メルカトルと美袋のための殺人/麻耶雄嵩
- 「遠くで瑠璃鳥の啼く声が聞こえる」
佑美子が死んだ現場の密室状況を作り出したのが美袋自身の夢だった(*1)という真相は、やはり何ともいえないインパクトがあります。いわゆる“信頼できない語り手”ネタの一種ともいえますが、それが密室という強固な謎を作り出すために使われているところがユニークです(*2)。
しかし単なる“夢オチ”で終わっていないのがこの作品のものすごいところ。
“ここからは仮想パズルの世界なんだよ。”
(41頁)と前置きされてはいるものの、“なぜそんな夢を見たのか?”という疑問に“睡眠学習”(*3)というそれなりの解答を示した上で、それを手がかりに事件の真犯人をも暴き出し、さらにはメルカトル鮎の敗北を望む美袋の深層心理までもあらわにするという、アクロバティックな解決に脱帽です。極めつけは、メルカトル鮎が最後に明かす残酷な“真実”。美袋自身の衝撃も察するに余りありますが、美袋が事件の“真相”を知ったところからすべてが始まったという転倒した構図が印象的です。そしてまた、先に引用した41頁の台詞や
“断っておくが、これはあくまでも前提の上での仮説にすぎないんだよ。”
(49頁)といった“逃げ”を打っているメルカトル鮎が、ここだけ“このメルカトルが云うのだから間違いはない”
(51頁)と断言しているところに、美袋に対するメルカトル鮎の心情がうかがえます。- 「化粧した男の冒険」
“化粧を化粧の中に隠せ”という真相は、作中でもちらっと言及されている古典のネタを知っていればわかりやすいと思いますし、いかにもおあつらえ向きに女性の容疑者が三人もいるところも、それを暗示しているといえるかもしれません。むしろ、“拭き取る”という選択肢を巧みにつぶしておいた作者の周到さをこそ評価すべきでしょうか。
- 「小人閒居為不善」
事務所を訪れた依頼人を観察してその“正体”を暴くというのは、シャーロック・ホームズを源流とする(*4)典型的な名探偵に通じるものです。が、最後に美袋の心に疑念として浮かんだダイレクトメールの宛先の“反転”、すなわちメルカトル鮎自身が事件の発生を促したという“真相”が、名探偵と“銘探偵”とを隔てる“歪み”といえるのではないでしょうか。
- 「水難」
“なぜ土蔵の扉に“死”という文字が書かれていたのか?”
(146頁)という着眼点から展開されるロジックが非常に秀逸です。また、若松美奈代が自分のイヤリングを手にしていたことを手がかりにしつつ、鹿鳴館香織の幽霊をも推理の材料に取り込んで解き明かされる真相も面白いと思います。それにしても、物語の中で独特のスパイスとなっている、143頁下段で美袋の中に沸き上がってきた“衝動”が何ともいえません。
- 「ノスタルジア」
まず、現場となった“奥の宮”の密室の謎はまずまずの出来だと思います。鍵室の鍵を排除すれば“謙信”のポケットの鍵が使われたということになるのは確かですし、そうすると現場の扉には鍵がかかっていなかったとしか考えられなくなります。194頁の“作者註”も、表現はいやらしいものの内容はまったく妥当で、なかなかよくできた手がかりといえるのではないでしょうか。
一方、“奥の宮”が密室とされた理由から“上杉謙信”が自殺だったという“真相”を導き出すあたりは、非常に面白いとは思うのですが、ホワイダニットをベースとしているだけに犯人当てとしては少々難のあるところです。
さらに、上杉充の性別に関する叙述トリックや「序2」に仕掛けられた“罠”については、事件と無関係とまではいえないものの、解答すべき“真相”とはまったく関係のないあざといミスディレクションであり、いかにもメルカトル鮎らしいところです。
*ところで、
“一、当然ではあるが、上杉謙信は殺された。”
(190頁)というヒントに関して、メルカトル鮎は“彼は上杉謙信本人に殺されたのだよ。(中略)彼を殺したのは謙信自身”
(205頁)と主張していますが、作中作の中で小寺警部が“上杉謙信を殺したものはいない”
(195頁)と断言しているだけに、かなり苦しいところです。また、上杉謙信と武田信玄の入れ替わりという無茶な“真相”に至っては、
“私は君との会話の中でも“偽謙信”のことを常に“謙信公”と呼んで、“謙信”とは一度も云わなかったよ。”
(208頁)と強弁していますが、上に引用した205頁の台詞をみてもわかるように真っ赤な嘘。このような、凄まじいほどの厚顔無恥な態度をみると、犯人当て小説の作者としてはまったく不適切といわざるを得ず、それに付き合わされる美袋の苦労がしのばれます。いや、読者として見ている分には面白いのですが。
- 「彷徨える美袋」
単なるレトリックかとも思える
“部屋の中には人ひとり、いや、虫一匹いない。”
(229頁)という記述が、実は最も重要な手がかりであったというのが強烈です。これに気づかなければ、決め手――夜明けまで死体を動かすことができなかった――を見出すことができないのですから。- 「シベリア急行西へ」
まず、北を犯人に見せかけるダミーの真相が非常によくできています。列車の急停車というアクシデントがうまく取り込まれていると思いますし、右手にペンを握っていたように見せかけつつもペンそのものは片付けておくというあたりの、芸の細かさも見逃せないところです。
最後に明らかになる犯人の動機は、何ともいえない味わいを残します。というのは、美袋も舞夫人の小説を読まされた(あるいは読まされている)わけで、反応によっては次の犠牲者となった可能性も……いや、美袋自身は性格的にそこまで酷評することはないかもしれませんが、その後ろにいるメルカトル鮎という人物ならば、“美袋による評価”と称してぼろくそにけなすこともやりかねないわけで……。
“◇”という記号で挟まれている(20頁~23頁)のがまたいやらしい(?)ところです。
*2: この作品の初出は、京極夏彦の某作品((以下伏せ字)『姑獲鳥の夏』(ここまで))よりも前です。
*3: この解決が示されてみると、
“わたしは知っていた。(中略)佑美子が自殺ではなく殺されたことを。”(30頁)という何気ない一文が伏線であったことがわかります。
*4: もしかすると、エドガー・アラン・ポオによるオーギュスト・デュパンもすでに同じようなことをやっていたかもしれませんが、ちょっと思い出せないので……。
2008.01.02再読了