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生首に聞いてみろ/法月綸太郎

2004年発表 角川文庫 の6-2(角川書店)

 まず、「第三部」の終盤で宇佐見彰甚が提示している、“石膏像には最初から首がなかった”という仮説が秀逸です。存在しなかった首が“切断”されたという逆説的な様相のインパクトもさることながら、江知佳自身の“犯行”という法月綸太郎の推理と同様の道筋をたどりつつ、綸太郎の推理の大きな弱点である動機に関して、ある程度納得のいく説明がなされているのが見逃せないところ。また、未使用のままの頭部の雌型が決定的な証拠として首の不在を裏付ける一方、カバー越しに目撃された像の高さ――そこに仕掛けられた(と宇佐見が考えた)トリック――が単なる未完成状態ではないことを強く主張している*1のもよくできています。

 さらに、首のない石膏像に関する宇佐見の解釈――石膏直取りにおける『目』の表現の困難性を逆手に取って、“メドゥーサの首”に見立てることで存在しない首の開かれた目を意識させるというアクロバティックなアイデアは、実に見事なものだといっていいのではないでしょうか。もちろん、その解釈は作中であっさりと瓦解している*2わけですが、存在した石膏像の首が実際に目を見開いていたことで、“メドゥーサの首”という不気味なイメージが再び強調されているのが印象的です。

 石膏像の首が切られた理由は、大まかにいえば“誰のものかを隠すため”であり、その意味では“顔のない死体”トリックの範疇に含まれるといえるかもしれません。しかし、“首から上が別人であることを隠す”というのは人間ではあり得ない、彫像(人形)ならではの興味深い真相だと思いますし、石膏像の首の登場によって(石膏像とは別のところに隠されていた)“人物入れ替わり”――“顔のない死体”で真っ先に検討される仮説――が浮かび上がってくるのが非常に面白いところです。

 一方、江知佳の首が切られた理由――“石膏像の首の切断を殺人予告だと見せかける”というのもまずまずで、単に真相を隠蔽するにとどまらず、石膏像の首を(“主”ではなく)“従”に位置づけるという積極的な意図が込められているところがよくできています。ただし、石膏像の首を切断したのが江知佳自身であるという可能性が早い段階で示されているため、殺人予告というダミーの真相があまりうまく機能していないのは否めないところで、ややちぐはぐに感じられてしまいます。

 そして最後に明かされる、川島律子と各務結子の入れ替わりについては、前述の“顔のない石膏像”の陰に隠されるというトリックの所在は非常にユニークなのですが、入れ替わりトリックそのものに面白味があるわけではなく、石膏像の首(の写真)が出現した段階で真相が見えてしまうこともあって、それが読者に示される時点ではほとんどインパクトを失っているのが苦しいところ。加えて、第三者である産科医も巻き込んだ周到な準備には見るべきところがあるとはいえ、やはり現代で成立させるのは少々無理があるトリックといわざるを得ず、比較的現実寄りで地に足の着いた物語とのギャップが気になります。

*1: これがなければ、たとえ首の不在が裏付けられたとしても、石膏像が完成に至らなかったという穏当な結論に落ち着く可能性が排除できないように思います。
*2: このあたり、曲がりなりにも自分自身の“読み”を公表している立場としては、身につまされるというか何というか……。

2009.07.11読了