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神のロジック 人間のマジック/西澤保彦

2003年発表 本格ミステリ・マスターズ(文藝春秋)

 以下の感想では、本書とメインのネタの一部が共通する国内の某作品(作品名は挙げません)との比較を行っている箇所があります。そちらを未読の方にはわかりにくい文章になってしまうかもしれませんが、ご了承下さい。

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 本書のメインのネタはもちろん、登場人物たちの年齢を誤認させるトリックです。が、某作品ではそれが読者だけを欺く叙述トリックであるのに対して、本書で使われているのは叙述トリックではありません。本書では読者だけでなく生徒たち自身も“欺かれて”おり、語り手である“ぼく”はあくまでもその誤った認識に基づいて語り続けているにすぎないのであって、“ぼく”の一人称による叙述そのものには何らトリックが仕掛けられていないのです。

 例えば、本書の序盤には“生まれてから十一年間、ずっと慣れ親しんできた顔”(11頁)という記述がありますが、これも“ぼく”が認識していることがそのまま書かれているというだけで、トリックが仕掛けられているわけではありません。そもそも、叙述トリックではここまでストレートな記述は(明らかな虚偽になってしまうので)あり得ないといっていいでしょう。

 本書で使われているトリックは、某作家の有名なデビュー長編*と同じく人間の認識能力の曖昧さを利用したものですが、本書ではそれが複数の人物による共同幻想(共同錯誤)にまで押し上げられているところが目を引きます。もちろん、常識的に考えればかなり無理があるのですが、舞台となる〈学校{ファシリティ}〉がもともとそのような共同錯誤を生じる実験のための施設{ファシリティ}であり、そのために特殊な“生徒”たちが集められていたという事実が、大いに説得力を高めている感があります。

 とりわけ、“生徒”たちが少年少女時代以降の記憶を失っているために、客観的な現実に対して強烈な違和感を抱いていたことは想像に難くなく、与えられる共同幻想を受け入れやすい状況にあったことは間違いないでしょう。そして一度それを受け入れてしまえば、共に暮らす仲間たちの存在自体が一種の圧力となり、共同幻想が維持され続けることになるのも理解できますし、逆に新入生の登場が最大の危機となるのも当然といえるでしょう。このあたりの設定は、実によく考えられた絶妙なものだと思います。

 また、一見すると何気なく挿入されている母親との会話の回想(68頁〜74頁あたり)が、“ぼく”及び読者にとって非常に強力な伏線となっているところも見逃せません。郵便ポストの色に関するたとえ話で共同錯誤が説明されているというだけでなく、宗教戦争に関する意見の中で“自分のファンタジーに付き合ってくれないというただそれだけの理由で相手を否定し、抹殺しようとする。”(73頁)と、〈学校〉で起きた事件の動機がさらりと説明されているところに脱帽です。

 クローズドサークルもののミステリでは主に、容疑者が限定されること自体に着目したフーダニットと、“容疑者が限定される状況下でなぜ犯行に及んだのか?”を重視したホワイダニットという二つの方向性が考えられます。そして後者の中には、クローズドサークル内でのみ通用する“ローカル・ルール”に絡んだ動機もしばしば見受けられます。しかし本書では、いわば“ローカル・ルール”それ自体(=共同幻想)を維持することが犯行の動機となっており、その意味で非常にユニークだといえるのではないでしょうか。

 本書では叙述トリックが使われていないために、真相が明かされた後の印象も前述の某作品とは大きく異なっています。叙述トリックが使われた某作品では、登場人物が“真相”(=実年齢)を自覚していながら読者にはそれを感じさせなかったことで、どこか賛嘆に近い驚きを覚えました。が、本書では生徒たち自身が真相を自覚していないがゆえに、その衝撃は深く重いものになっています。真相の暴露=共同幻想の崩壊は、“ぼく”に、ステラに、施設{ファシリティ}に、そしてトリックを仕掛けていた側のデボラにまで、不可逆的なダメージを与えてすべてを破壊し尽くしているのです。

 最後の最後に、“ぼく”にとっては60年以上も前の思い出である母親の姿が浮かんでくるという結末も、実に見事としかいいようがありません。

*: ××を目にしながら認識できなかった、というアレです。

2007.11.04読了

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