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怪盗ニック全仕事3/E.D.ホック

The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.3/E.D.Hoch

2016年刊 木村二郎訳 創元推理文庫201-16(東京創元社)
「つたない子供の絵を盗め」
 一見するとただの高床式の海辺の家”(11頁)を描いたにすぎない絵が、よく見ると“家全体が水の中から突き出た四本の脚柱に支えられている”(18頁)のがうまいところで、冒頭で依頼人の紙マッチに記されていた“〈ブッカー石油化学〉”(11頁)という会社名を考え合わせれば*1、石油の採掘という秘密に思い至ることも可能でしょう。
 最後には、ジェイミーがハーブではなくブッカーの息子だったという、ショッキングな真相が明らかにされます。読者に示されているのは、ニックが“壁にかかっている肖像画”(39頁)で真相に気づいたところまでで、それが“ジェイミーによく似た”(41頁)顔であることは伏せられていますが、ジェイミーの実の母親である依頼人とブッカーとのつながりは、“〈ブッカー石油化学〉の紙マッチ”(11頁)*2に加えて、ブッカーの秘密を示す絵を手に入れようとするニックへの依頼そのものによって、十分に示唆されているといえるのではないでしょうか。

「家族のポートレイト写真を盗め」
 ベリルの父親がダイアモンド商ということで、強盗などに顔を知られないように*3顔写真を公表しない条件の保険契約を結んでいる――となれば、依頼人の目的が父親を狙った犯罪だということは、ニックならずとも見当がつくでしょう。
 ところが、ベリルの恋人カルロスが黒幕だと目星をつけたニックが、家族写真の父親の顔の上にカルロスの顔写真を貼り付ける細工を施したにもかかわらず、ベリルの父親が誘拐されてしまうのが面白いところ。そして、ニックの企みが不発に終わったこと自体が、保険金目当ての狂言誘拐という真相を示す手がかりとなっているところがよくできています。

「駐日アメリカ大使の電話機を盗め」
 電話機を盗む理由は早々に明らかになる上に、新樹青年の誘拐事件もすぐに決着がついて、もはや謎など残っていないように思われたところで、意表を突いて――他に解かれるべき謎が見当たらないのも事実ですが――秘密結社〈シ・ファン〉による盗聴の目的が解き明かされるのが、期待を裏切らないところではあります。
 「つたない子供の絵を盗め」と同じように、決め手となる“大おじさん”の腕の傷跡は示されないものの、ニックが何に注目しているかは見当がつくでしょうし、新樹大将が(戦地から日本に戻されるほどの)“重傷を負った腕”(96頁)で切腹するのが難しいのも確かでしょう。頭上に腕をかざして“祝福を授ける”(105頁)というのは仏教らしくないようにも思われます*4が、まあそこはそれ。

「きのうの新聞を盗め」
 まず、“上映時間と同じ百分間の出来事が時間を追って進行する”(115頁)というのが売りの映画『百分間』が、テレビ放映で九十六分に短縮されるというのはさすがに“反則”(苦笑)で、(知らない外国のことでもありますし)ニックがしくじるのも致し方ないところではないでしょうか。そして、この失敗が原因でニックが謎解きに挑むことになる展開がよくできているだけでなく、“ほんの数分が大きな違いをもたらす”(135頁)という失敗から得た教訓が、殺人事件の謎解きに生かされているのが秀逸です。
 最高に価値のなさそうな昨日の新聞とはいえ、文書誹毀を危惧してボツになった記事が掲載された“希少版”ともなれば、問題のボツ記事でホープに妻殺しの犯人呼ばわりされた依頼人ポーランドにとって話は別で、価値の作り方が実に巧妙といっていいでしょう。
 三時のチャイムが鳴った時に、ポーランドが階下の“エレヴェーターのほうへ向かって”(132頁)行くと同時に階上の会議室の“ドアからはいってきた”(129頁)という食い違いは、秘書とノーブルの証言を突き合わせてみるとたわいもないようにも思われますが、アリバイの原理に真っ向から反する同時刻の“二重存在”という現象が愉快です。

「消防士のヘルメットを盗め」
 もともと“マックスのやつが消防士の防火服を手に入れるはずだった”(144頁)ことからすれば、ニックが亡くなった消防官アグノスティの身辺を探るうちに、盗みを依頼してきたサムの仲間マックスに行き当たる展開は、ニックが説明するように納得できる偶然(162頁)といっていいでしょう。ニックに濡れ衣を着せたノールズ部長刑事にとっては“結果オーライ”というべきかもしれませんが、後味の悪かったヘロイン強奪事件がしっかり解決されることになったのは好印象です。
 アグノスティの死は、事前に細工した空気ボンベが誰の手に渡るかわからないことから、(ノールズ部長刑事も“事件性があるとは思っていなかった”(165頁)としているように)犯行は誰にも不可能だったように思われますが、アグノスティが消防官の身で放火を繰り返していたこと、さらにそれを“消防署の仲間に勘づかれた”(163頁)と恐れていたことが明らかになり、消防官の仲間たち全員が共犯たり得る動機が浮上してくるのが鮮やかです。

「競走馬の飲み水を盗め」
 サハラの飲み水を水道水に入れ替えただけでは、サハラの走りにさほど大きな影響があるとは思えません*5し、それで逆転できる程度の差しかないのであれば、対抗馬の賭け率はあまり高くならないはずなので、二万ドルの手数料に見合う利益が期待できるかどうか、大いに疑問です。作中では“サハラ”の事故死によって、そのあたりがうやむやになっているのが巧妙というか何というか。
 アメリカとの競馬のシステムの違いによって、日本の読者には“タトゥー・キット”(186頁)が手がかりになりにくいところがあるとは思いますが、“英語を一言もしゃべらなかった”(187頁)――別の言語をしゃべっていたはずの調教師ナフードが、記者に事故の状況を語っている新聞記事は、“サハラの事故死”に疑いを向けるに十分な手がかりといえるのではないでしょうか。

「銀行家の灰皿を盗め」
  灰皿が盗まれた理由を推理するという依頼を断ったニックですが、依頼人ノートンの“しゃべりながら灰皿をもてあそぶ癖”(206頁)などをもとに解き明かした、金庫を開く指紋が必要だったという理由はよくできていますし、メイビー牧師が(ミステリでは定番とはいえ)熱帯魚の水槽の中に隠したガラスの灰皿を盗み出すのも鮮やか。
 しかし、灰皿が盗まれた理由に踏み込みすぎたせいで解雇され、盗みを成功させても報酬を受け取れない展開は、最初の依頼を踏まえれば何とも皮肉です。とはいえ、そこでTV記者ローン・ラースン(とメイビー牧師)をうまく利用して、ノートンから灰皿を盗み返した(?)上に、“灰皿の指紋*6を使って金庫室に侵入した”と見せかけてノートン自身に金庫室を開かせ、からっぽの金庫室の映像とともに手数料もしっかり手に入れる、ニックの逆襲は実に痛快。にもかかわらず、一回分の手数料で二回仕事をしたことを気にするニックの姿が、何ともとぼけた味わいを残します*7

「スペードの4を盗め」
 二人目の標的であるアマンダが占い師であることがわかれば、“占いでスペードの4が出るのを防ぐ”のが目的であることは明らかですし、その裏にある依頼人の企みも含めて、あまり面白味はありません。また、スペードの4だけでなく他にも好ましくないカードがあることも明らかなので、結末も見え見えでしょう。

「感謝祭の七面鳥を盗め」
 “七面鳥を事前に盗むことなく、しかも盗まれたことを悟られないように”という難題に対して、ローズ家の新しい電子レンジに目をつけて、用意した黒焦げの七面鳥とすり替えて電子レンジの不具合に見せかける手口がまずお見事。と同時に、ニックの珍妙な依頼を受けたシェフの困惑も見逃せないところです(苦笑)
 ローズ家の人々を追い出しておいて、電話の声真似で詐欺をもくろむ依頼人の計画は、なかなか大胆です。しかし、ジェンキンズの“かなり寒いよ。たったの三度だ”という言葉に対して、マイルズが“こっちは三十八度だったが、それでも寒いと思ったよ!”(いずれも289頁)と返してしまったことで、摂氏と華氏*8による食い違いが露呈したのが致命的。
 ちなみにこの部分、摂氏に慣れている日本の読者からすると、“三十八度で寒い”というのが摂氏ではあり得ないことが明らかなので、食い違いに気づきやすいように思いますが、逆に華氏を使っているアメリカ人からみれば、“華氏三度”――摂氏にするとおよそマイナス十六度*9――は(地域によっては)あり得なくもない気温といってもよさそう――“かなり寒い”程度の表現が適切かどうかは別にして――なので、気づきにくくなっている面があるのかもしれません。

「ゴーストタウンの蜘蛛の巣を盗め」
 具体的にどうしたら可能なのか見当もつかないような依頼に対して、大学へ行って蜘蛛の専門家(リッテンハウス教授)に知恵を借りようとするニックの判断は、まさに“餅は餅屋”で合理的。しかし専門家に頼るだけでなく、イェガー老人の狙撃で木枠のガラス板が壊れても、イェガー老人から奪ったポンチョのビニールシートで代用するあたりはさすがです。
 せっかく盗んできた蜘蛛の巣を、翌日にまた元に戻すという依頼は一見すると珍妙ながら、蜘蛛の巣が銀鉱の入り口を“封印”していたことから、誰にも気づかれずに坑道内に侵入することが目的なのは明らか。しかしそこで、坑道から銀鉱石を持ち去るのではなく、詐欺のために銀鉱石を持ち込むという逆転の発想がよくできています。
 一方のイェガー老人殺しはといえば、ニックの盗みがきっかけとなっているのは確かですが、事件そのものはアクシデントにしてもいささか強引で、取ってつけたように感じられるのが難点*10。また、動機などの面で有力な容疑者が見当たらない中で、(推理も何もなく)“不用意な一言”だけで決まってしまう意外すぎる犯人にはあまり面白味がありませんし、その“不用意な一言”――“誰かに狙撃されたら、木枠にもっと注意するんだぞ!”(326頁)も、犯人がわざわざそれを口にすることが自然な状況とも思えない*11ので、全体としてかなり無理があるのは否めません。

「赤い風船を盗め」
 UVAによるダイアモンド上院議員を狙った爆破計画を阻止するため、爆破の合図となる赤い風船を盗むようニックが依頼された――ように思われた事件の構図は、(まさかの(苦笑)ローン・ラースンから盗むことになった*12)赤い風船が宙に浮いた途端に爆発が起きたことで、一旦は補強されます……が、ニックが赤い風船を渡した依頼人の正体が殺されたはずのブルースターだったことから、確実に思われた事件の構図が瓦解してしまうのが鮮烈です。
 まず、ニックがUVAで“マックスがナイフを持ってブルースターを追いかけた”と聞いた(345頁)ことで、ニックが出くわした死体がブルースターだとミスリードされるのがうまいところですが、後にニックが説明しているように、ずいぶん時間がたってもマックスがUVAに戻ってきていないことを考えれば、死んだのがブルースターではなくマックスの方だと気づくこともできるのではないでしょうか。
 生きていたブルースターが、UVAに潜入して知ったはずの爆破計画の詳細を公表することもなく、集会会場ではニックの依頼人として悠長に(?)ふるまった末に、自ら赤い風船を手放してしまった――となれば、爆破計画がブルースターの自作自演である疑いが濃厚になりますし、ニックが推理したように爆破計画自体も効果的でないことは確かでしょう。

「田舎町の絵はがきを盗め」
 “放せ、キング!”(367頁)というアマンダの命令を、機会を逃さず録音して*13利用するニックの手際は鮮やか。しかし絵はがきの秘密――湖から出ている“細長いオレンジ色の垂直線”(370頁)が示すものが、かなりわかりやすくなっているのが少々もったいないところ。“このいまいましい湖は死んでいる”(371頁)や、ファーレンハイトが“かつてここで織物工場を持っていた”(377頁)などから、環境汚染の問題であることはあからさまですし、ファーレンハイトが“脅迫”(376頁)されていることまで見え見えでしょう。
 しかして、ニックがしっかり仕事をしたにもかかわらず、新たな脅迫状が届いて“脅迫者探し”が始まるのがこの作品の見どころ。脅迫状でニックに言及されるとともに、絵はがきではなくネガからプリントされた写真が送られたことで、容疑者がしっかり限定されているのが見逃せないところですが、そこでニックが“多重解決”を展開するのが秀逸。
 事態を丸く収めるための“表向きの解決”とはいえ、ファーレンハイトの部下ということで盲点となっている――それでいて脅迫者の条件を満たしている、ルービンを脅迫者とする解決はよくできていますし、何より気絶しているために本人が反論できないところが絶妙です(苦笑)。一方、真の脅迫者であるアマンダについては、うっかり絵はがきに百万ドルの価値”(387頁)があると口にしたことが決め手となりますが、その前に、“よそ者がここへ来て、絵はがきを買い占めて(中略)火事のあと(中略)絵はがきの大半をカウンターのうしろに移した”(366頁)という、何気ない説明の中に時系列の矛盾を潜ませてあるのがお見事です。

「サパークラブの石鹸を盗め」
 石鹸を使った時限式発火装置による放火トリックには、どことなく既視感があります*14が、それはさておき。ニックが盗んだ石鹸が“色もにおいも少し変わったもの”(416頁)で、発火装置に使われたものと同一だとしても、ニックがいうように“シーカーがあれを家に持っていることはなんの証明にもならない”(415頁)ことには変わりがないので、明らかに事件の証拠としては弱い*15のが難点。しかもそれをニックに盗ませたとなれば、裁判でその出所を証明するのが難しくなるわけですから、“証拠の石鹸をニックが盗む”というプロットが破綻しているといっても過言ではないでしょう。
 それでも、真犯人を見抜いたニックの推理は鮮やか……といいたいところですが、真犯人マウジーの話があまりにもお粗末――特に、“おれたちの道具を取り出そうと”(416頁)したはずが、なぜか発火装置だけを持ち出した点――なので、あからさまに怪しいのは否めませんし、刑事でありながらそれに気づかないイェガーのうかつさが……。
 そもそも、火災が起きたにもかかわらず(トリックを明らかにするために)“不発”の発火装置が一つ必要となる時点で、かなり無理のあるネタといわざるを得ないように思います。

「使用済みのティーバッグを盗め」
 まずティーバッグの秘密については、前面に出された麻薬密輸疑惑を考えれば、何らかの形で取引の情報が隠されていることは見当がつきますが、タグを紅茶に浸すと文字が浮かび上がってくる*16というのは、ティーバッグならではのよくできた手法だと思います。
 ボートが炎上して死んだと思われたベントリーが生きていたり、麻薬密輸を匂わせていたミルドレッドが捜査側(司法省)の人間だったりと、どんでん返しの連発が面白いところですが、きわめつけはベントリーの密輸の真相で、密輸入ではなく密輸出(麻薬ではなく銃器)だったというのが実に鮮やか。フロリダから出て行く時に煙幕のトリックを仕掛けたり、オットーが取り出したライフルが“ワセリンにおおわれて”(448頁)いた、といった手がかりもよくできています。

*1: その後に、ジェイミーの父親ハーブの勤務先として“〈ブッカー建設〉”(32頁)の名前が出てくることが、地味ながらミスディレクションとして機能しているように思います。
*2: ハーブの勤務先が〈ブッカー石油化学〉ではないことが、上述のミスディレクションだけではなく、依頼人の紙マッチの出所がハーブではないことを暗示するヒントにもなっているところがよくできています。
*3: 『怪盗ニック全仕事2』に収録された某作品((以下伏せ字)「くもったフィルムを盗め」(ここまで))でも、似たような状況が扱われています。
*4: このあたりは、単に私の知識不足かもしれません。
*5: アメリカの水道事情次第で変わってくるかもしれませんが、“コルモ”として出場したレースの様子をみると、水道水の水質もそれなりということになるでしょうか。
*6: メイビー牧師は“もう灰皿に指紋はついていない。やつはそんな間抜けじゃないぞ!”(226頁)と指摘していますが、ニックが水槽から取り出した灰皿の“水気を拭き取った(217頁)時点で、すでに指紋は消えているような気が……。
*7: しかし、『怪盗ニック全仕事2』に収録された某作品((以下伏せ字)「何も盗むな」(ここまで))では、一回の仕事で二回分の手数料を得ているので、帳尻は合っているのかもしれません。
*8: 後の「田舎町の絵はがきを盗め」で、ファーレンハイトという名前の依頼人が登場し、ニックが“温度計の目盛と同じ綴りで?”(363頁)と尋ねる場面にニヤリとさせられます。
*9: (華氏)=(摂氏)*9/5+32。
*10: むしろ、殺人がニックの盗みと無関係な「消防士のヘルメットを盗め」の方が、殺人が巧みにプロットに組み込まれている感があります。
*11: 例えば、ニックが最後に“木枠の件は本当にすみませんでした”のような一言を改めて口にしていれば、それに対して“次は気をつけるように”と応じるつもりで、うっかり“狙撃”まで口を滑らせてしまうのもまだわかる……ように思います。
*12: 作者としてはやむを得ないところでしょうが、ブルースターの目的からすれば本来は、赤い風船を誰が持っているのか伏せておく理由はないように思います。
*13: ニックが“しばしば持ち歩いている小型テープレコーダー”(366頁)というのは、少々都合がよすぎるようにも思われますが(苦笑)。
*14: ミステリではなく、浦沢直樹・勝鹿北星・長崎尚志による漫画『MASTERキートン』(→Wikipedia)あたりかもしれません。
*15: 裁判に持ち出す証拠ではなく、それをネタにシーカーを恐喝しようとする(シーカーがそれに応じるかどうかは別として)程度であればまだわからなくもないのですが、刑事のイェガーが仲間に加わっている時点でそれもあり得ません。
*16: ところで、ニックが持ち帰ったのがまだ濡れているティーバッグ”(442頁)ということで、依頼のとおりにベントリーの代役ワトスンがティーバッグを使ってから盗んできたわけですが、そうすると、ワトスンがまだ取引の情報を確認していないのは少々不自然な気もします。

2016.06.30読了