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魔偶の如き齎すもの/三津田信三

2019年発表 (講談社)
「妖服の如き切るもの」
 刀城言耶による“一人多重解決”の大きな部分を占めているのが、上砂村と下砂村の間に張られた電話線を使ったトリックで、小間井刑事が持ち出した〈上から下へ滑らせる〉トリックを叩き台にして、〈滑車〉・〈打ち上げ花火〉・〈強風〉といった具合に、下から上へ剃刀を運ぶ“動力”のアイデアが次々と飛び出してくるのが言耶らしいところです。そして、これだけの仮説を並べておいてから、郵便配達夫を装う〈見えない人〉トリックなど“手渡し”の検討に転じることで、“剃刀移送トリック”が検討し尽くされたような印象を与える効果が生じているようにも思われます。

 もっとも、物語の中で露骨に下から上へ移動しているもの――回覧板がトリックに使われたことは、かなり見え見えではないでしょうか。下砂村での犯行時刻を遅らせるトリックを組み合わせてあるのが周到ですが、こちらはシンプルなだけに脆弱で、さほどの障害とはなり得ないでしょう。それでも、回覧板が“俳句新聞”でやたらに分厚くなって“重要なのは表の二枚だけ”(17頁)という扱い*1や、“何か臭くない?”(19頁)という言葉がまさかの伏線として使われるあたりは、よく考えられていると思います。

「巫死の如き甦るもの」
 人間消失とはいえ、森へ脱出できるのはもちろんのこと、殺して森の中に埋めることもできるので、決して不可能状況とはいえないのですが、〈姿を見せない人〉を除く五人の女たちが〈巫死〉を信じている様子*2をみるとどちらも考えにくく、実に不可解な謎となっています。また、作中で言耶が検討している(96頁)ように、消失が“観客”の目を意識したものではないこと――消失の発覚は偶発的な“結果”*3であって“目的”ではないことも明らか。ということで、(言耶はまず〈布袋の人〉や〈姿を見せない人〉が不二生である可能性を検討していますが)先に〈巫死〉の真相を見抜かなければ消失の真相に到達できない構造になっているところがよくできています。

 “食べられて消失”という現象だけを取り出してみると既視感もあります*4が、生殖と一体になった“復活”の手段とされることで、“食べられる側”と“食べる側”の双方に積極的な動機があるのがユニークです。そして、言耶が“頭蓋骨部分を触”(103頁)った後に“手の汚れを拭”(104頁)いたという手がかりもうまいところ。しかし、そこまでして実現しようとした〈巫死〉が、恐るべき結末を迎えることになっているのが何ともいえません。

「獣家の如き吸うもの」
 “同じ家のはずなのに”という某海外古典の名作*5に対して、この作品では平屋と二階建てという形で家の構造の違いがはっきり示されているために、“違う家のはずなのに”という“裏返し”の謎になっているのが非常に面白いところです。さらに新聞記者・枇々木が仕入れてきた話に登場する、“倍神の奇跡”と称して平屋が二階建てになる現象が――とりわけ、坂堂が語るように“平屋の屋根が、ぐぐぐぅーんと伸び上が”(176頁)る光景を想像すると*6――何とも愉快です。

 構造からして明らかに“違う家”であるにもかかわらず、そこに至るまでの経路があまりにも特徴的で、同じ場所としか思えない*7のが強力な謎となっているわけですが、同時にそれが秀逸な〈坂道の叙述トリック〉の原動力となって、〈同じ場所〉で〈違う家〉(のように見える)〈獣家〉の構造*8を強固に隠蔽しているのが注目すべきところでしょう。

「魔偶の如き齎すもの」
 容疑者が四人と少ない中での“一人多重解決”は、[1]各人の行動について一周(ただしこれは、不自然な点がないことを確認するにとどまる)、[2]動機について二周目*9、[3]容疑者の“枠外”に対象を広げる、といった具合に工夫が凝らされて、容疑者の人数の割に充実した手順となっています。

 [2]については、〈寅勇犯人説〉で盗難未遂ではなく殺害未遂という構図が、また〈骨子堂犯人説〉では“色物団”のボスというまさかの仮説が示されるのが面白いところです。そして、ここで浮上する“犯人が〈魔偶〉の所在を知っていた”という着眼点をもとに、新たな〈小間井刑事犯人説〉*10――「妖服の如き切るもの」で言及された未解決の強盗殺人の犯人というとんでもない仮説が示されますが、「巫死の如き甦るもの」での“折紙男”逮捕劇の不自然さも指摘されるなど、連作らしい趣向かと思わされてしまうのが巧妙です。

 続いて[3]で“枠外”の〈お里犯人説〉が、龍の拵え物の中に隠れるという無茶なトリックとともに提示されますが、そこから他の使用人たちにまで容疑が向けられたことをきっかけとして、“祖父江偲”が偽者という飛び道具的な真相が明かされるのがお見事。最後に言耶が指摘する“伏線”――“偲”の口調や言耶の呼び方――はあくまでもおまけのようなもの*11で、(探偵小説の知識などはさておき)雑誌と名刺の手がかりがよくできていますし、骨子堂に関する“経理部の原口”の話の意味合いが逆転するのも鮮やかです。

 最後には、この卍堂での事件を言耶に発表させるために、偲が言耶とともに事件に関わることを決意する――偲自身が指摘しているように、“伏線”が伏線として機能するためには、偲が他の作品に登場しておく必要がある――という、シリーズに大きな影響を与える一幕まで用意されているところにニヤリとさせられます。

*1: “俳句新聞”に律儀に目を通す唯一の人物が住んでいるのが、“上砂村家の坂上の隣”(17頁)――上砂村家のに回覧板が回ってくる、というところも抜け目がありません。
*2: しかしその中で、女たちの不二生についての表現が現在形と過去形に分かれている(106頁~107頁)ことで、女たちにとって、不二生が“生きている”とも“死んでいる”ともいえる状態であり、なおかつそれがどちらであっても〈巫死〉と矛盾しないことが示唆されているのが絶妙です。
*3: “折紙男”の逮捕劇が遠因である上に、直接のきっかけは“青年団の一人が『そう言えば不二生さんの姿が見えないな』と言い出したこと”(93頁)で、“富士見村”の住人がアピールしたわけではありません。
*4: わかる人には当然わかると思いますが……。
*5: 二つの記録を読んだ時点での言耶の推理(171頁)も含めて、オマージュであることは間違いないでしょう(かなりのネタバレになるので、作品名は完全に伏せておきます)。
*6: これに関しては、体が二つに分かれようとしている石像の影響も見逃せないところです。
*7: “裏返し”の謎に対応して、(一応伏せ字)真相も“裏返し”になっている(ここまで)と予想できる、ということもあるかと思います。
*8: “二階へ上がるための階段が、何処にもない”(165頁)ということは、当然ながら“二階にも一階へ降りるための階段がない”ことになるわけで、これは真相を暗示する伏線といってもいいのではないでしょうか。
*9: 一周目とは順序を逆にして、“祖父江偲”→小間井刑事→寅勇→骨子堂の順で検討していくことで、演出効果を高めてあるのが周到です。
*10: 実をいえば、言耶が“犯人”を指摘するあなたです”(279頁)という一言で、一瞬“例のトリック”かと誤解してしまったのですが……(苦笑)。
*11: 本物の祖父江偲を知っている読者にとっては手がかりとなり得ますが、当然ながら作中の言耶はこれらを手がかりとして使うことができません。
 ちなみに私自身は、初対面のせいで互いにおとなしめなのかと思ってしまいました。

2019.09.02読了