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アルバトロスは羽ばたかない/七河迦南

2010年発表 (東京創元社)

 まずは個々のエピソードについて。

「ハナミズキの咲く頃」

 界が母親に突き落とされた“崖の下の灯台”(24頁)が七海市の飛び地である(21頁)という事実が目立っている*1こともあって、行政区分の問題だという真相はかなり見えやすくなっていると思います*2。母親が“シセツ”を嫌がっていたこともミスディレクションとしてはさほど強力ではなく、早い段階で母親の真意を見抜くことも困難ではないでしょう。

 冷静に考えてみれば、いくら界を七海学園に入れたいといっても(そして自身の体力が限界に近づいていたとしても)、我が子を崖から突き落とすというのはかなり極端な行動ではあるのですが、そこに至るまでの母親の言動をこまごまと積み重ねていくことで、“白か黒かはっきりしてグレーゾーンのない性格”(53頁)に読者が納得できるだけの説得力を持たせてあるのがうまいところです。

*1: 界が灯台の話を持ち出したのを受けて、春菜がどこまでが七海? と茜が訊いた時の話?”(24頁)と問い返しているあたり、意図的に強調されているようにも思われます。
*2: いうまでもありませんが、(以下伏せ字)前作『七つの海を照らす星』の「第四話 夏期転住」をお読みになった方であれば(ここまで)、なおさらでしょう。

「夏の少年たち」

 試合が終わった後で会場から抜け出すことが不可能だったとすれば、脱出の機会はそれより前にしかないわけですから、選手たちの入れ替わりを想定するのはさほど難しくはないと思われますが、ゴールキーパーだけはそのまま残してあるという細かい配慮がなかなか周到です。

 大がかりなトリックゆえに多数の“共犯者”を必要とする点は、通常であればマイナスに感じられてしまうところですが、それに見合うだけの切実な動機が用意され、“子供たちが力をあわせて“悪い大人”に立ち向かう”構図によるカタルシスが生み出されているのが秀逸。また、「夏の少年たち」という題名*3とは裏腹に、藍をはじめとする少女たちが陰の主役だったというのが印象的ですし、最後に“少年たちの陰には必ず少女たちがいるものよ。”(116頁)と見事にまとめてあるところにも脱帽です。

*3: 余談ですが、最後に登場する題名の元ネタ――ドン・ヘンリーの“The Boys of Summer”は、昔ラジオでよく耳にしたので懐かしく思いました。

「シルバー」

 134頁で挙げられている寄せ書きのうち、少なくとも最初の二つはかなり初歩的なので、すぐにその意味に気づいた方も多いでしょう。そうするとエリカの真意も見え見えなので、早い段階であっさりと“犯人”が特定されているのが少々もったいないようにも思われますが、物語的にはやはりこれが正解でしょうか。春菜でも海王さんでもなく瞭が謎解き役をつとめることで、一つのエピソードにうまくまとまっている感があります。

 一方、読み込めないCD-Rの謎については色々な“迷彩”が施されていますが、裏返しにするというシンプルな解決が鮮やかで、泡坂妻夫にも通じる*4発想の逆転が魅力的です。

「それは光より速く」
 スリリングな展開を一瞬にしてコメディに変えてしまう小泉さんの豹変には、やはり唖然とさせられずにはいられません(笑)。しかしその裏に、真の危機が密かに隠されていたというのが巧妙です。

*4: 作品名は挙げませんが、あれやこれを思い出した方も多いのではないでしょうか。

*

 「エアミス研読書会第8回(七河迦南『アルバトロスは羽ばたかない』)」でも指摘されましたが*5、全篇にイメージの反転が多数盛り込まれているのが目を引くところ。比較的お手軽に(?)サプライズ/カタルシスを演出しやすい手法ではありますが、これだけ積み重ねられると圧巻です。そしてその極め付けとなるのが、「冬の章 VI」のクライマックス(277頁)で明かされる大仕掛け――探偵の誤認被害者の誤認を演出するトリックです。

 まず、「冬の章」を通じて転落事件の真相を探る“わたし”=佳音を春菜だと誤認させる叙述トリックが効果的。前作『七つの海を照らす星』を読んでいなくてもそうかもしれませんが、読んでいればなおのこと、“春菜が主人公”という先入観によってどうしても騙されやすくなる部分がありますし、冒頭の北沢春菜です(6頁)という一言が大胆かつ強力なミスディレクションとなっています。

 この一言は、一見すると“わたし”が名乗ったようにも思えますが、作中にも“どこへ行っても北沢春菜の名を出せば、ああ、あの事件、と話が通じ”(279頁)とあるように、実際には“窓口の男性の問い”(6頁)――おそらくは用件を訊ねた――に対して“どの事件なのか”を答えたもので、そうでなければ――七海学園の関係者とはいえ、私的に事件を調べているにすぎない人物が名前を告げただけでは、“ああ、とあちらも納得した顔”(6頁)にはならないでしょう。

 “わたし”が春菜でないことを示唆する手がかりは、小田牧央さん(杉本@むにゅ10号さん)による「七河迦南『アルバトロスは羽ばたかない』早引表」「the long fish」)でも挙げられていますが(「伏線・備考」の欄を参照)、それ以外にも「冬の章」での“わたし”高村くんとの会話など、微妙に違和感を生じる部分があります。しかしながら、問題となる「冬の章」が分断され、その間に春菜の一人称で記述された「春の章」から「晩秋の章」までが挟み込まれた構成が非常に効果的で、春菜の“不在”を感じさせることなく、依然として主人公であることを強く印象づけています。さらに、その中で春菜の“成長”と高村くんへの好意が描かれることで、「冬の章」での海王さんや佳音の“不在”がさほど不自然に見えない――海王さんに頼ることが少なくなり、また佳音の代わりに(?)高村くんとの距離が縮まったように見える――ところなど、実に巧妙といえるでしょう。

 実のところ、前作をお読みになった方であればある程度は、“あなたなんか職員でもないくせに!”(277頁)という衝撃的な一文よりも前、(以下伏せ字)267頁の香澄美と“わたし”のやり取り(ここまで)で“わたし”の正体にピンと来たのではないかと思います。私自身もそうだったのですが、しかしそうなると今度は春菜の所在が皆目見当もつかず、ついには“わたし”が対決しようとする犯人が春菜なのではないかととんでもない勘違いをしたまま読み進めていき、。あなたはいったいなぜ春菜ちゃんを突き落としたの?”(277頁)という一言に呆然。

 シリーズの主人公が意識不明の重態に陥っていたという真相ももちろん強烈な衝撃ですが、“瞭が被害者”ということに欠片も疑いを持たせることのなかった作者の手腕には、脱帽せざるを得ません。細かいミスディレクションを挙げればきりがありませんが、“わたし”の探偵活動そのものが最大のミスディレクションとなっているのが注目すべきところでしょう。つまり、転落事件の際に瞭が屋上にいたことは「プロローグ」で読者に示され、また“わたし”にもわかっているわけで、にもかかわらず“わたし”が瞭に話を聞こうとしないことで、“瞭が意識不明”という思い込みが補強されることになるのです。

 その背景には、前述の読書会杉本@むにゅ10号さんが指摘された*6“後期クイーン問題の反転”――瞭が犯人だとわかっている“わたし”が、それを認めたくないがゆえに様々な仮説を立てるという、探偵活動の目的の逆転があるわけで、この構図自体も非常に面白いと思いますが、“瞭が犯人だとわかっているために事件の話を聞かない”ことがそのまま、“瞭が被害者”というミスリードにつながっているのが実に秀逸です。

*5: 端的には、“イメージの反転は、作中の連作にも共通したモチーフでしたね。(中略) 全編に統一感というか、心地よいリズム感があって、一気に読まされます。そしてたたみかけるラスト。ボレロ状態。”(注:元ツイートでは下線部はURL短縮による伏せ字)という琉花さんの指摘
*6: 長くなるのでそのまま引用はしませんが、元ツイートはこちら→(その1)(その2)(その3)

*

 最後まで春菜が意識を取り戻さないまま、物語は終わっていますが、“待っているの。あなたの帰りを。”(309頁)という思いは読者も同じでしょう。この結末から春菜の新たな物語を紡ぐのはなかなか難しいのかもしれませんが、ぜひとも春菜が復活した続編を読ませていただきたいところです。

2011.05.25読了