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悪意の夜/H.マクロイ

The Long Body/H.McCloy

1955年発表 駒月雅子訳 創元推理文庫168-13(東京創元社)

 「第二部」では、アリスが考えた殺人計画がひとりでに実現していくスリリングな展開が非常に秀逸。アリス自身が夢中歩行の最中に自覚なしに実行したとしても、あるいは別の人物が実行したにしても、(ネタバレなしの感想にも書いたように)アリスにとってはいわば“直近の未来”が現れているわけで、「仮定法未来」という題名にふさわしい内容といえます。

 帰りの最終バスを逃したアリスを救った“謎の人物”が、探偵役のウィリング博士だった*1という趣向も(かなり見え見えですが)面白いと思いますし、おそらくはその時出会ったアリスの様子が、ウィリングがアリスの無実を信じる一因になっているのではないかと思われる*2ので、物語としても重要でしょう。

 盗まれた“ミス・ラッシュ関連文書”の隠し場所は、“解き明かすべき謎”として明確に示されているわけではありませんが、スティーヴンズ巡査部長が徹底的に捜索して何も見つからなかった(217頁~218頁)ことが明言された後で、ラッシュ老人自身――そのクッションの下という“盲点”が明らかになるのが実に鮮やか。また、“クリスティーナはなぜ父親を専門の施設に入れなかったんだ?”(219頁)というウィリングの疑問も、(直前ではあるものの)真相を暗示する伏線となっています。

*

 わたしはクリスティーナの母親がメキシコ人だと聞いた瞬間、あなたとハザードが陸軍兵士として一九一八年にメキシコ国境にいたことを思い起こしました。そして、一連の事件を解く鍵はあなたの過去にあるのではないかと考えたのです。(後略)

  (270頁)

 かくして「第三部」では、“ミス・ラッシュ関連文書”の中心となるジョンの手記を通じて真相が明らかになりますが、上に引用したウィリングの台詞にも表れているように、事前に見当をつける――“推理”とまではいえないでしょう――ことができるのは、“一九一八年にメキシコ国境で起きた出来事”が根源だというところまでで、具体的に“何が起きたのか”までは推理で到達できない状況です*3

 そのため、“何が起きたのか”の詳細は手記の形式で示さざるを得ない*4わけで、本書がこのような見せ方になったのも理解できるところではあります。ウィリングの推測はキーティング“軍曹”との会話(特に213頁)で匂わされていますし、“例の大騒動(215頁)という“軍曹”の言葉はある種の裏付けといえるので、読者も犯人の見当をつけることは可能でしょうが、過去の出来事を明かすだけでなく現在の出来事――ジョンの死の真相を示唆する必要も踏まえると、ジョンの手記という形式はベストだったのではないでしょうか。

 犯人が明らかになったところでウィリングが指摘するその動機――自らの保身ではなくアリスを守るための犯行だったという真相が印象的。特に、クリスティーナの攻撃から守るというだけでなく、アリスが口走った殺人計画を夢中歩行の最中に実行してしまうのを防ぐため、その前に先手を打ったという構図がユニークです(タイミングが重なったために、アリスが窮地に陥ったのは皮肉ですが……)。アリスを悩ませた豚革のハンドバッグの出没が、結果として動機の一端の表れとなっているのも効果的です。

*

 さて本書では、物語のヒロインかと思われたアリスが、「第三部」ではまったく登場しないまま終わってしまったことに驚かされました……が、「第一部」で強烈な存在感を放っていたクリスティーナが「第二部」には実質的に登場していない*5ことを考えれば、予想できてもおかしくはなかったかもしれません。いずれにしても、主要登場人物の早すぎる“退場”が、意図的なものであることは間違いないでしょう。

 本書でのマクロイの狙いが、解説で佳多山大地氏がいうように““長い身体{ロング・ボディ}”を小説の形で示す”(278頁)――すなわち、「第一部」の“現在”、「第二部」の“未来”、そして「第三部」の“過去”によって物語の“長い身体{ロング・ボディ}を形作ることにあるのは、各部の題名からも明らかですが、主要登場人物の早すぎる“退場”もまたそれに一役買っている、と考えてもいいのではないかと思われます。

 つまり、「第一部」ではクリスティーナの“現在”、「第二部」ではアリスの“未来”、そして「第三部」ではジョンの“過去”にそれぞれ焦点を当てて、潔く(?)次々と主役を“使い捨て”にしていくことで、(作中でのウィリングの説明(197頁~199頁)でもお分かりのように)連続的な概念である“長い身体{ロング・ボディ}”に対して、あえて“人”の連続性を分断する――それによって“人”ではなく*6“物語”の“長い身体{ロング・ボディ}”を強調する狙いがあったのではないか、と考えられるのですが……。

 そのようなマクロイの趣向は、意図したほどの効果を上げているとはいい難い部分もありますが、思い切った“主役”の退場と交代は、前述のように過去を手記の形で示さざるを得ない内容に合致しているといえるので、その点はよく考えられているといっていいのではないでしょうか。

*1: マクロイのファンであれば、某作品を思い起こした方もいらっしゃるのではないでしょうか。
*2: ウィリングが“車に乗せた女性とミセス・ハザードを結びつけなかった”(192頁)のはもちろんですが、そもそも“車に乗せた女性”を容疑者と考えなかった節があります(疑わしい人物としてウィリングが報告していれば、スティーヴンズ巡査部長の様子(特にクリスティーナのコテージでウィリングと会った場面(216頁~218頁))も違っていたはず)。
*3: 本書の場合、手がかりに基づいて推理可能ということであれば、直ちにバード(とジョン)の“罪”が露見し得ることを意味するので、そうするわけにいかないのは明らかでしょう。
*4: 過去を直接描写するという形にしてしまうと、読者にしか伝わらない(作中で解決されない)のが問題です。
*5: 殺された後の死体として登場する(148頁~149頁)のみです。
*6: 作中の登場人物であるウィリングが想定しているのは、もちろん犯人=バードの“長い身体{ロング・ボディ}”ですが、そのバードは「第一部」から「第三部」まで登場している唯一の人物ではあるものの、「第三部」以外では存在感がさほどでもなく、バードの“長い身体{ロング・ボディ}”を描き出すことが主題であったとは考えにくいものがあります。

2019.05.17読了