ノッキンオン・ロックドドア2/青崎有吾
- 「穴の開いた密室」
棚からペンキ缶が落ちて扉の前にペンキがこぼれたせいで、扉から出られなくなって壁に出口を開けた――という偽装工作がまずよくできていますが、ペンキ缶が無傷だったことであっさり露見するのが潔いというか何というか。また、有名な海外古典長編(*1)と同様のロジックで容疑者が限定されるのにはニヤリとさせられます。
壁の血痕をチェーンソーで削ったという発想も面白いと思いますが、いくら何でも
“縦百七十センチ、横二百センチ”
(15頁)の穴では大きすぎるのも確か(*2)。しかして、その穴の大きさ、さらにはテーブルの傾きと血痕の齟齬から導き出される、テーブルはすでに完成してキッチンに置かれており、犯人たちが(偽の)現場に死体をテーブルごと運び込んだ――出るためではなく入るための穴だったという“逆転”の真相が非常に秀逸です。*1: いうまでもなく、(作家名)エラリイ・クイーン(ここまで)の(作品名)『エジプト十字架の謎』(ここまで)です。
*2: 単純な大きさの問題だけでなく、作中では“木の掘っ立て小屋”
(15頁)と表現されているとはいえ、図面(15頁)をみると結構な広さがあり、壁がベニヤ板一枚などとは思えない――間柱や胴縁などがあってもおかしくない――ので、血痕を削ったことを隠すためにそこまでするのは労力が見合わないでしょう。
- 「時計にまつわるいくつかの嘘」
被害者が普段腕時計をつけていなかったことを示唆する、
“時計を裏返す”
と“細かい傷”
(62頁)という手がかりが、実にさりげなく示されているのが巧妙。そして、腕時計が事件以前に壊れていたことが明らかになり、腕時計による犯行時刻が無効になってしまうのが豪快です。その後の氷雨の推理では、写真に写った
“柏餅”
(59頁)という意外な出発点が面白いところで、そこから、ぬいぐるみ工房の特異性――被害者が壊れた腕時計をそのままつけ続け、壊れたことを隠すために手首の内側に向けていた(*3)――が浮かび上がり、殺害した被害者に腕時計をつける際に“文字盤は手首の内側”
(62頁)にした犯人が、ただ一人に絞り込まれるのがお見事です。*3: 工房以外では、
“右手で裏ピース”
(65頁)をしながら“文字盤がはっきり確認できる”
(66頁)状態で、裏ピースの習慣が手がかりを示すのに一役買っているのが見逃せません。……ところで、左利きの人物であれば左手で裏ピースをする状況があってもよさそうな気がするのですが、どうでしょうか(私自身は両利きに近いので、よくわかりません)。
- 「穿地警部補、事件です」
倒理と氷雨が
“「「八〇五号室の住人が犯人」」”
(92頁)と即答するのが鮮やかなのはもちろんですが、倒理が密室トリックから、一方の氷雨は目撃証言のおかしな点から同じ結論に至っているのが、“分業制”探偵ならではの面白さといえるでしょう。そして、真上の部屋からのみ可能な鍵の移動トリックが、老人の目撃した(七〇五号室ではなく)八〇五号室の“手すりから身を乗り出してる”
(89頁)人影と、きれいに符合するところがよくできています。しかしそこで、“犯人”の供述の矛盾やちぎれたアイビーのツルといった細かい手がかり(*4)によって、殺人から自殺へとひっくり返されるのがなかなか強烈。“身を乗り出した人影”が遺書の回収にもしっかり当てはまるのがうまいところですし、
“ブラジリアンワックス”
(97頁)が使われたのも面白いと思いますが、すんなりと“犯人”が自白したところからの逆転劇がやはり一番すごいところです。“犯人”がそこまでした心理もわからないではありません(*5)し、それゆえに一層深まった穿地の葛藤が印象に残ります。*4: 事件解決後に倒理が
“俺たちゃやっぱり、安楽椅子には向いてないみたいだな”
(113頁)と口にしていますが、穿地が事件の話をした時点でこれらの手がかりは得られていないので、致し方ないところでしょう。
*5: 穿地が推察しているように、“不起訴か執行猶予で済む可能性が高い”
(110頁)という計算もあったのでしょうが(しかし、このあたりはよく知らないのでアレですが、鍵の移動トリックで隠蔽工作をしたことになるわけですから、それで“不起訴”というのはどうでしょうか)。
- 「消える少女追う少女」
忘れ物の度が入ったゴーグルから出発して、““消失”の場面では潮路岬が裸眼だった”という結論に至る手順がなかなかよくできていて、スイミングクラブでの証言を
“鏡も見ずに出てった”
(132頁)と倒理に要約させているのがうまいところですし、寮に眼鏡を取りにきた時刻が“七時十分”
(143頁)というのも絶妙。そして、依頼人の嘘という真相が明らかになったところから解き明かされる、思春期らしいとも思える“失踪”の動機も印象的です。一方、トンネル内での“消失”については、防犯カメラの映像がトリックも何もないどころか、“犯人”自身も意図していなかった“結果オーライ”だった(*6)というのはさすがに拍子抜け――なのはまだいいとして、“あらため”があからさまに中途半端なのがいただけないところですし、
“一本道に入った人間が出口から出てこなかったなら、引き返して入口から出たに決まってる。”
(124頁)と言い切った倒理であれば、映像を見て“入口から出てこなかったなら、そのまま出口から出た”と考えるのが自然ではないでしょうか。私見では、真相に比して“トンネル内での消失”という見かけが強調されすぎているのが問題で、“分業制”探偵という設定がやや裏目に出てしまった感がなきにしもあらず。むしろ防犯カメラの映像なしの方がよかったのではないか、とも思えますし、どのみち倒理は
“宿題を手伝ってもらう”
(145頁)わけですから、不可能状況を依頼人の証言だけで成立させた方が、“不得意分野”ということでうまく収まったかもしれません。*6: 倒理と氷雨が確認した映像がたまたま入口側だったために、依頼人の証言と矛盾していませんが、出口側の映像があれば潮路岬が普通にトンネルから出てくるだけで、すぐに嘘が露見してしまうことになります。
- 「最も間抜けな溺死体」
まずはやはり、美影が考案した“チープ・トリック”のインパクトが強烈。実用的な意味としては、犯行時刻を実際より遅く見せかけるアリバイトリックで、長時間水に浸かっていたことで死体の移動も考えにくいところがよくできているのですが、水を満たしたアヒルのゴムボートの中に死体を隠すという手段は、何とも凄まじいものがあります。さらに、ゴムボートが浮かないことを隠すために、あらかじめプールの水を抜いておくという対策が非常に秀逸です。
トリック解明の手がかりとなる
“ボンベの腹に貼られたシール”
(201頁)については、読者への見せ方が難しい(*7)こともあってか、その存在が事件解決直前まで伏せられているものの、シールに気づいた二人の反応で“それが重要な手がかりである”ことは明らかなので、“埋め合わせ”は十分。そして、トリックを明かすことなく先に犯人だけを明らかにする解決の手順(*8)によって、“目玉”であるトリックの解明をぎりぎりまで引っ張ってあるのが心憎いところです。“とにかく間抜けな死に方をしてほしかった”
(210頁)という動機もすごいところですが、それを被害者の著書の目次だけで読者に納得させるのがしゃれています。そして、死体発見時に“酔って水のないプールに飛び込んで溺死した”という状況が演出されているだけでなく、犯行時の“アヒルのゴムボートの中で溺死した”という状況からして“間抜けな死に方”になるトリックという点で、美影がこれ以上ないほど完璧に注文に応えているのにうならされます。*7: 事件後にシールがない(
“銀色で統一されたそれ”
(188頁))だけでは不十分で、“事件直前にはまだシールが貼られていた”ことまで示す必要があるわけですが、最初に備品室の映像を見た際(173頁)にシールを描写すると、そこで氷雨がシールを意識したことになり、空気入れの実物を見て(188頁)すぐにシールが剥がれたと気づく――となると、いささかタイミングが早すぎるきらいがあります。
*8: 他の容疑者は零時より前からアリバイがあるので、トリックが解明されれば犯人も確定するのですが、あえてその手順は採用されなかった、と考えていいのではないでしょうか。
- 「ドアの鍵を開けるとき」
“卒業試験”では、犬小屋の奥の血痕と、腹の側面に刺さった矢の矛盾(*9)は比較的わかりやすく、“犬が吠えなかった人物”による偽装工作という推理は妥当。さらに、“なぜ犬が吠えなかったのか”という疑念を防ぐための事前準備、というところまではすんなりといきますし、レスポールが示されていることで犯人の狙いも予想できます。
続く倒理の密室殺人未遂については、密室を破った後にこっそり鍵を戻す初歩的な(?)トリックかと思わせて、地味にひねりを加えて“施錠の確認後、密室を破る前”というわずかな時間に鍵を戻す、一味違った早業トリックに仕立ててありますが、コーヒーの使い方がなかなか面白いところです。また、犯人の視点での描写では、
“美影が歩きだし、穿地がそれに続く。僕はコートのポケットに片手を突っ込む。”
(250頁)という文章で、“僕”も二人に続いたように見せつつポケットに手を入れたことをしっかり描いてあります(*10)し、部屋に入った後の“僕はふらふらと台所のほうへ向かった。”
(253頁)という一文は、265頁の図で台所の先に玄関があることを踏まえると絶妙です。密室トリックを解明せずとも、(氷雨の“失言”もさることながら)倒理が口をつぐんでいる時点で〈氷雨が犯人〉であることは予想がつきますが、
“倒理を犯罪者にしたくなかった”
(279頁)という動機からすると、(どこまで意図したのかはわかりませんが結果としては)明らかにやりすぎ(*11)で、釈然としないものが残ります(*12)。またダイイングメッセージめいた“ミカゲ”の血文字が、美影への依頼だったというのはなるほどと思わされますが、その結果が濁されているのもすっきりしないところです。最後に明かされる密室トリックの意図――容疑者を限定するための密室というのは、なかなか印象深いものがありますが……。*9: 犬小屋に入れないというあたりは、某国内長編でトリックのヒントとなっているエピソードを思い起こさせます(→(作家名)三津田信三(ここまで)の(作品名)『碆霊の如き祀るもの』(ここまで))。
*10: 続く“白い息が、ドアの前に尾を引いた。”
(250頁)という文章は、ドアの前から動き出したことを表現しているようにも受け取れますが、まだドアの前にいることを匂わせているともいえそうです。
*11: ナイフを手にしていきなり“腕を振った。”
(274頁)(しかも首に)というのは無茶ですし、“空振りしたかと思った。”
(275頁)というのはどちらかといえば“当てにいった”場合の思考なので、いかがなものかと。
*12: 加えて、四人の中で穿地だけが真相を知らなかったというところも。