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黒龍荘の惨劇/岡田秀文

2014年発表 (光文社)

 本書の真相は、端的にいえば〈顔のない死体〉トリックと〈全員が共犯〉トリックの組み合わせということになりますが、どちらも単独では(今となっては)陳腐なトリックですし、〈全員が共犯〉では犯人側が“万能”に近い状態になってしまうきらいがあり、面白味に欠けるのは否めません。本書でも、(畠山医師の存在もありますが)被害者の身元が実にたやすく完璧に偽られており、真相が明かされてみると微妙な印象が残ります。

 〈顔のない死体〉と〈全員が共犯〉を組み合わせて〈顔のない死体〉を複数積み重ねることで、事件の真相が見えにくくなっている……ようにも思われますが、単純に数を増やしたくらいでは、いわば自己主張の強い*1〈顔のない死体〉トリックの真相を隠しおおせるには至っていない感があります。特に本書の場合、最初の方の(わらべ唄に沿った)首なし死体はまだしも、轢死体となった“畠山”と“珠江”や焼死体となった“喜代”などは、典型的な〈顔のない死体〉といっても過言ではない*2ため、真相を見抜くのはさほど困難ではないような気がするのですが……。

 “第二の惨劇”では、“殺された”すみ子の顔が確認された後に首が切断されたような状況となっているのですが、隣室に関係者たちが集まっている状態で死体の首を切断する、もしくは中盤に月輪が推理している(141頁)ように死体を奥の部屋に移動させてまた元に戻すといった作業をする*3のは、あまりにもリスクが大きすぎるでしょうし、一旦立ち去った後に現場に戻ってきてそこまでの危険を冒すというのも、心理的に不自然といわざるを得ません。そのあたりを考えると、“あらかじめ首を切った死体とすり替えたのではないか”という疑念を捨て去るには、見せかけの状況の説得力が不足しているように思います。

 もちろん、被害者の中には“第三の惨劇”で“顔のある死体”となった“小夜子”もいるわけで、解決場面で月輪が指摘している(325頁~326頁)ようにそれがある程度のミスディレクションになっているところはあるかと思われますし、あらかじめ入れ替わらせておくというアイデアは面白いと思います*4。が、しかし……これほど相次いで〈顔のない死体〉が登場する状況では、一人や二人――前述の“すみ子”を含めても――の“例外”があったところで、ミスディレクションの効果はあまり大きなものにはなり得ません。

 そもそも、被害者と犯人が入れ替わるだけの〈顔のない死体〉トリックは、あくまでも“個別の事件に限定されたトリック”であって“連続する事件全体の構造に関するトリック”ではないので、オール・オア・ナッシング的な考え方はそぐわないと思います。つまり、“第三の惨劇”が〈顔のない死体〉トリックでないとしても――さらにいえば、殺された“小夜子”が本物であろうがなかろうが――他の事件についてまで〈顔のない死体〉トリックを否定できる理由はない、ということになるでしょう。

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 さて、本書にはもう一つのネタとして、漆原家と門井家の“一家丸ごと入れ替わり”という大胆な真相も用意されています。個人ではなく家族単位での大がかりな入れ替わりはインパクトがありますし、門井家の資産を乗っ取ると同時に周宏生の追及から逃れる、一石二鳥の計画がよくできているのは間違いありません。ただし、(〈顔のない死体〉トリックによらない)“一家丸ごと入れ替わり”だけなら前例もある*5のでさほど驚きはありませんし、〈顔のない死体〉トリックとの組み合わせには大いに難があると思います。

 というのも、〈顔のない死体〉トリックにはもともと“入れ替わり”という概念が内包されているわけで、組み合わせに支障や困難はまったくない反面、〈顔のない死体〉トリックが露見した途端に、“死体と入れ替わった犯人の所在”が注目されることになるのは避けられません。つまり、“一家丸ごと入れ替わり”というネタが、露見しやすい〈顔のない死体〉トリックと単純に組み合わされることで、そちらまで見えやすくなってしまっているように思われます。

 実際、早い段階から〈顔のない死体〉トリックは想定していたので、漆原らがどこから出てくるのかが興味の中心だったのですが、作中で月輪が真相に思い至る契機となった平蔵の情報(308頁~309頁)で、「ああ、そこなのか」と腑に落ちた次第です。

 ところでその平蔵の情報ですが、あくまでも“山城屋和助の娘・咲が門井幹子と名乗っている”、すなわち“咲=門井幹子”を示すにとどまるもので、咲が漆原家の“奈々枝”だったという月輪らの推測には何の裏付けもないのですから、“奈々枝=門井幹子”を示す手がかりにはなり得ないはずです。門井家に疑いを向けるきっかけにはなるかもしれませんが……。

 ついでに、“警察の方はどこから門井家に目星をつけたのか”が気になるところではあるのですが……まあ、これは気にしても仕方ないでしょうか。警察に先を越されてしまった探偵役・月輪の存在意義が、最後の真相の説明だけ――しかも犯人から譲られる形で――というのは、何だか居心地の悪いものがありますが……。

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 漆原が犯行に際して、門井家の人々を支配下に置いたとされていますが、その手口からみるとどうやら、「北九州監禁殺人事件 - Wikipedia」「尼崎事件 - Wikipedia」といった近年の現実に起きた事件を下敷きにしている節があります。仮に本書が二十年前に発表されていたとしたら、漆原の手口には「あり得ない」や「非現実的だ」のような批判が寄せられていたのではないかと思われるのですが、そのあたりを現実で補強するのは、個人的には少々安直に感じられてしまいます。

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*1: 死体の“顔がない(損傷または欠如)”という現象と、“身元の隠蔽”という目的とが緊密に結びついているために、どうしてもそれを疑わざるを得ない、といいましょうか。
*2: その操作による他の効果を想定しづらいために、単なる首の切断よりもさらに強く〈顔のない死体〉トリックを想起させるところがあります。
*3: ところで、死後二、三時間たっていた(86頁)としても、首を切断して一滴の血もこぼれないとは考えにくいので、少なくとも切断現場が奥の部屋かどうかは判明しそうに思われるのですが。
*4: “小夜子”こと村山しのを月輪らと対面させるのはもちろん危険が伴いますが、あえてそれを描くことで、真相が明かされた後にしのの深い絶望と漆原の強い支配を読者に印象づけることになるのもうまいところです。
*5: 少なくとも、2000年代に東京創元社で刊行された国内長編((作家名)佐々木俊介(ここまで)(作品名)『模像殺人事件』(ここまで))があります。

2014.10.10読了