げる予定だった、幹夫の従妹の貴詩が突然失踪したという知らせがもたらされて……。

[感想]

 解説の中島河太郎氏による“追走曲{カノン}形式”(作中でもなぞらえられていますが)という表現がぴったりの本書は、結婚式を目前に控えた幹夫と夕輝子という恋人たちに焦点を当てながら、随所で半年前の未解決事件の状況を描いていき、やがて起きる新たな事件をそこに重ね合わせていくという構成になっています。

 特筆すべきは過去の事件の描き方で、大半は主人公である幹夫の回想という形になっているのですが、その回想ははっきりと別のパートになっているわけではなく、現在の出来事をきっかけとして切れ目なくスムーズに移行することで、現在と過去とが自然に重なり合うように工夫が凝らされています。冷静にみれば、主人公がこれほど頻繁に回想してばかりいるのはどうかと思わないでもないのですが、回想に至るきっかけがそれぞれよく考えられていることもあって、ほとんど違和感はありません。

 そして、重ね合わされた二つの事件が解き明かされる終盤は、まさに圧巻です。事件の真相は少しずつ丁寧に明らかにされていくのですが、張りめぐらされた多数の伏線が次から次へと示されていき、伏線の塊というべき本書の正体が姿を現します。予想もしなかったほど細かいところにさりげなく伏線を紛れ込ませる技は、さすが熟練の作者ならではというべきでしょうか。

 正直なところ、トリックそのものはさほどでもありませんし、容疑者がさほど多くないこともあってミスディレクションもうまくいっているとはいえず、真犯人がややわかりやすくなっているのは否めません。しかし、ユニークな試みを体現した特異な構成と、全編に散りばめられた伏線の妙は、一読の価値があるといえるのではないでしょうか。

2007.07.10再読了  [泡坂妻夫]



アララテのアプルビイ Appleby on Ararat  マイクル・イネス
 1941年発表 (今本 渉訳 KAWADE MYSTERY)

[紹介]
 南太平洋を航行中の客船が、Uボートの攻撃を受けて沈没してしまう。アプルビイ警部をはじめとする生き残り6名は、ひっくり返った喫茶室に乗って当てのない漂流を続けるうち、見知らぬ孤島にたどり着いた。ところが漂着早々に、生き残りの一人、黒人の人類学者が何者かに撲殺されてしまった。一行の中の誰が犯人なのか? さらにもう一人がどこかへ姿を消し、首をひねるアプルビイ警部らにどこからともなく現れた原住民が襲いかかる。そして一行が島で発見したものは……?

[感想]

 上の[紹介]ではつい調子に乗ってクローズドサークルものっぽくあらすじを書いてしまいましたが、殺人事件こそ起こるものの、本書はまったくそういう話ではありません。『ストップ・プレス』『アプルビイズ・エンド』でみられたドタバタ劇をさらに推し進めた、ミステリとも冒険小説ともつかないオフビートな怪作です。

 どのような状況でも調子を変えることのないしゃれた会話がかもし出す“ゆるい”雰囲気と、次から次へと繰り出される冗談としか思えないめまぐるしい展開とが相まって、何ともいえない独特のユーモラスな物語世界が構築されています。特に97頁の最後のあたりはもう漫画かと。他にも苦笑させられるしかないイベントが満載で、実に楽しく読み進めることができます。

 その分、殺人事件の方はやや軽めというか変化球というか。そもそも、アプルビイ警部が当てのない漂流生活を送る発端からしてシリーズ探偵とは思えない異色の扱いで、オーソドックスなミステリを期待する方が間違っているというべきかもしれません。もっとも、本格ミステリというよりスリラー的ではあるものの、あらすじや前評判などから想像していたよりはしっかりしているという印象もあり、どうとらえていいのか悩ましいところです。

 少なくとも結果としては、本書はいわゆる探偵小説の定型から逸脱した作品といえそうですが、例えばA.バークリーなどとはだいぶ違った印象を受けます。狂言回しとしての名探偵(ロジャー・シェリンガム)を創造した、いわば探偵だけがおかしい(失礼)バークリーに対して、イネスの場合は状況全体がおかしなことになっており、そこに放り込まれた名探偵が自然におかしな行動をとっているわけで、単にドタバタがやりたかっただけのようにも思えてきます。

 というわけで、考えれば考えるほどとらえどころがなくなってくる感があるのですが、いずれにしても非常に愉快で面白い作品であることは確かなので、あまり深く考えずに楽しむべきかもしれません。

2007.07.15読了  [マイクル・イネス]



時を巡る肖像 絵画修復士御倉瞬介の推理  柄刀 一
 2006年発表 (実業之日本社)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 年月や保存状況の悪さにより汚れ、破損した絵画を修復する絵画修復士・御倉瞬介を主役とした、美術ミステリの連作短編集です。
 名画または高名な画家の“謎”と作中で起きる事件の謎とを組み合わせた作品が並んでいますが、書き下ろしの表題作「時を巡る肖像」だけは例外で、本書の中でいいアクセントになっていると思います。
 絵画の修復に長けた人物を主役としているという意味では、やはり細野不二彦の漫画『ギャラリーフェイク』が思い起こされるところで、味わいにもどこか近いものがあります*。主人公が絵画修復士である必要性がさほど感じられない作品もありますが、『ギャラリーフェイク』と同様に実作者(画家)と鑑賞者(評論家なども含めて)の中間的な立ち位置が、名画などの対象との絶妙な距離感につながっているようにも感じられます。

「ピカソの空白」
 ピカソに匹敵する才能の持ち主ともいわれながら、その根源である“天眼”を自ら傷つけ、隻眼となった画家・冷泉朋明。その自宅で深夜、美術評論家が殺害された。冷泉自身も頭を殴られて現場に倒れていたのだが、泊り込みで修復作業をしていた御倉瞬介は、眼帯を着けた冷泉の姿を事件の直前に目撃していた……。
 トリックの使い方がやや変化球気味になっているところも面白く感じられますが、最後まで読み終えて最も強く印象に残るのはやはり、自らの眼を傷つけた天才画家・冷泉朋明の造形です。この架空の人物とピカソを重ね合わせ、事件を介して芸術家の心理を描き出すという手法が成功した快作です。

「『金蓉』の前の二人」
 御倉瞬介は建築デザイナー・志野正春に、妻の香蓉子の肖像画を描く画家として、旧知の古関誠を紹介する。彼の作風は、描く対象の内面に秘められた真実を掘り起こして、それを作品に結実させるというものだった。そんなある日、香蓉子が大切にしていた家宝の壺が、留守中に倒れて砕けてしまう事件が起きて……。
 話の流れはある程度予想できるものですし、トリックにもさほど切れのない、やや面白味に欠ける1篇……と思っていたのですが、最後の一文の意味をよく考えてみると……。

「遺影、『デルフトの眺望』」
 高名な画家・中津川顕也の妻は、娘をもうけた後離婚して隠遁生活を送り、ついには失踪を遂げていた。資産家である元妻の一族とのトラブルの末に命を落とした顕也だったが、死の間際にフェルメールの『デルフトの眺望』の一箇所を指差したという。顕也の生前に、その複製画の修復を依頼されていた御倉瞬介は……。
 ダイイングメッセージが中心となった作品。解決には専門知識が必要となりますが、それは致し方ないところかと思われます。それよりも、真相が明かされた後に残る後味の悪さが気になります。

「モネの赤い睡蓮」
 “わたしは赤い睡蓮の呪いにかかった”――老大家・藤崎高弦の娘で自らも画家である藤崎ナツが、モネの『睡蓮』を見ながら口にした奇怪な言葉に興味を引かれた御倉瞬介。やがて藤崎邸では、高弦が毒死する事件が起きる。当初は自殺かと思われたが、毒が混入されていた薬瓶を高弦に手渡したナツが疑われ……。
 読者を引き込む奇妙な発端から、不可解な事件の展開、そして強く印象に残る真相と、全体的になかなかよくできています。ただ、謎の中心部分がそもそも成立しないようにも思えてしまうのですが、実際のところはどうなのでしょうか。

「デューラーの瞳」
 風水の要素を取り入れた建築コンサルタントとして活躍中の戸梶祐太朗から、一族の肖像画を修復するよう依頼された御倉瞬介。ところがその祐太朗は、祖父の代から仕える野木山とともに、天窓が突然割れて降ってきたガラスで怪我をするという奇禍に遭う。さらにその後、野木山は奇怪な交通事故で命を落として……。
 トリックメーカーとして知られる作者の本領発揮というべきか。想像を絶する“現象”にバカトリックの雰囲気が漂いますが、非常によく練り込まれたものだと思います。

「時を巡る肖像」
 御倉瞬介は、本来の仕事である絵画の修復とは正反対の作業にいそしんでいた。それは、描かれたばかりの肖像画を長い年月を経たものに見せかけるために、絵の具にひびを入れ、古色をつけていくというものだった。その不可解な仕事の背景にあったのは……?
 二つのパートでそれぞれ謎めいた出来事が描かれ、それが次第に結びついていく形になっており、少しずつ見えてくる真相が心に染み入ってきます。が、その背景となる設定があまりに特殊――悪くいえば“ドラマ”のために都合よく組み立てられたものに感じられ、素直に受け取れない部分があるのが残念。

*: とはいえ、主人公が贋作作りに手を染めている『ギャラリーフェイク』とは、明らかに一線を画しているところがありますが……。

2007.07.18読了  [柄刀 一]


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