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湖底のまつり/泡坂妻夫

1978年発表 創元推理文庫402-13(東京創元社)/(角川文庫 緑461-3(角川書店))

 まず「一章」で、地の文にはっきり晃二と記されていることに、釈然としないものを覚える向きもあるかもしれません。「一章」は香島紀子の主観的な視点で記述されているとはいえますが、あくまでも一人称ではありませんし、特に“晃二”と結ばれる場面の古風な表現などをみれば作者の“フィルター”を通した記述であることは明らかですから、“地の文にが書かれている”という批判はあり得るかと思います。

 しかしながら、「一章」の終盤で埴田晃二がすでに死んでいる――紀子が出会った“晃二”は別人である――ことが明かされるところをみても、「一章」に仕掛けられたトリックの主体が“人物誤認”ではないことは明らかなので、地の文に“晃二”と嘘が書かれていても本書がアンフェアだとはいえないでしょう。

 「一章」に仕掛けられたトリックの主体はもちろん、紀子が出会った“晃二”が男性だと誤認させる“性別誤認”です。そしてその観点でいえば、紀子と“晃二”が結ばれる場面において、“肝心な部分”への直接的な言及が注意深く避けられているのが見逃せないところですし、比喩を駆使した文学的な(?)表現によってそれが目立たなくなっているのが秀逸です。

 続く「二章」で、埴田晃二と藤舎緋紗江によって同じ場面が繰り返されているのも絶妙で、“紀子が出会った“晃二”は誰なのか”という謎以上に“なぜ同じことが繰り返されているのか”という謎がクローズアップされて読者が眩惑されるとともに、男性である晃二の視点の描写が“上書き”されることで“晃二”が女性だとは考えにくくなっているように思います*1

 荻粧子による毒殺事件が新たな謎として物語を引っ張りつつも、その捜査を通じて“晃二”=緋紗江という真相につながる手がかりが浮かび上がってくるのがまた面白いところ。“稽古も身が入らない。(中略)あの人をPにするんだ。そうすれば、いつだって傍にいられる。”(206頁)という記述をみれば、“P”が役名であることが示唆されているといえますし、粧子が〈ヴェニスの商人〉に出演した時の写真を気に入っていたこと(197頁)を考えれば、(晃二のあだ名が“パンサー”だというミスディレクションもあるとはいえ)“P”が〈ヴェニスの商人〉に登場する“ポーシャ”*2だということまで推測することも不可能ではないでしょう。そして一方、緋紗江が〈ヴェニスの商人〉の台詞を口にしている(122頁)ことが、緋紗江が粧子にとっての“ポーシャ”であり、女性を愛することができることを示唆する伏線になっています。

*1: もっとも、この場面のやり取りを知っている――同じやり取りを繰り返すことができる――のが緋紗江だけだということを考えれば、真相につながる有力な手がかりであるともいえるでしょう。
*2: 作中には、“〈ヴェニスの商人〉よ。翼鐘子のポーシャが素敵なの”、さらに女が男の役をして、何が面白いのだろう。”(いずれも147頁)という親切なヒントも用意されています。

2000.06.24再読了
2009.02.13再読了 (2009.03.14改稿)

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