〈怪盗ニック・シリーズ〉

エドワード・D・ホック

『怪盗ニック対女怪盗サンドラ』

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シリーズ紹介

「泥棒としてあなたを雇ったのよ。探偵じゃなくてね」
「泥棒と探偵の両方に要求される論理はそれほど違いませんよ」
  (創元推理文庫『怪盗ニック全仕事1』45頁より)
「推理がお上手ね、ニック・ヴェルヴェット」
「生き延びるのに役立つよ。探偵じゃないが、必要とあらば推理が上手になるってわけだ」
  (創元推理文庫『怪盗ニック全仕事2』107頁より)

 短編ミステリの名手として知られるエドワード・D・ホックは、数多くのシリーズ・キャラクターを生み出しています(『ホックと13人の仲間たち』参照)が、中でも人気が高いのが、この〈怪盗ニック〉です。

 〈怪盗ニック〉ことニック・ヴェルヴェットは、1932年3月24日にニューヨークでイタリア移民の息子として生まれ(発表が長期間にわたっているため、途中であまり年を取らない設定になったようです)、職を転々とした後泥棒稼業に落ち着き、恋人のグロリアと一緒に暮らしながら、密かに様々な依頼を受けて盗みをはたらいています。

 ニックが受ける依頼は様々ですが、高額の報酬(二万ドルから三万ドル)と引き換えに、一般的には価値のないもの(あるいは奇妙なもの)だけを盗むという点がユニークです。もちろん、価値がないようにみえても依頼人にとっては高額の報酬を払う理由があるわけで、“どうやって盗むのか?”という当然の興味に加えて、“依頼人がなぜそれを欲しがるのか?”という謎に焦点が当てられることになります。

 というのも、盗むのが価値のないものだけとはいえ犯罪には違いなく、盗みに際してしばしばトラブル――とりわけ依頼人との間の――が発生することになるわけで、(後述するように)それを切り抜けるためにニックは詳しい事情を把握する必要があります(生来の好奇心もあるのでしょうが)。かくして、泥棒にして探偵という異色のキャラクターが誕生することになったのです。




作品紹介

 このシリーズはすべて短編で、全87篇が発表されています。
 そのうち44篇が、日本で独自に編纂された四冊の短編集(『怪盗ニック登場』『怪盗ニックを盗め』『怪盗ニックの事件簿』『怪盗ニック対女怪盗サンドラ』(ハヤカワ・ミステリ/ハヤカワ文庫))に収録されています。
 そして2014年の『怪盗ニック全仕事1』(創元推理文庫)を皮切りに、発表順に14~15篇ずつを収録した日本オリジナルの全集が刊行されていき、2019年の『怪盗ニック全仕事6』でついに完結しました(感想が全然追いつかなくてすみません)
 以下の内容紹介と感想では、各作品の題名のところにシリーズの通し番号を付しておきますので、ご参考まで。


怪盗ニック全仕事1 The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.1  エドワード・D・ホック

ネタバレ感想 2014年刊 (木村二郎訳 創元推理文庫201-14)

 シリーズの最初の15篇が発表順に収録されています。巻末の木村仁良氏による解説「怪盗ニック全仕事の始まり始まり」では、シリーズの概略が説明されるとともに、一部の作品への注釈が記されていますが、注釈の部分(425頁最後の3行以降)は本篇読了後に読むことをおすすめします。
 個人的ベストは、「プールの水を盗め」「真鍮の文字を盗め」「陪審団を盗め」

1.「斑の虎を盗め」 The Theft of the Clouded Tiger
 その男は、動物園から“斑の虎”を盗んでほしいと依頼してきた。変わった斑模様を持つその貴重な虎は、金持ちの中東の王子などに高く売りつけられるだろうというのだ。ニックは苦心の末に見事に“斑の虎”を盗み出したのだが……。
 記念すべきニックのデビュー作ですが、この時点ではまだスタイルが固まっていなかったのか、後の作品と比べると物足りない部分――特に盗みの目的――があるのは否めません。

2.「プールの水を盗め」 The Theft from the Onyx Pool
 依頼人は、ミステリ作家の自宅にあるプールの水を盗んできてほしいという。単純にプールの栓を抜いて水を捨てるのではだめだというのだ。持ち主に知られずに大量の水を盗み出すのは不可能だったが、一計を案じたニックは……。
 プールから大量の水を盗むという風変わりで難度の高い仕事、それを成功させるニックの大胆な作戦、そして依頼人が秘めた真の狙いと、どれをとっても実に面白く、傑作といっていいのではないでしょうか。ミステリ作家に近づく際に、ニックがでっち上げた“密室トリック”には苦笑を禁じ得ませんが……。

3.「おもちゃのネズミを盗め」 The Theft of the Toy Mouse
 2万ドルの小切手とともに郵送されてきた依頼書。そこには、撮影中の映画で小道具として使われているゼンマイ仕掛けのネズミを盗んでほしいと書かれていた。見事に盗みに成功したニックだったが、なぜか依頼人は現れない……。
 郵便による依頼、そして盗みを終えても現れない依頼人と、何とも不可解な状況が目を引く作品。ニックの一瞬のひらめきで解き明かされる真相もよくできています。

4.「真鍮の文字を盗め」 The Theft of the Brazen Letters
 あまりにも奇妙な依頼だった。ビルの壁に“SATOMEX”という企業名が真鍮の文字板で飾られているのだが、そのうち一部の文字を盗んでくれというのだ。顔なじみのウェストン警部補が警戒する中、ニックは仕事に取りかかるが……。
 ニックの泥棒稼業を知るウェストン警部補との対決も見逃せないところではありますが、やはり何といっても文字板を盗む理由が見どころで、ひねりを加えたユニークな真相が非常に秀逸です。

5.「邪悪な劇場切符を盗め」 The Theft of the Wicked Tickets
 ブロードウェイの芝居《ウィキッド》の切符を、切符売り場からすべて盗み出してほしいという依頼。しかしその芝居は、2ヶ月も前に公演を終えていたのだ。首をひねりながらも切符売り場へと向かったニックだったが、その目の前で……。
 すでに終わった芝居の切符を盗むという奇妙な依頼がまず魅力的ですが、そこからさらにおかしな事態になっていくのが面白いところです。ある箇所までくると真相がおおよそ見えてしまうきらいもないではないですが、手がかりはよくできていると思います。

6.「聖なる音楽を盗め」 The Theft of the Sacred Music
 今回の標的は教会のパイプオルガンだった。オルガン奏者としても知られる近所の医師の演奏を、レコード会社が録音しにくる日までに盗み出し、その後はまた元通りにしてほしいというのだ。しかしオルガンはあまりにも巨大だった……。
 巨大なパイプオルガンを盗み出すのは、ニックをもってしても至難の業に違いありませんが、その解決策は実に鮮やかな印象を与えます。そして最後の、依頼人に関する謎の解明もお見事。

7.「弱小野球チームを盗め」 The Theft of the Meager Beavers
 カリブ海に浮かぶ島国・ハバリ共和国の要人から、野球ファンの大統領に代表チームとの試合を見せるため、大リーグのチームを盗み出してきてほしいという依頼を受けたニックは、リーグ最下位のビーヴァーズに白羽の矢を立てて……。
 (手口は少々乱暴とはいえ)ニックは見事に野球チームを盗み出し、チームの方も国賓待遇に満足するなど、一旦は万事丸く収まりそうな様子をみせるものの、もちろんそれで終わるはずはなく……事態の裏に隠された真相につながる手がかりに着目したニックの慧眼が印象的。それにしても、最後のビーヴァーズ監督の台詞は天晴れです。

8.「シルヴァー湖の怪獣を盗め」 The Theft of the Silver Lake Serpent
 シルヴァー湖に現れた大海蛇目当てに観光客が殺到し、おかげで隣のゴールデン湖のホテルは商売あがったり。困ったオーナーはニックにその大海蛇を盗んでほしいと依頼してきたが、地元の漁師が大海蛇に殺される事件が起きて……。
 『ホックと13人の仲間たち』にのみ収録されていた、文庫では初登場となる作品。依頼人の目的は最初からはっきりしており、盗みの対象となる“大海蛇”の正体がほぼ唯一の謎になっている異色作で、その真相は奇想というか何というか(苦笑)。とはいえ、大胆な手がかりやミスディレクションはよくできていると思います。

9.「笑うライオン像を盗め」 The Theft of the Laughing Lions
 全米に広がる〈キャピタル・クラブ〉のシンボル、“笑うライオン像”を盗んでほしい――依頼を受けて像を盗み出したニックだったが、依頼人はもう一つ必要だという。そして二個目を盗もうとしたところで、ニックは取り押さえられてしまい……。
 盗みの手口よりも、捕まったニックがどうやって窮地を脱するかが興味を引きます。依頼人がライオン像を必要とした理由はある程度見当がつきますが、その具体的な部分はなかなかよくできています。結末はやや好みの分かれそうなところではないでしょうか。

10.「囚人のカレンダーを盗め」 The Theft of the Coco-Loot
 海賊行為で捕らえられて刑期をつとめている囚人が、監房の壁にかけているカレンダーを盗むため、連邦刑務所に潜入することになったニック。あまりにも困難な盗みを鮮やかに成功させたものの、依頼人との間にトラブルが発生して……。
 警備が厳重な刑務所からどうやって盗み出すのが最大の見どころで、なかなか巧妙なトリックといえるのではないでしょうか。あとは、盗みの目的はかなり見え見えですし、ちょっとした謎も用意されてはいるものの、とある理由で残念ながら面白味は薄くなっています。

11.「青い回転木馬を盗め」 The Theft of the Blue Horse
 メリーゴーラウンドの青い回転木馬を盗んでほしいという依頼。しかしニックが現地へ着いてみると、すでに何者かが別の木馬を盗み出していたのだ。誰が、何のために? そして深夜、仕事に取りかかろうとしたニックの目の前で……。
 木馬を狙う別の一味が登場してスリリングな雰囲気となっている作品で、木馬が狙われる理由に絡んだ最後の謎解きも鮮やかではあるものの、窮地から脱する逆転の一手の方が印象に残ります。

12.「恐竜の尻尾を盗め」 The Theft of the Dinosaur's Tail
 恐竜に詳しい男が、古代史博物館にあるティラノサウルスの骨格の、尻尾の部分だけを盗んでほしいと依頼してきた。警備の様子を確認したニックは、夜まで待って仕事を始めようとしたのだが、そこに予期せぬ闖入者が現れて……。
 何とも風変わりな標的で、依頼人がなぜそれを必要とするのか、という謎がまず目を引きますが、“闖入者”の登場によって盗みそのものも目が離せない状態となっています。最後の謎解き、そしてさりげなく示された手がかりがよくできていますが、とある理由で見えやすくなっているのが少々もったいないところ。

13.「陪審団を盗め」 The Theft of the Satin Jury
 夫の愛人を決闘で殺したとして注目を集めている女性の裁判。何と、その裁判の陪審員全員を盗んでくれという依頼がきたのだ。早速裁判の傍聴に行ったニックだったが、そこで顔なじみのウェストン警部と顔を合わせることに……。
 「弱小野球チームを盗め」並の大がかりな盗みになる割に、依頼人にとってのメリットがさっぱり見えてこない仕事ですが、決闘による殺人事件の裁判が魅力的で、ニックならずともそちらに引き込まれます。さらに「真鍮の文字を盗め」に続いてのウェストン警部補の登場もあり、見どころ満載といったところですが、完全に盲点に追いやられていたある手がかりに脱帽。

14.「革張りの柩を盗め」 The Theft of the Leather Coffin
 急死した牧畜業者が生前に作らせていた、外側が革張りの特製の柩を盗み出すよう依頼を受けたニック。だが、葬儀の最中に武装した男たちが乱入し、目の前で柩を奪われてしまった。何とか柩を取り戻そうとするニックだったが……。
 ニックの目の前で奪われてしまった柩を追って、争奪戦のような展開をみせる作品ですが、最後には思わぬところから思わぬ真相が飛び出してくるのに驚かされます。少々大がかりにすぎるところや、結末がややすっきりしないところなどは好みが分かれるかもしれませんが……。

15.「七羽の大鴉を盗め」 The Theft of the Seven Ravens
 新しい独立国の大統領が、英国女王陛下に七羽の大鴉を献上するという。今回の依頼はその大鴉が盗まれないように警護するというものだった。勝手の違う仕事に戸惑うニックだったが、やがて大鴉を盗んでほしいという一味が……。
 “盗まれるのを防ぐ”というイレギュラーな依頼で始まりますが、すぐに盗みの依頼もくることに……というわけでこの作品では、せっかくなので両方の依頼人から報酬を取ろうとするニックが、とんち話のような難題をどうやってクリアするかが見どころとなっています。少々ごたついている感はありますが、よく考えられているのは確かでしょう。
2014.12.18読了  [エドワード・D・ホック]

怪盗ニック全仕事2 The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.2  エドワード・D・ホック

ネタバレ感想 2015年刊 (木村二郎訳 創元推理文庫201-15)

 シリーズの16篇目から30篇目までが発表順に収録された第二巻で、前巻に比べると、「空っぽの部屋から盗め」「何も盗むな」などのような定型を外した作品が多くなっています。
 巻末の木村仁良氏による解説「怪盗ニックを盗むべからず」はスペースの都合でかなり短めになっていますが、増補版が「Afterword to THE COMPLETE STORIES OF NICK VELVET: VOL. 2」に掲載されています(→『怪盗ニック全仕事3』巻末の木村仁良氏による解説「怪盗ニックを見たら泥棒と思え」で補足されています)。
 個人的ベストは、「空っぽの部屋から盗め」「カッコウ時計を盗め」「バーミューダ・ペニーを盗め」

16.「マフィアの虎猫を盗め」 The Theft of the Mafia Cat
 今回の依頼人はニックの旧友ポールだった。マフィアの幹部になったというポールはなぜか、組織の大物ピローネがかわいがっている大きな虎猫を盗み出してほしいというのだ。ニックは釣り人を装ってピローネの邸に接近するが……。
 厳しく警戒された中での鮮やかな盗みの手口もよくできていますが、依頼人の目的が実にユニークで魅力的。マフィアの大物を相手にした結末も、うまく考えられています。

17.「空っぽの部屋から盗め」 The Theft from the Empty Room
 入院中の依頼人は、弟の別荘の物置部屋にあるものを盗んでほしいと告げたところで、急に手術を受けることになってしまい、ニックは何を盗むかわからないまま別荘を訪れる羽目に。ところが、物置部屋の中は空っぽだった……。
 定番の“なぜ盗むのか?”どころか、“何を盗むのか?”から推理を始めなければならないという、実にユニークな作品。しかし物置部屋は文字通り空っぽの状態で、ニックが頭をひねって重ねる試行錯誤が見どころです。最後に明らかになる真相も秀逸。

18.「くもったフィルムを盗め」 The Theft of the Foggy Film
 依頼人は、映画撮影中の年老いた俳優だった。彼が通行人として出演した場面のフィルムが現像ミスでくもった状態になり、その場面は撮り直されることになったが、撮り直し前の廃棄されるフィルムを盗み出してほしいというのだ……。
 序盤に「真鍮の文字を盗め」「陪審団を盗め」(いずれも『怪盗ニック全仕事1』収録)でおなじみのウェストン元警部補が登場し、何に関わる依頼なのかは早い段階で見当がついてしまいますが、そこから先のひねった展開とさりげない手がかりがよくできています。最後に残された謎も、やや地味に感じられてしまうきらいはあるものの、その真相は実に印象的です。
 ちなみにハヤカワ・ミステリ版『怪盗ニック登場』では、依頼人が出演する映画の題名が『コンピューター検察局』とされていましたが、ハヤカワ文庫版から『遠心分離』とされています。また、ハヤカワ・ミステリ版では最後のオチがややわかりにくかったのですが、これもハヤカワ文庫版からわかりやすく変更されています。

19.「クリスタルの王冠を盗め」 The Theft of the Crystal Crown
 地中海の小国ニュー・イオニアで行われる仮装舞踏会で、古いクリスタルの王冠を盗んでほしいという依頼を受けたニック。何とか王冠を盗み出したものの、依頼人とともに国外に脱出しようとしたその時、警官隊に取り囲まれて……。
 架空の小国を舞台に、観光案内めいた一幕も盛り込まれたエキゾティックな(?)エピソード。工夫はされているものの、盗みの目的はおおよそ見当がつきますし、今ひとつ面白味に欠けるのは否めません。最後に絶体絶命の窮地に追い込まれたニックがみせる、鮮やかな逆転は印象的ですが……。

20.「サーカスのポスターを盗め」 The Theft of the Circus Poster
 ピエロのメイクアップをした謎の男から依頼を受けたニックは、年老いて引退したピエロがコレクションしている、古いサーカスのポスターの一枚を盗み出すことに。しかし老ピエロを訪問したニックの前に、その孫娘が立ちはだかり……。
 変装した依頼人の正体が見え見えで、手がかりの出し方もややあからさまに感じられますが、このあたりは致し方ないところもあるでしょう。また、ポスターにまつわる謎は少々わかりにくいところもあり、全体としてやや微妙に感じられる作品です。

21.「カッコウ時計を盗め」 The Theft of the Cuckoo Clock
 ラス・ヴェガスのクラブで働くコメディアンから、クラブ事務所の壁にかかった安物のカッコウ時計を盗んでほしいという依頼を受けたニック。警備は厳重だったが、クラブ経営者に恨みを持つ男の協力を得て盗みは成功した。しかし……。
 安物のカッコウ時計一つ盗み出すのに、やけに派手なことになっているのはラス・ヴェガスにふさわしいというべきか。カッコウ時計を求める依頼人の目的も印象的ですが、それが明らかになったところから思わぬ解釈を引き出すニックの推理と、解き明かされる真相が実に見事です。

22.「怪盗ニックを盗め」 The Theft of Nick Velvet
 依頼人に呼び出されて仕事の話を切り出そうとしたニックは、突然後ろから頭を殴られて意識を失ってしまう。目を覚ました時にはベッドに手錠で縛りつけられた状態で、どうやら誘拐されてしまったらしい。一体誰が、何のために……?
 ニック自身が“盗まれて”しまうという異色の発端ですが、その割に比較的あっさりといつもの盗みに転じるのが少々もったいなく感じられます(やむを得ないところでしょうが)。とはいえ、ニックの見事な盗みが成功した後の展開はまた面白いことになっていますし、最後の真相につながる実にさりげない手がかりも巧妙です。

23.「将軍のゴミを盗め」 The Theft of the General's Trash
 ニックは著名な政治コラムニストの依頼を受けて、大統領顧問のスパングラー将軍のゴミ袋を盗み出すことに。しかし依頼人の目当ての物はなかなか見つからず、ニックが将軍のアパートメントからゴミ袋を盗み続けて四日目、ついに……。
 手を変え品を変え盗みを繰り返す、ニックの職人芸が光る作品です。盗みがなかなかうまくいかないこともあって、依頼人の目的は次第に明らかになっていきますが、ついに目当てのものが見つかってからの急展開、さらにはある手がかりから鮮やかに導き出される真相がよくできています。一方、ニックの正体に気づき始める恋人グロリアの推理も必見。

24.「石のワシ像を盗め」 The Theft of the Leagal Eagle
 高名な判事が市に遺贈した1トン半の石のワシ像を、元の場所――判事の庭園にある台座の上に戻してほしいという依頼人。ニックはヘリコプターでワシ像を吊り上げて台座まで運んだのだが、そこで思わぬトラブルが発生して……。
 巨大な獲物を盗み出す作業はやはり大がかりですが、予期せぬトラブルの発生とともに依頼人の目的が明らかになってからが見どころ。そこから紆余曲折の末に、うまく収拾をつけながら(ある意味)豪快な真相を持ち出してくるところにニヤリとさせられます。

25.「バーミューダ・ペニーを盗め」 The Theft of the Bermuda Penny
 傷のついたバーミューダ・ペニーを盗み出すという依頼を受けたニックは、持ち主の賭博師カザーがサラトガの競馬に向かう車にまんまと同乗する。ところが高速道路を走っている最中に、カザーが車の中から消失してしまったのだ……。
 このシリーズにしては珍しく、〈サム・ホーソーン医師シリーズ〉ばりの人間消失が扱われた作品で、消失自体もさることながら、盗み出す相手が消えることでニックの仕事が暗礁に乗り上げるという、このシリーズならではの扱い方が非常に面白いところです。仕事のタイムリミットが目前に迫ってくる中で、ニックの懸命の推理は……?

26.「ヴェニスの窓を盗め」 The Theft of the Venetian Window
 依頼人は、ヴェニスに住む老人が持つ鏡を盗んでほしいと持ちかけてきた。その鏡は何と、並行世界への出入り口だというのだ。持ち主の老人を訪ねたニックだったが、誰も出入りできないはずの部屋の中で老人は殺されてしまい……。
 ファンタジーめいた依頼を発端として、犯人が並行世界へ消えたかのような密室殺人へとつながる、オカルト探偵サイモン・アークもの(→『サイモン・アークの事件簿I~V』(創元推理文庫))を髣髴とさせる作品。正直なところ、トリックには苦笑を禁じ得ないものがありますが、犯人を特定するための手がかりがよくできています。

27.「海軍提督の雪を盗め」 The Theft of the Admiral's Snow
 スキー場を経営する男から、雪が足りないので盗んできてほしいという依頼を受けたニック。近くの海軍提督の地所には十分な量の雪があるという。その提督は中東や極東での任務が長かったせいか、変わった趣味の持ち主らしい……。
 盗みの目的が最初からはっきり明かされている異色の作品で、“どうやって大量の雪を盗むのか?”が焦点となります。この部分だけでも十分に面白いのですが、さらにもう一つ奇妙な謎が盛り込まれており、最後に明かされる真相が何ともいえない後味を残します。

28.「卵形のかがり玉を盗め」 The Theft of the Wooden Egg
 卵形をした木のかがり玉を裁縫かごから盗み出してほしいという依頼を受けて、ニックが接近した持ち主の女性は依頼人とそっくり――実は三人姉妹だという。その三人姉妹が一堂に会する中、かがり玉を盗み出したニックだったが……。
 まず“かがり玉”がわかりにくいと思いますが、「darning egg - Google 検索」のような感じの裁縫道具だそうです。ニックの盗みは比較的あっさりと成功するものの、中盤に事情がある程度明らかになってからが見どころで、入り組んだパズルのような謎に“もう一人の泥棒探し”と、色々な楽しみが盛り込まれた作品です。

29.「シャーロック・ホームズのスリッパを盗め」 The Theft of the Sherlockian Slipper
 スイスのライヘンバッハの滝近くにあるシャーロック・ホームズの部屋。シャーロッキアンの依頼人は、そこに飾られたホームズのペルシャ・スリッパを盗んでほしいという。仕事に取りかかったニックは、次々にトラブルに巻き込まれて……。
 シャーロック・ホームズが煙草の葉をしまっていたというペルシャ・スリッパが標的で、ライヘンバッハの滝ということで「最後の事件」オマージュがあるのはご愛嬌。このシリーズにしては珍しく依頼人の狙いが最後まで引っ張られ、“最後の一撃”風になっているのが面白いところです。

30.「何も盗むな」 The Theft of Nothing At All
 「次の木曜日に何も盗むな」という珍妙な依頼を受けて、労せずして二万ドルを手に入れたニックだったが、次の週にも同じ依頼が繰り返される。依頼に応えながらも次第に好奇心を抑えきれなくなったニックのもとに、一本の電話が……。
 前代未聞の依頼が目を引く作品ですが、「七羽の大鴉を盗め」『怪盗ニック全仕事1』収録)の発展形であることは見当がつくでしょう。というわけで、依頼の対象と目的が何なのか、そしてニックがどのように片をつけるのかが見どころとなりますが、その仕事ぶりと最後の説明は鮮やかです。
2015.09.06読了  [エドワード・D・ホック]

怪盗ニック全仕事3 The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.3  エドワード・D・ホック

ネタバレ感想 2016年刊 (木村二郎訳 創元推理文庫201-16)

 シリーズの31篇目から44篇目までの14篇が発表順に収録された第三巻。“なぜ盗むのか?”一本ではやや苦しくなってきたのか、ニックの盗みから派生する形で――あるいは盗みとは別のところで――メインの謎が提示される作品が目につきます。
 個人的ベストは、「つたない子供の絵を盗め」「きのうの新聞を盗め」「感謝祭の七面鳥を盗め」

31.「つたない子供の絵を盗め」 The Theft from the Child's Drawing
 六歳の男の子がクレヨンで描いた、何の変哲もない海辺にある家の絵――それが今回の獲物だった。グロリアの協力を得て、学校の教室に飾られた絵を盗み出したニックだったが、その直後、グロリアが何者かに誘拐されてしまう……。
 盗み自体は簡単に成功するものの、グロリアが誘拐されてしまったことで、ニックは子供の絵に隠された秘密を解き明かすことに。その真相は秀逸ですが、さらに思わぬところで足下をすくわれる結末がお見事。

32.「家族のポートレイト写真を盗め」 The Theft of the Family Portrait
 女子大生の部屋で依頼された家族写真を盗んだところを、部屋の主に見つかってしまったニックだったが、彼女はニックを父親の部下だと思い込み、年齢の離れた恋人との食事に連れ出す。依頼人の狙いをおぼろげに察したニックは……。
 盗みの目的――何の変哲もない家族写真の使い道は、物語が進むにつれて明らかになります*1が、ニックの予想したとおりの展開かと思いきや、巧みなひねりが加えられているのが見どころです。

33.「駐日アメリカ大使の電話機を盗め」 The Theft of the Turquoise Telephone
 CIAの職員から、駐日アメリカ大使の電話機を盗んでほしいという依頼を受けて、早速日本を訪れたニック。だが、大使の電話機にはどうやら盗聴器が仕掛けられているらしい。はたして、電話機を盗み出したニックは、思わぬ騒動に……。
 「ニックの東京日記」という旧題のとおり、アメリカを離れて東京が舞台となった異色作で、アメリカ大使館の近くにあるホテルオークラ*2で依頼人と待ち合わせるなど、東京の地理もしっかり描かれています。盗聴器をめぐるスパイ・アクション風の展開に決着がついた後、やや唐突に意外な謎解きが飛び出してくるあたり、奇妙な味わいの残る作品となっています。

34.「きのうの新聞を盗め」 The Theft of the Yesterday's Newspaper
 グロリアとロンドンを訪れたニックは、有名な女優の家にある昨日の日付の新聞を、処分される前に盗み出す仕事を引き受ける。女優が開いたパーティーの席上、間一髪で新聞を手に入れたニックだったが、窮地に追い込まれて……。
 (表面的な)価値のなさではシリーズ中随一の獲物がまず目を引きますが、依頼人がそれを求める理由はなかなかよくできています。やむを得ない誤算によりしくじりかけたニックですが、謎解きによる逆転は実に鮮やか。そして、ついにニックの仕事を知ったグロリアが放つ、最後の一言にニヤリとさせられます。

35.「消防士のヘルメットを盗め」 The Theft of the Firefighter's Hat
 知り合いの男から、消防士のヘルメットを至急手に入れてほしいと頼まれたニック。難なく仕事を済ませたものの、消防署のロッカーに指紋を残す不注意のせいで、消防士殺しの容疑をかけられてしまい、犯人探しをする羽目に……。
 早々に明かされる盗みの理由には釈然としないものがあります*3が、ニックが“探偵”として消防士の不可解な死の真相を探る、オーソドックスな形のミステリととらえることもできるでしょうし、“偶然”をうまく取り入れたプロットはよくできています。そして最後の場面が印象的。

36.「競走馬の飲み水を盗め」 The Theft of Sahara's Water
 競馬場へやってきたニックに、人気のある競走馬の飲み水を盗む話を持ちかけてきた男。その馬は特別な鉱泉水を飲んでいるそうで、それを水道水に入れ替えてほしいというのだ。ニックはスポーツ記者を装って馬主を訪ねるが……。
 やがて明らかになる依頼人の目的からすると、いかにもコストパフォーマンスが悪そうなところが疑問ではありますが、この作品では完全に盗みの後の展開がメイン。物語が意外な方向へ転じる中、それを奇貨として事態の打開を図るニックの“解決”がお見事です。

37.「銀行家の灰皿を盗め」 The Theft of the Banker's Ashtray
 ある銀行家からの奇妙な依頼。それは、何の価値もないはずの灰皿が盗まれた理由を推理してほしいというものだった。ニックはその代わりとして、灰皿を盗んでいった怪しげな牧師から灰皿を盗み返す仕事を引き受けたのだが……。
 一風変わった最初の依頼は、しかし(本業でないとはいえ)ニック以上の適任者はいないのも確か*4で、なかなか面白いと思います。そして、依頼が盗みに変わってもやはり“盗まれた理由”が大きな焦点となるところ、ニックがそこに踏み込んだことが原因で物語は(謎解きから)コンゲーム風の展開へ。痛快な結末が魅力です。

38.「スペードの4を盗め」 The Theft of the Four of Spades
 マンハッタンをぶらついていたニックは、ばったり出くわした旧友のロンに仕事を依頼された。それは二人の人物の家から、トランプのスペードの4のカードをすべて盗み出すというものだった。ところが、二人目の家はトランプだらけで……。
 アンソロジー*5にのみ収録されていた、ホックの単著では初収録となる作品で、ニックの盗みの手際こそ鮮やかですが、他にあまり見るべきところがないのが残念。依頼人の狙いはかなり見え見えですし、オチもすぐに見当がついてしまうきらいがあります。

39.「感謝祭の七面鳥を盗め」 The Theft of the Thanksgiving Turkey
 感謝祭の七面鳥を、当日の朝になってから盗んでほしいという依頼。しかも、七面鳥が盗まれたことを決して悟られてはならないという困難な仕事だった。ところがニックは仕事を前にして、自宅の階段で転んで足を骨折してしまい……。
 ニックが仕事の直前になって骨折したせいで、グロリアに手伝ってもらうことになるのがまず目を引きます。そしてもちろん、依頼人からの難題にどのような形で応えるか、というのも興味を引くところです。盗みの目的は成功した直後に明らかになりますが、それだけでは終わらない快作です。

40.「ゴーストタウンの蜘蛛の巣を盗め」 The Theft of the Lopsided Cobweb
 砂漠のゴーストタウンにある、閉鎖された銀鉱の入り口に張られた蜘蛛の巣を、壊すことなくそのまま持ってきてほしいという難題に、頭を抱えるニックだったが、一計を案じて見事に蜘蛛の巣を手に入れる。ところが、思わぬ事態が……。
 どうやって蜘蛛の巣を盗むのかがまず気になるところですが、ある意味で合理的なニックの発想にはなるほどと思わされますし、苦労して盗んできた蜘蛛の巣の扱いもなかなか愉快です。しかしながら、盗みの際にニックが遭遇した事件の方が、かなり取ってつけたような印象が強いのが少々残念です。

41.「赤い風船を盗め」 The Theft of the Red Balloon
 とある政治家の集会会場で、たった一つだけあるはずの赤い風船を盗むという仕事。事情を探ろうと、関連のありそうな会場近くの極右主義者団体に潜入したニックだったが、見知らぬ死体に出くわす羽目に。そして集会当日……。
 「銀行家の灰皿を盗め」に出てきたTV記者ローン・ラースンが再登場。下調べの段階から事件が発生して不穏な空気が漂う作品で、ニックの読みが的中するのかどうかが一つの見どころとなります*6。はたして集会当日は、政治家のシンボルカラーである緑と白の風船で会場がいっぱいの中、鮮やかに浮かんだ赤い風船が思わぬところで見つかるのを皮切りに、結末まで一気呵成の展開で読ませます。

42.「田舎町の絵はがきを盗め」 The Theft of the Picture Postcards
 田舎町の小さな食料雑貨店から、近くの湖が写っている絵はがきをありったけ盗んでほしいという依頼人。だが、目当ての絵はがきは店頭には一枚しかない上に、何やら警戒している様子の店主は獰猛な番犬を飼っているという……。
 普通に買えばすむのではないかと思いきや、その実はなかなか厄介な依頼で、何とか番犬を回避して見事に盗みを成功させたにもかかわらず、ニックはトラブルに巻き込まれることに。事態を一気に解決する、ニックの“犯人探し”がよくできています。

43.「サパークラブの石鹸を盗め」 The Theft of the Sliver of Soap
 高級サパークラブで起きた火災に、放火の疑惑がかかっているという。火災で被害を受けたバンドのメンバーから、放火の証拠としてクラブ経営者の家にある石鹸を盗む依頼を受けたニックは、一計を案じて見事に石鹸を入手するが……。
 盗む石鹸は放火の証拠という触れ込みではあるものの、放火と石鹸の具体的な関連がまず一つの謎となっています……が、これはさすがに無理があるでしょう。その点は、怪盗ニックものに仕立てたゆえの弊害というべきかもしれませんが、その後の謎解きをみるとオーソドックスなミステリとしても難がありすぎるので、いかんともしがたい作品といわざるを得ません。

44.「使用済みのティーバッグを盗め」 The Theft of the Used Teabag
 休暇でフロリダを訪れたニックは、グロリアの旧友から依頼を受けた。シーモアという男がクラブで紅茶を飲んだ後の、使用済みティーバッグを盗んでほしいというのだ。その裏には、高速ボートを使った麻薬密輸が絡んでいるようだが……。
 これもアンソロジー*7に収録されていた一篇。ティーバッグに隠された秘密はおおよそ見当がつきますが、盗みの前に発生した思わぬ事態の行方や、麻薬密輸疑惑の真相、そして窮地に陥ったニックがいかにしてそこから脱出するか、といった見どころの多い作品です。
*1: “父親の部下”ならば写真を持ち去ることに説明がつく、というのも面白いところです。
*2: 「アクセスマップ|ホテルオークラ東京」で、アメリカ大使館はもちろんのこと、作中で言及される“大倉集古館”(94頁)も確認できます。
*3: 作中でニック自身も危惧してはいるのですが……。
*4: “今までに価値のないものを盗むためのあらゆる理由に出くわしたのではありませんか?”(204頁)という依頼人の台詞には納得です。
*5: ニューヨークを舞台にしたミステリ・アンソロジー、アイザック・アシモフ他編『ビッグ・アップル・ミステリー マンハッタン12の事件』(新潮文庫)。
*6: (一応伏せ字)……と書いてしまうのはまずいかもしれませんが、たとえ書かなくともおおよその方向は予想しやすいと思います(ここまで)
*7: アイザック・アシモフ他編『16品の殺人メニュー』

2016.06.30読了  [エドワード・D・ホック]

怪盗ニック全仕事4 The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.4  エドワード・D・ホック

ネタバレ感想 2017年刊 (木村二郎訳 創元推理文庫201-17)

 シリーズの45篇目から59篇目までの15篇が発表順に収録された第四巻。本書では、シリーズ中の全12篇*1に登場するニックの商売敵にして友人、〈白の女王〉ことサンドラ・パリスが初登場するのが目を引くところです。
 元女優で三十代半ばの美女であるサンドラは、ニックと違って価値のないものだけを盗むわけではないものの、〈不可能を朝食前に〉をモットーとして朝早くに、なおかつ不可能犯罪的な演出を施して盗みを働くというこだわりを持っています。
 特にサンドラの登場する作品ではプロットがやや複雑になっているほか、最初から依頼人の目的がはっきりしていたり、あるいは盗んだもの自体ではなくそこに隠された秘密が重要になっていたりと、かなりバラエティに富んだ一冊となっています。
 個人的ベストは、「白の女王のメニューを盗め」「人気作家の消しゴムを盗め」「色褪せた国旗を盗め」

45.「白の女王のメニューを盗め」 The Theft of the White Queen's Menu
 ニックが断った依頼を引き受けた〈白の女王〉ことサンドラ・パリスは、ある男の書斎のオフィス家具をすべて盗み出したが、依頼人は満足しない様子。サンドラは、盗んだ家具に隠されたものを見つけ出すよう、ニックに依頼してきたが……。
 サンドラ・パリス初登場ということで、サンドラによる二度の盗み――ニックが断った仕事*2ともう一つ――が中心になっているものの、不可能にみえる犯行の謎解きに加えて、盗んだものに関する謎解き、さらには題名になっているニックの盗みと、見どころの多い作品です。また、久々の登場となるウェストン元警部補*3もいい味を出しています。

46.「売れない原稿を盗め」 The Theft of the Unsold Manuscript
 かつての学友が30年以上前に書いた、どこにも売れなかったという短編小説の原稿を盗んでほしいという依頼。屋根裏の古いトランクの中にあるという原稿を狙って、巧みに家に侵入したニックだったが、原稿を手にしたところでいきなり……。
 謎解きの要素はほとんどなく、スリラー風の展開が前面に出された異色の作品。アクション映画めいたクライマックスに終止符を打つ結末が、何ともいえない後味を残します。

47.「ハロウィーンのかぼちゃを盗め」 The Theft of the Halloween Pumpkin
 新聞出版人の家のフロント・ポーチから、ハロウィーンの飾りのかぼちゃのランタンを盗んでくる仕事を受けたニック。だが、敷地内は警備員と犬が厳重な見回りを続けており、前年のハロウィーンには撃たれて死んだ男がいたという……。
 前年に死者が出た場所での物騒な仕事ですが、盗みの手口はさほど凝ったものではありませんし、謎と真相もかなりシンプルです。ただし、現在の感覚ではややわかりにくくなっているきらいがあり、若い読者には今ひとつピンとこないかもしれません。

48.「図書館の本を盗め」 The Theft of the Overdue Library Book
 レストラン経営者で旧友のトニーを盗み出すという依頼を断ったニックだったが、代わりにサンドラがその仕事を引き受けたらしい。ニックが警告しようとトニーを訪ねてみると、返却期限を過ぎた図書館の本を盗み出すようトニーに頼まれ……。
 サンドラ・パリス二度目の登場で、やはりニックの盗み(こちらも巧妙ですが)よりもサンドラの演出する不可能状況の方に焦点が当てられた作品となっています。今回は、〈サム・ホーソーン医師シリーズ〉ばりの監視下での人間消失で、そのトリックもさることながら、ニックによるたった“五文字”での謎解きが鮮やか。

49.「枯れた鉢植えを盗め」 The Theft of the Dead Houseplant
 突然別れ話を切り出して、ニックのもとから去って行ったグロリア。だが、パーティーの席で枯れた鉢植えを盗む仕事を引き受けたニックは、出席者の注意を引きつけるために得意の似顔絵を描いてもらおうと、グロリアの協力を求める……。
 いきなり訪れたニックとグロリアの危機にまず驚かされます*4が、仕事にかこつけてグロリアとよりを戻そうとするニックの姿は応援せざるを得ません。枯れた鉢植えの謎は、若干ひねりを加えてはあるものの、比較的わかりやすいのではないかと思います。一つ気になる点もありますが、これはやむを得ないところでしょう。

50.「使い古された撚り糸玉を盗め」 The Theft of the Ball of Twine
 依頼を受けて、ブラジルから脱出した政治犯の男をかくまっていると噂のある前駐ブラジル大使の家から、使い古された撚り糸玉を盗み出したニックだったが、何の変哲もない撚り糸玉の使い道が気になって、依頼人に協力することに……。
 ニックの盗みよりも、盗み出した撚り糸玉の謎の解明をはじめとした“アフターサービス”に力が入った作品。最後に明かされる真相そのものはよくできていると思いますが、その解明に関する処理に難があるのは否めないところです。

51.「紙細工の城を盗め」 The Theft of the Cardboard Castle
 ある家の子供部屋から紙細工の城を盗み出してほしいという依頼を受けたニック。留守宅に忍び込み、獲物を奪って逃げようとしたのだが、あまりにも簡単すぎる仕事に警戒心がわいてきたまさにその時、死体と刑事に出くわしてしまう……。
 ニックが殺人容疑で逮捕されるショッキングなエピソードですが、殺人事件の真相も含めてミステリ部分の面白味は今ひとつ。それよりも見どころは、突然のサンドラ・パリスの登場*5とその活躍、そして何とも印象的な結末でしょう。

52.「人気作家の消しゴムを盗め」 The Theft of the Author's Eraser
 いつも使っている消しゴムがないと、原稿が書けないらしい人気作家。それを盗むよう依頼してきた弁護士は、書かれると都合が悪いことがあるらしい。テレビ局のクルーにまぎれて作家に近づき、消しゴムを盗み出したニックだったが……。
 冒頭の一文にあるように*6、盗みの理由が最初からはっきりしている異色の作品。裏を返せば、“怪盗ニックもの”である必然性がなくなりかねないのですが、この作品では予期せぬ“アクシデント”とニックの依頼された盗みに微妙なつながりを持たせてあるのがうまいところ。トリックや手がかりもよくできています。

53.「臭腺を持つスカンクを盗め」 The Theft of the McGregor's Skunk
 とある農場で飼われているスカンクを盗んでほしいという依頼だったが、そのスカンクは臭腺が除去されていないという問題が。悪臭にやられずにスカンクを盗み出すという難題に、近くで動物病院を営む獣医に相談してみたニックは……。
 ニックの盗みの中でもトップクラスの“危険物”を相手に、まずはその対策が興味を引かれるところですが、ニックに協力する獣医・グレイズ先生の魅力的なキャラクターも相まって面白く感じられます。一方、依頼人が求めるスカンクの秘密などミステリとしての眼目は、日本の読者にはわかりにくいのが残念です。

54.「消えた女のハイヒールを盗め」 The Theft of the Lost Slipper
 グロリアの兄アーニーの依頼は、とある法律事務所の金庫の中から、片方のハイヒールを盗んできてほしいというものだった。持ち主の女は、法律事務所から出た途端に、片方のハイヒールだけを残して煙のように消えてしまったという……。
 グロリアの親族からの依頼……というところはさほど重要ではなく、依頼された盗みも結果的に後回しにされて、シンデレラさながらに*7片方の靴だけを残して消えた女を探す“人探し”が中心となっています。消失トリックの解明も含めた謎解きは、それ自体の面白さよりもプロットとの組み合わせの妙が光ります。

55.「闘牛士のケープを盗め」 The Theft of the Matador's Cape
 スペインを訪れたニックは、闘牛士の姉から、弟が試合で使う赤いケープを盗む依頼を受ける。最近弟の様子がおかしく、今度の試合に出てほしくないというのだ。そしてニックがケープを盗んだところへ、闘牛士が殺されたという知らせが……。
 「人気作家の消しゴムを盗め」と同じく、盗みの目的がはっきりしたところから予期せぬ……というよりも妙な方向へと進んでいく作品。真相はある程度わかりやすい一方で、結末は予断を許さないところがありますが、このシリーズではやや珍しい形の印象深い幕切れとなっています。

56.「社長のバースデイ・ケーキを盗め」 The Theft of the Birthday Cake
 社長夫人からの奇妙な依頼。夫のために作るバースデイ・ケーキを、運転手がリムジンで運んでいる間に別のケーキにすり替えてほしいというのだ。ニックは鮮やかな手際ですり替えに成功するが、いざ夫人にケーキを届けようとすると……。
 ニックが鮮やかな手際でケーキをすり替えるところまではプロローグのようなもので、その裏から飛び出してくるとんでもない“事情”は強烈ですし、“本来はあり得ない依頼”を(何とか)成立させている作者の豪腕にもうならされます。惜しむらくは、手がかりが日本の読者にはまずわからないものではありますが、それでもなかなかよくできた作品とはいえるでしょう。

57.「色褪せた国旗を盗め」 The Theft of the Faded Flag
 カリブ海の小国の大使館と領事館から、使い古された国旗を盗み出すという依頼を引き受けたニックだったが、二度にわたってサンドラに出し抜かれてしまう。本国の大統領官邸が最後のチャンスだったが、そこにもまたサンドラが現れ……。
 サンドラ・パリス四度目の登場にしてついに、二人が別々の依頼を受けて同じ獲物を狙う泥棒勝負が始まります。といっても、先に依頼を受けたサンドラの出足が早く、後手に回りっぱなしのニックは苦戦を強いられますが……。使い古された国旗を盗む理由もなかなか面白く、最後まで見ごたえのある一篇です。

58.「医師の中華箸を盗め」 The Theft of the Doctor's Chopsticks
 旧友のトニーからの依頼で、老医師から名前入りの中華箸を盗むことになったニック。だが仕事をする前に、何者かが密かに中華箸を届けてきたのだ。困惑するニックが探りを入れてみると、医師の手元にはもう一組の中華箸があって……。
 「図書館の本を盗め」に続いてニックの旧友トニーが登場します。ニックが盗む前に獲物が届いてしまう、何とも型破りな展開が目を引きますが、それが実に効果的。謎と真相はよく考えられていますし、気の利いたオチもお見事です。

59.「空っぽの鳥籠を盗め」 The Theft of the Empty Birdcage
 サンフランシスコのチャイナタウン近くの屋敷から、空っぽの鳥籠を盗み出す仕事。籠の中の鳥は飼い主とともに数日前にガス中毒死しており、どうやら殺人事件らしく現場は警察が警備しているという。屋敷に忍び込んだニックだったが……。
 “幻の女”風(?)の小ネタに始まり、どう転ぶのか予断を許さない“鳥籠争奪戦”が繰り広げられるのが見どころです。今回のニックの盗みはちょっとひどいものですが(苦笑)、その埋め合わせとしての謎解きはまずまず。そして何といっても皮肉な結末が絶妙です。
*1: そのうち10篇は、『怪盗ニック対女怪盗サンドラ』に収録されています。
*2: サンドラに仕事をさせる都合上、ニックが依頼を断らなければならないのはわかるのですが、“価値がない”かどうか微妙なラインのような気が……。
*3: 「真鍮の文字を盗め」「陪審団を盗め」『怪盗ニック全仕事1』収録)、さらに「くもったフィルムを盗め」『怪盗ニック全仕事2』収録)に登場しています。
*4: この作品は――次の「使い古された撚り糸玉を盗め」も――本書が初訳ですが、その次の「紙細工の城を盗め」(既訳あり)に“一年ほど前に、短いあいだ別居した。”(本書では189頁)といった記述がありました。
*5: この作品が『怪盗ニック対女怪盗サンドラ』にも収録されていることで、予想はできると思いますが。
*6: “それはニック・ヴェルヴェットが依頼された中でもっとも謎の少ない仕事として始まった。”(219頁)
*7: 巻末の木村仁良氏の解説(とチェックリスト)によれば、原題は後に「The Theft of Cinderella's Slipper」と改題されているようです。

2017.04.30読了  [エドワード・D・ホック]

怪盗ニック全仕事5 The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.5  エドワード・D・ホック

ネタバレ感想 2018年刊 (木村二郎訳 創元推理文庫201-18)

 シリーズの60篇目から73篇目までの14篇が発表順に収録された第五巻。このあたりまでくると、“なぜ盗むのか?”一本の作品はほぼ皆無で、別の謎と組み合わせた作品や、状況設定に工夫を凝らした作品などが目につきます。
 個人的ベストは、「レオポルド警部のバッジを盗め」「吠える牧羊犬を盗め」「消印を押した切手を盗め」

60.「クリスマス・ストッキングを盗め」 The Theft of the Christmas Stocking
 クリスマスの前日。別居している孫娘の、暖炉に吊るされたプレゼント入りのストッキングを盗んでほしいと依頼を受けたニックは、サンタクロースに扮してアパートメントに盗みに入ったが、銃を手にした孫娘に現場を押さえられてしまい……。
 窮地から脱するためにニックが挑む謎は、少々扱いの難しい類のネタではありますが、うまくひねりを加えて一筋縄ではいかない謎に仕立ててあるところがよくできています。そして、ニックの最後の台詞は味わい深いものがあります。

61.「マネキン人形のウィッグを盗め」 The Theft of the Mannequin's Wig
 休暇のつもりでフィラデルフィアを訪れて早々に、何者かに命を狙われるニック。そこへ現れた依頼人は、ショーウインドウにあるマネキン人形のウィッグを盗んでほしいという。何とかウィッグを盗み出して依頼人に渡したニックだったが……。
 冒頭から不穏な空気が漂う作品。ウィッグを盗む話がどこにつながっていくのかはおおよそ見当がつきますが、そこから急転直下の展開と、着眼点が面白い謎解きが鮮やかです。

62.「ビンゴ・カードを盗め」 The Theft of the Bingo Card
 カリブ海のクルーズ旅行を楽しむニックとグロリアだったが、船上で行われたミステリー・ゲームの被害者役が、その後本当に殺されてしまう。そして被害者の妻が、救命ボートに備えられたビンゴ・カードを盗み出すよう依頼してきて……。
 クルーズ旅行の最中にまで事件に巻き込まれ、仕事の依頼を受けることになるニック。ミステリー・ゲームそのまま(?)の殺人があまり生かされていない感はありますが、ビンゴ・カードにまつわる謎解きは――少々わかりにくい部分があるとはいえ――なかなかよくできています。

63.「レオポルド警部のバッジを盗め」 The Theft of Leopold's Badge
 美術館から名画を盗んだサンドラだったが、同時に別の絵も盗まれた上に、駐車場で射殺死体が発見される。サンドラが共犯者を殺したと考えるレオポルド警部に対して、ニックは彼女に共犯者が必要ないことを盗みで証明する羽目に……。
 ニックとサンドラに加えて、ホックのシリーズ・キャラクターの一人であるレオポルド警部(『こちら殺人課!』など*1)までもが登場する贅沢な作品です。内容の方も、サンドラの大胆な盗みに始まり、レオポルド警部が鋭いところを見せ、ニックが鮮やかな手際を披露し、最後に意外な犯人が飛び出してくる――という具合に、非常に充実しています。また、サンドラに「紙細工の城を盗め」『怪盗ニック全仕事4』)での借りを返す展開も熱いものがあります。

64.「幸運の葉巻を盗め」 The Theft of the Lucky Cigar
 ポーカーの最中、一本の“幸運の葉巻”をくわえたまま勝負を続け、勝利を収める男。その男に揺さぶりをかけて負かそうと、ポーカー仲間がニックに葉巻を盗むよう依頼してきた。はたして、勝負の途中で“幸運の葉巻”を失った男は……。
 盗みの理由は当初からはっきりしており、盗みの結果として何が起こるかに焦点が当てられた作品。謎の組み立てが面白いとは思うものの、ポーカーの描写にある程度の分量を割く必要があることもあって、少々物足りなく感じられてしまうのも確かです。結末は印象的。

65.「吠える牧羊犬を盗め」 The Theft of the Barking Dog
 ニックは牧羊犬を盗むために、イギリスへやって来た。依頼人から受け取った犬の写真を手に、替え玉を用意しようとドッグ・ショップを訪れると、数日前に同じような犬をほしがる男が来たという。住所を聞いてその男を訪ねてみると……。
 “怪盗ニックも歩けば先客に当たる”(?)といった感じの発端から、犬を盗む理由に加えてその背後に隠された秘密を解き明かす、二段構えの謎解きがよくできていますし、ユニークな手がかりが秀逸です。

66.「サンタの付けひげを盗め」 The Theft of Santa's Beard
 クリスマス前、サンタが絞殺される事件が相次ぐ中、百貨店のサンタの付けひげを盗むよう依頼されたニックだったが、盗みを試みたところでサンタ絞殺魔と間違えられ、警察に逮捕されかける。ニックは依頼人に詳しい事情を尋ねるが……。
 珍しくニックの盗みが難航し*2、サンタ絞殺事件に深く関わることになった挙げ句、容疑者扱いされて謎を解く羽目になる一篇。さりげない手がかりがよくできていると思いますが、全体としてはまとまりがなく散漫な印象で、微妙です。「クリスマス・ストッキングを盗め」と対になるような結末には、ニヤリとさせられますが……。

67.「禿げた男の櫛を盗め」 The Theft of the Bald Man's Comb
 盗む物は櫛。しかし持ち主はなぜか禿げ頭の男――二人の弟とともに人里離れた水車小屋に住み、酒の密造の噂もある偏屈な男に、お手上げとなったサンドラの依頼を受けたニックは、何とか櫛を盗み出したのだが、思わぬ事態が……。
 禿げ頭の男が櫛を持ち歩くという、奇妙な状況がまず目を引きます……が、それを含めて色々と不条理感が先に立ち、釈然としないものが残ってしまうのが残念。しかし、“最後の一撃”風の結末がかなりの衝撃で、忘れがたい余韻を残します。

68.「消印を押した切手を盗め」 The Theft of the Canceled Stamp
 ミルゲイトの町の郵送会社から、消印を押した切手を一枚盗んでほしいという依頼を受けたニック。ところが現地では、消印が押された切手を顔に貼られた他殺死体が発見されていたのだ。しかも被害者は郵送会社の従業員だった……。
 冒頭で殺人事件が起きていることもあって、ニックの視点と警察側の視点で交互に進んでいく構成が異色の作品ですが、依頼人に容疑がかかったことで二つの視点は早々に交錯し、ニックの仕事も難しいものに……と思っていると、鮮やかな盗みと解決にうならされます。

69.「二十九分の時間を盗め」 The Theft of Twenty-Nine Minutes
 難なく依頼をこなしたニックだったが、それはウェストン警部補の企みだった。弱みを握られたニックは、とあるカジノ船の乗客全員から二十九分の時間を盗むという仕事を引き受けることに。グロリアとともに船に乗り込んだニックは……。
 「白の女王のメニューを盗め」『怪盗ニック全仕事4』収録)以来の登場となるウェストン警部補*3からの依頼は、二十九分の時間を盗むという難題。ということで、“どうやって盗むのか?”が軸となっていますが、ニックがひねり出した作戦は非常に面白いものですし、グロリアまでがノリノリで、(謎解きがどうでもよくなるほどに)読んでいて楽しい作品です。

70.「蛇使いの籠を盗め」 The Theft of the Snake Charmar's Basket
 モロッコの蛇使いの籠を盗む依頼を受けて、深夜に蛇使いの家へと忍び込んだサンドラだったが、檻へ移されていたはずのコブラが籠から顔を出し、その毒牙にかかってしまう。何とか命を取り留めた彼女は、ニックに助けを求めるが……。
 モロッコのマラケシュを舞台にしたエキゾティックな作品で、サンドラがコブラに噛まれるショッキングな発端から、ニックまで物騒な事件に巻き込まれていくことになります。話の展開にかなり無理が生じているのが難ですが、真相と手がかりはユニークです。

71.「細工された選挙ポスターを盗め」 The Theft of the Campaign Poster
 弁護士事務所で働き始めたグロリア。その同僚から依頼を受けて、市長選挙が行われるカートライト市で、現職市長の選挙事務所に貼られている特大の選挙ポスターを盗み出すことになったニックは、首尾よく仕事を終えたのだが……。
 盗みそのものはさほどでもなく、グロリアの同僚が依頼人ということもあってかニックが最後まで付き合う、“アフターサービス”の方が本題となっている作品。ポスターの細工*4の裏に隠された事情が焦点で、謎解きの要素がやや薄いのが残念ではありますが、ニックにとっても想定外の結末が印象に残ります。

72.「錆びた金属栞を盗め」 The Theft of the Rusty Bookmark
 ニックの旧友からの依頼は、オットー・ペンズラーの〈ミステリアス・ブックショップ〉に売った四百冊の本の中から、錆びた金属栞を取り戻してほしいというものだった。ローレンス・ブロックのサイン会の混雑を利用して、栞を盗み出すと……。
 〈ミステリアス・ブックショップ〉の小冊子に書き下ろされた作品ということで、オットー・ペンズラー(『魔術ミステリ傑作選』など)その人が登場し、“自分自身の活躍が小説化され掲載されている《エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン》”というメタな記述が出てくるなど、設定が実に愉快です。謎解きにやや微妙なところがありますが、最後のオチはお見事。

73.「偽の怪盗ニックを盗め」 The Theft of the Bogus Bandit
 宝石店を襲った強盗が、ニックの名を騙ったことで大騒ぎに。新聞記事にもニックの名前が躍り、容疑者として取調べを受ける羽目になる。しかし積極的に動かないニックに、業を煮やしたグロリアが、偽の怪盗ニックを盗むよう依頼を……。
 「怪盗ニックを盗め」『怪盗ニック全仕事2』収録)と酷似した題名ですが(当然ながら)内容は大きく異なり、ニックの“放置プレイ”(?)には苦笑を禁じ得ません。もっとも、基本は普通の犯人探しになるため、このシリーズならではの面白味が薄いのは否めないところですが、それでも手がかりなどよくできていると思います。
*1: 比較的入手しやすいのは、『サム・ホーソーンの事件簿II』に収録された「長方形の部屋」と、『サム・ホーソーンの事件簿V』に収録された「レオポルド警部の密室」でしょうか。
*2: 中盤には別のものを盗み出す見せ場もありますが。
*3: 他には、「真鍮の文字を盗め」「陪審団を盗め」『怪盗ニック全仕事1』収録)、「くもったフィルムを盗め」『怪盗ニック全仕事2』収録)に登場します。
*4: 原題と違って邦題では明かされていますが、細工されていること自体は早い段階で明らかになるので問題はありません。

2018.04.11読了  [エドワード・D・ホック]



怪盗ニック対女怪盗サンドラ The Thief vs. The White Queen  エドワード・D・ホック

ネタバレ感想 2004年発表 (木村二郎訳 ハヤカワ文庫HM67-6)

 ニックの商売敵にして友人である〈白の女王〉ことサンドラ・パリスが登場する作品を集めた、文庫オリジナルの第四短編集です。
 サンドラ・パリスは元女優で三十代半ばの美女。ニックに勝るとも劣らない盗みの腕を見せますが、ニックとは違って価値のないものだけしか盗まないということはなく、ニックが断った仕事を引き受けることもあります。
 本書では、常にサンドラが絡んでくる分、シリーズの基本フォーマットからは外れた作品が多く、一味違った雰囲気になっています。
 個人的ベストは「レオポルド警部のバッジを盗め」
 なお、「白の女王のメニューを盗め」「図書館の本を盗め」「紙細工の城を盗め」「色褪せた国旗を盗め」については『怪盗ニック全仕事4』を、また「レオポルド警部のバッジを盗め」「禿げた男の櫛を盗め」「蛇使いの籠を盗め」については『怪盗ニック全仕事5』を、それぞれご覧ください。

76.「バースデイ・ケーキのロウソクを盗め」 The Theft of the Birthday Candles
 武器商人から、武器を満載した飛行機を盗み出すという困難な仕事に挑んだサンドラは、思わぬトラブルに巻き込まれてしまう。一方、ニックはその頃、バースデイ・ケーキのロウソクを盗み出すという仕事を引き受けていたのだが……。
 それぞれ独自に仕事を引き受けたニックとサンドラの様子が交互に描かれる、異色の1篇です。もちろん最後にはそれがクロスしてくるわけですが、そのつながり方自体は微妙。それよりも、ロウソクを盗む理由が非常に秀逸です。

78.「浴室の体重計を盗め」 The Theft of the Bathroom Scale
 マチェック牧場のバスルームにある、何の変哲もない体重計が今回の標的だった。しかし、夫人が留守の間に、しかも主人がシャワーを浴びてから朝食を食べるまでに盗んでほしいという、奇妙な条件がなぜかつけられていたのだ。牧場にベンガル虎がいると聞かされたニックは、サンドラに手伝いを求めるが……。
 盗みの対象自体もさることながら、奇妙な条件がユニークです。その真相は日本人にはわからないものですが、それでも非常によくできています。ただ、おまけ(?)の殺人事件(と後日談)は不要ではないでしょうか。せっかく登場したサンドラの唯一の見せ場ではあるのですが……。

82.「ダブル・エレファントを盗め」 The Theft of the Double Elephant
 〈白の女王〉に盗まれたオーデュボンのダブル・エレファント判の複製画を盗み返してほしい――依頼を受けたニックは早速サンドラに連絡を取ったが、もちろんサンドラは複製画の在処を漏らすこともなく、ニックは独力で謎を解くことを余儀なくされる……。
 そこはかとなく既視感が漂い、今ひとつ面白味に欠ける作品です。
2004.07.20読了  [エドワード・D・ホック]



ニックはなぜ捕まらないのか?

 数々の盗みを働いているニックですが、不思議と警察に捕まることもなく、依然として仕事を続けています。このように安全に盗みを続けられるのはなぜでしょうか。その秘密は、獲物の特殊性にあります。

 何の価値もなさそうなものを盗みの対象とすることで、“依頼人がなぜそれを欲しがるのか?”という謎を生み出しているのは上述の通りですが、もう一つ、盗みを容易にしているという側面もあります。依頼人にとってのみ価値があり、持ち主には価値がない獲物の場合、持ち主がまったく警戒していないために大胆な盗みが可能になっています。典型的な例は「プールの水を盗め」「海軍提督の雪を盗め」ですが、このような場合には被害届が出される心配がないのです。

 一方、獲物が持ち主にとっても価値がある場合にはどうかといえば、往々にして何らかの犯罪と関わりがあり、その秘密をニックが嗅ぎつけて身の安全の保証とすることになります。これは一見するとご都合主義のようですが、決してそうではありません。何の価値もなさそうなものに隠された価値があるわけですから、表沙汰にすることのできない後ろ暗い秘密がある可能性が高いといえるのではないでしょうか。そしてニックは毎回、盗みを働くと同時にわが身の安全をかけてその秘密を推理することになるのです。

 もちろん、これらのパターンにはバリエーションもありますが、基本的にはこのような理由でニックはいまだに安全に活躍を続けることができるのです。