ミステリ&SF感想vol.129

2006.08.07
『判事とペテン師』 『記念樹』 『タイム・パトロール/時間線の迷路』 『プラットホームに吠える』 『毒を食らわば』



判事とペテン師 The Painswick Line  ヘンリー・セシル
 1951年発表 (中村美穂訳 論創海外ミステリ36)

[紹介]
 イギリス高等法院のチャールズ・ペインズウィック判事は、競馬で勝ち馬を当て続けてささやかな金を稼ぎ、詐欺罪で告訴された娘ルーシーを裁くことになった。その裁判では、ルーシーの父であるメッソン=スミス牧師の特異な才能が明らかになる。牧師は自分では賭けることなく、ただ趣味で研究を重ねて次々と勝ち馬を的中させていたのだ。一方、判事の息子マーティンは詐欺行為を繰り返した挙げ句に3万ポンドの借金を背負ってしまい、何とかそれを工面しようとした判事は、牧師を訪ねて勝ち馬を聞き出そうとするのだが……。

[感想]

 判事である父親とペテン師である息子を主役とした、親子二代にわたる“ペインズウィック家年代記”。裁判絡みの物語ではあるものの謎解きの要素は皆無で、法廷を主な舞台としたユーモア小説ととらえるべきでしょう。

 形としては長編になっていますが、はっきりした一つの“筋”があるわけではありません。内容としてはあくまでも“ペインズウィック家年代記”であり、さらにいえばペインズウィック親子を中心とした群像劇の性格が強くなっているため、父親の判事が前半だけで物語から退場してしまったり、あるいは視点が様々な人物に移っていったりと、物語の焦点が今ひとつ定まらない印象があります。そのせいもあって、少々読みづらく感じられてしまうのは否めないところです。

 しかし、次から次へと描かれるユーモラスな場面は十分に楽しめます。目を引くのは、法廷での証人尋問の中で行われる競馬の予想や、謹厳実直な判事や牧師と競馬の組み合わせなど、真面目さと不真面目さが同居したミスマッチ感覚とでもいうべきものでしょうか。特に、密かに賭けに手を出した判事が競馬場で、周囲に気取られないように必死で興奮を押し隠そうとする場面などはニヤリとさせられます。そもそも、『判事とペテン師』という邦題にも表れているように、ペインズウィック親子の関係からしてミスマッチといえますし、作者の意図もそのあたりにあるのかもしれません。

 短い割には読み進めるのに手間取るところもありますが、最後のちょっとしたオチも鮮やかに決まって読後感もよく、まずまず楽しめる作品といっていいでしょう。

2006.07.12読了  [ヘンリイ・セシル]



記念樹{メモリアル・トゥリー}  依井貴裕
 1990年発表 (東京創元社・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 大学に入学した富岡秀之は、とあるゼミに所属する。他のメンバーは、ミステリマニアの多根井理、奇術が得意な高屋和彦など、総勢14名。彼らは交流を深めるために合宿を行うなど、日々の大学生活の中を楽しんでいた。だが、合宿から戻ってしばらくたった頃、ゼミのメンバーの一人が電話ボックスから電話をかけている最中に何者かに刺殺されるという事件が起きる。続いて二人目が密室状態の自室の中で。さらに事件は続き、彼らは疑心暗鬼にとらわれる。相次ぐ事件の犯人は、ゼミのメンバーの中にいるのか……?

[感想]

 マニアックな作風で知られる依井貴裕のデビュー作。大学を舞台とした連続殺人が扱われていますが、古式ゆかしい「読者への挑戦」もあり、さらにユニークな密室講義までも含まれた意欲的な作品となっています。

 カバー裏に記された作者の言葉からは論理性と意外性を重視する姿勢がうかがえますが、本書では真相の意外性よりも手がかりや伏線の意外性が追求されている感があり、真犯人を見抜くことはそれほど難しくはないかもしれません。しかし、論理性の方はまさに全編を支配しているといっても過言ではなく、若干の穴もあるにせよ、質量ともに圧倒的です。

 とりわけ、密室トリックの解明は秀逸です。密室トリックなどのハウダニットはいわゆる“論理的な解明”とは相性が悪く、他の解き方(現象を可能にするメカニズムの“創作”)がなされる場合がほとんどである中、それを論理的に解き明かしてしまうという本書の力技にはうならされます。また他にも、最後の決め手となる手がかりの意外性と、そこから導き出される結論などは圧巻です。

 惜しむらくは、“描写”というよりも“説明”の域を出ない無味乾燥な文章や、仲間たちが殺されてもみんな妙に淡々としているように感じられるところなど、小説としての出来にかなり難があるといわざるを得ません。また、登場人物が無闇に多すぎるのも問題で、それぞれの描写がうまくできていないこともあって、一部の登場人物は単なる人数合わせにしかすぎないのではないかとさえ思えてしまいます。

 色々と難点があることもあって無条件におすすめはできませんが、特にロジカルな作品がお好きな方には一読の価値があると思います。

2006.07.15再読了  [依井貴裕]



タイム・パトロール/時間線の迷路(上下) The Shield of Time  ポール・アンダースン
 1990年発表 (大西 憲訳 ハヤカワ文庫SF1093/1094・入手困難

[紹介と感想]
 歴史の改変を防ぐための機構〈タイム・パトロール〉の活躍を描いた『タイム・パトロール』の続編で、「女と馬と権力と戦い」「ベーリンジア」「世界のおどろき」という中編3作に、それぞれ「汝の内なる異邦人」「神々を作った神々以前」「この謎を解いてみよ」というイントロを加えて一冊にまとめたオムニバス形式の作品です。
 本書では、シリーズ全体の主人公であるタイム・パトロールの無任所職員マンス・エヴァラードに加えて、かつて事件に巻き込まれたところをエヴァラードに救われ、それがきっかけでタイム・パトロールにスカウトされた娘ワンダ・タンバーリィが主役となっています。

「女と馬と権力と戦い」 Women and Horses and Power and War
 歴史改変を企む〈称揚主義者〉の残党が、紀元前3世紀のパルティア王国に潜んでいるという情報を入手したエヴァラードは、直ちにその時代へと向かう。敵はどうやら、パルティア王と東進してきたシリアの王との戦いに干渉しようとしているらしいのだ。その時代の人間になりすまし、様子を探るエヴァラードだったが……。
 歴史を改変しようとする〈称揚主義者〉との対決を描いた、〈タイム・パトロール〉としてはオーソドックスな作品。歴史小説及び冒険小説的な側面に重点が置かれていますが、組織の底知れなさを感じさせるラストが秀逸です。

「ベーリンジア」 Beringia
 晴れてパトロール隊員となり、紀元前14世紀のベーリンジアに赴任したワンダは、現地の住民“トゥーラット”と交流しながら博物学の調査にいそしんでいた。だが、やがてシベリアから旅してきた古代アメリカインディアンの一族が現れ、トゥーラットを迫害し始める。それに干渉すべきか否か、苦悩を極めるワンダは……。
 迫害される人々の悲哀と、迫害を止める“力”を持ちながら手をこまねいて眺めるしかないワンダの葛藤を描いた作品です。歴史の改変を避けるために無用な干渉をしてはならないのがパトロール隊員の鉄則ですが、そのためには感情移入を抑えて非情に徹する必要があるのが辛いところ。理性と感情の板挟みになったワンダの行動が印象的です。

「世界のおどろき」 Amazement of the World
 12世紀のイタリア。この時点では亡くなるはずのなかったルッジェーロ王が戦死したことをきっかけに、それ以降の世界が大きく変貌してしまう。紀元前19世紀で休暇を過ごしていたエヴァラードは、先に20世紀へ戻って異変に巻き込まれたワンダを案じつつも、12世紀イタリアへ飛んで歴史を元に戻そうと奮闘する。そして……。
 「滅ぼさるべきもの」『タイム・パトロール』収録)と同様、改変されてしまった歴史を元に戻そうとするエヴァラードらの活躍を描いたエピソードですが、さらにひねりが加えられて面白い作品に仕上がっています。ラストのエヴァラードの“コスプレ”(?)には苦笑。

[未訳作品]

 「Chronological List」「L'Angolo di Dario」(←イタリア語なのでさっぱりわかりません)より)によれば、([Guardiani del Tempo]と表示されている)シリーズで未訳の作品は、以下の5篇のようです。
 題名と発表年から判断する限り、森下一仁氏による解説の最後の頁で言及されている、エヴァラードとワンダの前日談を描いたエピソードは、「The Year of Ransom」及び「Star of the Sea」ではないかと思われます。
  • 「Gibraltar Falls」
  • 「Ivory, and Apes, and Peacocks」
  • 「The Sorrow of Odin the Goth」
  • 「The Year of the Ransom」
  • 「Star of the Sea」
2006.07.20 / 07.22読了  [ポール・アンダースン]



プラットホームに吠える  霞 流一
 2006年発表 (カッパ・ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 警察で内部広報誌の編集をしている寿宮明(アキラ)と、その祖父で元捜査一課警部のライター・日太郎(ヒタロー爺)の二人は、珍しい狛犬を取材している最中に、“大きな足だらけの狛犬が海で吠えていた”という不可解な言葉を口にしていた女性の話を聞き込む。早速その女性――鈴鹿咲江のもとを訪ねようとした二人だったが、彼女は刃物で首筋を切り裂かれてマンションの屋上から墜落し、奇怪な死を遂げていた。そして彼女の義弟・久志は行方不明。調べてみると、咲江も、そして3年前に駅のプラットホームで通り魔に刺殺された咲江の姉・由比菜も、なぜか狛犬に興味を持っていたという……。

[感想]

 霞流一の最新作で、新しいキャラクターが登場しつつも、内容はいつもの“霞流一テイスト”……と思いきや、今までとは若干毛色の違う作品となっています。まず目につくのはお題となる動物で、“犬”全般ではなく“狛犬”に限定されているのですが、これが全体に大きく影響しているように思われます。

 「あとがき」を読むと、(犬好きの作者だけに)“犬”全般をお題とする正攻法では手に余るという判断があったようですが、“狛犬”まで限定してしまうとあまりにピンポイントすぎて、恒例の蘊蓄も今回はかなり少なめ。そのせいもあってか、テーマがはっきりと前面に押し出されることなく、今ひとつとらえどころのない形になっています。例えば、帯には“まったく新しい鉄道ミステリーの出現”と記されていますが、確かに“鉄道ミステリー”とはいえるものの、ストレートではなく変化球、しかも不規則に揺れて落ちる魔球といったところです。

 さらに異質な印象を与えるのが見立て殺人です。“見立て殺人”とは、死体(もしくは現場)に装飾を施すことで別のものになぞらえる(あるいは別のものを連想させる)行為ですが、ものがものだけに、装飾により強調される類似点以外は対象と似ても似つかない状態になるのが普通です。たとえていえば、リアルな写生画ではなくデフォルメされたイラストに近いところがあるわけですが、本書の場合にはそれがさらに押し進められて抽象画のような見立てになっています。かなりわかりにくいというのは難点ではあるものの、見立ての強烈な自己主張が抑えられてどこか“枯れた”ような印象を受けるのが新鮮に感じられます。

 とはいえ、得意のバカトリック(今回はいつもにもまして無茶です)とロジカルな解決は健在で、霞流一ミステリとしては安心して楽しむことができます。特に事件の背景となる奇想と、犯人の巧妙な計画は見応えあり。そして、こちらの意表を突くとともに皮肉の利いた結末も、実によくできています。

 ただ、いつもの(例えば商店街のような)ある程度クローズドな舞台(もしくは人間関係)ではないためか、やや分量が長すぎるように感じられるのは残念。

2006.07.23読了  [霞 流一]



毒を食らわば Strong Poison  ドロシイ・L・セイヤーズ
 1930年発表 (浅羽莢子訳 創元推理文庫183-06)ネタバレ感想

[紹介]
 殺人罪で起訴された被告人ハリエット・ヴェインは、絶体絶命の窮地に追い込まれていた。被害者は元恋人のフィリップ。彼の変節に腹を立てて袂を分かったハリエットだったが、最後の会見の直後、フィリップは激しい嘔吐に見舞われて急死してしまう。医師は急性胃炎と診断したが、やがて広まった噂を受けて解剖された遺体からは、致死量を上回る砒素が検出されたのだ。折しも探偵作家のハリエットは砒素を扱った作品を執筆中で、自ら偽名で砒素を購入していた……。濃厚な容疑に対して、ハリエットにをしたピーター卿が立ち上がる……。

[感想]

 貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿を主役としたシリーズ第5弾。裁判で絶体絶命の窮地に追い込まれたヒロインの無罪を、わずか1ヶ月で証明しなければならないという、見方によっては非常にサスペンスフルな状況ですが、実際のところはサスペンスの要素は皆無といっていいでしょう。むしろ、個性豊かな登場人物たちの愉快な言動により、全編がユーモラスな雰囲気に彩られた作品となっています。

 先に読んだ作品でもキャラクター小説の色合いが強く感じられましたが、本書では「ヴァン・ダインの二十則」(の第3則)に真っ向から喧嘩を売るかのような探偵と被告人のロマンス(しかも、刑務所に収容された被告人との面会の最中にいきなり求婚という無茶苦茶なもの)に始まり、シチュエーションコメディ的な場面の連続で、実に楽しく読み進めることができます。特に目を引くのが、『不自然な死』にも登場していたピーター卿の“聞き込み代理人”クリンプスン嬢で、冒頭から陪審団の中で頑固に意見を主張して裁判の引き延ばしに成功し、後半には潜入先で思わぬ芸達者ぶりを披露するなど、ピーター卿以上の大活躍です。

 事件は数ヶ月前に起きた毒殺ということで、ピーター卿の捜査は難航を極めます。何はともあれ他の容疑者を探し出さなければならないのですが、手段はさておき、動機と機会の両面においてハリエット以上に有力な容疑者はなかなか見当たらず、さすがのピーター卿もやや焦りを見せます。が、後半になると一転してあっさりと目星がついてしまうのがやや拍子抜け。もっともこれは、『不自然な死』と同様にフーダニットよりもハウダニットに重点が置かれているということでもあるのでしょう。

 しかしてハウダニットの中心となるトリックは、意表を突いているのは確かですが、その突き抜け具合に(敬意を込めて)“バカトリック”と表現せざるを得ない、脱力もののトリック。ただし、その使い方にはうまく工夫されているところがあり、結果としてはまずまずのものに仕上がっているといえるように思います。

2006.07.28読了  [ドロシイ・L・セイヤーズ]


黄金の羊毛亭 > 掲載順リスト作家別索引 > ミステリ&SF感想vol.129