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記念樹/依井貴裕

1990年発表 (東京創元社)

 まず合宿のビデオ事件については、多根井の推理は鮮やかな印象を与えてはいるものの、残念ながらがあるように思われます。
 まず、犯人が最初の時点で麦茶をヘネシーと思い込んでいたのは間違いないとしても、現場の状況だけでは、飲んだ後で勘違いに気づいたか否かは特定できないのではないでしょうか。勘違いに気づいても(仕方ないので)そのまま飲み続けていたという可能性も十分に考えられるので、犯人が一時的に味覚を失っていたという結論は、少々強引に感じられます。
 そしてもう一つ、麻酔で味覚が麻痺していても嗅覚への影響は小さいはずなので、たとえ味がわからなかったとしても麦茶と酒の臭いの違いには気づくのではないでしょうか。そう考えると、犯人の設定そのものに問題があるようにも思われます。むしろ、嗅覚に問題がある人物こそが犯人であるべきなのかもしれません。

 第一の殺人では、犯人と被害者双方の人違いという状況と、被害者が犯人のために行ったアリバイ工作という逆説的なトリックが目を引きます。被害者のアリバイ工作はややわかりやすくなっている部分もありますが、人違いのせいでダミーの犯人(森川佳代子)につながってしまうのもうまいところです。もちろん、硬貨に残った指紋から、芦田が30分以上電話を続けるつもりだったことを証明するロジックも秀逸です。

 第二の殺人は、様々な要素が絡んだ複雑なものとなっていますが、おおむねよくできていると思います。特に、目覚まし時計が鳴っていたことを手がかりに、犯行現場が来海の部屋ではなく、いわゆる内出血密室であるという真相を導き出すロジックは、実に見事です。
 ただ、犯人が来海の部屋に投げ込んだナイフについては大きな問題があります。付着した血液を洗い流した程度ではルミノール反応によってその痕跡が検出できるので、未使用のナイフとははっきり区別できるはずです。したがって、警察が来海の部屋に落ちていたナイフを凶器と認定するとは考えにくいのですが……。

 犯人を特定するロジックについては、“合宿のビデオを持っている人物”という条件はもちろん“円を閉じる作業”のために不可欠ですが、実際には最後の条件だけで一人に絞り込まれてしまうために、第一から第四の条件(“足のサイズ”・“右利き”・“早く走れる”・“オートバイに乗れる”)までは必ずしも必要ではないように感じられるのがもったいない(あるいは“美しくない”というべきか)ところです。しかしその最後の条件、すなわち“高屋の演じる「ル・ポールのサイフ」を見たことがない人物”という条件は、その(手がかりとしての)意外性といい説得力といい、非常によくできていると思います。

 結局のところ、芦田は人違い、来海は高屋に殺され(便乗)、富岡は偽装ということで、犯人が本当に殺したかったのは高屋だけだったわけですが、その動機にはやや釈然としないところがあります。もっとも、最初に人違いで芦田を殺してしまったために、それ以降はやめるにやめられなくなったところもあるのでしょうが。

 なお、作中で重要な要素となっているマジック「ル・ポールのサイフ」は、おそらく「綾辻行人・有栖川有栖からの挑戦状(2) 安楽椅子探偵、再び」で演じられているものだと思われます。少なくとも現象は同じなので、興味のある方は一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

2006.07.15再読了

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