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怪盗ニック全仕事1/E.D.ホック

The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.1/E.D.Hoch

2014年刊 木村二郎訳 創元推理文庫201-14(東京創元社)
「斑の虎を盗め」
 ニックの盗みが陽動作戦にすぎなかったという真相では、後の作品に比べると面白味が薄いのは否めません。
 現金輸送車についての“二、三千ドルあれば、運がいいほうよ”(20頁)というジニーの台詞が、読者にとっては一応のミスディレクションになっているものの、これまたあまり面白いとはいえないように思います。

「プールの水を盗め」
 消防団員を装って、持ち主の目の前で堂々とプールの水を盗み出すニックの大胆な手口が秀逸です。
 一方、メリーおばさんの失踪が明かされた時点で、依頼人・アッシャーが殺人事件を掘り起こそうとしていることはおおよそ見当がつきますが、“塩素が石灰セメントに及ぼす作用”(53頁)という怪しげな台詞のハッタリがものすごいところ。長い週末であることまで考慮に入れた計画は実に周到で、うならされます。

「おもちゃのネズミを盗め」
 依頼人がおもちゃのネズミ受け取りに現れない――となれば、それが必要だったわけではないことは明らか。そして重要になるのは“盗みの結果として何が起こったか?”で、撮影現場で必要になった“もう一つのネズミ”を使った恐るべき犯罪計画はなかなか強烈です。
 “包みには通関申告がついていなかった”(76頁)という手がかりは、(ニックと違って)小包の現物を目にするわけではない読者にはわかりづらいところがありますが、小包が開けられるちょうどその時にアーチャーが席を外そうとしているのは、大きなヒントといえるでしょう。

「真鍮の文字を盗め」
 “SATOMEX”のうち“S”と“EX”――“SEX”を盗むという依頼が意味ありげですが、残された文字の“ATOM”がまた意味ありげで、真相から読者の目を遠ざける巧みなミスディレクションとなっています。依頼人・ミリングズのパートナー、モータの綴りが日本の読者にはわかりづらいのがやや残念ですが、婦人用レインコート”(98頁)という手がかりで裏返しの映像を示唆してあるのがうまいところです。

「邪悪な劇場切符を盗め」
 公演が終わった芝居の切符を盗むという依頼に加えて、その切符がまだ売られているという奇妙な状況が魅力的な謎になっています。切符を買った人々の不可解な態度も注目すべきところですが、“水が半分はいったグラスに切符を落とした”(120頁)という記述で、LSD(あるいはそれに類する麻薬)の密売に思い至ることも可能でしょう。“新しい値下げ価格が印刷してある”(118頁)という手がかりもよくできていると思います。
 ところで本書では、『怪盗ニックの事件簿』収録の旧訳で「劇場切符の謎」とされていた邦題を、原題の“The Theft of the Wicked Tickets”にあわせて邪悪な劇場切符を盗め」と改題してあります。しかし、芝居の《ウィキッド》とのダブルミーニングになっている原題と違って、切符が犯罪に使われていることが露骨になってしまうので、個人的にはやや微妙なところです。

「聖なる音楽を盗め」
 パイプオルガンを盗むのはニックといえどもさすがに不可能ですが、その代わりに重要な部品を盗むことで“オルガンの音を盗んだ”(146頁)――題名そのままに音楽そのものを盗んだともいえる解決策は、美しいといっても過言ではないでしょう。
 一方、依頼人の目的は、“夫を死なせたエルキン医師への復讐”……という偽の真相をでっち上げて医療ミスの訴訟を有利に進めるため……と思いきや、さらにその奥に空恐ろしい計画が浮かび上がってくるところは凄まじいものがあります。

「弱小野球チームを盗め」
 ニックは、アシグナールがチームの人数の多さに驚いていたことを手がかりとしています(180頁)が、チームが空港に到着した際には“あの連中は誰だ?”(169頁)と尋ねたことが記されているだけで、あとはニックの口から選手以外のスタッフについて説明されているために、アシグナールが何を気にしていたのかうまくぼかされている感があります。ニックの“野球チームは九人の選手とバット一揃いだけで成り立っているわけじゃない”(169頁)という台詞も、“九人の選手”に言及しつつ余計な“バット”を付け加えてあるところが絶妙です。
 いずれにしても、“九”が重要だったということで、野球チームが盗まれる必然性が用意されているところがよくできていますが、その“九”の重要性を隠蔽するために、〈カサ・ヌエヴェ〉を“新しい家”(174頁)とニックに誤訳させてあるのは、さすがに少々あざとく感じられます。

「シルヴァー湖の怪獣を盗め」
 大海蛇の正体が泳ぐラクダだったという真相には脱力を禁じ得ないところもありますが、パイクが“サーカスの動物調教師だった”(192頁)ことが大きな手がかりになっていますし、瘤のようなものが二つ(196頁)という特徴などは、真相に直結するといっても過言ではありません。もっとも、その後に“二つの背びれか棘か瘤”(197頁)とあることでうまくごまかされている感はありますし、そもそも緑色というのもくせもので、まさかラクダをスプレーで着色しただけのローテクとは考えづらく(苦笑)、真相を隠蔽するのに大きく貢献しているように思われます。

「笑うライオン像を盗め」
 盗みの最中に捕まり、依頼人・ランの手元にあるライオン像を盗み返すことを要求されたニックが、依頼人にとって二万ドルの値打ちがあるという理由で専門外だから、盗めない”(230頁)詭弁を口にするのに苦笑。この論法ならば、そもそも大半の依頼は受けることができないわけで、要求を断るための口実にしてもかなり苦しいものがあります。
 “あとから別のライオン像が必要になるかもしれない”(216頁)という依頼や、ニックが盗んだライオン像を“レントゲンで調べてもらった”(220頁)という記述で、一部のライオン像の内部に隠された物が重要だという、シャーロック・ホームズの(以下伏せ字)「六つのナポレオン」(ここまで)などでおなじみの理由が見えてしまいますが、物が盗聴マイクであればそこに隠されていたのも十分納得できます。
 ラムストンがかつてランを捨てた父親であり、銃で撃たれて死んでしまうという、結末の後味の悪さは少々残念。

「囚人のカレンダーを盗め」
 カレンダーのあるオドネルの監房に入ることすらできない困難な状況ですが、“オドネルの方がニックのペンナイフを盗んだ”と見せかける逆転の発想によって、まんまと監房に入り込むニックの計画は実に巧妙です。
 カレンダーの日付(4月25日)が強奪品の隠し場所を示していることは見え見えですが、カトリックの祝日は大方の日本人にはなじみが薄く、(“セント・マーク(中略)とかいう名前の小島”(246頁)と島の存在は示してあるものの)、読者には謎解きが困難になっているのが残念なところです。
 なお、巻末の解説「怪盗ニック全仕事の始まり始まり」結末の違いに言及されているように、木村二郎氏による旧訳(ハヤカワ・ミステリ版『怪盗ニック登場』収録の「カレンダー盗難事件」)では、本書での最後の三行にあたる部分がなかったため、“ニックが強奪品を着服するのではないか”という印象を与えるものになっています*1

「青い回転木馬を盗め」
 盗みの対象である木馬が依頼人にとってもまったく価値がないというのがユニークで、価値がある――ダイアモンドが隠されていると見せかける*2ためにニックに依頼した、依頼人・ファウルズのひねった計画が巧妙です。
 ダイアモンドが木馬の中に隠されていないとなれば、一体どこにあるのか、という謎が浮上してくることになりますが、殺された運び屋・バークにごくわずかな時間しかなかったことを手がかりにした、ニックの謎解きは鮮やかです。ただし、巻末の解説「怪盗ニック全仕事の始まり始まり」でも説明されているように、真鍮の輪は日本の読者にはなじみが薄いものですし、“腕木を伸ばした木製の真鍮の輪ディスペンサー”(281頁)*3では――“今は空っぽだな”(137頁)という台詞もあるとはいえ――どのようなものかイメージしづらいのは否めません。
 レイニーらに対してニックが仕掛けた、(一応は)無毒のサソリモドキ(→Wikipedia)をサソリに見せかけるトリックが実に効果的で、強く印象に残ります。

「恐竜の尻尾を盗め」
 依頼人・キンケイドが骨格の復元を副業としていることを明かし、製作見本として恐竜の尻尾が必要だという目的を一旦示しておいて、そこからひっくり返す作者の企みが巧妙。しかも、その復元作業についての説明の中で“しばらく展示室を閉鎖してもらって、自分の作業をする”(315頁)と、重要な手がかりをさりげなく示してあるところがよくできています。
 盗みに関わることになったリンの正体もなかなか意外で面白いのですが、しかしそれが明かされることによって、“盗んだプリニウス・ダイアモンドを回収するために、展示室に入る機会を得る”という、キンケイドの真の狙いが見えやすくなっているのが少々もったいないところです。

「陪審団を盗め」
 依頼人・ホイップルの狙いはよくわからないまま、法廷で証言が積み重ねられるサテン事件に焦点が当てられていき、事件の経緯が自然と読者の頭にも入るようになっているのがうまいところ。ということで、殺人事件に別の真相が用意されていることは予想できるのですが、それまで完全に盲点に追いやられていた手がかり――雪の上に残るはずの足跡によって、事件の様相を(視覚的にも)鮮やかに一変させるニックの謎解きが非常に秀逸。実際のところ、謎解きの前の遅すぎる(356頁)というニックの台詞は読者への大胆なヒントともいえるのですが、ニック自身が別の理由で――百科事典で得た知識をもとにして――すぐに迷路の中心に到着していることが、効果的なミスディレクションとなっているように思います。
 事件の真相が解明された後、最後に明かされる依頼人・ホイップルの狙いとその正体も、納得のいくもので印象的です。

「革張りの柩を盗め」
 武装した男たちの襲撃からメキシコのマリワナ畑へと、物語が荒っぽい方向へ展開していく陰で、ニック自身が“簡単すぎる。あまりにも。”(389頁)と独白しているように、どことなくうさんくさい気配が漂っています。が、依頼人・グリーンは柩の革張りに隠されたマリワナ畑の地図に満足している様子で、ニックが気づいた真相は容易には見えなくなっています。それは、価値がないと思われたテキサスの土地を受け取るためにメキシコのマリワナ畑を差し出すとは考えられないからですが、そこから石油が出たとなればもちろん話は別。裏を返せば、そのくらいのことがなければギルダやリマらの動きが不自然にすぎるわけで、そこから読者が見当をつけることも可能かもしれません。
 しかしそれにとどまらず、死んだはずのチェイスが生きていたという真相が用意されていたのには仰天。どうしても柩の方に気を取られて、中身の遺体は完全にノーマークになってしまう感があり、うまいどんでん返しだと思います。もっとも、チェイスらのペテンが成功に終わってしまうのは、心情的にすっきりしないものが残りますが……。

「七羽の大鴉を盗め」
 “盗まれないように警護する”と“盗み出す”を両立させるのはどう考えても不可能で、実際に大鴉はかごの中から消えてしまい、その後ニックが依頼人・パットに大鴉を届けていることで、ニックが大鴉を盗んだように見える状況となっています。当然、もう一人の依頼人・ハスキンズからは報酬が受け取れないわけですが、かごの中が最初から空っぽだった――騒動の間もかごには覆いがかぶせられたままだった――ことを見抜いて、その張本人であるギベリオン大使に“大鴉が盗まれなかった”と主張して金を要求するのは、なかなか面白いと思います。
 そのギベリオン大使が、パットを雇った反ゴラ派の首領・スタヴァンガーと同一人物だったこと、さらには、ゴラの大統領に恥をかかせるだけでなく、大使を解任されて自然な形で国に戻るという動機と、二重三重に仕掛けられた作者の企みがよくできています。

*1: 『怪盗ニック登場』はハヤカワ・ミステリ版しか読んでいなかった(文庫版は積んでいました)ので、私も木村仁良/木村二郎氏と同じように驚かされました。
*2: 読者には「笑うライオン像を盗め」と同じようなパターンと思わせておいて、その裏をかいてくる作者の企みも見事です。
*3: ハヤカワ文庫版『怪盗ニック登場』に収録された村上博基訳「青い回転木馬」では、この部分が“腕木をのばした木製の容器(同書137頁)と訳されている上に、本書で“真鍮の輪はもうないよ”(281頁)と訳してあるデフォーの台詞が“今年はもう真鍮環は入れてない(同書137頁)とされているので、そこにダイアモンドを隠せることが(本書よりも)わかりやすくなっているように思います。

2014.12.18読了