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名探偵に薔薇を/城平 京

1998年発表 創元推理文庫423-01(東京創元社)

 第一部については、犯行計画の乗っ取りという構図、見立てを利用したアリバイ工作(結果的には不発でしたが)、そして小人の名前に込められた意味などはなかなか面白いと思いますし、物語の中での“小人地獄”の使い方もユニークです。ただし、鶴田が犯人(の一人)だということが明らかなこともあって、総体的にみてややインパクトに欠けるのは否めません(もちろん、ネタバレなしの感想に書いたように、第二部との組み合わせで大きな効果を生じているのですが)。

 それに比べて、第二部の方は出色の出来といえるでしょう。
 “誰が、何のために、ポットに毒を入れたか”(175頁)というシンプルな謎が前面に押し出されていますが、その陰に隠れた理想的な毒薬の最も下手な使い方という逆説が何とも秀逸です。
 そして、大量の毒薬を使って殺人を防ぐというこれまた逆説的な第一の解決も、さらに“操り”という構図でそれをひっくり返した第二の解決も、どちらもよくできています。
 ポットに毒を入れた人物、いわば実行犯が鈴花だということを早い段階で明らかにしておいて、それが誰の意志によるものかを解き明かす、変則的なフーダニットという構図も面白いと思います。
 そして、結末はやはり衝撃的。二度にわたる偽の解決によって真相が見えにくくなっているのはもちろんのこと、瀬川みゆきが鈴花を妹の夕奈と重ね合わせて複雑な思いを抱いていることで、逆に鈴花の思いが目立たなくなっているようにも思います。そして、“あたしわるくない”といいながら死んでいった夕奈と、“ごめんなさい”という言葉を残して息を引き取った鈴花とが、鮮やかなコントラストをなしています。

 「毒杯パズル」で使われたアイデアの前例として、第8回鮎川哲也賞の選評及び津田裕城氏の解説で挙げられたのは計4作。ネタバレも覚悟の上で情報収集し、また実際に作品にあたってみた結果、以下の作品だと思われます(発表順)。

  1. 戦前の探偵小説作家による「作品A」 → 作者名を表示 (JavaScriptを使用)
  2. 「幻影城」出身の作家による「作品B」 → 作者名を表示
  3. 戦後すぐにデビューの大家による『作品C』 → 作者名を表示
  4. 京大出身の新本格作家による「作品D」 → 作者名を表示

 これらの作品が、犯人の動機、すなわち“犯人が愛する者と再会するために事件を起こす”という点で「毒杯パズル」と共通しているのは確かです。

 しかしながら、この動機は「作品B」及び『作品C』でも言及されているように、ミステリでないとはいえ「八百屋お七」にまで遡ることができるものですし、またこのように前例が複数存在するということ自体、それが直ちに瑕疵になるとはいえないでしょう。例えばA.クリスティ『アクロイド殺し』のメイントリック(ちなみに、このネタ自体、『アクロイド殺し』が元祖ではないようです)などと同じように、今となってはすでにその使い方を評価の対象とする類のネタと考えるべきではないかと思います。

 そこで、もう少し具体的に比べてみると、上記の4作品がいずれも(どちらかといえば)“犯人の悲劇”であるのに対して、本書が(“犯人の悲劇”でもあるものの)“名探偵の悲劇”に重点を置いているところが大きく相違しています。そもそも、「作品A」から「作品D」のうち、犯人が名探偵に思いを寄せている作品はただ一つだけ(どの作品かは伏せておきます)ですし、その作品では真相に向き合う名探偵の姿勢が本書と決定的に異なっています(ラストの名探偵による(以下伏せ字)責任逃れの言い訳(ここまで)は、本書と対照的です)。

 信頼する三橋荘一郎が黒幕だったという第二の解決だけでも、瀬川みゆきにとっては十分に悲劇です。しかし、「メルヘン小人地獄」事件で名探偵として鈴花を救ったことが「毒杯パズル」事件を招いてしまったという真相によって、“瀬川みゆきの悲劇”から“名探偵の悲劇”へ姿を変えているといえるでしょう。つまり本書は、“名探偵の悲劇”を効果的に描き出すためにこの動機が使われているのであり、その使い方こそが本書の新しいアイデアなのです。

2005.07.11再読了

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