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怪盗ニック全仕事2/E.D.ホック

The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.2/E.D.Hoch

2015年刊 木村二郎訳 創元推理文庫201-15(東京創元社)
「マフィアの虎猫を盗め」
 偶然釣り上げた魚で虎猫スパークルをおびき寄せるあたりは予想できますが、捕らえたスパークルを先に邸の外へ送り出しておくことで、結果的に魚がミスディレクションとなるのが面白いところです。
 しかしこの作品は何といっても、商売のためにあえてマフィアの顔役を装い、それを商売の相手に信じさせるために“虎の威を借る”、もとい“の威を借る”という、ポールの大胆なトリックが魅力的。その真相を暴露しつつ、“ユーモア”でピローネを丸め込む――“おまけ”の情報もあるとしても――ニックの大胆さも印象的です。

「空っぽの部屋から盗め」
 まず、盗みの対象が物置部屋から持ち出された可能性がしっかり否定されているのが周到で、目に見える物は何もないにもかかわらず、盗みの対象はそこにあることが確実です。一方、依頼人ロジャーが兄ヴィンセントによる強盗の証拠を手に入れようとしていることまではわかるものの、さらなる手がかりを求めて依頼人の車の中を確認したところで、壁の色と同じ(ように見える)赤のペイント缶に引っかかってしまうのが面白いところです。
 “正解”だった座席用のハンドクリーナーはもともと車内にあってもおかしくないものであるため、目立たなくなっているのが巧妙なところですが、最後に強奪されたのが煙草の葉だったことや、ヴィンセントの妻シモーンのくしゃみ(苦笑)を手がかりとして、床の埃という真相に至るところがよくできています。そして、物置部屋に“この数週間は(中略)誰もはいっていない”(42頁)ことの証拠という形で、埃が“そこにある”ことが明言されていたのがお見事。

「くもったフィルムを盗め」
 ウェストンが語るダイアモンド強盗とセールスマン殺しが依頼に関わっていることは明らかですが、くもったフィルムには依頼人ウェイドの姿はあるものの、特に事件に関係のありそうな場面は映っていないため、不可解な状態になっているのがうまいところ。そのウェイドが殺されて、殺人者ではなく恐喝者だったということになるとなおさら、フィルムが犯人にとって致命的なものであるはずですが、真相は容易には見抜きにくくなっています。
 フィルムを見たニックが、“もし、セールスマン殺しの手がかりが隠されているのなら、それは画面に映っていないものだ。”(77頁)と独白しているように、ニックが確認する問題の場面(76頁~77頁)の中にクリストファー・ロビン(の名前)が登場しないことが、目立たない手がかりとなっているのが秀逸。そして、フィルムと対比するように撮り直しの場面が描写されている――くもったフィルムでは“発砲する前に、太った女性が邪魔をした”(76頁)となっている箇所が、撮り直しの際には“発砲しようとしたが、ロビンと太った女性に邪魔された”(81頁)とされている――ところもよくできています。
 犯人が明らかになった後、(ウェストンが気にしている)“犯人はどうやってセールスマンの到着を知ったのか?”が最後の謎として残りますが、殺されたセールスマンの名前が“ハーバート・スワロー(77頁)、すなわち“燕”*1だったことが、〈二羽の鳥〉という人気のあったお笑いコンビの片割れだったクリストファー・ロビン(駒鳥)(69頁)と結びついて、ウェストンの想定とは“逆向き”の真相が示されるのが印象的。と同時に、かつて人気のあったスワローが“名もなきセールスマン”として扱われたことが、ロビンの不在にウェイドしか気づかなかったこととあわせて、何ともやるせない悲哀を感じさせます。

「クリスタルの王冠を盗め」
 表向きの依頼人であるヴォンダーバーグが口にする、王位継承に絡んでいるかのような目的は、ストレートには受け取りがたいところがありますし、クリスタルガラスの王冠には何かが隠されている可能性はありません。となれば、観光で売り出そうとしている小国に、事件によって注目を集めるという狙いに思い至ることは、さほど難しくないのではないでしょうか。とはいえ、国王暗殺を含めたヴォンダーバーグ独自の計画が加わって、ややこしくなっているところも見逃せません。

「サーカスのポスターを盗め」
 依頼人の正体を示す手がかりである、ブリーフケースのJKSというイニシャル”(113頁)と、“ジーンズ、キンベル&サックス法律事務所”(125頁)と記されたキンベル弁護士の名刺は、いずれもややあからさまにすぎる感がありますが、そもそも登場人物が限られているせいで読者には明らかでしょう。そうなると、(後にニックが指摘するように)なぜベンスン老人の証言ではなくポスターが必要なのか、ということもあって、遺産相続の話に隠された企みも見えてきます。
 一方、ポスターに隠された謎はなかなかピンとこないというか、“双子の兄弟のようにそっくりに見える”(119頁)“このポスターはどこか妙な感じがする”(120頁)といった記述では読者にとって少々わかりにくいと思いますし、五人目が描かれた理由が“人数を多く見せるため”というのも今ひとつ釈然としないものがあります。
 もっとも、前述の依頼人の正体と遺産相続の企みに気づいて、“五人目が存在しない”ことを確実な前提とするならば、(五人目が描かれた理由はさておき)“双子の兄弟”が同一人物であるところまでは見当をつけることができると思いますが……。

「カッコウ時計を盗め」
 まず、依頼人ビリングズがギャンブルの借金で身動きがとれない状態であり、マセットの弱みをつかんで自由の身になるためにカッコウ時計が必要だったというのが印象的。そのカッコウ時計の中からは銃弾が見つかり、ニックの盗みに協力したロン・ウェブスターが語った兄ハリー殺しにつながるところがよくできています。
 しかし、疑われたマセットがビリングズの要求を飲んだところ、いいタイミングで口を挟むニックの推理がお見事。現場が現場だけに、マセット以外の人物が犯人とは考えにくくなっているのですが、マセットが犯人ならば致命的な証拠である銃弾の入った時計を放置するはずがないというのは、いわれてみれば大いに納得できるところです。
 かくして、完全に盲点に入っていたもう一人の容疑者、すなわちマセットに通じていたハリーの恋人――ロンを見かけて狼狽したヴェンチャーが真犯人だったという意外な真相が鮮やかです。(時に真相が見えやすくなるきらいもあるものの)この作品については、ホックの過不足のない人物の配置が効果を上げているといっていいのではないでしょうか。

「怪盗ニックを盗め」
 ニック誘拐の目的が“盗みをさせないため”なのはまあ当然として、そのニックがあっさり自由の身になるのは拍子抜けの感もありますが、誘拐犯サムとしては絶対に盗みをされるわけにいかないのではなく、あくまでもソーラーへの復讐が狙いなので、復讐のついでにソーラーから金を取れるとなれば、ニックの提案に同意するのも当然でしょう。
 インチキコピー機(苦笑)を使ったニックの盗みは鮮やかな一方、ソーラーが積荷目録を盗ませる目的はこれまたあっさり判明してしまいますが、ソーラーが殺害されたことで一転フーダニットとなるのが面白いところ。しかも、サムの家が殺害現場となることで、サムとは直接関係のない真犯人ジャーヴィスに疑いを向けにくくなっているところがよくできています。
 南アフリカにある北向きの素敵なアトリエ”(191頁)という、何気ない言葉の中に潜んだ嘘を手がかりとして、ジャーヴィスがソーラーに渡した小切手が偽物であり、サムに金を払おうとするソーラーにサムの家へ呼び出された――ジャーヴィスがソーラーを殺した犯人というところまで思い至る、ニックの推理がお見事です。

「将軍のゴミを盗め」
 マローンの居場所をつかむという依頼人サイモンの目的がようやく達成されたかと思いきや、住居に到着してみると当のマローンはすでに死んでいるという急展開。しかしどうやら殺人ではなく自殺らしいと思われたところで、土曜日という手がかりからニックが導き出す真相が衝撃的。何せ、さらなる謎があるのかないのかすら定かでない状態で、不意討ちのように襲いくる完全にノーマークの真相は強烈です。
 サイモンが追いかけていたウォーターゲイト事件との相似をニックに指摘されて、サイモンがアーデンをかばうのを断念する決着は、印象深いものがあります。一方、最後のグロリアの迷推理は思わずニヤリとさせられるもので、後味のいい結末となっています。

「石のワシ像を盗め」
 盗みが成功したところで、ヘリコプターのパイロットとして雇ったクラウスが“反乱”を起こすと同時に、物語が“宝探し”に転じるのが見どころで、ブレイク判事が賄賂を受け取っていたというクラウスの話が、“宝”の存在に信憑性を与えているのも見逃せないところです。
 しかし、判事の伝言文に従ってバラ園を掘り返しても、一向に“宝”が見つからないという展開が巧妙で、穴掘りに夢中になったクラウスをうまく“片付ける”とともに、判事の清廉潔白を信じるシルクを納得させるといった具合に、うまく収拾をつけることに成功しています。その上で最後に持ち出される、伝言文の“二時”が昼ではなく――“六月二十四日”がレッドへリングだったという真相が、なかなか豪快です。

「バーミューダ・ペニーを盗め」
 消失トリック自体はたわいもないものではありますが、協力者を必要とするこのトリックが、カザーとブレイズの入れ替わりトリックと組み合わされているのが秀逸で、ニックにバーミューダ・ペニーを盗まれることなくサラトガまでたどり着くというカザーの目的が、見事に達成されることになっています。
 ニックが指摘しているように、“シートベルトをバックルにとめてから、ドアをしめる音が聞こえた”(276頁)ことや、“ブレイズ”がチェットウィンドを避けた(ようにみえる)というのは重要な手がかりですが、“消えた人間が逆だったみたいなんだ”(294頁)というのは、読者へのヒントとしてやや親切すぎるかもしれません*2

「ヴェニスの窓を盗め」
 密室殺人に“並行世界への脱出”というオカルト風の味つけが施してあるのは面白いのですが、それを信じているのが依頼人のメイスンただ一人で、ニックも含めて他の人物は歯牙にもかけていないため、今ひとつ効果的に感じられません。依頼人の目的に謎があるわけでもありませんし、盗みが完了しないまま終わっている(依頼人に渡していない)ことも考えると、このシリーズである必要性は薄いように思われます。やはりどちらかといえば、オカルト探偵サイモン・アークものに仕立てた方がよかったのではないでしょうか。
 さて、密室トリックそのものは、密室内のクロゼットに隠れていたという噴飯もののトリックですが、クロゼットの存在が大きなタペストリーで隠されていたところは、被害者ランバツィ老人の職業をうまく設定してあると思います。
 そして、“キッチンの両方の蛇口に血の跡”(318頁)があったこと、すなわち犯行後に手を洗おうとした犯人が(冷水だけでなく)熱湯の蛇口までひねったことから、犯人が“Cは冷水{コールド}じゃなくてカルド、熱湯だ”(313頁)*3ということを知らない人物――アメリカ人のクロスに絞り込まれるのが実に鮮やかです。

「海軍提督の雪を盗め」
 大量の雪をギャスパーのスキー場まで運ぶ手段として、「プールの水を盗め」『怪盗ニック全仕事1』収録)を髣髴とさせる人海戦術(?)が採用されるのは妥当なところですが、その前段階――(偽物の)ミイラの首をエサにラッグ提督を騙し、山腹に大砲の砲弾を撃ち込んで雪崩を起こす、豪快すぎる手口に苦笑を禁じ得ません。
 一方、提督一家に漂うおかしな雰囲気――娘のマーシャと秘書のパインが提督を閉じ込めているかのようにみえる、不可解な態度の裏に隠された真相は、何とも苦いものになっています。そしてその真相に起因する、提督のしゃべる首に隠された秘密――“皮膚がもっとも白い首”(347頁)が“それ”でしょうか――が、最後に凄絶な印象を残します。

「卵形のかがり玉を盗め」
 保険屋ロムネイカーの話で、三人姉妹が持っているかがり玉の一つにダイアモンドが隠されていることが明らかになり、ダイアモンドがどこにあるのか、宝石泥棒マナックを雇ったのは誰なのか、そして三人姉妹それぞれの思惑は何なのかといった、少々入り組んだ謎が浮上してくるのが見どころ。ニックが盗んだインドラのかがり玉にはダイアモンドが入っていなかったことで、ダイアモンドを持っているのはローズとクレアのどちらかに絞られるようにも思われますが、錯綜した状況のせいもあってなかなか判然としません。
 ダイアモンドを持っているなら泥棒を雇うことはないというニックの推理(384頁)には説得力がありますが、これが真相――ダイアモンドを持っているクレアが、インドラのかがり玉を盗んで自分のものに見せかけるためにニックを雇った――を隠すミスディレクションとなっているのが巧妙。このクレアの計画を踏まえると、自分のかがり玉を“持ってこなかった”とか、“インドラのかがり玉には価値がない”(いずれも382頁)とか、正直に告白しているのはおかしいようにも思われますが、これはインドラのかがり玉をニックから受け取る前にマナックに襲われ、さらにニックがダイアモンドのことを知ったことで、計画を破棄せざるを得なくなったということでしょう。結果として、このあたりもまた効果的なミスディレクションとなっています。
 最後にニックがマナックに対して仕掛けた、インク・リボンを使った罠もお見事です。

「シャーロック・ホームズのスリッパを盗め」
 依頼人ボノートに命を狙うアネットが登場しているものの、ボノート殺害がアネットの仕業でないことは、同時にスリッパが盗まれていたことから明らかといってもいいと思いますが、サイレンサーの手がかりはよくできています。そうなると、読者からみれば容疑者はコットンウッドしかいなくなるのですが、犯人であることを示す手がかりはなく、煙草を取り扱っていることでコットンウッドに目をつけたニックが、“あんたは間違った理由で真犯人を見つけ出した。”(415頁)と指摘されているのに苦笑。
 依頼人が殺害され、コットンウッドもモリアーティ教授さながらに滝壺に転落してしまったことで、依頼人の狙い――スリッパに隠された秘密が“最後の一撃”風になっているのが、このシリーズの定型からするとかなり異色ですが、未発表の事件記録のはいったワトスンの名高い文書箱”(401頁)への言及が伏線になっているのがうまいところです*4

「何も盗むな」
 まずは依頼人トロッターが“何を盗まれたくないのか?”が問題ですが、“仕事”が毎週木曜日であり、またそのために数万ドル払っても割に合うというのが大きな手がかりで、もう一人の依頼人ローナが登場してくるよりも前に、宝くじに絡んだ仕事だと見当をつけることはできるでしょう。
 かくして、「七羽の大鴉を盗め」『怪盗ニック全仕事1』収録)と同じように、“何も盗むな”というトロッターと“ボールの入った缶を盗め”というローナの、相反する依頼をいかにして両立させるかがポイントとなります。ここで、百個の缶を全部開けることで、盗むことなくダメにするというニックの手段が絶妙。そして、罪を免れるための地方検事に対する申し開きもさることながら、トロッターことレイノルズに対する説明――英語の否定代名詞“nothing”を利用して、“何も盗むな”(“Steal nothing.”)を“を盗め”とこじつけた、(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』にも通じる)とんち話めいた説明がお見事です。
 すべてが一段落した後の、“くじを一枚も買わずに、宝くじで大儲けしたのだ!”(448頁)という最後の一文も印象的。

*1: ハヤカワ・ミステリ版『怪盗ニック登場』では、被害者の名前が“スウィフト”(アマツバメ)だったので、日本人にはわかりにくいところがあったのですが、ハヤカワ文庫版『怪盗ニック登場』から“スワロー”に変更されてわかりやすくなっています(→「Afterword to THE COMPLETE STORIES OF NICK VELVET: VOL. 2」を参照)。
*2: ハヤカワ文庫版『怪盗ニックを盗め』では、この部分が間違った男が消えたみたいなんだ”(同書183頁)とされています。個人的には、入れ替わりに直結するような“逆だった”よりも、旧訳の方が好みですが……。
*3: この部分、ハヤカワ文庫版『怪盗ニックを盗め』では“Cはカルド、熱湯だ”(同書204頁)とされていましたが、本書で“冷水{コールド}じゃなくて”が追加されて、犯人が何をどのように間違えたのか、日本人にもわかりやすく変更されています。
*4: ちなみにハヤカワ文庫版『怪盗ニックを盗め』では、最後の一文が“チャリング・クロスの《コックス銀行》にある文書送達箱の鍵だった。”(同書314頁)と、本書で訳者が補足したと思しき“ワトスン博士の”という説明がないため、その意味が少々わかりづらくなっています。

2015.09.06読了